15 民にとっての天彾
「銀河様、桜に協力してくれるのですか?」
由羅の問いに、銀河がブルリと震えた。
「やめろ、なんだ銀河様って。しばらく隠居生活していただけで、俺の扱いはどうなったんだ」
「伝説になってるよ」
桜は思わず突っ込んでしまった。
銀河は悩ましげな(と思われる)表情で首をフリフリした。
「まあ、あれだけ存在感を示してしまえば、無理もないか。確かにその辺の狛馬と俺は次元が違う。だからと言って驕るつもりはないがな。二〇〇年前のあの出来事は、俺の多大なる働きが伝説たらしめるほど……」
陽也の隣で静かに佇んでいた、威厳に満ちた狛馬はどこへ行ってしまったのか。
桜は少し残念な気持ちで銀河を眺めていたが、由羅は深く考える事をやめたようだ。
「銀河、どうやって城壁を越えるんだ?」
「俺が連れて行ってやる。二人とも俺の背に乗れ。城内に入ってから白斗を呼んでやればいい」
桜は意味がわからず首を傾げる。
「最初から白斗に乗って行ったらいいんじゃないの?」
「白斗が由羅を乗せたまま城壁を越えるのは無理だ。だが白斗だけなら冥道を通ってどこへでも行ける」
その理屈なら、銀河も同じではないか。
いったいどうやって城壁を越えるのかわからなかったが、乗りやすいよう膝を折ってくれたので、桜は銀河に跨った。
銀河が立ちあがろうとした時、背後から声がかかった。
「桜、待ってくれ!」
振り返ると、数人が何やら荷物を抱えて雑木林に雪崩れ込んで来るところだった。その集団の中に、一郎の姿があった。
一郎は、桜に駆け寄ると、息を整えながら手を差し出した。
「桜、お前の剣持ってきたぞ」
一郎の手には、鞘に兎の描かれた白い剣が握られていた。
「一郎さん、無事で良かった。ありが……」
手を伸ばして剣を受け取ろうとした桜は、驚いて言葉を失った。
一郎の服に、暗がりでもわかるほど大量の血が付いていた。
「一郎さん、怪我したんですか!」
「ああ、これ」
一郎が、胸の辺りの血の付いた部分を手でつまんだ。
「俺の血じゃない。店のもん盗みにきた奴らとやり合ったからな。人って斬ったらあんなに血が出るんだな」
へらりと笑う一郎だが、剣を差し出す手が震えていた。よく見ると顔色も悪い。
桜は一郎の震えに気づかないフリをして、差し出された剣を受け取った。
「ありがとうございます、大切な剣を守ってくれて。今度何か奢りますね」
「いらねーよ。弟の物を守るのは兄として当然だ」
桜は可愛く花の形に結ばれていた帯を解き、腰にキツく巻き直した。そこへ剣を差す。
「桜、用意はできたか?」
銀河が立ち上がりながら桜を促す。それを聞いて、一郎が目を丸くした。
「え?今狛馬がしゃべっ……」
大きな銀河に跨って見下ろす格好になった一郎に、桜は力強く言った。
「気のせいです。では一郎さん、行ってきますね」
「え?いや、待っ……これは銀位の狛馬じゃ……え?桜、もしかしてお前は……」
「違います」
「いや、まだ何も言って……」
いくぞ、っと声をかけ、銀河が駆け出した。
あっという間に一郎が遠のき、眼前に城壁が迫る。
もの凄いスピードだった。
「落ちるなよ」
声をかけ、銀河がさらに加速する。
(え、まさか突っ込むの⁉︎)
衝撃に備えて反射的に目を閉じると、体がガクンと後ろに傾いた。
「「え?」」
かなり深い角度で、壁に沿って銀河が飛翔した。
「うわーっ!」
後ろに由羅がいなければ、桜は落下していた。
「あ、あぶ、危ないでしょ!落ちるとこだよ!」
「飛んでる……」
キラキラした目で足元の景色を眺める由羅を見て、桜は怒りをおさめた。
「俺は一度でいいから空を飛んでみたいと思っていた。凄いな、銀河」
「銀河以外にも飛べる狛馬っているの?」
銀河がふふんと鼻を鳴らす。
「今のところ、見た事はないな」
銀河は駆けるように飛翔する。羽もないのにとても不思議だ。
「何で銀河だけ他の狛馬とそんなに違うの?」
「さぁな、お前と同じ日本出身だからじゃないか?あちらの世界の生き物の方が、こちらの世界のものより強い」
向こうの世界で狛馬など見たことない。いったいどこに存在していたのだ。
「銀河は……」
さらに問おうとした桜の横を、ビュウと強い風が吹き抜ける。
遮るもののない上空には風が吹き荒れていて、会話もままならなかった。
銀河は少し高度を下げ、城壁に沿って駆けた。
外から見ればかなり距離があるように見えた東門の上空に、あっという間にたどり着いた。
門の向こうからは怒号や悲鳴が聞こえるのに、壁の内側にはたくさんの篝火や提灯に火が灯り、とても暖かい光景が眼下に広がっていた。
ふんわりと夕餉のいい匂いが漂ってきた。
「こんな時に、のんびり夕食なんて……」
「まさに対岸の火事だな。火が城壁を越えることはないから何とも思わないんだろう」
呟きながら、銀河が一気に下降する。桜はお腹の中からふわっと浮遊感を感じた。
予想通り、門の前には門番が
がいた。
(あいつは、やらなきゃ)
桜は、一郎の震える手から受け取った剣を抜いた。
派手に切る必要はない。このままの勢いで、頚動脈を数センチ切ればいい。
(ビビるな、いけ!)
「もの凄い脚力だ。銀河が味方につけば、負ける気がしないな」
言いながら、由羅も剣を抜き、構える。
「そうだな、飛行でもかなり速いが、冥道を使うともっと……」
銀河がしゃべりながら門番を吹っ飛ばして着地した。
「「……」」
「しかしあれは人を拒むからな。生きた人間が立ち入る世界ではない」
何事も無かったように会話し続ける銀河を横目に、桜は静かに剣を鞘に収めた。
飛ばされてぴくりとも動かない門番は見なかった事にして、桜は関に飛びつく。
外側から強く押されたせいで少し湾曲した関は、桜が動かそうとしてもびくともしなかった。
「桜、下がっていろ」
そう言うと、銀河は前足を振り上げ、全体重をかけて関に振り下ろした。
バキィッと物凄い音を立てて関が割れる。
急に目の前が開けた門前の群衆が、転げるように一気に雪崩れ込んできた。
「桜、危ない!」
「ぐはっ」
叫ぶと同時に銀河がタックルしてきて、桜は後ろへ吹っ飛ばされた。それをいつの間にか現れた白斗が、脇腹で受け止めてくれた。
桜は頭突きを食らった腹部を押さえながら、信じられない気持ちで銀河を見つめた。
「な、なにすんの……」
「桜、危うく群衆に踏みつけられる所だったな」
銀河が得意げに桜を見下ろす。
だからと言って、素直にありがとうとはならない。
危うく門番と同じ運命を辿るところだったのだ。
由羅の手を借りながら、桜はヨロヨロと立ち上がった。とりあえず任務完了だ。
「銀河、柳楽さんの居場所はわかる?」
「引っ立てられるところまでは見ていたが、その後はわからん。鏡のある部屋にいるなら、冥道を通って探す事はできるが」
「じゃあ探してみてくれない?まだ助けられるかもしれない」
「それより、琢磨に聞いたらどうだ?歩哨にいるぞ」
そう言って、銀河は上空を顎で指す。銀河につられて、桜は城壁を見上げた。
「あそこに、琢磨が?」
今、歩哨の上から、どんな気持ちで猛火に焼かれる街を眺めているのか。
「じゃあ、色々と話を聞きに行こう、由羅」
「待て桜」
銀河に飛び乗ろうとする桜の手を由羅が引いた。
「ここの者達を放ってはおけない」
由羅の目線を追えば、途方に暮れたような人々がこちらを見ているのに気づいた。
その中の中年くらいの女性が、何かに気づいたように突然声を上げた。
「あなたは天彾様ですね?どうか我々をお助けください!」
火傷と疲労でくたびれた様子だが、実際にはもっと若いのかもしれない。
「天彾様が降りて来られたぞ!」
「助けてください!天彾さま!」
女性の声を皮切りに、門から雪崩れ込んできた人々が、生気を取り戻したように桜の方を向いて口々に叫んでいる。
(え、天彾が来てる?)
この惨状にようやく駆けつけてくれたのかと、桜は後ろを振り返る。
しかし転がった衛士以外誰もいない。
怪訝な顔の桜に、由羅が静かに声をかけた。
「桜、お前の事だ。……そんなに目を大きくされても……。どう考えても桜の事だろう」
恐る恐る振り返れば、多くの期待に満ちた目が注がれ、桜は竦む。
「あの、私は……」
「天彾様、私たちこれからどうしたらいいのでしょうか……」
「天彾様、どうか私たちをお導きください!」
よく見れば、お使い先で出会った、見知った顔がいくつかあった。
(私が天彾なわけないって、わかってる筈なのに)
それでも信じたいのだ。わずかな希望に縋る人たちに、自分は天彾ではないと、とてもではないが言えなかった。
桜の胸に、ジリジリと焦りが募る。
琢磨をここで捕まえなければ、きっともう柳楽は助けられない。しかし目の前の人々を置き去りにはできない。
「銀河が琢磨の所に行って柳楽さんの居場所聞き出してくれない?それか琢磨をここに連れて来るとか」
「それはできんな」
きっぱり断られて、桜は驚いた。
「どうして⁉︎」
「俺はお前の狛馬ではない。今はいわばボランティアでお前を助けている。お前の命令で何かする事が天帝の理に触れないのか、俺には判断できない」
「門番を吹っ飛ばしたのに⁉︎」
「あれは、俺がやらなくてもお前達のどちらかがやっていただろう。琢磨と話がしたいなら、お前も一緒に来る必要がある」
「……っ!」
桜が決断できずにいると、由羅が民衆の前に出た。
「怪我のない者は重症の者に手を貸して、ここから西門まで歩いてくれ。西側の雑木林にはまだ火が回っていない」
指示を出した由羅は、桜を振り返った。
「桜、ここは俺が預かろう。琢磨のところに行ってこい。ただし無茶はするなよ」
そう言われても、その場を離れるのは躊躇われた。
城の警邏の者に見つかれば、見逃してくれるとは思えない。
桜は由羅の袖を引いた。
「私も行く。警邏に見つかったら、由羅一人じゃ危険だよ」
いくら由羅が強くても、戦闘能力のない全員を守りながら戦うのは無理だ。
「桜は柳楽さんを助けられるかもしれない機会を捨てて、後悔はしないのか?」
「それは……」
俯いた桜の頭を由羅が優しく撫でる。
「桜、詳しく話さなかったが、千寿や雷太、それから戦士村の仲間達と、いつでも決起できるよう準備してきた。今もう北門の向こうで、臨戦体制に入っている筈だ」
急な話に、桜の頭は追いつかなかった。
桜の知らない間に、もうそこまで準備は整っていたのだ。
「隊長は機を見て部下と共に西門から攻め込んで来る手筈だ。きっと怒りに立ち上がった大勢の民衆が後に続くだろう」
桜は由羅の顔を凝視した。とてもそんな物騒な話をしているとは思えない穏やかな笑顔を浮かべている。
「私は、何も聞いてない。どうしたらいいの?」
「桜はどこの作戦にも組み込まれていない。俺が桜を守りながら、やりたいようにさせてやるつもりだった。だが今は銀河がいる。桜を銀河に任せて、俺はここの人達を連れて隊長と合流する」
鼓動が早まって、息が苦しい。
(戦争が、始まる)
ここから西門まで、歩くとかなりの距離がある。国王軍が動き出した時、戦えない人達を抱えた由羅が一番危険だ。
「由羅、じゃあやっぱり私も一緒に行く。由羅が一番危険だよ。こんな状態で離れられない」
ここが戦場になったら、いま離れたら、もう会えないかもしれない。
由羅と別れることを想像すると、耐え難い胸の痛みに襲われた。
「桜」
優しい声で呼ぶと、由羅は桜を抱きしめた。
「心配してくれてありがとう。だが俺は桜の希望を叶えるために一緒に来たんだ。自分でできない分は、俺に任せてくれ」
桜はギュッと由羅にしがみつく。
「でも……、由羅を犠牲にしてまで叶えたい希望なんてないよ」
「俺は犠牲になるつもりはない。身の丈に合った分だけ助けるつもりだ。だからそんな顔するな」
そっと離れた由羅は、今まで見た事もないような優しい笑顔で桜を見つめた。
「琢磨に会う必要があると思うんだろう?それならその直感を信じた方がいい。銀河が桜を守ることは、天帝の意思には反しないだろ」
「それは大丈夫だ。天は今のところ桜を生かそうとしているからな」
「では、桜を頼んだ」
「ああ、任された」
由羅に促され、桜は後ろ髪を引かれる思いで再び銀河に乗った。
「由羅……」
「桜、また後で落ち合おう」
不安で、涙が溢れる。
柳楽を、街の人を、みんなを助けたいのに、力が足りない。誰よりも失いたくない由羅に、足りない分を負わせてしまっている。
ふわりと銀河が飛翔すると、あっという間に由羅が遠のく。
「由羅、由羅!すぐ追いかけるから、絶対に無事でいて!」
胸が痛くて、苦しかった。
この切ない胸の痛みの意味に、桜はようやく気づいた。




