鏡の中の敵
「鏡像?」
「ええ、蒼月の残響についての噂ですが……」
問い返すと、エドマンドは懐から燻り巻を取り出した。
「エドマンド、燻り巻の臭い、私苦手なの」
ミリアがそう言うと、エドマンドは燻り巻を残念そうに懐にしまった。
「鏡像乖離という現象をご存知ですか?」
「聞いたことはあるさ。鏡の中からもう一人の自分が現れ、現実の自分と入れ替わるという……」
まあ、よくある怖い話ってやつだな。
鏡像乖離が出るから、早く寝なさい。なんて子供の頃に話された記憶がある。
「蒼月の残響は、鏡像乖離で生まれた存在を捕らえて、飼っているなんて噂がありまして」
「何よそれ、バカバカしい」
ミリアが思わず吹き出したが、エドマンドの表情を見て笑うのをやめた。
「中身が変わったなんてことがあるなら、もしかしたらこんな話でも役に立つかもしれない」
「確かに、エドマンドの言うとおりだな。どんな情報でも取り入れて、今後の対策としよう」
俺がそう言うと、各自が頷き、賛同した。
「ここまでの話から、ジャイルズは一年前から偽物に変わっていたと考えるのが自然ですね」
エギルがそう言って一歩こちらに歩み寄った。
下がった目尻からは、この男の本音は読みづらい。
しかし、その横顔は余計に頼もしく思えた。
「ジャイルズを昔から知るギルさんにも見破れなかったほどの潜入名人です。もちろん、ギルさんが本当の話をしているなら、という前提に基づいた話ですが……」
穏やかな表情の奥から、鋭い視線がギルに向けられた。
「誓って」
ギルは短く、しかし迷いなく答えた。
「そしてルーナさんが聞いた、あからさまに違う声色……」
「そうですね、少年のような声でした」
ルーナが補足すると、エギルが頷く。
「その情報からすると、偽ジャイルズはどんな相手にでも――見抜けないどころか、最も近しい者ですら疑えないレベルで完全に化けられるという」
もし、そんなやつが内部に潜入すれば……。
「鏡像乖離か……」
「ええ。鏡氷が関わっていたことからも、その可能性は考えておいた方がいいでしょう」
エギルの言葉に頷き返す。
もしかしたら、リライアンスの仲間に潜入してくる可能性もある。
信頼という武器を、諸刃の剣に変えてしまう。
厄介な相手だな……。
◇ ◇ ◇
「クゥイントン卿、ナイカリキンから使者が来ております」
「そうか、会おう」
クゥイントン卿と呼ばれた男は恰幅のいい体格で、歳は四十代後半といったところだろう。
丸くて大きな鼻と、茶色い天然パーマが特徴的だ。
クゥイントン卿が応接間に着くと、ナイカリキンの使者が待っていた。
「これはクゥイントン卿、お時間をいただきありがとうございます」
「いや、わざわざ足を運んでいただいて礼を言うのはこちらだ」
にこやかに話す二人をクゥイントン卿の部下たちは複雑な気分で見ていた。
「早速でだが、本題に入ってもらえるかな?」
クゥイントン卿がそう言うと、ナイカリキンからの使者は静かに頷いた。
「リライアンス討伐の件ですが……」
クゥイントン卿が目を細くして、使者の顔を見た。
使者は用件を伝え終えると、深く一礼して部屋を後にした。
「クゥイントン卿、リライアンス討伐など現実的ではありませんよ?」
「そうです、今やレグナート勢力は東の四領主のみです」
クゥイントン卿は部下たちに視線をやると、溜め息をついた。
「ならばリライアンスの軍門に下れと?」
「いえ、そうではなく。レグナート勢力として残れるように働きかける方が現実的でしょう」
発言した部下を一瞥して、吐き捨てるように言った。
「腰抜けが、ナイカリキンから援軍をもらえるのだ。これ以上のチャンスはない」
「こ、腰抜け……」
腰抜けと言われた部下は唖然としている。
「どうされました? 以前はそのようなこと仰る方では……」
「今は重要な戦局、ここでしっかり見極めなければならない。個人の感情や損得で動く段階は、もう終わっているのだ」
その言葉に部下たちは黙った。
確かに自分たちには見えないものを、クゥイントン卿は見ているのかもしれない……。
「まずは他の三領主に遣いを送れ、東の四領主で会談を行う」
「はっ」
部下たちがそれぞれの仕事に走った。
一人残された応接室で、クゥイントン卿は鏡の中の自分を見ながらわずかに口元を歪めた。




