27 小蛇と乃愛
火災から二日目。
「とてもいい考えね。もちろん私も炊き出しの現場に行くわ。その方がきっと民の励みになるでしょう」
乃愛は佑海から提案された炊き出しに大いに乗り気だった。
長椅子に座ってお茶を飲んでいた乃愛は、佑海を見上げて言った。
「ではさっそく今日から始められるよう準備してちょうだい」
佑海は目を見開き、左玄は半眼になった。
「乃愛様、流石に今日からは無理です。まず小蛇殿に話を通さないと」
佑海はできるわけないだろうと内心で叫びながら、なるべく穏やかな口調で乃愛を諭した。
「じゃあ早く話しに行きましょう。側近じゃなくて王に直談判するわ」
あまりにも不敬な発言に佑海はヒヤリとする。
今にも王の執務室に押しかけそうな乃愛を説得したのは由羅だった。
「乃愛様、あなたの世界では問題が起きた時いきなりその長に相談されるのですか?」
乃愛はしばし考え、首を振る。
「いいえ、いきなり社長や総理大臣に話を持ちかけるなんてできないわね。だいたい社長は決定を下すだけで、具体的なやり方を決めるのはその部下だわ」
由羅はシャチョウやソウリダイジンが何かわからなかったが、そんな事は桜との会話で慣れていたので聞き流した。
「では、まずは宰相殿に話を通しましょう」
「そうね、そうするわ」
そのやり取りを見ていた佑海は、乃愛が離れたところを狙って、由羅にそっと近づいた。
「俺たちでは乃愛様の暴走を抑えられない。頼む、これからもそうやって乃愛様に常識を教えてやってくれ」
命令なら聞くしかないが、お願いならお断りだった。
「私に務まるとは思えません」
由羅は全力で拒否する気持ちを込めて慇懃に答えたが、佑海も譲らなかった。
「桜だって、誰かが導いてきたから、あんなに危なっかしくてもこの国で無事に生きてこられたんだろう?」
そう指摘されて、出会ってすぐの、迷子のような不安げな表情の桜を思い出した。
あの頃は、何もわからない桜を誰も気に留めていなかった。そのせいで、桜はかなり苦労して傷ついたはずだ。
「桜に色々教えてやったように、乃愛様にもこの国の事を教えてあげて欲しい。俺たちでは、乃愛様が何を知っていて何を理解していないのかわからない。お前が下働きの男と何やら密談しているのは見なかったことにしてやるから」
「何の事です?」
由羅の口調に動揺は一切表れなかったが、内心かなりの衝撃だった。
由羅が巳霧と接触したのは今朝が初めて、それも手紙を受け取るほんの一瞬だった。
「目をつけてたんだよ、あの男には。阿形と呼ばれてたが本当の名前は違うんだろうな」
「何の事を言っているのかわかりかねます」
巳霧がこれ以上尻尾を掴ませるとは思えなかったので、由羅はしらを切る事にした。
「この腐った城内で俺の目に止まるほど能力のある人間なんてそういない。あの普通でない男は一体何者なのかと観察してたら今朝お前に接触したから、そういう事かと思ったよ。桜の周りには優秀な人間が集まるんだな」
自重気味に佑海が笑った。
人が良く善良ではあるが、抜かりがないのが佑海だった。
由羅はこれ以上抵抗することをやめ、ふうっとため息をついた。
「桜と乃愛様が同じようにいくとは思えませんが、桜がこの世界で理解できていなかった事など、伝えるようにします。しかしもし乃愛様自身が私を嫌だと言ったら、その時はすぐに辞退させて頂きます」
むしろそうなって欲しいと由羅は思ったが、佑海と左玄は顔を見合わせて首を振った。
「乃愛様が由羅を嫌がるなんてこと……」
「ないでしょうね」
二人の言った通り、乃愛は由羅の指示には大人しく従った。
そのおかげで、乃愛は小蛇を前にいくらか尊大で無礼な発言はあったものの、大きな混乱もなく炊き出しの許可を引き出した。
佑海は小蛇が乃愛を侮っている事を知っていたが、小蛇はそんな事はお首にも出さなかった。
(乃愛様に利用価値を見出しているんだろうな。今はまだ)
佑海は小蛇をある意味一目置き、誰よりも警戒していた。
権力を持つものには必要以上に遜り、相手の欲しいものは労を惜しまず差し出すが、旗色が悪くなればいち早く撤退し自分の踏み台にする。
進退の見極めが誰よりも長けている、小蛇とはそういう男だった。
「ほら、だから言ったでしょ?ごちゃごちゃ言ってないで直談判するのが一番なのよ。私のおかげで明日から炊き出しが始められるわ。きっと大勢の民が救われるでしょうね」
小蛇の執務室から自室へ戻る間、乃愛はおのれの力でもぎ取った功績について誇らしげに語っていた。
実際は小蛇にうまく乗せられただけだが、乃愛は上機嫌だった。
どうやら乃愛の今日の仕事はこれで終わりのようで、被災地に慰問するなど思いもしないようだった。
部屋へ戻る道すがら、額縁を模してくり抜かれた壁に飾られた女性達に目を向けながら、由羅が聞いた。
「乃愛様は、この花と呼ばれる女性達についてはどう思われますか?」
乃愛はじっと女性達を見た。本物の草花が植えられ花畑を表現した空間で、女性達が微笑みあっている。
まるで絵画の世界から飛び出したようだった。
それらをじっと観察してから乃愛は由羅に視線を戻した。
「私達の世界にはなかった文化だけど、見事だと思うわ。みんな美しい娘たちね。王城でこんな仕事につけるなんて、きっと厳しい選抜を勝ち抜いてきた人達なのでしょうね」
乃愛の返答に佑海は愕然とした。
「乃愛様、こちらの女性たちは、出世を目録む官吏が王に献上するため無理やり連れて来た者ばかりです。情報を持ち出せないよう喉を潰され、一日中ここでじっと微笑んでいるだけの生活です。最低限の衣食住は与えられますが、扱いは奴隷と同じですよ」
佑海の言葉に、乃愛は青ざめ掠れた声で呟く。
「なん……ですって」
乃愛の反応を見て、佑海は自分の至らなさを思い知った。
この女性達に目もくれない乃愛に勝手に失望していたが、そもそも虐げられている事実を知らなかったのだ。
尊大な発言や幼稚な振る舞いは見られるが、今日こうして炊き出しの指示を小蛇から引き出したし、決して悪意を持った娘ではないと認識を改めた。
(乃愛様が由羅の話をよく聞く筈だ)
乃愛の常識とこの国の常識が生んだ齟齬を由羅が上手に埋めていて、乃愛はいい方向に変わろうとしているように見えた。
嫌々引き受けた割に由羅の口調は穏やかだったので、間違いを指摘されても乃愛が機嫌を損ねる事はなかった。
由羅は、過去の桜の困りごとを思い出しながらこの世界の常識を乃愛に教えていたため、自然と口調が優しくなり、時には笑みも浮かんだ。
だが決して、乃愛に何か期待しているわけではなかった。
乃愛は、民のために怒り悲しむ事はできるが、どこか他人事でもあった。
同じ世界の常識を共有していても、少年を庇って鞭打たれた桜と、何かするたび名誉を求める乃愛は、由羅にとって全くの別ものだった。
由羅の失望とは対照的に、乃愛には由羅に対する淡い思いが生まれつつあるようだった。
それを横目に、佑海は独りごちる。
「少し乃愛様が哀れだな」
桜の名を出す時だけ由羅の表情が柔らかくなる事に佑海も左玄も気づいていたが、乃愛だけは気づけなかった。
だが佑海があえてそれに言及する事はなかった。
乃愛の機嫌は良く、佑海と左玄の周りは、たとえそれが仮初だとしても、とても平和に見えたからだ。
◆◇◆
火災から三日目。
少しギクシャクしていた雷太と隊長はすっかりいつも通りの態度に戻っていた。
王城での話し合いより先に解決しなければならない問題が出てきたからだ。
早朝から天幕内で会議が開かれ、隊長が難しい顔をしている。
「もってあと三日か?」
ここが比較的安全な場所と知り、焼け出された、特に小さな子を抱えた人達が集まりつつあった。
野営地の食糧が尽きそうなのに、調達するアテがなかったのだ。
それでも治療所へ向かう桜には非常食が支給された。
貴重な食糧を手に、後ろ髪引かれる思いで桜は野営地を後にした。
城下町ではようやく城からの支援物資が届き始め、炊き出しも開始された。
虚な目をした人々に生気が戻り、温かい食事に涙する者もいた。
「天彾様自ら配膳してくださったんだ」
「天は我らを見捨てていない」
乃愛が炊き出しに参加している事も大いに人々の心を励ました。
「天彾様のおかげで活気付いてきましたね」
乃愛の傍らで小蛇が大声で褒め、乃愛は満足気に頷いた。
「宰相様が自らこのような場所に足を運んでくださるとは」
懐疑的な気持ちで尋ねた佑海に、小蛇は芝居じみた様子で驚いてみせる。
「このような場所とは?救済を求める民が集うこの場所をこのようなと?」
佑海は内心舌打ちする。
以前起きた大洪水で同じように支援が始まった時、視察に誘った小蛇は佑海に言い放ったのだ。
——そのような場所に、なぜ私が直々に出向くのだ——
(都合よく忘れているのか知らないが、何にせよ何か思惑があるに違いない)
「流石天彾様です。桜とは違いますね」
手揉みでもしそうな態度で小蛇は乃愛に話しかける。
佑海達が乃愛を名前で呼ぶ中、小蛇は強調するように天彾様、と呼びかける。
その事に乃愛が気を良くし、小蛇に気を許しつつあるようだった。
小蛇が大袈裟なくらい声高に天彾の功績を讃えるので、乃愛は天彾としてあっという間に広く認知された。
「昼からは救護所にも少し運びましょう」
午前中の配給が落ち着いて来た頃、乃愛がご機嫌で小蛇に提案した。
「おお、それはいい。あちらの紛い物にも見せつけてやりましょう」
由羅は僅かに眉を寄せた。
小蛇は乃愛の天彾としての地位を確固たるものにしようとし、乃愛は桜に己の功績を見せつけたいだけなのがありありと見えた。
(なぜわからないんだろうな)
桜は天彾に頓着などしていない。
きっと乃愛の提案に、大喜びで感謝を述べる桜が目に浮かんだ。
◆◇◆
救護所では、患者は増え続けていたが、それに比例して手伝いを申し出てくれる者も増えた。
商人や薬師が協力して、ギリギリながらもなんとか機能していた。
救護所で、乃愛は相変わらず忙しそうに走り回る桜を目にした。
すれ違いざまに多くの者が桜に声をかけ、桜は笑顔で答えていた。
その様子に、何ともいえない不快感を覚え、乃愛は眉を顰めた。
「まるで責任者気取りですな。どの立場でこの場を取り仕切っているのでしょうな」
乃愛の心情を煽るように小蛇が囁いた。
天彾でも何でもない、何も持たない桜が受け入れられ、誰もが桜に好意的な事がどうしようもなく乃愛の心を掻き乱すのだった。
「乃愛さん!どうしたんですか?」
ようやく乃愛に気づき、桜が駆け寄った。
「……こちらにも炊き出しのお裾分けに来たのよ」
桜は乃愛の言葉に驚き、破顔する。
「ありがとうございます!すごいです乃愛さん。動けなくて配給を貰いに行けなかった人が多くいるんです!ありがとうございます!」
ようやく乃愛は満足そうに頷いた。
「これくらい私が頼めば何でもなかったわ。どこで配給しようかしら」
「徳郎さんに聞いてきます!」
「は?徳郎って誰……」
桜は走り去ると、一人の身なりの良さそうな男を伴って戻ってきた。
乃愛は目を見張る。
「あんたは、この前大声出して順番抜かしして、最後はお金をばら撒いて行った……。いったいどの面下げてここにいるのよ」
乃愛が男に掴み掛かりそうな勢いで前に出たので、桜は慌てて間に入った。
「乃愛さん、徳郎さん昨日も奥さんを連れて治療に来たんです。それで、この前のことも謝ってくれて……」
「悪かったよ。妻がたらい回しにされて八つ当たりしちまった。だから少しでも恩を返そうと思って」
謝罪する徳郎の服は、あちこち汚れ、血のようなものがついていた。
「昨日から色々手伝ってくれてるんです。徳郎さんは貴族だから、他の人が言うこと聞いてくれて、それでだんだんここの責任者みたいになって……」
乃愛の顔から表情が消える。
(なぜみんなこの子を甘やかすのかしら)
誰も彼もが桜に好意的で、協力的なのが腹立たしかった。
乃愛の隣にいた小蛇がずいっと前に出た。
「桜よ、天彾様はこの男に話を聞いている。卑しい身分の分際で、話に入ってくるのは控えてもらおうか」
乃愛の立場を知らしめようと大声を張り上げた小蛇だが、ここでは逆効果だった。
小蛇の声が届いた救護所の者は、皆殺気立った。
その様子に小蛇はたじろいだ。
「な、何だお前達。色無しが私に手を出したらただじゃ済まないぞ」
徳郎は片手をあげ、小蛇に詰め寄ろうとす者達を制した。
「宰相様が自ら、なぜこのような場所に?」
徳郎の静かだが威圧的な態度に、小蛇は何とか威厳を保とうと勤めた。
「こ、このようなとはどう言う事だ。民が助けを求める場所を、このような場所だと?」
徳郎は落ち着いた声で答えた。
「ここは高貴な方には向かない場所ですよ。人々は弱り、放っておけば流行り病にかかるかもしれない。それに、我々には患者の血がべっとり着いている。血からうつる毒もあります」
昨日怒鳴り散らしていた人物とは思えない静かな話し方だった。
徳郎が僅かに前に出ると、小蛇はジリっと後退りした。
「……貴様のような貴族が、何故こんな救護所を彷徨いてるのだ」
「言ったでしょう、妻が治療を受けてるんですよ。生憎城の医師は火傷の治療は得意ではなかったようなので」
周りにいた者達も、いつの間にか小蛇を取り囲んでいた。
「ふ、ふん。私は仕事を思い出したので失礼する。そこの、城へ帰るぞ」
分が悪いことを察した小蛇は、近くにいた護衛に声をかけ踵を返した。
去り際に乃愛に向かってこっそり言った。
「桜から銀の狛馬について色々聞き出してください。狛馬さえうまく取り込めば、名実共にあなたが天彾です」
その言葉を聞いて、乃愛の頭にカッと血が上る。
(銀河がいない私は天彾ではないといっているの?)
乃愛は唇を噛み、桜を睨みつけた。




