26 二つの世界を守るために
夜半前、クタクタになった桜は銀河に揺られながら野営地に向かっていた。
リズミカルな走行が眠気を誘う。
「おい、もうすぐ着くからしっかりしろ。落ちるぞ」
銀河の声にハッとして姿勢を正すが、またすぐうつらうつらとなる。
「まったく、治療する側が無理して体調崩したら本末転倒だろうが」
「眠いだけだから大丈夫。……こんな風に、ただ目の前の人を助ける事だけ考えていればいいのって、久しぶりだったから」
「まあ確かに桜らしさが戻ってきてたな」
銀河の揺れが心地よくて再び睡魔が襲ってくるが、桜は頭を振ってそれに耐えた。
しかし再び頭がゆらゆら揺れ始める
「……由羅が青斎様に襲われた時も、こんな風に……銀河に乗ってたよね」
「違う、俺じゃなくて白斗だ。寝ぼけてるのか」
「ああ、そうだっけ……。それで……由羅が、ゆら……※☆♨△◎……」
「おい寝るな!おいっ」
桜の体が後ろに傾きそうになったので、慌てて銀河が足を止める。すると今度はその反動で、桜が勢いよく前に倒れこみ、お互いの頭を激しくぶつけ合った。
「ぐあっ!」
「痛い!」
あまりの痛さに桜の目に星が散った。
「いったた、雷太何するの!」
「誰が雷太だ!俺だって痛かった!ほら着いたから今日はもうさっさと休め!」
顔を上げると、野営地の天幕が目の前に広がっていた。そのうちの一つから灯りが漏れていた。
「まだ隊長起きてるのかな」
「なんやかんやと今回の責任者になったからな。寝る間なんてないだろう」
苦労性の隊長を思うと、責任を押し付けてしまったようで申し訳ない気持ちになる。
「……今ので目が覚めたし、ちょっとだけ今日のこと報告しとこうかな」
痛むおでこをさすりながら、桜は銀河から降りた。
「隊長、報告が……」
軽い気持ちで天幕の布をめくった桜は、異様な雰囲気に固まった。
そこには思っていた以上の人数がいた。その中で、雷太と隊長が睨み合っている。
雷太はいつも通り怖いが、隊長はいつになく怖い。
桜は入り口の布をそっと下ろして回れ右しようとしたが、中にいた隊長の部下にガシッと肩を掴まれた。
「報告に来たんだろ?入ったらいい」
見上げると、その目が何とかしてくれと訴えている。
桜はブルブルと首を振った。「あの、お取り込み中みたいなので、また明日来ます」
厳しい隊長はいつも見てきたが、感情を顕に怒っている隊長はあまり見た事がない。
この只事ではない状況を桜がどうにかできるとは思えなかった。
肩を掴んだ部下の手を離そうと奮闘していると、雷太の怒鳴り声が響いた。
「花として連れ去られた女性の解放と、税の免除、復旧のための支援物資支給、遺骨の返還……、亡くなった者の家族への謝罪と補償もだ。謝罪はもちろん煌王自ら頭を垂れてな!」
つらつらと並べる雷太に、隊長は苛立ちも顕にため息をつきながら首を振った。
「……雷太、そんなの通るわけないだろう。せっかく穏便に話し合いの場を設ける事ができるのに、こちらから喧嘩をふっかける気か」
「今なら銀河にびびった王が何でもいう事を聞くかもしれない。無理だと言うなら再び宣戦布告してやればいい」
今にも殴り合いを始めそうな雰囲気の二人に、桜は思わず銀河にしがみついた。
二人が喧嘩をはじめれば止められるのは銀河しかいない。
「雷太、お前も見ただろう?禁軍は思った以上に統率されている。今開戦したところで、向こうに佑海副将がいる限り簡単には……」
「うるせえっ!」
雷太は隊長の言葉を遮り机をドンっと強く叩いた。
「俺は!煌王の首を刎ねるためだけに今日まで生きてきたんだ!たとえ謝罪の言葉があったって許すつもりはねえんだ!」
雷太のあまりの剣幕に、天幕内はしんと静まり返った。
確かに今なら天帝の威光を傘に着てある程度の要求が通るかもしれない。
だが雷太はあえて難題をふっかけて交渉を決裂させようとしているようだった。
隊長は腕組みしてじっと雷太を見ていた。
「煌王が今こちらの要求を呑んだとしても、菜々緒は帰ってこない!菜々緒の無念を晴らし煌王の罪を裁くまで、俺の戦いは終わらない!」
怒りというより痛みを堪えるような雷太の悲痛な叫びに、桜の胸も痛む。
何と声をかけていいか迷っていると、雷太が同情も吹き飛ぶような言葉を吐いた。
「どうせ隊長は俺たちほど煌王が憎いわけじゃないんだろう?」
桜は信じられないものを見る目で雷太を見つめた。
この心優しいお人好しの隊長が、周りの人達のために今日までどれほど心を痛めてきたか、わからないわけがないだろう。
「愛する人を失ったわけでもない、こんな世の中でもなんだかんだ上手く生きてきたからな。そんなやつに俺達の気持ちはわから……」
「雷太!」
恐怖も忘れこれ以上雷太にくだらない事を喋らせまいと割り込んだ桜を、隊長が手を上げて制した。
「雷太、俺はこの王都に友人が多い。上位貴族のお前のように傅かれ一方的に知られる関係じゃなく、互いに友と呼べるもの達だ。お前にそんな間柄の者がいるか?」
雷太は何かいいかけたが、結局言葉を発する事なく口を引き結んだ。
「俺はこれまで数え切れないほどの友人を失った。昨日笑って酒を酌み交わしたやつが次の日には死体になってる。その気持ちがわかるか?確かにお前ほど深く情を交わした者を亡くした事はないかもしれないが、多くの大切な友人を奪われた。煌王が憎いに決まっている、だが……」
隊長は桜を見た。
「昨日、俺は人生で最大の過ちを犯した。俺は桜から十分情報を与えられていたし、人脈も十分にあった。少し考えれば、火災を防ぐこともできた筈だ。なのに俺は…、煌王を討つ事に気を取られ過ぎて、目の前の危機を見誤った」
隊長の固く握った拳が震えた。
「俺だって、いずれは煌王の首をとるつもりでいる。そうでないと死んでいった友人や仲間が浮かばれない。だが、それは今ではない。私憤にかられて友人や部下を負け戦に投じるわけにはいかない。二度と、判断を間違えないと誓ったんだ」
桜は瞬きして、溢れそうな涙を何とか堪えた。
苦しんでいたのは桜だけではない。
ずっと毅然と対応していた隊長だが、きっと昨日は桜と同じやるせない気持ちで燃え盛る城下を見つめていたのだろう。
しばらく重い沈黙がおりたが、それを破ったのは雷太だった。
「……悪かった、やっと仇を目の前したのに何もできなかった事に苛ついて……八つ当たりだった」
雷太の雰囲気が和らぎ、みんな詰めていた息をふうっと吐いた。
ようやく場の空気が緩んだ。
「いや、俺もまるでお前に友人がいないかのような言い方をしてしまったな。悪かった」
隊長の揶揄うような口調に、雷太の顔がカッと赤くなる。
「な、そんな風に思ってたのか!俺だって友人くらいいる!桜、憐れむような目で見るな!」
雷太の鉄拳が落ちそうだったので、桜はサッと銀河の影に隠れた。
「桜、報告は明日聞こう。今日はここまでにして各々休むんだ」
元通りの、本当は物凄く頼りになるがそうは見えない隊長が解散を宣言し、それぞれ割り当てられた天幕へ向かった。
ひとまず場は落ち着いたが、桜の中には割り切れない思いが残った。
桜だって、もし煌王が要求を呑んだとしても陽也を失った怒りは消えない。
何もかも奪っておいて、たった一度きりの謝罪でなかった事にするなど許されないと思った。
たとえ世の中が平穏を取り戻したとしても、煌王は断罪されるべきだ。
(なんか、二百年前と似てるな)
二百年前、多くの民に悪逆非道を尽くした王が、反乱軍が決起する前に病に倒れた。 民を思う心優しい王に代替わりしてもう戦う必要はなくなったのに、反乱軍は止まることができず、その怒りは何の罪もない新王に向かった。
しかし天は賢王を失う事を良しとせず、この世界の力を保つために要求したのは詩織の命だった。
天帝に心はない。ただこの世界を弱らせないよう調整するだけだ。それに都合がいいのが詩織だったのだ。
今だって、これ以上の民の喪失を防ぐために、天が最も望むのは話し合いで解決する道なのもしれない。
だがそれで納得できる人間が果たしてどれほどいるだろうか。
桜の胸にジワリと暗い影が広がった。
(次に同じような事が起こったら、差し出されるのは私か乃愛さんかもしれない)
疲労と極度の緊張感から解放された事で、くらりと目眩がした。
ゴロリと寝そべった銀河の懐に潜り込むように桜も転がった。
周りの人を起こさないよう念話で語りかけた。
『ねえ、詩織さんって、本当にあの劇のようにして亡くなったの?』
『まぁかなり脚色してあるが、概ねあの通りだ。なぜ急にそんな事を聞く?』
『……』
『桜、ちゃんとこちらに意識を飛ばしてもらわないと聞こえない。言語化してくれ』
銀河は別に心が読めるわけではない。意識の繋がった者同士で会話ができるだけだ。銀河に意識が向いていない者の心をこっそり聞いたりはできない。
『……今の状況が、ちょっとだけ二百年前と似てるなと思って』
『確かにな』
『二百年、どうして詩織さんは死ななきゃいけなかったの?』
銀河にとっていい思い出なわけがない。聞くのは酷だと思ったが、聞かずにはいられなかった。
『……あの頃、王と詩織は賭けをしていた』
『賭け?』
『当時、王は反乱軍に参加した者全員の首を跳ねた。疑わしい者も全てだ。重税や重罰に苦しみ、民はもう王を排除する以外生きる術がなかったから、反乱軍は次から次へ湧いてきた。それを国王軍が制圧する端から全員の首を刎ねるのだから、もう……、死体の処理が間に合わないほどだった。見かねた詩織は、本当はそんな事思ってはいなかったが、自分は天帝の名代だと言い張って無辜の民の命を奪うのはやめるように命じた』
『そんな事言って大丈夫だったの』
『いや、かなり危険な事だった。今の王より好戦的で無慈悲な男だったからな。だがそれを面白がった王から提案があった。お前が天帝の遣いなら天帝の力で反乱軍の革命を成功させ、俺の治世を終わらせてみろと。自分が反乱軍を根絶やしにするのが先か、反乱軍の革命が成功するのが先か、詩織に、つまり天に勝負を持ちかけた』
人の命を何だと思っているのだ。
天上人の暇つぶしに数えきれない命が巻き込まれたと思うと許せなかった。
『詩織は自分の命も危うい中何とか王と渡り合っていた。反乱軍を支援するというより、人生に飽いた王の興味を他に逸らす事で無意な殺戮をやめさせようとした。実際賭けを始めて一年程は首を刎ねられる者の数も格段に減って、その間に大規模な反乱軍が成長した。だがこれからという時、王が病であっという間に崩御した。何ともあっけない幕切れだったな』
『……本当なら、憎い王が亡くなってこれから安心して生きていけるって嬉しい事なのに、そうはならなかったんだね』
今ならわかる。
罪を償わず、民の痛みや苦しみを知らないまま逝った王が許せなかったのだ。
同じ痛みを味わわせてやりたいと思っただろう。
『そこで反乱軍が目をつけたのが、憎き仇の息子である次王だった。反乱軍にしてみれば、次王に全く罪がないとは言えなかった。王が民を虐げている時、微力で
はあったが助ける力があったはずなのにそれを使わなかった。王を討つ大義名分になるなら、多少こじつけでも良かった。反乱軍には次王を弑してもいい理由が必要だった』
理由をつけて王を討つための大義名分をつくる。それは先程雷太がやろうとした事だった。
『詩織が、先王の罪は自分の命で贖わせて欲しいと言った。疲弊し切った国を立て直すのに新しい王を残して欲しいと。恐らく天帝の意思でもあったんだろう』
『……そんなのあんまりだよ』
『詩織も疲れていたんだ。日々の王との駆け引きや仲間の大きな裏切りもあって、自暴自棄になっていたところもあったかもしれない。詩織は反乱軍の目の前で、自ら剣で胸をついた。その時俺は見ているだけだった。ずっと民のために奮闘してきた詩織がもっと報われる道があったはずなのに、俺はそこに導いてやる事ができなかった。桜、俺は天の意向に逆らえず、詩織も陽也も見捨てた。きっとその時が来たら桜だって見捨てる。だから俺に期待するな。俺は助けてやれない』
銀河の言葉と共に胸の痛みも伝わってきた。
銀河のふわふわな毛並みと体温を感じながら、桜は目を閉じた。
『私の時は、悲しまないでね。銀河のせいじゃないって、わかってるから。私は……銀河にも幸せになって欲しい』
桜はふわあっとあくびした。
『いつか一緒に、詩織さんの……お墓参りに……』
思考がまとまる前に、桜は眠りに落ちた。
寝息を立て始めた桜に銀河は静かに呟いた。
「おれだって桜の幸せを願っている。詩織だって、陽也だって、幸せになって欲しかったんだ」
銀河は小さく呟くと、桜に寄り添って目を閉じた。




