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1杯目:もっと強いお酒がほしいんですが

 余裕の無さを露わにするより、「まあ、今はあえて、恋人がいないだけですよ」と振舞っているほうが、声をかけてもらえる気がしている。

  事実、行きつけのバーではそのスタンスでいて、結構楽しめている。

 たまにはお持ち帰りしたりされたりもする。

 いいだろ別に。今はフリーなんだから。

 そういう【大人の関係】抜きの友達もそこそこできたので、やはり焦りが出ていないほうが周りも話しかけやすいのだろう。

 だから、この日も同じような感じで酒を飲んでいたら、いつもと同じように声をかけられた。


 「お疲れ様ですー」


 そう言って、人懐こそうな笑顔でグラスをこちらに向けてきた。

 だから、挨拶として俺もグラスを近づけた。


 「お疲れ様です。 初めまして、ですよね?」

 「はい! 前からこのお店は気になってたんですが……。 なかなか勇気が出ず」

 「そうなんですか。 じゃあ今日はどうして?」


 聞くと、彼は数ヶ月前に恋人と別れたという。

 もともと飲みに出たことはなかったが、マッチングアプリを再開するのもなんとなく抵抗感があったらしい。


 「で、このままだと知り合いもいないまま生き続けてしまうなと不安になって……色んな出会いを求めて一念発起してきました!」

 「なるほど……。 思い切りましたね」

 「はい! めっちゃ緊張しました。 お店入るのも、声をかけるのも」

 「ですよね。 なんで声かけてくれたんですか?」

 「オーナーさんっていえばいいですかね? マスター? から、あの人話しやすいよって教えてもらって」


  少し照れたように話す彼の顔を見て、かわいいなと思う。言わないけど。


 「マスター! ご指名ありがとう」

 「あんた私の事マスターって呼んだことないでしょ! 気持ち悪い」


 返答に思わず笑ってしまう。

 横にいた彼も、つられて笑う。

 それから俺たちは、趣味の話で少し盛り上がった。少しね。

 年齢差が5歳ほど開いていたが、それを感じさせないような守備範囲の広さが彼にはあった。

 同じアーティストの曲を聴いてるし、同じ映画が好きだった。


 「こんなに話が合う人初めてです!」

 「前付き合ってた人は違ったんですか?」

 「そうですね。 あまり映画とか見ない人でした。 別に趣味があわなくてもいいと思ってるんです。 お互いの好きなことを尊重出来れば、まあ、いいかなって」

 「もしかして、その【尊重】が出来なくなったから別れたとか?」

 「あー、まあ、そんなところですね。 5年くらい付き合ってましたが、一緒にいる時間が長くなればなるほど、遠慮ってなくなっていくじゃないですか。 お互いに、相手を軽んじることが増えていったんです。 些細なことばかりでしたが、やっぱり積み重なるとどうも……」


 自分にも似たような覚えがある。


 「お互い人間ですもんね。 妥協と我慢が続けばいつかは爆発しますよね」

 「今は吹っ切れてますけどね! こうやって飲みに出てくるくらいには僕もたくましくなってます」


 笑いながらそう返す彼の顔に、また少しだけ、愛おしさを覚える。

 ……いかん。飲みすぎている。


 「飲みすぎたから今日は帰ろうかな」

 「あっ、わかりました! 今日はありがとうございます! またタイミング合えばお話させてください!」 


 明るい返答。 ほんの一瞬、とある考えが過ぎった。

  ちらりと【ますたあ】に目を向けると、これみよがしにウインクをしようとしている。

 しようとしている、というのは、綺麗なウインクが出来ず両目をぱちぱちさせてしまっているからそんな表現になった。

 いや、今はそんなことはどうでも良くて。


 「なんかSNSしてますか? DMとかで連絡取れるようにしておいてもいいかなって」


  途端に彼の顔が明るくなる。

 キラキラした目をしながら即答してきた。


「ぜひ!」


――――――――――


  それから3ヶ月ほどの間、彼とのやり取りは続いた。

 飲みに行く約束だけではない。

 今日はどの映画を見に行ったとか、こんな歌手見つけましたとか、そういう他愛ない会話もあった。

 もちろん、一緒に飲みに出た。行きつけのところを数件教えたりもして、一緒に行って。


 「ふーん?」


 とても退屈そうに、カウンター越しから相槌を打たれた。


 「なんすか」

 「あんたさー、それで満足してるの?」

 「もちろん」

 「飲みに行くだけ。昼間のデートもしない。エロもなし?」

 「はい、楽しいです」

 「ただの友達じゃないの!」

 「……」

 「前の彼氏と別れて3年でしょ? あんたも別にブスじゃないんだし、そろそろまたいい男見つけたら? ほら、その子とかいいじゃない」

 「会って3ヶ月ですよ? あっちはまだ元カレと別れて半年程度だし、今のうちに遊んでおいてもいいと思いますけどね」


 それを聞いて、マスター、もとい【ママ】は大きくため息をつく。


 「……あんたあの子のこと好きじゃないの?」

 「かっこいいとは思いますよ。身長も高いし」

 「じゃあ」

 「だから思っちゃうんです。他にいい人いるでしょって」


 別れた彼氏に言われた忘れられない一言。


 「もっと好きな人に出会ってしまった」


 たったそれだけの言葉が、今も自分を縛りつけている。

 この世界では珍しいことではない。

 普通の男女なら、6年も付き合えば結婚も視野に入るし、安定している二人なら子どもが欲しいと考えることもあるだろう。

 結婚もしないし、子どもができることもない。

 養子縁組してみたり、わざわざ同性婚が認められている国まで飛んで婚姻関係を結ぶ人もいるが、結局別れて後から面倒臭いことになるのがこの業界の常だ。

 だから別に、「他に好きな人ができた」という理由で、長く付き合った相手と別れることもある。

 ……理屈としては理解しているけれど。


 「あんた怖いんでしょ。また振られるのが」

 「こわ、こわくないですよ」

 「長年このカウンター越しに世界を見てきた私から言わせてもらうとね、あんたとあの子、お似合いだと思うんだけど。話も合うみたいだし、のぶえちゃんとも『あの二人早くくっつけばいいのに』って話を……」


 そのタイミングで、入り口のドアが開く。


 「こんばんは!」

 「あら、いらっしゃい! ちょうどあんたの話をしてたのよ〜! ほら、早く……?」


 言いかけて、彼の後ろにもう一人、知らない顔がのぞいていることにママが気づく。


 「どなた?」

 「あ、えっと……」

 

 言いづらそうにするので、俺が言葉をつなげた。


 「もしかして、その子、DMで言ってた人?」

 「はい!」


 足早に俺のもとへきて、彼は本当に嬉しそうな笑顔で言った。


 「背中を押してくれたから、頑張れました!」

 「じゃあ、今日は乾杯しなきゃですね!」


――――――――――


 2時間ほどみんなで騒がしく飲んだあと、終電が近いからと二人は先に帰った。


 「……」


 二人を外まで見送ったママは、ドアを閉めるなり俺を蔑むような目で見てきた。


 「あんたさ」

 「……」

 「ちょっとDM見せなさいよ」

 「いやです」

 「見せないと出禁にするわよ」


 一番居心地の良い店を追い出されるのは非常によろしくない。

 我が子を人質にとられた心持ちで、仕方なくスマホを渡す。

 素早い手つきで画面をスクロールし、3ヶ月分のやり取りを見返したママが再び俺を睨む。

 舌打ちつきで。


 「ほんといい加減にしなさいよね! なんで! あんた! 敵に塩を送ってるのよ!」


 話は1ヶ月前に遡る。

 自分の行きつけの店に二人で行ったところ、同じタイミングで初めて来店したという子が先客として飲んでいた。

 礼儀正しい子で、何よりその子もまた、出会いを求めて初めてバーに入ったとのことだった。

 ゲイバーデビュー2ヶ月程度の差しかなかった彼とその子は意気投合していたように思う。

 側から見て、お似合いの二人だった。


 「だから、次は君が一緒にお店誘えばいいんじゃないって、そういう話になったんです」

 「……ほんとあんたむかつくわ」

 「なんでですか!」

 「まずここのやりとりよ」


 そう言って、DMを見せてくる。

 彼と出会って1ヶ月程度たったころのやりとりだ。


――――――――――


 『そういえば、どんな人がタイプなんですか?』

 『年齢が離れすぎてないといいかも。あとは話が弾む人とか』

 『いいですね! 自分も似たような感じです笑』

 『でも、しばらくはまだ遊んでたいなーと思ってるんすよね。独り身が楽なこともあるし』


 このあと翌日の朝8時ごろまで返信が途絶えて、その後次のようなメッセージが来た。


 『そうなんですね! いつか運命の人に出会えるといいですね』


――――――――――


 「あんた、ここひよったでしょ」

 「ひよってないっすよ」

 「なんとなくあの子が距離詰めようとしたの察して独り身が楽ですアピールしたでしょ!」

 「本心ですってば」

 「これ絶対、彼動揺してたわよ……。8時の返信もあんまり前の会話と噛み合ってないし」

 「……でも、お似合いの人が見つかったみたいだし、よかったと思いますけどね」


 そう言った俺にまた強めのため息で返すママ。


 「もう一個あるのよ。むかつくこと」

 「なんですか」


 じっと俺の顔を見つめながら、ゆっくり、俺にちゃんと聞かせるように告げる。


 「あんたこの2時間、ずっと寂しそうに笑ってたわよ」


 あの子は多分気づいてないけどね、と付け加えて、ママは新しいグラスを一つ取り出す。

 そこに氷と、俺のボトルから酒をいつもより多めに注いで、割りもののお茶と軽く混ぜ、カウンターに置いた。

 目の前には今、2杯の酒が並んでいる。


 「え、いや、まだこっち飲みきってませんけど」

 「だからよ。あんたね、その酒、2時間前に入れたやつよ。氷もとけてグラスがびしょびしょ。普段閉店まで休まず飲み続けて顔色一つ変えない化け物のくせに、この2時間、1滴も飲まなかった」


 言われて気づく。

 そうだ、飲んでないや。


 「ほんとだ」

 「……ばかね。冷えてる方が染みるから新しい方飲みなさい」


 一言お礼を言って、新しく注いでもらった方のグラスに口をつける。


 「おいしい?」

 「…酒の味がしないっす」


 少しだけ、声が震えてしまった。


――――――――――


 大好きな人が幸せだったらそれでいいと思う。

 だから、彼の心の底からの笑顔を見た時、俺も本当に嬉しかったんだよ。

 きっとこれから先、彼がこの店に来る頻度は落ちると思う。

 俺に連絡をしてくる頻度も減ると思う。

 その程度で彼の恋が実るのなら、きっとそれはハッピーエンドだ。

 

 今日も明日も、俺は楽しく酒を飲んでいるから。

 愚痴りたくなったら、のろけたくなったら、また会おう。

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