ロウル・ブルグの夜に
ベネディクトが忠誠を誓い、ロウル領が新たにリライアンスに加わる……。
その歴史的な瞬間に、ベネディクトの隣ではセシリアが腰に手を当てて頬を膨らませていた。
「酷いですわ、お兄様!」
セシリアの一言に、ベネディクトの表情が一変する。
この男がこんなに狼狽えるなんて……。
「おお、セシリア。すまない……何か悪いことをしてしまったのなら、教えてくれないか?」
「まあ! お兄様ともあろうお方が、そんなこともわかりませんの!」
これは……どうしたんだ?
セシリアがひどくプンプンしている!
「ああ……愚かな兄を許しておくれ。まずは理由を……セシリアが何に怒っているのかを、兄に教えてくれないだろうか?」
「お兄様ほどの優秀なお方が、気づかないなんておかしいですわ」
待て……何がある? ベネディクトとの交渉は上手くいったはずだ……俺たちは何かを見落としたんだろうか?
「すまない……不甲斐ない兄を許してはくれないだろうか……」
ベネディクトの表情に陰が落ち、肩はがっくり落ちている。
まずいな……俺たちは怒らせてはいけないものを怒らせたのかもしれない。
ここは、俺たちの誠意をこの子に示して、もう一度流れを呼び戻さなければ。
「すまない、セシリアさん。俺たちは君を怒らせてしまったんだろうか?」
俺がそう言うと、セシリアが首と両手をぷるぷると横に振った。
「いえ! いえいえいえ! 違いますわ」
「しかし、君を怒らせてしまったんだろう?」
セシリアは声の方向を確かめるように体をこちらに向けてから、頭を下げる。
「ち、違いますわ。悪いのは全てお兄様なのです。マスターに謝られてしまいますと、私、困ってしまいますわ」
「そうか……俺はてっきり、何かしてしまったのかと」
そう言うと、セシリアはふふっと鼻から抜けるような声で笑ってみせた。
「まあ、本当に誠実なお方なのですね」
その会話を聞いていたベネディクトが、青ざめた顔でセシリアに尋ねた。
「では、兄は何をするべきだったのか。それも教えてもらえないだろうか?」
「酷いですわ、お兄様。お兄様だけ、ルーナさんのことが見えてるんですのよ?」
それを聞いて、ベネディクトが目を見開いた。
「気づかなくてすまない……ルーナさん、あなたの特徴を妹に伝える許可をいただけないだろうか?」
そう聞かれたルーナを見ると、セシリアを見ながらにっこり微笑んでいた。
「はい、セシリアさんに私のことを伝えてほしいです」
セシリアの目が輝き、陽が差すように表情が明るくなっていく。
「お兄様、ルーナさんはどんな風に笑われてますの?」
「ああ、とても優しく美しい笑顔だよ」
ルーナの耳が、赤くなっていく。
「まあ、美人ですの?」
「そうだね、肌の色も白く絹のようにきめ細かい。睫毛が長く、美しい切れ長の目は優しい色をしているよ」
セシリアは見えないはずのルーナを見ながら、満足そうに手を前で組んでいる。
「鼻は形の良い小鼻で、唇もとても魅力的だ」
ルーナの顔がどんどん赤くなっていく。これは何が始まったんだ……。
「どんな服装をされてますの? 今日はこの前とは違って歩き方がこう……」
「そうだね、身軽な服装ではないな。今日は美しい紺のワンピースを着ている」
「まあ、ワンピースですの? お似合いですか?」
おい……ついにルーナが俯いてしまったぞ……。
「スタイルの良い女性だからね、とてもよくお似合いだよ。紺も肌の白い彼女のためにあるような色だと言ってもいいくらいだ」
「まあ、お兄様がそんなに褒められるなんて……」
そう言った後、セシリアは口に手を当てて何かに気づいたような顔をした。
ベネディクトを手招きすると、近づいたベネディクトの耳元で何かを囁く。
「おお、そうか。セシリア、それは残念だよ」
そう言ったベネディクトがルーナ、俺、そしてミリアを順番に見た。
ベネディクトは指を額に当てて何かを考えはじめた。
そして、わざとらしく大きな溜め息をついて見せた。
いったいなんだって言うんだ……?
「マスター、少しよろしいですか?」
俺に近づいたベネディクトが、小声で話しかけてきた。
「あなたも罪なお方だ。自分の周りにも少し目を向けてあげてください」
「あ、ああ……気をつけるよ」
いや、何を?
まあ、なんとなくわかるような?
いやしかし、でも……そんな。
ルーナはセシリアに近づいて、何かコソコソ話している。
あんなに楽しそうに笑うルーナの顔を見たのは、久しぶりかもしれない。
「ルーナ、いい顔で笑ってるな」
そう言ってミリアを見ると、ぷいっと顔を横に向けて目を逸らした。
「そうね、良かったじゃない」
「なんだよ? 何か悪いことしたか?」
「別に? なんでもないわ」
「いや、怒ってるんじゃないのか?」
その会話を見たベネディクトが、笑い声を漏らした。
「いや、失礼しました。マスターにも私と同じ、泣き所があるんですね」
そう言ったベネディクトは、どこまでも優しい目をしていた。
その夜はベネディクトに招かれて、晩餐をいただいた。
エギルとベネディクトが盛り上がっている。
そのエギルをソフィアが見つめている。
セシリアはずっとルーナの隣で、年相応にはしゃいでいる。
二人の会話に、セシリアとベネディクトの両親が楽しそうに参加している。
そして、俺はと言うと……。
隣でご機嫌斜めなミリアの様子を見ながら、静かに食事をしていた。
ミリアに視線を向けると、視線を斜め下に落としたまま口を尖らせている。
「なあ、ミリア。本当にどうしたんだ? 体調でも悪いのか?」
「な、なんでもないわよ……。本当に、なんでもないの」
いや、食事もろくに進んでないじゃないか。
どう見ても何かあるだろ?
「なあ、ミリア。ここじゃ言いにくいのか?」
そう聞くと、ミリアはしばらく何も答えなかったが、静かに頷いて見せた。
「じゃあ、少しベランダにでも出るか?」
そう言って立ち上がると、俺の後を追うようにミリアも立ち上がった。
ベランダは夜風が冷たく、ヴァインで熱くなった顔を、冷ましてくれるようだった。
「ミリア、何があったんだ?」
「……鈍感」
ボソッと呟いた声が小さく、思わず聞き返した。
「何よ! 私だってドレスを着てるじゃない!」
ミリアが俯いて、肩を震わせている。
「パレードの時だって、ドレス……着てたわよ」
「あ、ああ。そうだな」
ドレス? 何の話をしてるんだ?
「いつもはローブなのよ。ドレスなんて、そんなに着て見せたことなかったわ」
「お、おお。そうだけど」
確かに、ミリアがドレスを着るのは珍しいことだけど……。
「何よ……マックスのばか」
「だから何がだよ? 言わないとわかんないだろ?」
ミリアの大きな目がじっと俺を睨んでいる。
涙が目尻から溢れ落ちそうだ。
「綺麗って……」
「え?」
「ルーナには綺麗って言ったじゃない」
その顔を見て、自分の配慮の無さを情けなく思った。
「ルーナには……言ったのに、私にはそんなこと言わないじゃない」
「いや、それは……」
それは何だ?
いつも隣にいるからか?
だから言い忘れましたって?
……全く、嫌になるぜ。
「本当は……パレードの時もドキッとしたよ」
「本当?」
「ああ、でも何だか照れくさくて。ミリアとは昔から一緒にいるから」
ミリアの目尻から、涙が溢れ落ちた。
手でそれを拭いながら、赤くなったミリアが俯く。
「じゃあ、言ってよ」
「言ってって、急だな……」
ミリアの目がじとっと俺を見ていた。
「わかったよ、待って」
咳払いを一つ、息を深く吸い込んで顔を上げた。
「ミリア、綺麗だよ」
顔どころか首まで赤くなったミリアが、ゆっくりこちらに向き直って俺を指差した。
「いいわ……それで許してあげる」
強気にそう言ったミリアは、目で厳しい表情を作ってみせたが、頬が上がっているのは隠せていなかった。




