24 救護所
「俺も行こう」
そう言って佑海は乃愛を狛馬から下ろし、子供を抱えて白斗に跨った由羅の隣に並んだ。
「では私も副将と一緒に行きます」
その後ろに左玄も続くのを見て、乃愛が大きな声を出す。
「ちょっと、どうして全員そっちに行くのよ!」
「城は目の前です。戻るだけなら護衛なんていなくても大丈夫ですよ」
左玄がうるさそうに答えると、乃愛は怒って再び佑海の狛馬に乗り込もうとした。
「乃愛様、救護場所周辺はもっと殺伐としています。私が乃愛様を乗せて由羅が子供を乗せたら、何かあった時まともに戦えるのは左玄だけになります。左玄が得意なのは遠隔からの攻撃なので、この布陣では不利です。なりふり構わず襲ってくる民衆がいないとは限らないので、危険です」
「じゃあ左玄……、由羅の狛馬に乗るわ」
由羅は眉を顰めた。表情に現れた変化は僅かだが、内心では盛大に顔を顰めていた。
「先程行かないと言ったでしょう。この場面で怯んでいる人が救護所の光景を見たら卒倒すると思いますよ」
由羅が冷静に指摘しても、乃愛は首を振った。
「いいえ、行くの」
由羅はため息をつき、小さく白斗の名を呼んだ。
白斗は乃愛が乗れるように膝を折った。
「その子は私が抱えるわ。あなたは手綱を取らないと駄目でしょう」
乃愛は子供に向かって両手を差し出した。
「さっきは心構えができてなかったから驚いただけで、今度は大丈夫。私は救世主なんだから」
由羅は子供を乃愛に抱えさせると、手を貸して白斗の上に引き上げた。
「……あなたの国の女性は子供に優しいんですね」
子供の代わりに鞭打たれた桜を思い出していたため、由羅の口調は優しくなった。
乃愛の頬が紅潮した。
「と、当然よ。というか、子供に剣を向けるなんてこの国はどうかしてるわ」
傲慢さがなりを顰め労わるように子供を抱える乃愛を、左玄はじっとりとした目で見ていた。
「左玄、救護所はどうなっている?」
乃愛との諍いが始まる前に、佑海が左玄の気を逸らす。
「はい、皆様の出立が遅れたため私は午前中状況把握する時間がたっぷりありましたので、ご報告します。街の北西部が一部焼けずに残っていて、そこに救護場所を設けています。あまりにも怪我人が多過ぎて、大半は天幕に収まらず地面に敷いた敷物の上に転がされているのが現状です。現在王宮医師団が派遣されておらず、物資の支給も始まっておらず、民間の医師と火事を免れた者が設営と救護に当たっています」
午前中ごねた乃愛に一言嫌味を入れ、左玄は淀みなく説明する。
「救護場所の怪我人はすでに数百を超えています。建物の下敷きになって取り残された者、火傷で動けない者、老人や子供など、街で助けを必要としている人は把握しきれていません。兵士の派遣は佑海副将の采配である程度地区が分けられていますが、優秀な者は城内の警備に取られていますので、城外はうまくいっていないのが現状です」
由羅はその情報収集能力に感心した。
「どこも人手不足なのに、ここに戦力が三人もいるのが勿体無いですね」
しおらしくしていた乃愛は、左玄の呟きを拾い、睨みつける。
「四人でしょ」
「ここにいる人数はね。俺は戦力って言ったんですよ」
「ちょっと、それじゃ私が何の役にも立たないみたいじゃない!」
(また始まった)
佑海は内心ため息を吐いた。
左玄は元から好き嫌いの激しい性格だったが、それを貴人に対してあからさまに出す事は流石になかった。
しかし、乃愛にはもう偽物の烙印を押したのか、取り繕うのをやめたようだった。
正直言って佑海も、乃愛が民を見捨てて眠りについたあの夜、ほとんど諦めたようなものだった。
「あそこが救護場所だ」
また言い合いが起こる雰囲気を察して、佑海が声をかけた。
「ここが救護所?ほぼ外じゃない」
乃愛が呆れたように呟く。
救護場所と言っても、特別な施設があるわけではない。取り急ぎ地面に藁や敷物を敷いて、柱を立ててそこに布をかけた天幕のような物があるだけだった。
報告通り、天幕の外に寝かされている者も大勢いた。
佑海が天幕の方に目をやると、悲鳴や呻き声が聞こえる中、一人の小柄な少年が動き回っているのが見えた。
(少年……女の子か?いや、あれはもしかして……)
「桜!」
泥と血に汚れた少女は、由羅の声に振り返り、その目を大きく見開いた。
口元は布で覆っていたが、その目は間違いなく佑海が昨日対峙した少女だった。
「由羅!」
桜は由羅に駆け寄り手を伸ばしたが、その手が触れる前にさっと身を引いた。
「あ、私、汚れて」
「桜」
離れかけた桜を、由羅は汚れるのも構わず抱きしめた。
「桜。昨日は、大変な時に側にいてやれなかった」
終始感情の読めない表情だったさっきまでの由羅とは別人のような、優しい声だった。
「ううん、由羅、無事で良かった」
桜は由羅を見上げ、その顔に暴行の痕などない事を確認した。
「酷いことされなかった?」
「大丈夫だ。それよりなぜ桜がここに?銀河は?千寿達は?」
「みんな忙しくて……、私はできる事がなかったからここに。色々あって、でも今ゆっくり説明できなくて……」
「構わない。こちらも色々あったんだ。俺も手伝いながら話そう。酷い火傷の子供を一人連れてきたが、どこかで手当は受けられそうか?」
由羅の視線を追った先に、昨日桜を脅した禁軍の兵士が見えた。その隣にいる綺麗な女性が抱えた子供がそうなのだろう。
「先生に聞いてくる。こっちに連れてきてもらえる?」
由羅が頷くと、桜は天幕の一つに向かって駆け出した。
「ねえ、あれはだれ?」
走り去っていく桜を、乃愛は苛立った気持ちで見つめていた。
「あれが昨日、火事の中人々を救うために駆け回った天彾様ですよ。今日も怪我人のために走り回ってますね」
左玄の嫌味に、乃愛は嘲笑うように答えた。
「偽物が点数稼ぎしてるのね」
その呟きは戻ってきた由羅にも聞こえた。
「その子を預かります。あなたは帰ってください」
うってかわって冷たい口調の由羅にも、乃愛は全く怯まない。
「私が連れていくわ。偽天彾に言いたい事もあるし」
由羅はグッと拳を握り、一呼吸おいて気持ちを落ち着かせた。
「桜が天彾かどうかは関係ないでしょう。今ここで少しでも多く助けるために駆け回っている、その少女に対する物言いがそれですか」
「桜?あの子の名前?由羅はあの子の知り合いなの?」
「一緒に旅をしてきた護衛仲間です」
「なるほど、護衛仲間ね。剣を振り回してる時点で天彾である筈がないわね」
乃愛は勝ち誇ったようにいうと、行きましょう、と促して先頭に立って歩き出した。
「……佑海さん、俺を乃愛の護衛から外してもらえませんか?」
「反乱軍と国王の話し合いがなされるまで側にいてもらえないか?俺にはあの娘を扱いかねる。それに、お前が王城内で動けた方が反乱軍のためにも何かといいんじゃないか?」
「……」
由羅は目を伏せ黙り込んだ。
「その話はあとだ。とにかく行こう」
佑海が促し桜が消えた天幕に三人で入ると、一際大きな呻き声や怒鳴り声が響いた。
「こら、桜!しっかり押さえろ」
「痛ぇっー!やめろ、やめてくれ!もう殺してくれーー!」
暴れる大きな男を数人がかりで寝台に押さえつけ、体を洗浄しているところだった。
立ち尽くす乃愛を押しのけ、由羅と佑海が前に出た。
「桜、変わろう」
「おい、そんな情けない事言ってたら、これから治療受けようとしてる子供がびびってしまうだろ」
叫んでいた男は、佑海の言葉にギュッと瞑った瞼を僅かに開いた。抱えられた子供が目に入ると、グッと歯を食いしばった。
体を洗浄する間、男の歯の隙間からくぐもった呻き声が漏れていた。
佑海は男を押さえつけながら、指示を出している老齢の男に声をかけた。
「あなたが中心になって治療しているのか?」
「ああそうだ。一向に国から派遣された医師が来ないのでな。今のところ医師はわし一人だ」
「すまない。要請したが、王宮医師団は城内の住人の治療のため外に出せないそうだ」
佑海が悪いわけでは決して無かったが、昨日から数えきれないほど謝罪の言葉を口にしていたため、反射的に出てしまった。
「お前さんのせいじゃない。あそこはそう言う場所だ。お偉いさんの頭痛や腰痛やかすり傷のために出せんというんだろ」
医師の言葉に佑海が顔を上げる。
「失礼ですが、あなたは王城の?」
「佑海殿は本当に人の顔や名前を覚えるのが下手だな。あんたは滅多に大怪我をしなかったが、それでも何度か治療した事があるぞ」
その言葉に、佑海がハッとする。
「甲斐先生?」
「誰じゃそれは。わしは才だ。千才。喉を潰す薬の調合を断ったら、丈罰を食らって追い出された」
喋りながらも手際よく洗浄を終えると、男の全身にねっとりした薬を塗った。
「後は己の治癒力に頼るのみだ。この男の治療は終わりだ。外の天幕に運んでくれ。次」
医師の指示で、洗浄を手伝っていた男達は戸板に治療を終えた男を乗せ運んで行った。
「先生、あちらのお子さんです」
桜が声をかけると、呆然としていた乃愛はハッと我に返った。
「すみません、お子さんをこちらに」
乃手は声をかけた桜をきっと睨んだ。
「偽物のくせに指図しないで」
桜は意味が分からず首を傾げたが、聞き返す時間も惜しかったので、さして気に留めず抱えられた子供を寝台に下ろすのを手伝った。
「先生、子供なんで塩水を使ってもらえますか?」
桜の提案に、千才は頷く。
「そうだな。坊主、運が良かったな。痛みの少ない水があるぞ」
先程の男の治療を見て怯えていた男の子は、僅かにホッとした顔になる。
「塩水って塩?そんなん使ったら余計に痛いのでは?」
左玄が口を挟むと、子供がまた青ざめる。
「大丈夫です。体の中の水と似ているので、少し温めて使うと痛みが少ないんです」
「へえ、本当ですか」
左玄は過去に嫌がらせで傷口に塩を塗られた事があったので、半信半疑だった。
「桜が教えてくれたんじゃ。軽い傷の者にためしたが、確かに塩を混ぜ温めたものは痛みが少ないらしい。桜には最初は怪我人を運ぶのを手伝って貰っていたが、医療に詳しいようだから、わしの手伝いをさせとる」
それを聞いて、乃愛がふんっと鼻を鳴らした。
「生理食塩水でしょ。私だって知ってるわ」
「……え?」
知っている単語が乃愛の口から出たので、桜は驚いてその綺麗な顔を見つめた。乃愛は桜の驚きを違ったように解釈したようで、さらに得意げに語る。
「私が知っているのが意外?自分だけだと思ってた?私は天彾だもの、知ってて当然でしょ?もっと言えば、アルコールの消毒だって必要なはずよ。あとは抗生物質ね。あなたは何も知らないでしょうけど」
乃愛が日本人である事を確信して、桜はつい大きな声が出た。
「私も知ってます!あなたはもしかして……」
「おい、よそ見するな!」
千才に怒鳴られ、桜は慌てて寝台に視線を戻した。
先生に合わせて、慎重に子供の衣服を脱がせる。
その間、乃愛が話し続けていた。
「嘘つかなくていいのよ、知らなくて当然だもの。それよりなぜ先程の男に塩水を使わなかったの?」
乃愛が聞くと、千才は先ほどの男より慎重に男の子の体を洗浄しながら、うんざりしたように答えた。
「塩が高価だからに決まっとるだろう。お喋りだけで手伝う気のない者は出て行ってくれ。桜は八葉村の伝手を使って薬を手配してくれるらしい。王宮からの支援は期待できないからな」
その言葉に、佑海はまたすまない、と呟いて大きな体を縮めた。
「……桜、楽次さんか?」
「うん、銀河にお使いお願いしたの。私の治療に使った痛み止めの素材を教えてもらおうと思って」
そう言って桜は男の子の目を見た。
「名前は何ていうの?」
「……太郎」
思ったほど痛くなくてようやく力が抜けたのか、太郎は寝台の上でぐったりしていた。
「太郎くん。もうすぐお姉ちゃんの友達が痛みを抑える薬をくれるから、今はこの薬で我慢してね」
「まるでわしの薬が不良品みたいじゃな」
「え、いや、ちが……」
言ってみただけで、千才は自分の薬の効果に自信を持っているし、桜の言葉など気にも留めていない。
「桜、銀河が使いに行ってるんなら、誰か連れてきた方が良かったんじゃないか?お前は一人でこんな場所をウロウロしているのか」
「私は護衛だもん。むしろ先生を守るためにここに必要だと思う」
「護衛もできて知識もあって伝手もある。こちらの天彾様は大変優秀ですね」
左玄が突っ立ったままの乃愛をチラリと見た。
もう佑海も止める気はなかった。
「私だって、こんな野蛮な治療でなければ手伝う事ができるのよ!さっきその子が言った塩水だって知ってるし、アルコール消毒とかマスクとか、必要な物はわかるのよ!」
「ではなぜその知っている塩水をさっさと出さんのだ?あるこーるが役立つなら、なぜ今持ってこない?」
千才の問いに、乃愛が返答に詰まる。
「……、だって、いると思わなかったし。それに生理食塩水もアルコール消毒液も、作り方がわからないし。水だってこんな不衛生なのじゃなくて、浄水とかじゃないと……」
「何を言っとるかわからんの。桜は塩の量に自信がないからといって、自分の指を傷つけて塩の量を何度も変えて試しとったがな」
由羅の鋭い視線に、桜は慌てて言い訳する。
「だって、高校の化学で濃度が何%かは習ったけど、ここはビーカー……正確に液体を測る容器とか秤とかないし、この世界の単位もよく分からなくて……」
桜の言葉に、乃愛の顔がこわばる。
「あなた……、いまなんて……。まさか日本の高校生なの?」
桜は少し顔を上げて乃愛に頷き、また子供に視線を戻した。
乃愛は足元が崩れるような衝撃を受けたが、誰もそんな乃愛を見もしなかった。
(この子も日本人?)
桜の隣に寄り添う由羅は、乃愛の存在など忘れてしまったかのようだった。
(なんでみんなこんな子ばかり構って、天彾である私をほったらかしにしてるの)
子供のために、そしてその後に待つ大勢の怪我人のためにみんなが必死な事に、乃愛は気づけなかった。
(なんでこんな子が!)
一人だけ自分の事で頭をいっぱいにしていた乃愛は、ぎりっと歯噛みし桜を睨みつけた。
「あなた由羅とは護衛仲間だったと聞いたけど、その腰に下げてる剣で、まさか人を殺したりしてないわよね?」
乃愛の問いに、桜はビクッと手を止めた。
その様子に、乃愛は勝ち誇って言い放った。
「信じられないわ!よく平気な顔して人助けなんてしてられるわね?あなた殺人犯よ?この世界で許されようと、日本では決して許されないことよ」
部屋中に聞こえる大声で乃愛が責め立てる。真っ青になって手を止めたままの桜に、千才がおい、っと声をかける。
「あなた、私達がこの世界に呼ばれた意味を考えたことがある?戦争のない国から来て、この国のどこが間違っているか見る事ができるから、天彾としての価値があるのでしょう?この世界の価値観に染まったあなたに、手を汚してしまったあなたに、天彾たる資格はない。私達の世界では、あなたは殺人者よ!由羅、この者はもう決して天彾になれないわ!」
「うるせぇっ!その娘を摘み出せ!」
得意げに喋り続ける乃愛に向かって千才が怒鳴った。
その言葉を受けて、左玄が乃愛を後ろから羽交いじめにした。
「ちょっと!」
そのまま引きずろうとする左玄に、乃愛は抵抗する。
「一つ聞きたいんですが、天彾様の国には護衛と言う職業はないんですか?」
低い声で左玄が聞いた。キレた左玄に佑海はヒヤリとしたが、乃愛は全く気にしていなかった。
「もちろんあるわ。SPっていう、偉い人を命を張って守る人がいるわ」
「そのえすぴーさんが悪い人を殺したら、責任を問われるんですか?」
「何言ってるの、SPはそういう仕事よ。守るべき人のために戦うのであって、私たち個人が人を傷つけるのとは話が違うわ」
「では護衛として桜さんが人を斬って、なんの罪になるんです?なぜこの人はこんなに落ち込まなきゃならないんです?」
他の者は、なぜ桜が人を斬ったことを咎められるのか、それを指摘された事でなぜここまで桜が傷ついているのか理解できなかった。
それを左玄が代弁したのだ。
「桜は一般人よ。他人を斬ったら犯罪者だわ。あなたまで偽物の味方をする気?」
左玄は自分の性格が歪んでいる事を自覚している分、真っ直ぐな人間に憧れがあった。
ひたむきに怪我人の手当てに当たる桜を侮辱する乃愛に嫌悪感が湧く。
「桜さんは多くの命を救った。その間乃愛様は何をなさっていたのですか?」
「私は、これから王の間違いを諌めて、この国を正しい道に導くのよ。これから多くの人が救われるわ」
「だからと言って、今目の前のこの子の命を蔑ろにしていい理由にはならん。助ける気がない者は出て行け!」
千才の迫力に負け、乃愛はぶつぶつ言いながら左玄に引きずられて行った。
寝台の子供は泣きそうな顔の桜に手を伸ばし、弱々しく微笑んだ。
「お姉ちゃん、だいぶ痛くなくなったよ。ありがとう」
桜の手は汚れていたが、男の子はギュッと握りしめてくれた。




