23祭具部屋の天彾
◆◇◆
「そんなに睨むな。とりあえず、反乱軍と禁軍は剣を交えることなくお互い戦力を引いて、後日改めて陳情を受ける場を設ける事になった」
佑海の言葉に、由羅は目を見開く。
「剣を交えず?なぜ」
「天彾様がそう決めた。お前を人質に取られたと思ったのだろうな。それに正直我々も、あの銀の狛馬とやり合う自信が無かったからな」
由羅は鉄格子から手を離した。
「桜が……」
由羅の目から険が消える。
「俺にはあの娘が天彾と呼ばれる理由がわからない。なぜ千寿殿まであの娘の判断に従うんだ?」
そう言いながら、佑海は扉の鍵を開け部屋の中に入った。
鉄格子はついているが、部屋には机や寝台が置かれていて、罪人を留めおくような作りにはなっていない。
「俺を殺さないんですか?」
「もとより殺す気なんてなかったが、銀の狛馬から直々に脅されたからな。それにお前も俺の剣を弾くだけで殺さなかっただろう」
佑海は棚から取り出した木の器を机に並べ、そこに水挿から水を注いだ。
「……佑海さんはなぜまだ国王軍にいるんですか?」
水の入った器を一つ由羅の方に寄越した佑海は、一瞬その動作を止めた。
「俺を知っていたのか」
「よく千寿の尻ぬぐ……、補佐をしてましたよね。今回、見つかったのがあなたじゃなければきっと全員殺されるか捕らえられていたでしょうね」
佑海は椅子に掛けながら頭を掻いた。
「ここは、俺が与えられてる城内の居室だ。この地下室は捕えるためでなく、中の者を守るために作った。鉄格子は外から狛馬に扉を破られるのを防ぐためだ。試した事はないがな」
「大丈夫です。白斗でも壊せなかった」
「……それは何よりだ。ここは俺が処刑を命じられた者を匿って、逃してやるための部屋だ。まあ、もちろん全員を助けてやれるわけではないがな。見殺しにした者の方が圧倒的に多い」
最後は自重気味に呟き、佑海は口を閉じた。
各々が自分の思考に耽り、暫く沈黙が流れた。
先に口を開いたのは由羅だった。
「俺を解放して貰えませんか?他の者は戦争をする以上仲間を失う事に覚悟はできているが、桜はそうじゃない。俺が捕えられて、きっと責任を感じて苦しんでいる」
佑海は眉間に皺を寄せ、腕を組む。
「正直俺にはあの娘が天彾だなどとは思えない。至って普通の娘だった。なのに千寿も、隊長も、お前のような強者も皆あの娘の存在を大切にしている。何故だ」
由羅は器に注がれた水をじっと見つめた。
「最初は、ただ行き倒れていた娘を捨ておけず、仕方なく一緒に旅に出ました。旅を続ける中で桜は予想外の行動ばかりで、人のために無茶ばかり……」
佑海を睨みつけていた時とは別人のように優しく語るのを、佑海はじっと聞いていた。
その口調だけで、どれほど桜が大切に思われているかわかった。
「俺たちは桜を天彾として崇めているのではなく、信頼する大切な仲間だと思っています」
「だがあの娘は天彾として振る舞っているんだろう?」
由羅は首を振った。
「桜が自ら天彾だと名乗った事はありません。むしろその名前の重積に怯んでいるくらいです。我々には桜が天彾かどうかはあまり関係ありません」
「そうなのか……」
期待した答えとは違っていたようで、佑海の声が沈む。
「城の天彾はなんという名前なんですか?」
「乃愛と名乗っていた。彼女のいた世界の、神話というものに登場する救世主の名前だそうだ。だからか、すんなり自分が天彾であると受け入れていた」
「桜が暮らしていた国は、戦争がなく、王族はおらず民は皆平等で、身分がないのだと。技術もかなり進んでいるようでした。乃愛の話した世界観と言うのも、そんな内容だったのでは?」
「確かにそうだ。では桜と乃愛は同郷の可能性が?」
「恐らくそうだと思います。桜はこの国の文字は読めませんが、先代天彾の書いた護符を読むことができました。きっと日記も読めるはずです」
佑海はこめかみを抑えた。
「……天彾とはいったい……」
それを見て由羅が軽く笑ったので、佑海は怪訝な顔で由羅を見た。
「なんだ?」
「以前、同じように桜が天彾かどうかを話し合ったことがある人がいるんです。その人も随分疲れていて、いつもより老けて見えました」
佑海は力無く笑うと、小さく首を振った。
「今日だけで色々あり過ぎて、寿命が縮んだ思いだ」
「桜が絡むとそうなります。今は色んな責任を負い過ぎて落ち込んだり迷ったりしてますが、出会った頃の桜はもっと天真爛漫で無鉄砲で、周りの人間は振り回されて大変でした」
佑海は怯えた様子の小さな少女を思い出した。
「とてもそんな風には見えなかったがな」
「今は迷子なんですよ。桜が言ってました、未来は見えているけどそこまでの道のりがわからないと。でもきっと道が見えた瞬間、桜はまた全力で走り出します。その時のためにみんな桜の側にいるんです」
「確かに、迷っている時は弱ってしまうな」
佑海はそう言って、両手で目頭をほぐすように押した。
「だから天彾なんてものに縋るんですか?実力主義で現実主義の佑海さんらしくないです」
佑海の瞼の裏に、出会ったばかりの乃愛の姿が浮かんだ。
彼女は佑海に自信満々に言ったのだ。
私が来たからにはもう大丈夫だと。
「そうかもしれない。迷って弱っている時に絶対大丈夫だと言って貰えて、救われたんだ。なんとかしてやるなんて、言ったことは数え切れないが言われた事はもう何年もなかったからな」
そう言って、佑海は深く息を吐いた。
「佑海さん、少し休んだらどうです」
由羅の言葉に頷いて、佑海は立ち上がった。
「そうだな。仮眠をとって明日、お前を乃愛に紹介する。お前ももう休め」
「俺は、よく眠れました。痺れ薬は以前死にかけたんでもう懲り懲りですが、眠り薬は時と場合によってはいいかもしれません」
「食らったことがあるのか?あの痺れ薬を使う者は限られて……。いや、もうこれ以上情報はいらん」
佑海は頭を振ると、扉を閉めて鍵はかけずに立ち去った。
◆◇◆
「新しく天彾様につくことになった護衛の由羅だ」
佑海の紹介に合わせて由羅は軽く頭を下げた。
ここでは早朝、城内の護衛を集めて集会を開くのが通例だった。
「もうすぐ夜勤の者と交代する。今日の護衛はここにいる者達だ。なるべく顔を覚えてくれ」
そこに並んだ者が、順番に名前と持ち場を言っていく。
全員若く、真面目そうに見えた。
「城内の警護は狛馬持ちに加え腕がたつものが殆どだ。由羅もそういった条件からここに配属することにした」
「佑海副将は優秀な人材を育てたり見つけるのが上手いですね」
由羅と同じ年くらいの青年がニヤリと笑う。
その頭を少し年上の男が小突く。
「それは自分も優秀だと言ってるようなもんだろう」
「否定はしません。貴族の給料泥棒と違って、俺は仕事しますから」
軽口を叩き合って、雰囲気も悪くない。
由羅が突然ここに配属されても、誰も疑問に思っていないようだった。
「しかし、天彾様の護衛ねえ」
「まあお貴族様の護衛だと思って頑張れよ」
持ち場に向かいながら、皆励ますよう由羅の肩を叩いて行った。
「俺たちも行くぞ」
由羅は頷いて、佑海の後に続いた。
「こんなどこの誰ともわからないやつが来ても、誰も疑わないんですね」
「どこの誰かわかっていても、役に立たない者は多いからな。だから全て俺の裁量次第だ。まあ、それも問題だがな」
「乃愛は護衛からはあまり人気がないようですね」
「……乃愛様だ。ここからは軽口でも不敬な発言は御法度だ。そこかしこに王の目や耳がいるからな」
「乃愛様は、国王と同じ建物に部屋を与えられてるんですね、驚きです」
長い廊下を歩いていると、値踏みするような自然があちこちから由羅に向けられた。
「一応、金位の天帝の遣いという立場だからな。この部屋だ」
佑海は一つの扉の前で立ち止まった。
「天彾様、佑海です」
佑海がノックをして名乗る。
「どうぞ」
扉の向こうから、よく通る女性の声が聞こえた。
佑海が扉を開けると、椅子に座ってお茶を飲んでいた女性がチラリと佑海を見た後、隣の由羅に目を止め、怪訝な顔をする。
「何の用かしら」
「昨日の火災の件でご報告を。それと新しい護衛の紹介です」
女性は尊大な態度で佑海に向き直った。
(桜とは正反対だな)
由羅は凝視しない程度に女性を観察した。長い髪にはっきりした目鼻立ち。座っていても、そのスラリとした手足から、平均より背が高い事がわかった。
瞳には、挑戦的でどこか人を見下す感情が見えた。
席を勧められることは無かったので、佑海はドアの側に立ったまま話し始める。
「昨日の未曾有の大災害について、お聞き及びでしょうか?」
「聞いたわ、それで?」
由羅は元々表情が乏しいので、相手に不快な感情を気取られる事はなかった。
だがその返答に、胸の内では嫌悪感が湧いていた。
「いつ民衆の前にお出ましになるのでしょうか?」
彼女は本当にわからないと言った顔で首を傾げた。
「お出ましというのは?」
「治療を必要とする者が溢れております」「この国の医療水準で、私ができる事はないわ」
佑海は、想像通りの反応であった事に落胆した。
片や、少しでも多くの人を救うため奔走し、片や、できる事がないからと言ってお茶を傾ける。
「……昨日、業火の中人々を救済して回った者が民衆の間で話題になっています。天彾様が降臨したと」
佑海の言葉に、乃愛は不機嫌を露わにした。
「偽者が騙っているのね。この非常事態に点数稼ぎなんて、なんて性悪なのかしら」
佑海はチラリと由羅の顔を見、そしてすぐ逸らした。
表面上は涼しい顔を浮かべていたが、由羅は壁を殴りつけたい衝動に駆られていた。
「しかし、銀の狛馬に跨り天から降臨した様は、人々にかなり印象が強かったそうです。このままでは、その者が天彾として担ぎ上げられるでしょう。ここで何もしないままでは、あなたの存在意義は無くなってしまう」
乃愛が佑海を睨みつけた。
「佑海、あなたが私を天鏡の間で見つけて、天彾だと言ったのでしょう」
「見つけたのは隣の祭具置き場です」
乃愛はギリっと歯噛みし、チラリと由羅を見る。
「この者は事情を知っております」
「ふん、部屋が一つ隣だったからって、何だって言うのよ。私が異世界から来た事実は変わらないわ。本物は私だけよ」
「我々がそう思っても、民衆は違います。絶望の淵から救ってくれた救世主こそ、天彾様だと思うでしょう」
乃愛は苛立たしげにフウっと息を吐くと、お茶を飲み干した。面倒だと思っている事がありありと伝わってきた。
「偽物に好きにさせるわけにはいかないわ。仕方ないわね、では私も慰問に参ります。その銀のコマ?に私も乗せてもらえるかしら?そして空から降りていけばいいんでしょう?」
乃愛のあまりに的外れな言葉に、佑海と由羅は思わず顔を見合わせため息をついた。
◆◇◆
何も知らない乃愛に一から説明し、なぜ自分には狛馬がないのだと騒ぐのを宥め、ようやく由羅達が門を潜ったのは昼を過ぎた頃だった。
「そのような衣装では、動き回れないのでは」
同じく護衛として付き従う事になった左玄が、佑海の狛馬に乗った乃愛に尋ねる。
「動き回る必要はないでしょう。手をとって励ましてあげれば、みな生きる活力になるのでは?そう考えたら、天彾らしい威厳を保てる服でなければならないのではないかしら?」
「あーいえばこういう」
左玄の呟きは、しっかり乃愛に聞こえた。
佑海は、また始まったと内心嘆息した。
乃愛は左玄に殊更厳しく当たる傾向にあるが、それは左玄の態度にも原因があると思わなくもなかった。
「天彾のなんたるかを何も理解しようとしない不敬な人間には、きっと神の鉄槌が下るわ」
「紙でできてたら鉄槌じゃないです。何言ってるんですか」
乃愛は思わず左玄の頭を叩きそうになり、何とか堪えた。
この世界には神がいない。
天帝が唯一無二の存在なのだ。ならばその天帝の遣いとされる天彾は、もっと敬われて然るべきだと乃愛は思っていた。
もう一言何か言ってやろうと思った乃愛は、目の前に広がる惨状に言葉を失う。
「……え?」
教科書や画面の向こうでしか見たことのない、凄惨な景色が目の前に広がっていた。
無残に残った家の柱の影で、焼け出された人がうずくまっている。寝転がって、生きているのかどうかわからない人も多い。
皆一様に肌は焼け爛れ、泥と血に塗れている。
乃愛は思わず口元を覆った。
「昨日雨が降ったから何とかここまでの被害で食い止めることができました。その雨は、天彾様が降らせてくれたと言われています。全てあなたがゆっくりお休みになっている間に起こった事です。とりあえず救護場所に向かいますか、天彾様?」
左玄の言葉に振り返った乃愛の顔は真っ青だった。
「救護場所……」
震える声で呟く乃愛に、左玄はさらにいい募る。
「動けない怪我人ばかりなので、ここより酷い状態でしょう。流石です、そんな場所で怪我人の手をとって励ましてあげるなんて……」
「左玄殿」
流石に見かねて、由羅が止めた。
そして乃愛に向き直る。
左玄を止めはしたが、乃愛の態度に我慢ならないのは由羅も同じだった。
「乃愛様。我々はあなたの護衛をしているせいでこの場を動けません。耐えられないのなら城にお戻りください。そうすれば我々も救助活動ができます。今も火傷で動けない者や瓦礫の下敷きになって助けを待っている者が大勢いますから」
真っ青な顔で呆然とする乃愛に、一人の子供がフラフラと近づいてきた。全身にひどい火傷を負っている。
子供が狛馬の上の乃愛に手を延ばすと、由羅以外の護衛が一斉に剣を向けた。
その様子に、驚いた希空が叫ぶ。
「何やってるの⁉︎剣を下ろして!」
剣を向けられた子供はその場に立ち止まった。
もう泣く気力もないようだった。
「乃愛様、彼に水をあげては?」
「え、そ、そうね……」
由羅の言葉に反応して狛馬を降りかけたが、全身血と泥に塗れた姿に、乃愛は近づくのを躊躇した。
由羅の事をよく知る者なら、その乏しい表情に落胆が浮かんだ事がわかっただろう。
由羅は白斗から降りると、一向に水を差し出す気配のない乃愛の前に出て、男の子に木の水筒を差し出した。
「今は辛くても、生きてて良かったと思える日が必ずくる。諦めるなよ」
水筒と由羅の顔を交互に見た少年は、お母さん、と小さく呟きながらポロポロと泣きだした。
乃愛は子供から目を逸らした。
「……由羅、その子を救護場所に連れて行ってあげて。私の護衛はもういいわ。佑海、城に戻ります」
由羅は子供をそっと抱き上げ、背中越しに乃愛に声をかけた。
「あなたはこんな惨劇など見たこともないような、とても平和な世界から来たんでしょう。無理せず、あなたにできる事をやってください」
由羅の言葉に歯を食いしばって涙を堪える乃愛を、佑海は複雑な気持ちで見ていた。
(天彾じゃないとわからせて、機をみてこっそり逃してやるつもりだったが……)
救いようのない我儘姫なら、それも叶ったかもしれない。
だが、迷う事なく子供に向けられた剣を下げさせた乃愛は、少なからず慈悲の心を持ち合わせていた。
「わたしは、天彾よ……」
佑海だけに聞こえる小さな声で、乃愛が呟いた。




