21 天彾ではなく、桜として
(落ちたな)
わかりやすく動揺する桜に、佑海は交渉が成立した事を確信した。
この重要な局面で、ただ担ぎ上げられただけであろう少女を標的にする事に多少の罪悪感はあった。
しかし佑海がこれまで飲み込んできたものに比べれば、取るに足りないものだった。
佑海はざっと反乱軍の数を数える。
(二千といったところか。普通に戦力差で見れば、禁軍の圧勝だ)
しかし、と先頭の千寿に目をやる。
(千寿殿がいる上に、この銀の狛馬)
長らく戦場を離れているとはいえ、千寿の衰えなど期待できない。銀の狛馬の戦闘力も未知数だった。
見た事もない大きな狛馬が空から自分達を見下ろしている。今まで体験したことのない事態に動揺した部下達を、このまま戦わせるわけにはいかないと、佑海の感が告げていた。
「天彾様は、事態の収束をお望みのようだ」
佑海が千寿に向き直って断言した。
桜は何も考えられるず、ただ崩れ落ちそうになるのをなんとか堪えていた。
その様子を見て、千寿はふうっと息を吐いた。
「……そのようだな。ならばここは、天帝の意を汲み引くとしよう」
千寿は桜に近づき、肩に手をのせた。
「桜、一旦引くぞ」
桜は真っ青な顔で振り返った。
「せ、千寿……、由羅が……」
「わかっている。だが、今は何もできない。しっかりしろ。銀河から転げ落ちたりするなよ」
『桜、この場は最後まで、天彾として毅然と振る舞え。由羅が交渉の材料になると思われては困る』
そう言われても、桜の手は震え、歯がカチカチと音を立てる。
「だって、反乱軍は……」
——拷問の末に晒し首——
桜の背を、蝶子が優しくたたいた。
「要求を呑めば、手荒な事はしないと言ったわ。最後まで、威厳を保って退場しましょう。それが禁軍への圧力になるわ」
桜は奥歯をグッと噛み締めた。ここで醜態を晒す方が事態を悪化させる事に気づいたからだ。
(由羅、由羅、無事でいて)
「そちらの準備が整ったらこちらに遣いを寄越してくれ。隊長を通してくれたら何とかなる」
千寿の無茶振りに隊長は一瞬ギョッとしたような表情を浮かべたが、諦めたように前に進み出た。
「お前もそちらについたのか、隊長」
かつての優秀な部下を反対勢力にみとめ、佑海が残念そうに呟いた。
隊長は僅かに眉尻を下げた。
「佑海様、そんな裏切り者を見るような目で見ないでください。陳情内容は書面にて前もって提出させて頂きます。面会のその日まで、私以外の者に接触はご遠慮願いたい。武力による干渉は、状況を悪化させるだけとご理解頂きたい」
「承知した」
佑海は隊長に頷き返すと、面前に居並ぶ反乱軍の面々をざっと見回した。
怯えや動揺は見えず、見たところ武に優れ、実に優秀な人物が揃っていると感心した。
先程の佳蝶の宣誓も見事なものだった。
だからこそ、首を傾げる。
(なぜ、誰もがこの娘を天彾だなどと持ち上げたのだ)
左玄と共に謎の飛行物体を追って月影門に駆けつけた時、そこで見た民は、口々に天彾の顕現を語った。
(この娘を天彾たらしめているのは、この銀の狛馬だな。それだけだ)
本物の天彾が現れたのかと期待した佑海は、桜を間近で見て落胆した。
(まぁ、うちの天彾よりはずっといいがな)
佑海はチラリと城を振り返り、この事態に顔も見せない王と、恐らく就寝中の天彾を思った。
佑海とて、この王が失われるのは大歓迎だった。
だが、その後に権力を握るのは、自分の真の主でなければならない。
(ここに秋斎様がいらっしゃれば……)
◆◇◆
雷太と千寿を先頭に、反乱軍は撤退した。
ここから少し離れた反乱軍の拠点に戻る予定だった。
蝶子は隊長の狛馬に乗り、銀河と桜は殿を務めた。
撤退の際背後から狙われないかと睨みをきかせていたが、それは杞憂に終わった。
反乱軍全員が門を潜って城外に出ると、門扉は閉じられた。
銀河は先頭の千寿と雷太に駆け寄った。
桜は遠ざかる門を振り返った後、口をギュッと引き結び、銀河に向き直った。
「ねえ、銀河、私を由羅の所に連れて行って」
「……連れて行ってどうするんだ」
銀河の声音には苛立ちが含まれている。しかし桜は構わず続けた。
「城内に入って、由羅が囚われている場所を教えて欲しい」
こうしている間にも由羅が酷い拷問を受けているかと思うと、とても耐えられなかった。
「それでお前が切り殺されるのを黙って見てろというのか?それとも由羅の救出を俺に命じてお前の加護が失われるのを目の前で見てろと?」
銀河が語気を強めると、桜はハッとして黙り込んだ。
「門を開けて民を助ける、それは天の望む流れに沿っている。だから天は桜を生かそうとしていた。だが由羅を助けるのは、桜個人の願望だ。由羅を助けるためだけに何かを俺に命じれば、お前の加護は消え……」
「消えたっていいの」
桜はギュッと拳を握った。
別れ際に抱きしめてくれた由羅の温もりを、優しい表情を思い出す。
「由羅を失うくらいなら、加護なんていらない!」
銀河は民を助けろと言う。
桜だって、苦しむ人達を助けたい。しかしそれで桜の愛する人がとりこぼされるなど、そんな事は納得できなかった。
誰も声を発する事ができず、あたりが一瞬しんと静まる。
「連れてってやれよ」
沈黙を破ったのは雷太だった。
「俺だって菜々緒が囚われたら誰がなんと言おうと助けに行く」
「俺もそうだな。ここにいる多くの者が、大切な人を助ける事が出来なかった過去を抱えている。桜にそんな後悔はして欲しくない」
千寿の言葉に、再び辺りが鎮まりかえった。
そこへ、場違いな明るい声が割り込む。
「何この雰囲気。これから一致団結して強敵に立ち向かうんだから仲良くしないと。由羅なら心配ないから。それより、その狛馬喋るんだな」
聞き覚えのある声に目をやれば、狐のような細身の狛馬に跨る巳霧がいた。
「巳霧……。心配ないって、どうして?」
断言する巳霧に、桜は縋る思いで書き返す。
「俺は隊長の口利きで少し前から城内で働いてて、情報収集してたんだよ。城内は落ち着いたもんだったが、禁軍の副大将だけは火事の対策に奔走してた。由羅と桜で月影門を開けただろ?佑海は門に向かう銀河に気づいて、確認しに行ったんだ。だから俺も後から追いかけた」
情報の多さと、以前の寡黙な巳霧とは印象が違いすぎる事に桜は困惑した。
「……由羅が連れていかれるのを見てたの?」
「そんな見捨てたように言われるのは心外だな。そりゃ一戦交えるような状況なら俺も加勢したが、佑海にそのつもりはなかった。門を開けた由羅に感謝してたしな」
「じゃあ、なんで由羅を?」
「城にいる天彾に会わせるためだ。拷問するためじゃない」
予想外の返答に、雷太は怪訝な顔で巳霧を見た。
「天彾に合わせるためだと?」
「暗くて正確にはわからなかったが、口の動きから多分こう言った。『うちの天彾が本物かどうか見てくれないか』」
——天彾が本物かどうか——
それでは噂の天彾は存在したという事になるが、それならなぜあの場にいなかったのか桜は不思議だった。
「本物かどうかって、どうして由羅に……。でも、じゃあ、由羅は酷い目には遭ってない?」
「あの感じだと大丈夫だと思うが、心配なら俺が確認してきてやるよ。もし牢に入れられてたって、助け出すだけなら簡単だから安心しろ」
「…………」
さっきまで、命懸けで助けに行くだ行かないだで言い争っていた桜と銀河は、複雑な気持ちで巳霧を見つめた。
「それよりあんたらは今後どう立ち回るかを考えるんだな。正直、由羅を助けるよりも、あんた達の要求が通るかどうかの方が重要だ。難しいと思うぞ。もしはねつけられたら、次こそは待ったなしの開戦だ」
「俺としては、要求などない。自らの剣で煌王の首を落とす事だけが望みだ」
そう言って一瞬激しい怒気を放った雷太は、フウっと息を吐いた。
「だがそれは、今回は叶わない事が禁軍の戦力を見てわかった。千寿のいない禁軍などなんとでもなると思ったが、俺たちは禁軍の、あの副大将の力を見誤っていた。正直こんな展開は予想もしていなかったし、後は隊長にまとめてもらう」
雷太まで隊長に丸投げだ。
「だが、奴らが正々堂々話し合いに応じるか。下手すりゃ一網打尽だ」
巳霧が肩をすくめる。
「そこは俺が、下手な事をしないよう念押ししてきてやろう。それぐらいはやってやる」
そう言い残して、銀河の姿は闇に消えた。
◆◇◆
「なぜあんな小娘を天彾などと。理解に苦しむな」
王の執務室に続く道すがら、小蛇は呆れたように吐いた。
小蛇とは挨拶も碌に交わさない仲だが、今は佑海一人で王に対面せずに済むことに安堵していた。
「宰相殿は偽物だとお思いなのですか?なら何故真っ先に駆けつけて、相手に引くよう説得したのです?我が軍の力量がよもや偽物の天彾率いる反乱軍に劣ると思われたのか?」
佑海に、小蛇はフンと鼻を鳴らす。
「白々しい。そなただって思っておったのだろう?小娘はどうでもいいが、あの狛馬はいかん。銀の、空を飛ぶ狛馬など。兵士達の情けない顔を見たか?兵士の中にはあれが天彾だと思い込む者が多くいたはずだ。裁かれるとなれば、後ろ暗い事で身に覚えのある者は大勢いる。あのまま開戦していたら、万が一もあり得たからな」
(珍しく意見が一致したな。あの緊迫する場面で、よく見ている。さすが宰相まで上り詰めただけはあるな)
佑海は相槌を打つ。
「確かに、兵士は今まで見た事もないほど動揺していた。それに、あの狛馬の戦闘力がわからない。もしかしたら、あの狛馬だけで勝敗が決まりかねない」
「はっ、禁軍が聞いて呆れるな。一匹の狛馬に翻弄され、ここまで気弱になるとは。だがわしはそんな気弱な奴らとは違う。今まで非情な行いをしてきた自覚は十二分にある。相手が民衆だろうと天帝だろうと、事を構える覚悟はとうにできている」
「……彼らを罠に嵌める気ですか?」
予想していた事だが、佑海は敢えて聞いた。
「わざわざ囚われに出向いてくれるのだ、この機を逃すわけないだろう」
「それは、あの光景を目にして天彾の存在を確信した者達から大いに反感を買うでしょう。それに、相手は千寿とあの銀の狛馬です。そんな相手に何か仕掛けて、あなたが無事であるはずがない。申し訳ないが、千寿殿からあなたを守れる者はいない」
「ふん、知略を弄すれば、あの腕力馬鹿など、恐るるに足らん」
小蛇は侮られがちだが、佑海からすればこの城内で誰よりも策と交渉に長けている者だった。だがこの男は、こと千寿に対しては冷静さを失うきらいがある。
「しかし国王は千寿殿を手元に置きたいのでは?」
佑海が冷静に指摘すれば、小蛇は押し黙る。
そのまま無言で歩き続け、二人は豪奢なドアの前で立ち止まった。
小蛇がノックして名乗ると、内側から扉が開く。
儀礼的な挨拶をすればすぐさま顔を上げるように声がかかった。
組んだ手に顎を乗せ、鋭い眼光で睨む男が目に入った。
「申し開きを聞こうか」
低く、威圧感のある声だった。
世間では愚王扱いする声も多いが、実際目にすれば、人を怯ませるこの目が、侮りを覆す。
「文武の責任者が揃って反乱軍を無傷で返すという、信じがたい報告を受けた」
「天彾を名乗る娘が、銀の狛馬を従えておりました。私共だけでは、ここで開戦として良いのか、判断がつきませんでした」
怯む事なく小蛇が前に出た。暗に王の裁可がなかった事を指摘している。
佑海は内心冷や汗をかいたが、小蛇は臆することなく王の目を見つめ返していた。
「天彾を名乗る娘?それはさぞ美しい娘だっただろう」
(またこの王は、こんな時まで……)
佑海は内心呆れた。
煌王が美しいもの、珍しいものに目がないことは今では周知の事実だ。
ただそれは、純粋な美の追求であって、色欲では無い。
「いえ、街ですれ違っても記憶に残らぬような、凡庸な娘です。しかし、従えていた狛馬は、この世のものとも思えぬ、雄々しく美しい佇まいでした」
小蛇はそう言って、あっという間に王の怒りを逸らしてしまった。
「ほう、それはぜひ見てみたいものだな」
「お望みならば見せてやろう。戦場に顔を出しもしない無責任な王よ」
とんでもない発言に、その場の全員が息を呑む。
声の主は、いつの間にかその場に現れた銀河だった。
「人の身でありながら、身に余る力を手にした者よ。これ以上の非道で愚かな行いには、天帝の鉄槌が下るだろう」
煌王のこめかみに血管が浮く。
「その尊大な態度は看過できぬな。そなたは余と同じく銀位に位置する者だ。そなたと余は対等な筈だ」
侮られる事など経験した事のない王は、見上げる大きさの狛馬を睨み返す。
「人の世の理なぞ知らん。その地位が俺の牙と爪からお前を守ってくれるのか?」
そう言って銀河は牙を見せながら一声唸った。
誰もが硬直して動けないでいる。
「いいか、決して我らを謀るような真似はするな。天は武力よりも話し合いをもってこの現状を解決することを望んだ。勘違いしているようだから教えてやるが、選択の余地はこちらにあり、命拾いしたのはお前達だ」
銀河はゆっくりと首を動かし、佑海を睨む。
「約束を違える事は許さぬ」
桜に対し、捉えた者に手荒な事はしないと約束した事を指していると理解し、佑海は静かに頷いた。




