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2杯目:吹っ切れるかなと思ってた

 「ちょっと、あんたそろそろ帰りなさいよ。また朝まで寝る気?」


 ママの声がする。その後、体を強めに揺らされて、やっと僕は目を開ける。


 「んんんん、ママ、力強い……」

 「あんたみたいな酔っぱらいを叩き起すために鍛えられたのよ! 本当は手弱女だったのに……」

 「たお……ん? なに? 誰が?」


 聞き返したところでデコピンを喰らい、鈍い痛みに呻きながらようやく上体を起こした。

 眠いことこの上ない。

 元々酒に強い体質じゃない。でも、飲んでる雰囲気とか楽しいし、独りで家にいるよりずっと気が楽だから、ついつい来てしまう。

 幸い記憶を飛ばしたことや吐き飛ばしたことはないので、まだそれほど迷惑はかけていない。


 「ほんとあんたは毎回毎回来る度に寝落ちして翌日の7時とかまで起きやしない……」


 嘘。ちょっとは迷惑かけてるかも。

 まだ完全に起ききっていない頭で腕時計を見る。

 時計の針がてっぺんをまわっている。


 「なんだあと1時間寝れたよぉ」

 「この間もそんなこと言って二度寝決め込んで、店内滞在の最高記録更新してたでしょ。次の日が定休日だったから許したけど、次はないわよ!」


 そんなことを言いながらも、優しいママである。

 多少乱暴にではあるが、水を1杯注いで目の前に置いてくれた。


 「ほら! とっとと飲みなさい」


 1口で飲み干してから、もう一度時計を見る。

 走れば終電に間に合いそうなものだが、そんな気力は無い。

 ネットカフェに泊まるか、タクシーを使うかなども考えながら、何となく周囲に目をやる。

 自分以外に残っているのは、あと4人。

 うち2人は、恋人同士で来店した観光客らしく、そろそろ帰ろうかなどと話している。

 旅先の夜にゲイバーに立ち寄る楽しさは、もう随分と味わっていない。

 こんな酔い方をするので、行き慣れていない店には近寄りづらいからだ。

 本来は多少ハメを外しても許されるものだが、30代後半にもなって、それなりの自制心が芽生えた。


 「あんた、酒飲むスピードはもうちょいコントロールした方がいいわよ?」


 どうやら第三者目線だと、まだまだ自制はできてないらしい。

 と、ここでまた1人、会計を済ませて外へ出た。

 それに続くように観光の2人もママに声をかけて財布を取り出している。

 残ったのは、僕と、ママと、もう1人。

 最近からこの店でよく顔を見るようになった子だ。

 多分、顔立ち的には20代後半辺りだろうか。自分よりもやや身長が低くて、可愛らしい。

 さっき帰った1人と一緒に動いていることが多いが、今日は1人残っている。

 そういえば喋ったことないなと思って見ていると、彼もこちらに視線を向けた。


 「2人になっちゃいましたね」


 彼が話しかけてくる。


 「ん? ……あぁ、そうですね」

 「お兄さんはまだ帰らないんですか?」

 「もう終電間に合わないし、このまま始発まで寝ちゃおうかな」

 「出禁よ〜!」


 今日一の大きい声をママが出したところで彼が笑った。


 「ママごめん! 嘘! 嘘だからぁ!」

 「でもこのまま居座ったら絶対朝まで寝るでしょ。ほら、もう2人ともお会計しちゃって。ちょうど飲みきったでしょ」


 渋々財布を取り出して、金を払う。

 彼もそれに続いて会計を済ませ、僕たちは半強制的に追い出された。


 「大丈夫ですか? 結構酔ってるみたいですけど」

 「へいきへいき。ありがとね」

 「今日はこのあとどうされるんですか?」

 「タクシー……かなあ」

 「……もし、もし良かったらなんですけど」


 続く言葉に一瞬酔いが覚める。

 そんなこと言われたのは、何年ぶりだろうか。


 「いいの? こんな酔っぱらいだし、多分すぐ寝落ちするけど」

 「はい! 僕の家近いので、もし良ければ!」


――――――――――

 

 そこからの記憶は朧気で。

 まさか年下の家に泊めてもらえるなんて、思わないじゃない。

 一瞬覚めた酔いだったが、不必要に強く高鳴る心臓の鼓動に比例して、アルコールが再び全身を駆け巡った気がする。

 いつも以上に酔っ払った僕は、幸い吐いたりすることはなく、彼に【お持ち帰り】された。

 一人暮らしのワンルームで、手狭だが綺麗に整理されている。

 肩を借りながらベッドに腰を下ろしたが、僕だけそのまま倒れ込んでしまった。


 「水、いりますか?」

 「大丈夫……大丈夫……」


 それが覚えている最後の会話。

 目覚めるともう既に朝の9時、そして横には。


 「……うわあ、うわあ」


 果たしてこんなに可愛い寝顔を見たのはいつ以来か。

 年下最高。

 それと同時に、こんな最高の状況を酒に飲まれて添い寝で終わらせた自分に心底腹が立つ。

 あわよくば、あわよくば。


 「……ん? おはよう、ございます」


 このタイミングで目を覚ますか。

 彼の顔に伸びかけた手を、できるだけ自然に引っ込める。


 「おはよう。ごめんね、昨日爆睡しちゃって」

 「いえ……。すごく気持ちよさそうに寝てました。んっ」


 寝転がったまま背伸びをする彼。

 着ているTシャツは少しくたびれていて、伸びに合わせて彼の腰周りが僅かに露になる。

 目を逸らしてどうにか正気を保つ。


 「えっと……ありがとうね、泊めてくれて」

 「いえいえ。あ、コーヒーとか飲みます? お茶もありますけど」

 「あ、お茶をいただきます」


 眠そうに目を擦りながら、冷蔵庫からペットボトルを取り出す。

 少し上の方にある棚を背伸びして開けて、コップを2つ。

 この瞬間にもまた露になる腰回りに、朝から心臓がうるさくなる。

 そんな気持ちも知らず、彼はお茶を注いで僕に渡してくれた。その後、自分のコップにも注いで、一口で飲む。

 しばしの沈黙。


 「お仕事とか、今日は大丈夫なんですか?」

 「あっ、うん。休み。だいたい翌日が休みの日に飲みに出るから。そっちは?」

 「午後から用事があるくらいですね」

 「そっか。そしたら、長居してもあれだし、出ようかな。ほんと、ありがとね」


 慌てて立ちあがると、彼もあわせて立ち上がり、目があった。

 無言で両手をこちらに差し出してくる。

 これは、さすがに、応えねば。


 「……ん〜! ふふ」


 お望み通りのハグである。

 いや、望んでたのはこっちもなんだけど。

 というか、抱きしめた瞬間に向こうも力を込めて抱きしめ返してきた。


 「……ちょっと酒臭い」

 「ごめん……」

 「でもなんかいい香りしますね」

 「そっちもね」


 1分ほどその状態をキープしたのち、満足したのか向こうから手を離してきた。


 「ハグだけでもできてよかったです」

 「うん……うん?」


 ハグ「だけでも」って言ったか!?


 「じ、じゃあ、これで! 今度お店で見かけたら、声かけるね」

 「はい!」


 そう言葉を交わして、照れ臭さとそれ以外を隠すように僕は慌てて彼の家を出る。

 なんとなく、自分の服の匂いを嗅いでみる。

 酒の臭いと、普段使っている柔軟剤の匂い。それから少しだけ、彼の香りがした。


――――――――――


 久しぶりのお持ち帰りから2週間。

 本当はすぐにでも飲みに行きたかったが、激務が続きそれどころではなかった。

 やっとまともな休みが取れることになり、僕は飲みに出た。

 あの日のシャツを着て、少しだけ期待をしながら。


 「いらっしゃ〜い」


 いつもの通りのママの声。


 「ねえ、あんたあの後どうなったの」

 「あー……まあ……」

 「最後までやったの?」


 下世話なことを聞く前にまず酒を出して欲しいなと思う。


 「いや、なかったです。結局飲み潰れちゃって、添い寝止まりでした」

 「もったいな〜い!」

 「あ! でも帰り際にハグはしましたよ!」

 「そんなのその辺のよっぱらいサラリーマンたちだって社交辞令でできるわよ。まあ、これに懲りたら酒飲む量について考え直した方がいいかもね」


 そこでようやく、酒を注いでくれた。

 今日、彼はくるだろうか。まだこの時間帯は僕一人らしかった。

 僕は、入れてもらったお酒を、スローペースに飲み始めた。


――――――――――


 結局彼は来なかった。

 約束していたわけではないし、そんなこともある。

 こんなことなら、あの日、帰る前に連絡先でも交換しておけばよかったと、少しだけ後悔する。


 「あの子、来なかったわね」

 「この2週間のうちでは来てました?」

 「あんまり他のお客様の動き、喋りたくないのよね」

 「ですよねー」


 そりゃそうか、と思う。

 手元のグラスに残った最後の一口をさっと流し込んで、チェックを宣言する。


 「あら、あんた今日酔ってないのね」

 「ちょっと省みただけですよ。飲み方を」


 また次、会えたらいいや。しばらく仕事は落ち着くし。

 そんな軽い気持ちで、その日は店を後にする。


――――――――――


 それから2ヶ月、彼と会うことはなかった。

 定期的に飲みに出ては彼の姿を探したが、特に会うことはなかった。

 家の場所は以前泊まったから分かりはするが、そんなストーカーまがいなことはしたくない。


 「……今回だけ特例だと思って欲しいんだけどね」


 ママが小さな声で僕に耳打ちする。


 「あの子、あれから一回も顔出してないのよ」


 どうやらタイミングが悪い、ということではないようだ。

 正直寂しい気もするが、来れない理由があるのだろう。

 そもそも、こっちの世界なんてこんなことばかりだ。

 特に人の出入りが激しい街であればなおのこと。交友関係も、地方とは比べ物にならないくらいスピード感を持って変わっていく。

 新しくお気に入りの店を見つけたか、恋人でもできたかだろう。

 そんなことを考えながら、酒を流し込むスピードを上げようとした時だ。

 見覚えのある顔が一人、店に入ってきた。


 「一人なんですけど、席空いてます?」

 「もちろん! 入って入って」


 僕の隣に座ってきたのは、あの子がよく一緒にこの店に来ていた彼だ。


 「あんたも久しぶりね〜」

 「いやー仕事大変で……。やっと落ち着いたんすよ」

 「じゃあまずは一杯」


 ママから出されたグラスを手に取り、ごくごく自然に僕と乾杯を交わす。


 「あれ? そういえばあんたに聞きたいんだけどさ。2ヶ月くらい前にいつも一緒に来てたあの子、どうしてるの? 二人して最近見ないから心配してたのよー」


 ママ、ナイスアシストすぎる……!


 「え? あぁ! あいつね、1ヶ月前くらいに東京行きましたよ」

 「東京!?」

 「はい。東京。栄転ですよ、栄転」


 俺はあんな人がゴミゴミしてるところ嫌ですけどね、と言いながら一口酒を飲む。

 続けて、僕の方をじっと見て、思い出したように言った。


 「…あ。そうだ、お兄さん、前にあいつの家泊まりましたよね?」

 「え、あ、い、一応」

 「あいつから伝言もらってます。『次に会う約束果たせなくてごめんなさい』って」

 「あぁ……そうですか」

 「前に見かけた時、お兄さんのこと結構イケるって言ってたんですよ。あいつ年上好きなんで。だから、俺だけ先に帰ったんです。連絡先とか交換してなかったって言ってましたけど、よかったら教えましょうか?」


 しばらく、噛み砕くのに時間を要したが、とりあえず手元にグラスの注がれた分を一気に飲み干す。

 その後、少し考える。

 僕は彼に会いたいだろうか。そもそも次に仕事の休みがまとまって取れるのはいつだろう。

 そもそも、ゲイの世界は残酷だ。

 遠距離恋愛なんて、一般の男女と比較すれば長続きしない。

 しかも東京であれば、なおのこと。彼のようにキラキラとした人間は、選ばれる可能性も多いことだろう。こんな、いち地方に引きこもっているよっぱらいなんかとより、よっぽど素敵な出会いがある。


 「いや、いいよ。彼によろしく伝えておいて欲しい。頑張れって、言ってたって」


 たった一度、家に泊まっただけ。

 それだけの縁。この世界では簡単に解けていく。


 「そうすか。分かりました」

 「……ママ、ちょっと用事思い出したから、今日は帰ります」

 「え? あぁ、そう」

 「君も忙しいのに、伝言ありがとうね。もしタイミング合えば、今度飲もう」

 

 彼にもお礼を言って、僕は店を出た。

 朧げな記憶を頼りに、いつかのアパートの前までくる。

 302号室だったっけか。

 もういないから、これは別にストーカー行為ではない。

 ただ、知り合いの住んでいない建物を見上げて、それで終わり。

 あの日、酒を控えていれば何か変わっただろうか。せめてキスでもできていれば?

 いや、どう転んでも、たった一度の機会になって終わりだろう。

 ふと、自分が着ているシャツを嗅いでみる。

 彼の香りはどこにもなくて、ただいつもの柔軟剤の匂いがするだけ。

 当たり前だ。普通に洗って、飲みにいく以外でも着ているし。

 自分の滑稽な姿にちょっと笑いが込み上げてきて、そのまま帰路についた。


――――――――――


 それから2週間後、また飲みに出た。


 「新しい出逢いないかなー!」

 「今までの飲み方してるうちは厳しいんじゃないの」

 「ですよね……」


 ママにちくりと一言刺されて、項垂れてしまう。


 「そういえば、あんたいつも着てたシャツは? ちょっとぼろっちいやつ」

 「あー」

 「お気に入りだったでしょ」

 「捨てました」


 あっさりと言った僕に、何か思うところがあったのだろう。

 ママはそれ以上追求せず、いつもよりアルコール強めの酒を作ってくれた。


 「これは始発まで飲んでいいということですか」

 「出禁よ〜!」


 高らかな声が店内に響き、他にいた客も含めて爆笑が起きる。


 「あんまり飲みすぎるんじゃないわよ。次のチャンスがいつ転がってくるかわからないもの」

 「気をつけます。あ、これ飲んだらお会計します」

 「あら、早いわね。明日仕事?」

 「いや、ちょっと、たまには他のお店にも顔出してみようかなって」


 その一言に、ママは少し驚いた顔をする。


 「珍しいわね。あんたが他の店いくなんて」

 「最近ほら、潰れない飲み方をちょっと覚えたじゃないですか。冒険してみてもいいかなって」

 

 そのほうが、余計なことを考えずに済むでしょ。

 僕の言葉に、ママは何も言わず、優しく肩を叩いてくれた。


――――――――――


 別に恋していたわけじゃないんだけど、ちょっと期待しちゃったんだ。

 こんな飲んだくれでも、誰かのそばにいていいのかもって。

 年甲斐もなく舞い上がってしまっただけ。

 いい夢を見れた気がする。自分が変わるきっかけにもなりそうだし。

 ただ、なんだろうな。

 久しぶりに、ちょっとだけ後悔しているみたいだ。


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