8杯目:それでもまだ好きなところはあるんですけどね
それは、付き合って2年記念を兼ねた旅行デートでのことだった。
観光地を色々回った初日。
ホテルに戻って、先に俺がシャワーを浴びた。
30分後に浴室から出て彼を呼びにいくと、ベッドでスマートフォンを握りしめたまま寝落ちしていた。
今寝落ちしたばかりなのか、まだスマートフォンの画面は起動しているままで。
なんとなく覗いてしまった画面に映し出されていたのは。
『この間の3P、楽しかったですね!』
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「で、どうするのよ」
「どうするのって言われても……」
先月の旅行で見た衝撃の事実について、ママに全て打ち明けた。
あの画面を見てしまった直後は、彼の秘密を覗いてしまったことの罪悪感や、裏切られた気持ちがごちゃごちゃと心の中で混ざり合って、何が何だかわからなくなった。
泣き喚きそうにもなったが、ギリギリのラインでどうにか堪えて、浴室に戻る。
鍵をかけて、声を押し殺して少し泣いた。
15分くらい経ってどうにか気持ちが落ち着いてきたので、わざと大きめの音を出しながら改めて浴室から出る。
その音で彼は目覚めて、入れ替わる形で浴室へと入っていった。
それから先は、どうにか自分のメンタルを立て直しつつ、残りの3泊を「楽しく記念日を過ごす彼氏」として振る舞った。
「よりによって……大事な旅行の日に……3Pて……3Pて……!」
「そもそもアプリを開いたまま寝落ちするなよって話よね〜」
ママはカウンターを拭きながら、軽いトーンで話を続ける。
「で? どうするのよ」
「〜〜〜〜っ!」
声にならない声を出してから、グラスに入った酒を一気に飲み干す。
ゲイの世界なんか、こんなことばっかりだ。
浮気上等。純愛を通せるカップルなんかごく僅かだ。
オープンリレーションシップを堂々とお互いに発信して付き合っているカップルも見ることがある。
俺はというと、「積極的に詮索はしない」スタイルを貫いている。
自分の目が届かないところまで相手の行動を束縛する気は全くないし、自分だってされたくない。かといって、浮気大賛成というわけでもないけれど。
「どうせやるならバレずにやれよ」と思っている。
「いっそ別れたら? 許せないなら、後々しんどくなるだけよ」
「そんな簡単に言わんでくださいよー」
付き合うのも早ければ、別れるのも早いのがこの世界の常。2年も付き合いが続いたものを、俺は簡単に切れない。
「別にお互い冷めてる訳じゃないんです。事故的にそういう画面を目撃しちゃって動揺してるというか……」
「じゃあ時間が経てば忘れられる?」
「……」
これに即答できない辺りに、俺の弱さが見え隠れしている。
なんなんだ別に。いいだろ、浮気くらい。今だってキスもしてる、ハグもしてる、喧嘩はしない。
たった一度、アプリの画面を見てしまったくらいで切ることが俺にできるのだろうか。
思考がうまくまとまらない。
ママに詳細を話していたときも、正直支離滅裂な話し方になっていたと思う。
「おかわり、いる?」
「……いや、大丈夫です。明日も仕事だし」
一人で抱えるには爆弾が大きすぎて、誰かに喋りたかった。
この人なら、少なくとも周りにベラベラと喋らないと言う信頼があった。
「なんかあったら、また来なさいね」
「ありがとうございます。出張から帰ってきたら、また顔出します」
「あら、どこ行くの?」
「東京です」
「東京……。東京。……ねえ、ちょっと後ろ向いて」
言われるがまま、カウンター越しに僕はママに背を向けた。
次の瞬間、そこそこ強い力で背中をばんっと三回叩かれた。
「痛っ! なんで!? なんで!?」
「厄除け」
「!?」
「変な虫がつかないよーにね」
念のためよ、とママはウインクをしようとする。
ひとまず、俺の暗い気持ちを払拭しようとママなりに気を遣ってくれたんだなと、そう解釈した。
まあ、なんとなく気持ちが軽くなったような気がするし。
お代を払って、お礼を言って店を出た。
平日の夜10時。こんな時間に飲みに来たのはいつ以来だろうか。
彼氏ができてからは、飲みに出ることも少なくなっていた。相手があまり酒を得意としていなくて、ゲイバーのような賑やかな場も好まないタイプだった。
俺自身はと言うと、酒を飲むのは好き。そういう場も好き。ゲイバーなんかは特に好き。でも、彼を優先したくて行くのをやめた。
別に、行くなとか言われたわけじゃなかった。ただ、一番好きな人がそばにいないのに、他の誰かと楽しい時間を過ごすのがなんだか嫌だったから、自分自身の意思で行くのをやめていた。
他にも色々やめたものがある。
タバコをやめた。マッチングアプリをやめた。好きなアニメのフィギュアを集めるのをやめた。ゲイイベントに顔を出すのをやめた。ソシャゲをやめた。仲のいいゲイ友達との飲み会に参加するのをやめた。
やめて、削いで、捨てて、距離をとって。
何一つ、相手から望まれたことではなかったのに、それが誠意だと俺は思っていた。
何かに注いでいた情熱もお金も時間も、全て彼に向けたいと思っていた。
彼も、同じだと思い込んでいた。
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なあなあに彼との関係が続いて2週間。その間も一緒に買い物に行ったり、映画に行ったり、お互いの家に泊まったり。
ふとした瞬間にあの日の映像がよぎったりもしたけれど、彼の笑顔を見たり、声を聞いたりしていると自然と忘れられた。
でも、一人家路につくとやっぱり思い出してしまう。
俺は、どうしたいんだろう。
ママにも言われたけど、結局のところ、どうするのが一番良いんだろう。
そんなモヤモヤを抱えつつも、彼との時間以外にもいろんなことが起きるわけで。
今日はというと、元々予定していた出張で、ひとり東京にやってきた。
2泊3日。今回は取引先との飲み会もないので夜は自由時間だ。
彼氏と出会う前から、東京に来るたびに必ず顔を出していたゲイバーへと足を運ぶ。
「いらっしゃいませー! どうぞこちらへ!」
若い店子の笑顔がまぶしい。
「このお店は初めてですか?」
「いや、3年くらい前に一度来たことがあって」
「あ、そうなんですね! そしたら、自分去年からこの店に入ったので、初めましてですね」
3年も通ってないと、新しい顔もそりゃあ増えるか。
ハキハキと話しかけてくれる彼に好印象を抱きつつ、俺はビールを一杯注文する。
待っている間に店内を見渡してみる。
平日ということもあって、いくらか空席が目立つ。
と、奥の席に座っている人と目があった。年齢は自分と同じくらいだろうか。
少し細身で、髪はやや長めだが清潔感がある。
あまりゲイ受けはしなさそうだが、個人的には気になる雰囲気があった。
「……」
なんとなく、会釈をすると、向こうも返してきた。
「お待たせしましたー。……お知り合いですか?」
「あ、いや、なんとなく目があって」
「えー! 運命、運命〜」
謎のノリで返しつつ、店子は奥の席に座っていた彼へ声をかけた。
「よかったらこの人の隣に来ません?」
最初、少し驚いた顔をしていた彼だが、まんざらでもなかったようですぐにこちらへ来てくれた。
「はじめまして!」
乾杯をして、軽く会話をしてみる。
聞けば、彼は毎月1度くらいでこの店に通っているという。
2年前から通い出しているとのことだったので、自分がこのお店に顔を出していた時期とは少しずれている。
「なんで顔出さなくなったんです?」
「いやあ、元々関東に住んでいるわけではなくて……出張できてるついでに顔出してたので、しばらくタイミングがなかったんですよね」
なんとなく、嘘をついた。
本当は彼氏ができたから、なのに。
「そうなんですね! 今日来てよかったです。めっちゃイケメンだなーって入ってきた時にちょっと思ってたんですよね」
照れた感じでそう告げる彼の顔が、なんだか可愛く見えた。
「いえいえ、そんなそんな。お兄さんもかっこいいですよ」
「またまたぁ」
そう返しながら、彼がごく自然に俺の腕をこづいてくる。
こういう時間、こういう雰囲気がやっぱり好きだ。
「今日はどちらに泊まってるんですか?」
「会社が取ってくれたホテルで、赤坂のほうに」
「あ、そうなんですか! じゃあ終電までには帰らないとですね」
「はい。なのでほどほどに飲もうかなと」
少しだけ、彼の顔が近い気がする。
俺が来る前から飲んでいたからか、頬が赤く見えた。
「てか、お兄さん、手大きいですね」
不意に、彼が僕の手を掴んで、手のひらを合わせてきた。
彼のいう通り、やや俺の方が大きい。
なんだ、この距離の詰め方は。
「結構ぐいぐいきますね」
「酔ってますからね。無礼講無礼講」
そう言いながら、彼は手をずらしてごく自然に指を絡めてきた。
思わず自分も握り返す。
まだ誰とも付き合っていなかった頃、好みだった人とこういう駆け引きをしたことがあったっけな。
ビールをまだ半分ほどしか飲んでいないのに、自分も酔いがまわってきたように感じる。
黙って彼の目を見た。彼も見つめ返してくる。
なんかもう、いいかな。
だって、あいつだって3Pなんかしてたんだし。
ワンナイトくらい、俺だって。
泊まってるホテルって、確かフロントがーー。
「あー! ちょっとー! いちゃつくなら外でやってくださいよ〜! そういうお店じゃないですからねー!」
店子の甲高い声で我に返る。
それに続くように、他に飲んでいた常連と思しき客からも笑い声と野次が飛ぶ。
「すみません、ちょっと調子乗りました」
俺は平謝りしつつ、彼の方を見た。
彼は彼で、周りからの野次に応えていた。
……俺は一体何を考えていたんだろう。
残りの酒を一気に飲み干して、お代わりを追加する。
次の一杯を飲んだら、とっとと帰ろう。
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まあ、そのあとはどっちらけって感じになって、お互い普通に飲んで喋って、終電前に俺が先に帰った。
寄り道もせず、おとなしくホテルに戻って、シャワーを浴びて寝ることにした。
少し熱いくらいの温度にして、頭からお湯を浴びる。
別に寒いとかはなかったのだけれど、なんとなくそうしたくなった。
「……」
誰に咎められるわけでもない。ここには知り合いなんていない。
別に、他の誰かと一夜を共にしたって、バチは当たらないはずなのに。
あいつだって。あいつだって。
「あぁ……」
その時、気づいた。
シャワーを浴びながら、あの旅行の日を思い返して。
あの時、ショックだった以外にも、強い感情があった。
自分がいろんなものを捨てて、我慢してきていたのに、彼は純粋そうな笑顔の裏で、他の男と肌を重ねていた。
そうだ。ずるいと、そう思ってしまったんだ。
「きっしょ」
自分を蔑む言葉が、自然に溢れた。
誠実を仇で返されたと、あの日感じてしまっていたのだと思う。
馬鹿みたいだな。別に頼まれたわけでもない、約束をしたわけでもない。
ただ、自分が「誰かと付き合ったらこうあるべきだ」と思って、そういう行動を取っていただけ。
今夜、あのバーで話した彼を魅力的に感じたのも、「そういう感じ」になってもいいかなと思ってしまったのも。結局俺も、あいつと何も変わらないじゃないか。
同じ穴の狢だ。
でも、結局一線を越えなかったのはなぜなのか。あのまま、彼を連れ出すこともできたはずなのに。
冷静になった瞬間に浮かんだのは、彼氏の笑顔だった。
どうしたってあの笑顔を裏切ることはできないと思った。もしあのまま流れに身を任せていたら、次に会う時俺はまともに彼氏の顔を見れなくなっていただろう。
それが、俺の最後のブレーキになったのだと思う。
「……それか、厄除けが効いたのか」
真剣な顔で背中を叩いてきたママのことを考えたら、少しだけ笑えた。
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出張から帰ってきて、本当はすぐに飲みに出たかったのだが、また2週間ほど間が空いた。
別に仕事が忙しかった、とかではなくて。
色々とけじめをつけていたら、行くタイミングを見失っていたのだ。
「だいぶ長い出張だったじゃない?」
「まあ、色々とありまして」
「色々?」
出張から帰ってきた日、元々彼氏と会う約束をしていた。
お土産を渡して、その日は向こうの家に泊まるつもりだったのだが。
「彼氏と大事な話をしてきました」
「え、うそ」
「別れました」
少し驚いたようなそぶりを見せたが、すぐにいつもの調子に戻ったママは続ける。
「やっぱり、許せなかったの?」
「まあ、そういう感情もあるっちゃありました。でも、浮気されたことに対して怒っているわけではなくて」
街中に戻ってきて彼の顔を見た時、好きの感情とは別に、薄暗い感情も同時に出てきたのを感じた。
これまではうまく言語化できていなかったけれど、今ならわかる。
やっぱり、俺は彼を羨んでいた。
「羨ましい……ね」
「気持ち悪いですよねー。『自分はあんなに努力してたのに』とか、『いろいろ我慢してたのに』とか思い始めたら、止まんなくなっちゃって」
「なるほどねぇ……。あんたも結構溜まってたのね」
「まあ、そんなとこです」
別れを切り出したあとは、まあ荒れた。
初めは詳細は伏せるつもりだったが、ちゃんと理由を聞かないと納得できないと向こうに言われ、正直に全て話した。
アプリの画面を見てしまったこと。好きという気持ちとは別に、嫉妬の感情も出てきてしまったこと。勝手に自分が制限をかけていたのに、気づいたら同じ熱量を求めてしまっていたこと。
別れを決めたのは、これ以上真剣に交際ができなくなってしまうと思ったからだ。そこは彼の問題ではなく、俺の気持ちの問題だと伝えた。
全てを聴き終えた後、初めに彼は浮気したことを泣きながら謝ってきたりもしたが、しばらくするとそもそも画面を勝手に覗くのがどうかしてると俺を責め始めた。
俺は反論を一切しなかった。そしたら今度は、また泣き出して、謝りだして。
その日はどうにか話を終わらせて帰路についたけれど、しばらくはメッセージや電話が毎晩のように届いた。非を認めるような全力の謝罪文が来たかと思えば、また罵倒に近い言葉の数々を送ってきて。
でもそれも1週間ほどすると落ち着いて、最終的に向こうが折れる形で、俺の2年の恋は終わった。
「向こうもそれだけ荒れたってことは、あんたに惚れてはいたってことよね」
「そうですね」
「どう? すっきりした?」
「全然。本音を言えば、後悔が強いです」
俺がもっと我慢強ければ話は変わったのだろう。あと半年くらいしたら、「それもまたゲイあるある」くらいの気持ちでさらっと忘れることもできたと思う。
でも、できなかった。彼を嫌いになりたくなかったから。これ以上彼の不貞を目にするかもしれない可能性と向き合う勇気が俺にはなかった。自分の好きなことを捨てるのは簡単だったくせに、彼の清濁全てを受け止める覚悟だけは、結局最後までできなかったのだ。
「一度や二度の浮気くらい、見逃せたらよかったんでしょうけどね」
「私だったら見逃しちゃうかも。ゲイあるあるだし」
「ですよね」
ママの言葉にも頷いてしまう。
「でも、すごいわね。あんた」
「なにがですか?」
「ちゃんと向き合って答え出したのね」
言葉の意味がわからずぽかんとしてしまう。
「……いや、向き合ったっていうか、今後も浮気される可能性から逃げたっていうか」
「なんとなくゲイの世界だからしょうがないって思われがちだけど。浮気する男なんか普通はロクなもんじゃないでしょ」
「まあ……一般的な男女交際だったらまずボコボコにされますね」
「浮気を許すって、別に心が広いからできることでもないのよ。あくまで私的な考えだけど、『お互い様だから見て見ぬ振りしよう』とか、『波風立てたくないからスルーしよう』とか、そういう目を背ける行為なんだと思ってるのね」
「……」
「だから、別れるのか続けるのか、どんな答えになったとしても、向き合った上でその回答を出したのであれば、それはすごいことなのよ」
お疲れ様、とママは最後に付け加えた。
涙……は別に出なかったけど、なんとなく、気持ちが落ち着いていく実感があった。
「強いて言えば、次に好きな人ができた時は、ちゃんと何を許せて何が許せないのかをちゃんと擦り合わせておくべきねぇ」
「あはは……そうですね」
あの日一線を越えなかったのも、まだ俺の中で彼氏に対する想いが優先されていたからだと思う。
それだけ真剣なんだということを付き合うまでにでも話せていれば、お互いの熱量みたいなものをすり合わせできていれば、また違った今を歩んでいたかもしれない。
別れる結果となってしまったのは悲しいけれど、これでよかったのだと思う。思おう。
「あ、そういえば、ママの厄除け効いたかもしれません」
「え?」
「東京で久しぶりに寄ったゲイバーで、すごい距離感近いイケメンさんがいたんですけど、ぎりぎりのところで理性保てました」
「……それってあんたより少し小柄で若干髪が長くてほんとナチュラルにスキンシップしてくるやつじゃない?」
「え、知り合いですか?」
「いいえ、知り合いたくもないわ。あんた、フリーになっても絶対その男はやめときなさいよ!」
プリプリと怒り始めたママが勢いよく俺に釘を刺してきた。その熱に思わず笑ってしまう。
明日は仕事が休みだし、久ぶりにガッツリ飲んで行こうかな。
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俺は彼のためにここまで頑張った。
これだけのものを犠牲にした。
こんなにも我慢を重ねてきた。
それなのに。それなのに。それなのに。
なんてことを、傲慢にも考えていた。自分本位もいいところだ。
だから、彼を傷つけてしまう結果になった。
自分勝手に取捨選択して、相手もこうだと決めつけて、同じ誠意を彼に求めてしまった。
もっと言葉を交わせばよかった。譲れないことを話し合って、大好きなものをシェアして。
そんな積み重ねの連続が、本当は一番大事なことだったのだろう。
何もかもを壊した後に、ようやく気づいた。馬鹿だな、ほんと。
こんな俺に付き合わせてしまって、ごめんなさい。
こんな俺と付き合ってくれて、ありがとう。
どうか、お元気で。これは、本心。




