第67話 魔術書探究クラブ(21)
「検屍官……検屍官が突飛なことを言うのは、いまに始まったことじゃないですがね。コリガン氏のホテルの部屋を捜査なんて無茶です。こいつだけじゃ令状なんかとれませんよ」
大急ぎで検体の分析結果をまとめ、首都警察の書類に書き起こして、証拠書面として完成させたものを、ソフィアがレストラードに届けることができたのは、木曜日の昼過ぎだった。
約束を取り付けていないので仕方がないことだが、レストラードが午前中、庁舎を不在にしていたからだ。
「そこをなんとか……っ」
「無理なものは無理です。魔力を持っていて魔術の知識がある人間が、この首都に何人いると思っているんです? 魔術大国アルビオンである、この国の首都に!」
「それは……」
「珍しいといっても、百は超えるね」
口ごもったソフィアの代わりにコンラートが答えれば、話にならないとレストラードは庁舎内の応対室の天井を仰いだ。
簡素なテーブルセットのソファに座り、ソフィアとコンラートはレストラードと向かい合っていた。テーブルの上にはソフィアが作成した書類が広がっている。
「で、でも。学校関係者で該当する人はコリガン講師しか……」
「お忘れですか? いま捕まってる羊殺害犯にして金貨窃盗疑いの男は場末のパブで儀式のことを聞いたんですよ。それも変装した」
いくら儀式の内容と『魔術書探究クラブ』の活動履歴の共通項を挙げたとしても、偶然の一致かこじつけに近い憶測でしかないと、レストラードは険しい顔で言う。
「大魔導師殿のお言葉通り、百も超えるならですよ。せめてコリガン氏の毛髪と照合結果くらいはなきゃ、事件への関与なんて認められない」
ごもっともな言葉に、ソフィアは黙るしかない。
「そもそも、まだ起きちゃいない魔術犯罪なんて、頭の固い連中はそうそう頷いちゃくれませんよ。いいですか? これまではご遺体があって、証拠なり、状況説明をぶつけての犯人の自白なりがあっての逮捕だったでしょう?」
「……その通りです」
「起きてもない犯罪を認める犯人なんざいない」
「警部、そのくらいで」
悔しさに唇を噛み締めるソフィアを見て、コンラートがレストラードを止めた。
「フィフィ。警部だって意地悪で言っているのじゃないよ」
「わかってます。警部が正しいです……」
「ご理解いただいてるなら、いいですよ。私だって、なんでも聞いてるわけじゃない」
「はい……」
「ああっ、まったく! 私が、検屍官を虐めたみたいじゃないですか……勘弁してくださいよ……」
止められたとしても、コリガン講師に否定されたら裁くのは無理かもしれないとうなだれたソフィアに困り切った声音でレストラードがぼやく。
「警部は悪くないです……」
「見た目の問題ですよ、見た目の……で、どうするんです?」
「え?」
「現場を押さえに行くんでしょう?」
そうだ、これから現場を押さえに行く。
ソフィアは昨日のことを思い返した。
◇◇◇◇◇
水曜日の朝、すぐに学校のレディントン教授の元に電報を打ったが、その日の午後になっても返信がなかった。
前子爵夫妻と親交がある教授もまた葬儀に行ったのだ。コンラートが教授のことだから、落ち着いた頃を見て、弔問に出かけるだろうと言った。
学科の主要な教員が学内に残ることを考慮して、コリガン講師と入れ替わりに行くのではないかと――だとしたら、とホテルに電話をかけて確かめた。
『戻っていたよ、けれどアシュリーは体調が悪いようで取り継げないと言われた』
『まさか……もう手遅れ……』
『いいや、その心配はない。それだとコリガン講師が怪しまれる』
コンラートの言葉に、ひとまずほっとして考え思い至った。
『師匠、もしかして……』
『丁度、第一木曜日だ』
コンラートも同じ考えに至ったようで頷いた。
木曜日、『魔術書探究クラブ』の会合日は、第一と第三木曜日だ。
『わざわざ通常とは異なるようなことは避けるはずだ。アシュリーが首都にきていたのは祖母のお見舞いのためだったのだから、タイミングとしてもこれ以上ない』
『じゃあ、明日です!』
◇◇◇◇◇
こうして検査結果を証拠書類にし、レストラードに先手を打って動いてもらえないかと頼みに、首都警察の庁舎を訪ねていまに至る。
無理だったけれど。
「ですから! 現場で、その……なにか押収してくれるなら話は別ですよ!」
そっぽ向いて、腕組みしたレストラードにソフィアは顔を上げた。
「なにかって?」
「令状取れるようなものですよ……なにかないんですか? 魔術道具の短剣とやらに仕掛けをしてるんでしょう?」
「はい、たぶん……劣化しやすいものを定着させる魔術を使って――あ!」
小さくソフィアは声を上げた。
そう、きっと魔術がかかっているはずだ。
テッドがスケッチしたあの短剣には。
時間をかけてアシュリーを害するものを維持するために。
「……ええと……一致はしない、かもだけど……」
「フィフィ?」
「警部! その人の持ち物からとっても近い、疑わしいものが検出できたら動けますか?」
「微妙だが……事情聞くのに引っ張る程度なら……」
「できますか!?」
ソファから身を乗り出したソフィアに、至極迷惑そうな顔をして沈黙したレストラードであったが、じーっと彼の顔を見つめる彼女に降参の手を挙げた。
「出来る限り、尽力しますよ……」
「はい! 明日の朝に持ってきますので、お昼より前にお願いします」
「はあ!?」
大急ぎで分析を終えれば明朝には渡せるはずだ。
アシュリーに父親が警察に捕まるところを見せたくない。
それは父親が、遺産のために娘を害そうとした事実を突きつけることだから――。
「フィフィ、もう二時半だ……あまりゆっくりもできないよ」
コンラートが白ローブの中から時計を出して、ソフィアに時間を知らせた。
「ここからなら、馬車を拾って急がせた方が早いだろう」
「はい。警部、よろしくお願いします!!」
「いや、よろしっくって……検屍官!?」
◇◇◇◇◇
午後三時の開始時刻から、お喋りで一時間近くが過ぎた。『魔術書探究クラブ』の会合は、メンバーの学生達にとっても初めての試みに進もうとしていた。
「じゃあ、早速片付けて準備しようよ!」
コリンの掛け声に、まだ少々困惑気味とはいえウィリアムやルイスも立ち上がる。
アシュリーが「魔術をやってみたい」と言い、聖魔術の儀式を実践することになったが、コリガン講師の目を盗み彼女を巻き込んでいいのか躊躇いがあった。
「写真出してきてよ、ウィリアム。昨日持ってきてどこかに片付けただろ?」
「う、うん……だって、フィルムはクラブ費で買ってるから……アシュリー本当にやるの?」
アシュリーは頷いた。
コリンが話してくれた仔羊の儀式の事件だって、“生贄”が金貨になったわけではないけれど、金貨を手に入れられたのなら魔術は成功しているように思える。
テーブルの上のお茶やお菓子をティーワゴンやサイドテーブルに片付けて、ウィリアムが戸棚から出してきた写真の束や、魔法陣を床に描くチョークを並べる。
「写真で見たら祭壇はいらないのですね」
「魔法陣を描くのはテッドがいいな。絵が上手いから」
「術者役は?」
「詠唱とかそういうの得意気にやれるのはコリンだろ」
ルイスとトニーが話し合って役割分担を決めていく。
「思ったより簡単な魔法陣だ、これなら描ける」
「図解が多いのは助かりますね、文章もそんなに難しくない。これならコリンも読めるでしょう」
「シュタウヘン先生が、いまも出版されてるって言った。内容が難しくないからかな?」
「ね、ねえ。みんな本当にやるの?」
念を押すようにウィリアムが他のメンバーに確認したが、もう床に魔法陣を描き始めている。やらないなんてことはない。
いつもなら語句や図形の意味を一つずつ調べていくが、今日はそんな必要はない。
ただ書いてある通りにやってみるだけだ。
皆でわいわい言いながら、着々と準備は進み、あっという間に用意できた。
「アシュリー、こっちに来て」
皆が魔法陣の周りに集まり、詠唱の呪文の部分の写真を手に、魔法陣の中心に立ったコリンがアシュリーを呼んだ。
いそいそとアシュリーは魔法陣の中に入る。準備する皆の高揚感に彼女もすっかりあてられていた。
「僕と向き合うように立って、そう。それで……短剣を」
「どうぞ、姫君」
テッドが恭しく膝をつき、両手で華奢な短剣を捧げるようにアシュリーに差し出した。小さな白い手で、それを手に取る。
「それから、どうするの? 僕が詠唱して終わり?」
「本の手順では、“血を一滴、守護の剣に捧げて唱えよ”」
「え、僕の? 痛いのは嫌だよー、トニー替わってよ!」
「一滴ぐらいどうってことないだろ? タイピンでちょっと指を刺せばいいんだよ」
「えー……ひどいなあ」
どうってことないなら、自分でやってよ……と、ごねるコリンを見ながら、アシュリーはふと思いついて、ルイスに尋ねた。
「血がいるの?」
「アシュリーは気にしなくていいですよ」
「でも……“れいばい”の血ではだめ?」
「ダメに決まってるよ、アシュリー! 痛いよ! 怪我するんだよ!」
ウィリアムが彼らしくもなく声を張り上げる。
「僕の時は反対しなかったのに……」
「どっちもだめだよ! やっぱりやめよう。こんなの馬鹿げてるよ!」
「でも――」
お父さまは、アシュリーの血は特別だって言った――胸の内で呟いて、アシュリーは短剣を握っていた手をそろりと動かした。
剣の先に少し触れるくらいなら……お裁縫の練習でうっかり手に針を刺すのと変わらない。
「あ! いけない、アシュリー!」
いち早く気がついたウィリアムが叫んだ時、廊下からバタバタと慌ただしく掛けてくる足音がして、バンッと部屋のドアが勢いよく開いた!
「っ! 短剣から手を離して!」
室内に響き渡った声に、反射的にコリンがアシュリーの手から短剣を離して、床に捨てた。
抜こうとしていて、鞘が少し柄から浮いていた短剣は、床に落ちた衝撃で半分抜け、クルクル回りながら床を滑る。
入口間近で止まったそれを、すらりとした黒革の手袋をつけた手が拾い上げた。
「フィフィ」
たっぷりした白絹のローブの袖が揺れる。
短剣を持ち上げる黒い手の主は、アシュリーにも五人の少年たちにも意外な人物であった。
「シュ、シュタウヘンッ先生――っ!」
「シュタウヘンさま……?」
ウィリアムとアシュリーの声が重なって、現れた大魔導師コンラート・シュタウヘンはにっこりと微笑んだ。
「ま、間に合った〜〜っ」
はあはあと息を切らしながら、コンラートのすぐそばでへなへなと崩れた少女が情けない声で叫ぶ。
羽織っている褐色のローブがたわんで布の塊みたいになっているが、少女は大魔導師の弟子のソフィアであった。
「フィフィ、しっかりして。まだ仕事は終わっていないよ」
アシュリーを始め、他の五人の少年達もあっけに取られている中で、コンラートが優雅な所作で手を差し出し、床にへたり込んでいるソフィアを引き上げる。
「はい、師匠」
そう言って、彼を見上げた彼女の榛色の瞳は、光の加減か金色がかったように見えた。
「間違いありません。魔術です――」
コンラートが手に持っている短剣をじっと見てソフィアは、アシュリーと少年たちへと振り向いた。
「これはわたし達が預かります。とっても危険な魔術道具だとわかりました! これは魔術に関わる者として、善良なアルビオン臣民としての義務です!」
「え!? あ、あのっ、ミス・レイアリング!?」
義務と聞いて、ルイスが疑問の声を上げる。
その声に、ローブを翻してくるりと背を向けてたソフィアが引き留められたように、少しばかり振り返った。
「とっても急いでいるので、わたし達はこれで失礼します! 皆さんも、早く帰ってくださいね。途中で追い越したので、アシュリーのホテルのお迎えも、もうすぐ来ると思います!」
早口でそう言って、突然現れた大魔導師とその弟子は、現れた時と同様にまたバタバタと慌ただしく出ていってしまった。
「……なんだったんだ、一体?」
あまりの突然の出来事にアシュリーも五人の少年たちも、取り残されたようにぽかんとしていたが、トニーの呟きになんとなく我に帰る。
「……お迎えももうすぐ来るみたいだよ、アシュリー。門まで送るよ」
ウィリアムがそっと声を掛けたのに、アシュリーは頷いた。
なんだか悪い夢から覚めたような気分だった。
他の皆も似たようなものだったようで、「帰るか」「そうですね」「皆でアシュリーを見送ろうよ」「そうだね」と口々にいって片付けはじめた。




