16 影から動かす者
「第三部隊はさっさと門を開けて橋の者を避難させてやれ!。第四部隊は西側に集まってる焼け出された者の救助に向かえ!」
城の物見台から佑海があちこち指示を飛ばしていると、一人の男が駆け込んできた。
「佑海副将へご報告申し上げます。宰相閣下より、国王の勅令を賜りました。門を閉じ、民を一人たりとも中へ入れるな、火の勢いが収まるまで無闇に街に入るな、との事です」
男は上司の顔を直視する事ができず、俯いたまま一気に言い切った。
「なん、だと」
優秀な部下が、一語一句違える事なく報告している事に疑いはない。
しかし、問い返さずにはいられなかった。
「左玄、小蛇の奴は、この現状を把握した上でそのような発言を?」
左玄と呼ばれた男はギュッと目を瞑ると、悔しさで声を震わせながら続けた。
「……はい、宰相閣下は、民の中に反乱軍の残党が紛れている恐れがあるので、決して門をあけず、鎮火するまで無闇に動く事がないようにと」
普段飄々として狸などと揶揄される佑海も、表情を取り繕うことを忘れて呆然とする。
「馬鹿な……、馬鹿な!では国王は一体今何をなさってるんだ!」
「国王は、委細宰相閣下に一任し、自身は書斎にて執務との事です」
「こんな時に、執務だと……」
抑えきれない怒り、不信、虚無、さまざまな感情が溢れ、声が震える。
「ならば……」
——もう何もかも捨てて、民を助けに行こう——
佑海は何とかその言葉を飲み込んだ。
地位を捨てた佑海が助けられる命など、この大火の前に微々たるものだと気づいたからだ。
「……わかった。指示は全て撤回する。門をこじ開けようとする者は放置していい。どうせ開くわけはないからな」
佑海は抑揚のない声で指示を出すと、燃え盛る城下町を見た。
この国の一番高い場所。
そこからは、城内だけでなく、城壁の向こうの城下町まで一望できる。
先程まで迫り来る炎に焦燥感だけが募っていたが、今は別世界の出来事のように、急激に現実味を失った。
この王に仕えてから数えきれない程の無力感を味わってきたが、ここまで打ちのめされたのは初めてだった。
「すまない、どうか許してくれ」
この地位に着いて、何度口にした台詞だろうか。
しかし佑海は、誰からも許しは得られない。なぜなら謝罪の相手は、みなもうこの世にいないのだから。
身動きできず、ただただ苦しいその身を、いっそその炎に投じてやろうかと考える。
「全て終われば、罪を償うと誓おう」
全てが終わる、そんな日がくるとは思えない。しかし佑海が縋れるのはもうその願望だけしかないのだ。
——秋斎様、こんな役割を自分に押し付けたあなたを恨みます——
佑海はふっと息を吐くと、左玄を振り返った。
「天彾様はどうしているんだ?」
佑海の問いに、左玄は再び硬直する。
「天彾様は……、先ほど湯浴みと聞きましたので、そろそろお休みになられる頃かと……」
沸騰するような怒りはもうない。呆れと怒りを通り過ぎて、頭の芯まで冴え冴えとしていた。
「こんな時に湯浴みだと?この現状を誰も伝えてないのか?」
「湯浴みに向かわれる所に出会し、私から直接奏上いたしました」
「あの女はそれを聞いて何と言ったのだ」
左玄は拳をギュッと握る。
「まず、直接話しかけた私に大変厳しい叱責がありました。その後、強い口調で仰られました。『今日はもう遅いので明日考えます。私がこの世界に来たのだから、これから民に大きな幸福が訪れるでしょう。慌てなくとも、民の安寧は約束されているのです』と」
「馬鹿な!明日までにどれだけの人命が失われると思っているのだ!今こそ天の助けが必要な時ではないのか、あの偽物女め!」
橋の上に残された者は、背後を火に囲まれすでに逃げ場はない。
幅三十米ほどの川幅に合わせて作られた橋は、それなりに強度はある。だが一度火がつけば簡単に燃え落ちるだろう。
火が飛び移るか、火だるまとなり錯乱した者が橋に押し寄せるか、橋が落ちてかなり水深のある川で溺れるのか。
どの道橋の上の者達に未来はない。
「しかし、あの方を鏡の間から連れ出したのは副将です。本物と断じての事だったのでは?」
責める口調でなく、左玄は純粋に疑問を呈しているようだった。
「……」
佑海が答えあぐねていると、その無言を左玄は肯定と解釈したようで、さらに続ける。
「あの方は天鏡の間に突如現れ、先代天彾様の日記を読む事ができました。お話しされる世界観も、およそ我々では考えつかない事ばかりです。だからこそ誰もが本物の天彾様と信じたのでは?」
「天鏡の間に現れて、日記が読めるから何だと言うのだ。民に寄り添う気がないのなら、民を助ける力があっても使う気がないのであれば、いないものと一緒だ。……本物の天彾とは、いったい何なのだ」
佑海は僅かな同情心から、天鏡の間の扉の前に倒れていた娘を、天鏡の間に放り込んだ。
放置すれば娘は処刑を免れない。それに佑海自身も警備の不備を叱責させるのが目に見えていた。
どんな手段を使っても、今はこの地位を失うわけにはいかなかった。
結果、どんな手を使ったのかわからないが、彼女は試験を通過し、天彾と祭り上げられる事となった。
「副将……」
「もういい。ここでおまえと議論する気はない」
「いえ、何かが凄い速さで月影門に向かって飛んでいきます」
左玄の視線を追って、人が溢れる門の辺りに目を凝らすが、佑海は何も視認する事は出来なかった。
そもそも、ここから見える大きさで飛翔する物など、考えつかない。
しかし左玄の報告を無視してはいけないと、佑海は長年の経験から知っている。
「左玄、一体どんな物が見え……」
程なくして、ここまでかなりの距離がある月影門から、何かを激しく破壊した音が聞こえてきた。
左玄が目を見開く。
「まさか門が……」
「開いたようだな」
遠目でも、門から民衆が雪崩れ込むのがわかる。
「宰相閣下に報告は」
「まだしなくていい」
左玄は、ですよね、と呟き佑海の指示を待つ。
火災の報告を受けてから、門は全て閉鎖されている。何者かが侵入したという報告も上がっていない。
(一体どうやって……)
佑海の勘が、これまでにない波乱を予感していた。
「左玄、行くぞ」
逸る心を抑え、佑海は階段を駆け降りた。
◆◇◆
「いたぞ」
銀河は静かに歩哨に着地した。
教えてもらわずとも、桜がその後ろ姿を見間違える事はない。
歩哨から街を見下ろす琢磨に向かって、桜は声をかけた。
「柳楽さんはどこですか?」
弾かれたように振り返った琢磨は、突然背後に現れた桜と銀河を見ると目を見開いた。
「なん……、なんだお前。いったいどうやったここに来た」
「飛んできました」
「……飛んで?」
琢磨が、宇宙人でも見るような目で桜を見つめた。
「はい、西側の城壁を越えてきました。でもそんなことどうでもいいんです。柳楽さんはどこですか」
「……どうでも良くはないだろう……」
しばし沈黙したあと、琢磨は余計な思考を払うように首を振った。
「なぜ俺に聞く?柳楽の居所など俺が知るわけないだろう」
「惚けないでください。あなたがした事は全部知ってます。銀河も見てました。ねぇ、銀河」
銀河はチラリと桜を見て、また琢磨に視線を戻した。
「……」
「ねぇ、何で喋らないの?」
「……」
「お前、狛馬が話し相手なのか」
ツンと澄ました狛馬をペシペシと叩く桜を、琢磨は蔑みの中に僅かに憐みを含んだ顔で見ていた。
「いや、ちが……。と、とにかく、私はあなたが朱源郷で柳楽さんを裏切った事を知っています。反乱軍の人を建物に閉じ込めて、火を……、つけて……」
先程の光景が瞼に浮かび、声が詰まる。
「そして、柳楽さんを連れて行ったでしょう。柳楽さんはどこですか?」
琢磨は僅かに驚く様子を見せたが、すぐに表情の抜け落ちた顔になった。
「柳楽は死んだ」
「え?」
それはいつもの、桜を小馬鹿にする男の顔ではなかった。
「で、でも……、反乱軍の首謀者は拷問されて、首を晒されるって……。まだ生きてる筈でしょう?」
何とか震えを抑えて、声を絞り出す。
たとえ拷問を受けていたとしても、まだ命はある筈だ。
「柳楽の知っている程度の事は俺の頭に入っているから拷問など必要ないと言ったら、あいつら、護送が面倒だと言って柳楽を切りやがった。自分たちが無人になった家を物色するために柳楽が邪魔だったんだな」
くらりと目眩がした。
警邏が火事場泥棒など世も末だが、十分有り得そうな事だった。
「じゃあ……、柳楽さんはあの火事の中に取り残されて……」
「刺された時点で虫の息だった。この火の中じゃ、もう生きてはいない」
そう言って再び街に目をやる琢磨の横顔を、迫り来る炎がくっきりと浮かび上がらせた。
嘲笑や怒りの消えた目で、琢磨は燃え盛る街を静かに見下ろしていた。
それは桜が今まで見たことのない、人間らしい表情だった。
「柳楽さん……」
今から助けにいく、とは言えなかった。
炎は未だ衰えず、猛り狂って街を燃やしている。
せっかく琢磨を見つけたのに、何もかも手遅れだ。
桜はギリっと歯噛みし、琢磨の顔を睨みつけた。
「あなたは、自分が何をしでかしたかわかってるんですか?罪のない人達を火事で犠牲にして、あなただってそのうち捕まる筈です」
桜の言葉にゆっくりと振り返った琢磨は、いつもの人を見下すような笑いを浮かべた。
「国王からは、お褒めの言葉を頂いたよ」
桜は目を見開く。
「そんなわけ……、反乱軍を捕えたって、街が火の海になったら意味ないでしょう!」
琢磨は顔を歪め心底可笑しそうに笑った。
その表情に、背中がゾクリとした。
「馬鹿かお前は。街を、人を焼かれて憤るほどまともな王なら、今この国がこんな状態なのに放っておかれるわけないだろう?火事ごときで騒ぐなと、報告を受けても執務室から出てこない。俺は国王の腰巾着の宰相から確かに国王のお言葉を頂いた。良くやったと」
「うそだ……」
反乱軍を捕まえたって、自分の治める街を火の海にされて褒める国王などいるわけがない。
なのに琢磨の自信たっぷりの様子は嘘をついているように見えなかった。
「自分では賢王であるつもりだろうが、あれはもうまともな思考など出来ない、ただの張りぼてだ。あの狂った国王が、なぜ女性を絵画のように飾るか知ってるか?」
「なぜって……」
唐突な話題の転換に、桜は戸惑いながらも答える。
「明確な理由なんてあるんですか?今あなたが言った通り、狂ってるからでしょう?」
「いや違う。女を集め始めてから狂いだしたんだ」
桜は意味がわからず琢磨の顔を見つめた。
可笑しそうに話す琢磨は、どこかネジがはずれたようで不気味だった。
「国王は芸術を大変愛している。それはもう、幼い頃の厳しい教育に耐えるため、拠り所とするくらい」
桜は納得いかなかった。
柳楽から聞いた話によれば、国王は芸術を嫌悪しているはずだ。
美しい絵を上納しようとした美術商が処刑されたとの話もある。それ以来、国王に絵画はタブーだと。
現実離れした高い関税が、王の胸中を反映していることを商人はみな承知している。
「国王は芸術品に物凄い税金をかけて、実質流通を禁じている筈です。芸術を憎んでいるんでしょう?」
どうやら桜の言葉が欲しい答えだったようで、気を良くしたように琢磨はまた笑う。
「ははは、お前もその辺の馬鹿どもと同じ、国王の本質を全くわかっていない。あんなにわかりやすいのになあ。あの哀れな国王は、芸術を心の底から愛している。なのに自分は手を出せないから、絵の代わりに女を飾るんだ。そうやって自分が芸術作品を作り上げたつもりになって、自分を慰めて、惨めだと思わないか?」
これまで何度聞いても納得出来なかった、女性を飾るという言葉。
その意味がようやく少しだけ理解できた。
国王にとって、女性は絵画や彫刻の代替品だったのだ。
「でも、なんでそんな事。国王が芸術に手を出せないなんて、そんな筈ないでしょう」
「出せないんだよ。なぜだか教えてやろうか?」
もったいぶった琢磨の話ぶりに時間のない桜は苛立つが、しかし聞かずにはいられなかった。
「教えてください」
果断で優秀なのに歪んだ王、愚と賢どちらとも評されるこの王を理解する機会は、今を逃せば永遠に失われる気がした。
この国の頂点に君臨した男を狂わせたものは何だったのか、自分がこれから何と戦おとしているのか、桜は知りたかった。




