決戦前夜
モルトで防衛を祝った夜が終わり、新たな緊張感のある朝がやってきた。
今度は本隊。
装備を補充したり、怪我人を救護班が治したり。
風が木々を揺らす音だけが聞こえる、周りの森とは対照的に、砦内は大忙しだった。
救護班のテントでは、到着したヒナとリアが怪我人の回復で大忙しだった。
重症の兵はヒナがヒールをかけて、リアがその分多くの軽傷者を回復していく。
忙しく働くリアを見つめるミリアの瞳には、涙の膜が張っていた。
「マックス、リアはもう大丈夫よ」
荒っぽく裾で目元を拭って、こっちを見たミリアの表情には安堵の色があった。
「あなたはきっと多くの人がケガをしたとき、そのヒールで癒せるでしょ? それは私にはできない」
キャッシュの葬儀で言った、ミリアの言葉が頭の中で響いた。
今だけは黒炎の魔女じゃなく、普通のミリアとして過ごさせてやりたい。
真上まで昇った太陽を見上げながら、そんなことを考えていた。
「マックス……」
「ん……どうした?」
不意にミリアに声をかけられて、慌てて視線を落とす。
「お腹すいたわ」
感傷に浸っていた心がすっと現実に引き戻された。
まあ、ミリアらしいといえばらしいんだが。
「そうだな、昼にす……」
最後まで言い切る前に、ミリアに手を引かれて歩き始めた。
◇ ◇ ◇
「おい、後ろ追ってきてないよな?」
ソーメルスは後ろをチラチラと気にしながら、森に囲まれた道を撤退していた。
「はっ、来ていません。まもなく森を抜けることができるかと」
撤退中に多少バラけたとは言え、三百弱の足音は普段なら頼もしく聞こえただろう。
しかしソーメルスの聴覚は敏感になり、足音の向こうで獣が足で枯れ木を折る音に肩が震える。
「周辺をしっかり警戒しろよ? 本隊と合流するまでは油断するな」
言ってることは正しいが、その怯えように部下の兵たちから溜め息が漏れる。
「お、お前! 今俺を馬鹿にしたか?」
「いえ、そのようなことはございません」
「嘘つけぇ! 溜め息ついたよなぁ? た・め・い・き!」
普通なら上官がここまで怒ったら、部下は震え上がるかもしれない。
しかし、この男と付き合いが長くなると慣れというものが出てくる。
「いえ、緊張しまして」
「緊張ぉ? 緊張して溜め息つくのか?」
必死な様子にまた溜め息が漏れそうになるのを我慢して、隊長補佐ベレンセは答えた。
「緊張した時は深く息を吐くのがいいと、祖母から習いましたので」
「祖母ぉ? ベレンセのばあちゃんが言ったのか?」
年配者の教えは素直に聞くタイプなのか、ソーメルスは急に感心するような様子を見せる。
「なるほど、いいことを聞いたな」
「ええ、一緒にどうですか?」
二人は一緒に、深く息を吐き出した。
ベレンセのそれが、溜め息だったことはソーメルスにバレなかったようだ。
◇ ◇ ◇
クゥイントン軍の本隊は、カシム達の予想通りの速度で進軍していた。
二日もあれば砦に到着する。
「スペンサー。先遣隊から、何か報告はあったか?」
「いえ、クゥイントン卿。報告は来ておりません」
クゥイントンは丸い鼻の先端を指で挟むように弄りながら目を細めた。
「先遣隊は全滅か、撤退中か」
「ええ、恐らく」
スペンサーの表情は堅い。
リライアンス軍千五百に対し、こちらは四千五百。数では圧倒的に有利なのはわかっている。
それでも相手は一万の兵に勝利した軍だ。
「相手は千五百。ウィングゲート公爵の時は魔法道具の罠で圧倒したと言うが、今回は準備期間もなかっただろう」
「魔法道具……そんな話、聞いてません」
初めて聞く情報に、スペンサーが思わず立ち上がった。
「あ、まあ。さすがに偵察を出しておこうと思って」
クゥイントンは人差し指で頬を掻きながら、窓の外を見ている。
流れる景色を見ているのか、並んで歩く兵を見ているのか。
その視線は位置が定まらない。
「しかし、その情報どおりであれば、今回の勝利は間違いありませんな」
そう言って、スペンサーは一度目を閉じた。
罠が無ければ数で押せる。
メイジを編成した部隊も連れて来た。
スペンサーは何度も自分にそう言い聞かせて、窓の外に視線を移した。
決戦は二日後。
その日、リライアンスの運命が決まる。




