22 二人の天彾
佑海は重い足を引き摺りながら薄暗い階段を降りていた。
(あー、間違いなく今日で寿命がかなり縮んだな)
地下室へと向かう暗い階段を下っていると、どんどん気が滅入ってくる。
今すぐ布団に飛び込み何かも忘れて眠りたかった。
だが、天帝の遣いに釘を刺されたのだ。佑海は早急に客人の待遇を改善しなければならなかった。
足音に気づいていた男は、鉄格子を握り締めながら近づいてくる佑海を強く睨んでいた。
人の呪詛が目に宿るなら、佑海は間違いなく今日死んでいた。
「どいつもこいつも怖い顔で睨みやがって」
そう一人ごちながら、佑海は月影門に駆けつけた時の民衆の目を思い出していた。
◆◇◆
見張り台の鐘が鳴る少し前。
左玄が見かけた飛行物体を確認するため、佑海は左玄と共に城内を南北に貫く大通りを狛馬で駆けた。
門を開ける事は禁じられたが、不審物の確認なら城の護衛の仕事だった。
大義名分を得て、門まで駆ける。どさくさに紛れて門をこっそり開けようかと悩んでいた佑海は、門に近づき眉を顰める。
(門が……開いている?)
目で確認するまでもなく、月影門付近で大勢の人の気配がした。佑海が駆けつけると、門の前に集結した者達に緊張感が走った。
先頭を率いる若者は、すでにこちらの気配に気づき剣を構えていた。
「門を、開けたのか?」
怯えさせないよう穏やかに尋ねたつもりだったが、非難されたと思ったのか、佑海の問いに民衆は一気に怒りを爆発させた。
「銀の狛馬に跨った天彾様が助けてくださったんだよ!」
「街がどうなっているか知ってるか!」
「あんたらのせいで、どれだけ死んだと思ってるんだ!」
「俺たちを殺しに来たのか!」
本来なら兵士に楯突くなどすぐさま切り捨てられても文句は言えない振る舞いだ。しかし我を忘れた民衆は、怒りながら、泣きながら佑海を罵倒し続ける。
佑海は一先ず頭を下げた。
「俺にはこの門を開ける権限がなかった。力が及ばずすまなかった」
佑海が謝罪すると、民衆は一瞬静まり返った。
今度はあちこちから啜り泣く声が聞こえる。
「俺たちを捕らえに来たんじゃないんですか」
剣を構えたまま、先頭の青年が冷静に問いかけた。
「そうではない。門を開けてくれた事に感謝する。その上で、状況を説明願いたい。どうやって門を開けた?天彾とは?」
佑海が民衆に目を向ければ、先頭付近にいた中年の女性が喋り出す。
「焼け出されて橋まで逃げて来たのに、門は硬く閉じて、いくら待っても王様からの助けも来ない!あとは死を待つだけの俺たちを、王が見捨てた私達を、内側から門を破壊して助けてくれたんだ!」
「門を破壊した?狛馬がか?」
当然ながら、門は相応の攻撃に耐えうるよう作られている。特に南側の三つの門は破城槌を凌げる強度で作られている。
それを破壊するなど、到底信じられなかった。
「その狛馬と天彾は今どこに?」
「琢磨に会いに行きました。この火事の原因に心当たりがあるようなので」
青年はなんでもないように言ったが、佑海とてつい先程知った事実を当然のように言い当てられ、驚愕する。
「なぜその事を……。とりあえず、一旦剣はしまってもらえないか?お前達はこれからどうする気なんだ?」
「まだ火が回っていない西門から出る予定です」
「当然だが西門にも門番がいる」
そう言って、佑海は少し離れたところにうつ伏せに倒れている、月影門の門番をチラリと見た。
「俺たちを捉えますか?」
「いや、穏便に西門を開けてもらいたいだけだ。左玄に先導させるから、お前は俺と一緒に来てくれないか?」
「なぜ私が?」
左玄は目を見開いて抗議の声を上げたが、佑海は無視した。
「名前は?身分証を見せてもらえるか?」
由羅は少し考えた後、剣を仕舞い、無言で身分証を差し出した
「黒烏?」
佑海の口から思わず疑念が漏れる。
身なりもそうだが、佇まいが貴族のそれだったので、平民である事が信じられなかった。
歳の割に落ち着いていて、佑海にも臆せず対している事に内心感心していた。
佑海は、これほど優秀な仲間を従える天彾の事が気になった。
「由羅、一緒にきてくれ」
そう言って、由羅に近づく。
「……うちの天彾が本物かどうか見てほしい」
佑海は由羅にだけ聞こえる小さな声で言った。
由羅が僅かに目を見張る。
「おい、その人になんかしたら天彾様がただじゃおかないぞ」
「そうだ!本当は天彾様をお守りするべき方なのに、我々の身を案じて残ってくださったのだ!」
再び民衆が佑海に噛み付く。一度は死を覚悟したせいか、みな佑海に対して遠慮のない物言いだ。
「肝に銘じておこう」
それはただ由羅を心配して出た言葉だった。
だが佑海はその言葉で、天彾に対してこの青年が交渉の切り札になる事を確信した。
「では由羅、ついて来てくれ。左玄、頼んだぞ」
「わかりましたよ。副将も気をつけてくださいね」
左玄に頷き返し、佑海は北の城に向かって、今きた道を逆走した。
「申し訳ありませんが、後日にしてもらえませんか?私は急いで他の人達の救出に向かいたい」
落ち着いて、気負いのない物言いだった。
だが、ピッタリと並走する青年は常に緊張感をまとい、全く隙がないのがわかる。
長年この腐った城内で生き延びた佑海のカンが、相手は只者ではないと告げていた。
「わかっていると思うが、非常事態とは言え城内への侵入は死罪だ。俺の一言で、先ほどの民達はどうとでもできる。黙ってついて来い」
由羅は佑海の言葉をじっと聞いていた。
(怒らないか)
佑海の言葉を涼しい顔で聞き流す由羅に、内心感心した。
佑海の部下にも若いのはいるが、ここまで肝の据わった者はいなかった。
「お前、年はいくつだ?」
興味本意で聞いただけだが、由羅は一瞬虚をつかれた顔になった。
初めて年相応の反応を見せ、佑海は僅かに驚いた。
「先程身分証を見たでしょう」
「黒烏である事に気を取られて、生まれ年まで見る余裕がなかった」
「……十七です」
答えると、すぐさま元の感情の読めない表情に戻った。
(俺の半分しか生きてないのに、大したもんだな)
「俺の元で兵士として働かないか?」
「必死に門を開けて助けを求めた民を切り捨てようとする兵士にですか?」
間髪入れず返ってきた返答に、佑海は苦笑いする。
「……確かにな」
そのまま暫く無言で駆けると、今度は由羅から声がかかった。
「そちらの天彾とはどういった人ですか」
「そうだな、傲慢な貴族の娘って感じだな。ちやほやされてどんどん増長している」
「……なぜそんな娘を天彾などと持ち上げているのですか」
「ある日突然、天鏡の間に現れたからな」
「本当ですか。王家が創作した話ではなく?」
懐疑的な言葉に、佑海は逡巡し、答えた。
「……ここだけの話、実はそれは正確ではない。天鏡の間の隣の、祭具の置かれた部屋にある鏡の前で倒れていた」
「鏡の前に?」
偽物だと一蹴されるかと覚悟していた佑海は、考え込む由羅に僅かに期待が湧く。
「本当に突然現れたんだ。倒れていたのを発見して、そのままだと俺の警備不良を咎められる可能性があったから、とりあえず隣の天鏡の間に放り込んだ。後でこっそり逃してやるつもりが、ちょっと離れた隙に部下に見つかって、そしたら天彾が現れたとすごい騒ぎになった」
佑海は由羅を共犯にしてしまおうと、一気に真実をぶちまけた。
「……どこから入り込んだかはわからないんですね」
「ああ、城内の警備は慎重に選んで信用のできる者にさせているからな」
この城内で信用のできる者を集めるために苦心している佑海の心労が滲む。
「先代天彾の日記は読めたのですか?」
「……そう、読めたんだ。それに彼女の話の内容というか世界観が、どうも俺たちのものとかけ離れている。だからみんなこぞって本物の天彾だと持ち上げた。……お前、なぜ日記の存在を知ってるんだ」
「今は何をしているんですか?街の惨状は理解されているんですか?まさか安全な場所で祈りを捧げているだけだとか?」
佑海の問いを華麗に無視して、由羅は佑海を詰問する口調で言った。
「……もちろんこの惨状を知った上で、明日対応すると言って寝てしまわれた」
由羅はじっと佑海を見つめ、佑海はふいっと視線を逸らした。
「……確認するまでもなく偽物です。もう俺を解放して貰えますか?」
それまで礼儀正しかった由羅は、呆れた顔で佑海を見た。
「まて、そちらの天彾の話を聞きたい。今回顕現した目的は……、」
突然、佑海の言葉を遮るように、見張り台の鐘が響いた。
(侵入者!まさかこいつも……)
鐘の音を聞いた瞬間、佑海は剣を抜いて由羅を振り返る。しかし一瞬早く、由羅の剣が佑海の剣を弾き落とした。
そのまま由羅は北門に向かって駆ける。
「待て!」
「副将!」
佑海の横を狛馬で追い越し、左玄が小刀を投げた。背後からの攻撃を由羅は咄嗟に躱したが、避けきれず小刀は肩をかすめた。
「左玄、よく戻った!」
左玄はすぐさま佑海の剣を拾い、佑海に投げてよこした。
佑海は由羅に追いつき剣を振りかぶる。
由羅は振り返ると、落ち着いた様子で応戦した。
「お前、侵入者の仲間だったんだな。天彾様は国家転覆を計画しているのか」
「今回の火事で、民衆は我慢の限界を超えた。天彾様は、これ以上民が失われないよう戦う覚悟だ」
(門を破壊するほどの狛馬を連れてか)
月影門の割れた関を思い出し、佑海の額に嫌な汗が滲む。
「なんでまだこんな元気に動いてんだ?左玄、お前間違って普通の小刀投げたのか?」
由羅と切り結びながら、佑海が左玄に向かって怒鳴る。
「そんな事ないってわかってるでしょ。なんでこの人痺れ薬効かないの⁉︎」
言いながら左玄はもう一つ小刀を投げた。
「ええ⁉︎避けられました!」
「見りゃわかる!おい、しっかり投げろ!俺が死んでしまうぞ」
そう言って、佑海は由羅と切り結んだまま、由羅と左玄の間に入った。佑海の体が由羅の視界を遮った瞬間、左玄はもう一本小刀を投げた。
「副将!」
左玄が叫ぶのと同時に、佑海が体をずらす。
由羅は避けきれずナイフが頬をかすめた。
「今度は強力な眠り薬です。すごく高かったんですよ。流石に効くでしょ。さあ、眠ってください」
左玄の言霊が効いたように、由羅の体が傾ぎ、そのまま白斗からずり落ちた。
最後に由羅が何か呟き、白斗はその場から姿を消した。
「狛馬を逃したか」
佑海は由羅の顔に触れ、眠っている事を確認した。
「副将、なんですかこの人の強さ。いくらなんでもこの人を生け捕りは無理でしょ」
「……いや、生け捕りにしようとしたんじゃない。普通に押されてたんだ。本当に平民か?これだけ強い戦士が天彾の下にいるのか」
「やっぱり本物の天彾は違いますね」
左玄の言葉に佑海は顔をしかめた。
「それより、お前なんでこんな早く駆けつけてくれたんだ?」
「流星門と亀甲門の門番に声かけして任せてきたんですよ。この辺りを平民が通るけど、見逃してやるようにと。最後に西門に向かったら、もうすでに門が誰かの手によって開かれていました。それで大変だと思って、大忙ぎで戻ったんです」
「そうか、お前の要領の良さのおかげで助かった。とりあえず、そいつは俺の屋敷の地下室に入れといてくれ」
「殺さないんですか?」
「うちの天彾を偽物だと断じてもらうからな。地下室に放り込んだらすぐに見張り台に来い!」
「副将の屋敷の地下室不気味なんですよ……」
「頼んだぞ!」
またしても左玄の訴えは無視され、佑海は走り去った。
「副将、戦う気かな。どう考えても正義は天彾軍にあると思うけど」
そう言って、チラリと倒れた男を見た。
「この人、殺した方がいいんじゃないかな」
決して地下室に運ぶのが嫌だからではない。
先程男が佑海と剣を交える様子を見て、左玄は驚愕した。
佑海は兵士らしからぬ温厚さを持ち合わせているが、軍で誰一人侮る者がいないのは、その剣の腕故だった。
(互角……、いや、長引けば副将が危なかった)
義は天彾軍にあって、反乱軍が怒れる民衆であれば、佑海は非情な判断はできない。
加えて門を壊すことのできる狛馬に、この男のように桁外れに強い戦士が他にいるのであれば。
左玄は胸元から小刀を取り出して由羅を見下ろした。
先程佑海と戦っていた時とは別人のように、幼さが残る寝顔だった。
左玄は小刀を仕舞い、両手で顔を覆った。
「この年で命懸けてる若者に対して、俺は何を考えてるんだ」
左玄はそのまま両手で自分の顔をバチっと叩いた。
「こんな狂った場所にいるから、俺までおかしくなりそうだ」
暗雲の立ち込める空をチラリと見上げると、左玄は由羅を自分の狛馬に乗せ、全力で駆けた。




