第66話 魔術書探究クラブ(20)
「いいね、アシュリー。パパがいなくてもお行儀よく。いつも言っていることを忘れないで。高貴の血を引く自慢のお姫様。気品を忘れずに、お出かけ前のキスを」
父親の学校を訪れる時はいつも同じだ。父親と一緒に事務室で手続きして、クラブハウスへ、部屋に入り、少し年上の少年達の歓迎を受ける。
いつもと少し違うのは、今日は父親は側にいない。
出入り口の近くで、父親から注意され、お別れの挨拶で頬に軽く口付ける。
「それじゃあ、諸君。くれぐれも頼むよ」
「お任せください」
アシュリーの背丈に合わせて屈んでいた父親が立ち上がり、彼の生徒に教師然とした調子で声をかけた。
眼鏡をかけた気取り屋のルイスがそれに応えて、アシュリーに手を差し出す。
「さあ、こちらへ。アシュリー」
気取り屋だが一番丁寧にアシュリーに接してくれる少年だ。
ルイスに手を引かれてテーブルへ向かう途中、彼女は小さく父親を振り返った。しかし父親はもう背を向けて、ドアを閉めたところだった。
「アシュリーいらっしゃい。お祖母様のこと残念だったね……元気を出して」
アシュリーを妹のように気遣ってくれる、ウィリアムが彼女の椅子を引いてくれる。アシュリーはお礼を言って、椅子にかけた。
テーブルの上には、フルーツケーキと温めたミルクのカップが用意されていた。
そう決められているように、ルイスがミルクをカップに注いでくれる。
「どうぞ、アシュリー」
「ありがとう……」
アシュリーの左右に少年たちの席はあった。
左側の一番奥、窓に近い席にトニーがいる。少し強引だけど優しくて、アシュリーが志望している寄宿学校のことも教えてくれた。
親戚の女性が卒業生で、休暇中に話を聞いてきてくれたのだ。
「まずは、お茶を楽しんで。アシュリー」
号令をかけるのはトニーの役目だ。
「今日はこの後、面白い計画をしてるんだ」
「アシュリー、魔術道具があるんだ。とても綺麗なものだから後で見せてあげる」
右側の奥の席に座っているコリンは、いつも面白い話を聞かせてくれる。
手前のテッドは絵がとても上手で、アシュリーのスケッチを描いてくれた。
「魔術道具?」
「君のお父様が、僕たちに貸してくださったんだよ」
「テッド見せるだけだよ」
「わかってるって。ウィリアムはうるさいんだから」
今日は父親がいないからだろうか。それともアシュリーを元気付けようとしてくれているからだろうか。なんだかいつもよりくだけた楽しい雰囲気だった。
屋敷では家庭教師と、首都のホテルではメイドと共にいる間は、息が詰まるような時間を過ごしているアシュリーは、数日ぶりに小さく微笑んだ。
ここには大人はいない。子供だけのお茶会だ。
「――それでね、なんとそいつの手元には金貨の袋があったんだよ!」
コリンが、身振り手振りを交えながら、学校で夜の間に魔術儀式が行われた事件を聞かせてくれた。
「羊が生贄になって、土が金貨に変わったの?」
仔羊が生贄にされたと聞いて可哀想だと思ったが、金貨と聞いてびっくりしたアシュリーが尋ねると、コリンは首を横に振った。
「ミス・レイアリングが言うには、“生贄”では金貨は出ないそうだよ」
「ソフィアが? そうなの?」
「死んでしまうと反対に力は得られないそうですよ。そんな説明でした。フルーツケーキもう一切いかがですか?」
ルイスがお茶菓子を勧めたのに、アシュリーは首を振って断った。
フルーツケーキは好物だからこそ、アルドリッジのお屋敷でシェフが焼いてくれて祖母と楽しんだ思い出がある。一切れ食べる間に、胸が一杯になってしまった。
「“生贄”は効率が悪いって、僕たちも前に調べた」
「がっかりだよね……なんにもならないなんて、羊が可哀想だ。白い毛が柔らかで可愛いい仔羊だったんだよ」
トニーの言葉に乗じて、コリンが残念がっているが、アシュリーにはなんだかおかしな残念がり方に思えた。
「金貨になっていたら、残念じゃなかった……?」
ミルクのカップを両手にアシュリーが首を傾げれば、うーんとコリンは難しい顔になった。
「それなら、貴い神秘の犠牲だよ」
どこかうっとりした声でテッドが言った。
アシュリーは仔羊を惜しんで難しい顔をしたコリンの方がいいと思った。
「それでも、可哀想……」
「アシュリーは女の子だね。お父様は魔術の先生でお母様はアルドリッジ家なのに」
「魔術のこと、よくしらない……」
たしかに父親は魔導師で、母親の実家アルドリッジ家も魔術分野の事業と関わり、沢山のお金を得ていることくらいは知っているが、それくらいだ。
「あ、アルドリッジ工房はすごく大きな会社なんだよ。いまはアルドリッジ家じゃない人が事業主だけど、特許の大半は、君のお祖父様からアルドリッジ家が引き継いでいるんだ」
「“とっきょ”?」
「発明の権利だよ。他の人がその発明のものを作ろうとしたらお金を払うんだ」
「労働でなく、知性で利益を得るのは紳士的ですね」
ウィリアムが教えてくれたことは、なんとなく父親が話しているのを聞いたことがある。そういうものだったのかと、一つ理解できたことがうれしくなった。
父親がやっている魔術のことがわかったら、もう少しアシュリーを見てくれるかもしれない。
父親の書斎に入ることは禁じられている。子供にはわからない貴重なものが沢山あるそうだ。最近では、本を読んでいる父親の側に近づくのもあまりいい顔をされないので、アシュリーは寂しく思いながら避けていた。
「コリガン先生は魔術のこと、アシュリーに教えてくれないの?」
「まだアシュリーには難しいよ」
テッドとコリンの言葉に、アシュリーはミルクのカップをテーブルに置いて、頬に手を当てて考える。
「……お父さまは、アシュリーは特別だって」
「それはそうさ、アシュリーのこと溺愛してる」
トニーの言葉に、「ちがうの」とアシュリーは言えば、五人の少年たちの眼差しが彼女に集中して、少し恥ずかしくなった。
「ちがうって、なにがだい?」
ウィリアムが不思議そうに尋ねてきて、「あのね」とアシュリーは彼に答えるように言った。
「お父さまと、お母さまの間に生まれた、アシュリーは……とくべつな血を持つ高貴なお姫さまって。お父さまに魔力があって、二人とも“貴族の血すじ”だからって」
「アシュリー! 魔力があるの!?」
「え?」
テッドが突然大きな声を出したのに、驚いてびくっとアシュリーは身を縮めた。
それを見てウィリアムが、テッドを軽く睨む。
「テッド、アシュリーがびっくりしたじゃないか」
「びっくりしたのはこっちだよ、ウィリアム。アシュリーには魔力があるんだ、なにかできるの?」
テッドの言葉に、ふるふるとアシュリーは首を振った。
「しらない、わからない……」
「そうなんだ。大きくなってから、魔術を勉強しないとわからないのかな? ミス・レイアリングはすごかったんだよ。シュタウヘン先生の課外授業で、くるくる変化する綺麗な光を空中に出したんだ。僕、興奮しちゃった!」
「いまも興奮してるよ、テッド……」
コリンが呆れたように肩をすくめたけれど、テッドは気にしないようだった。
「ねえ、やっぱりやってみようよ。聖魔術の儀式」
「ええ、このままお茶会でよくないか?」
トニーが面倒そうに言った。
「でもさ、アシュリーが魔力持ちかもしれないなら、ちょっと試してみたい気がするよね」
コリンの言葉に、アシュリーは不安になった。テッドが熱っぽくこちらを見てくるのも少し怖くて、ウィリアムに助けを求めるように尋ねる。
「“ぎしき”ってなに、ウィリアム……」
「あのね。コリガン先生が持ってきてくれた本に載っていたんだ。悪魔を従えるために、守護天使の加護の力を得る儀式。ええと、聖なる力で、悪魔を弱らせて……」
アシュリーにもわかる言葉で説明しようとする、ウィリアムの言葉が終わらないうちにテッドが話し出す。
「守護天使は、無垢なる存在に下ろすんだ!」
「“むくなるそんざい”……? “おろす”……?」
難しい言葉の意味がよくわからず、アシュリーは聞こえた言葉を繰り返す。
「けがれない子供が、天使を喚ぶのだって……」
ウィリアムが再び説明してくれる。
なんとなくわかった。なにか儀式にアシュリーを参加させようといった話だった。
「“いけにえ”、になるの?」
「違うよ! 生贄じゃないよ! 霊媒で……ええと、術者と一緒に魔法陣の中に入って……」
「儀式が成功するように、助けるんだよ。天使を呼ぶんだ」
「天使をよぶの? 本当に? お祖母さまやお母さまのことも聞けるかしら……?」
「アシュリー、昔の魔術はでたらめな魔術です。なにも起きませんよ」
生真面目なルイスが、眼鏡を押し上げながらつまらなそうに言った。
「でも、わからないよルイス。古い魔術でも、いまの本当の魔術になったものもあるしさ」
コリンの言葉に、テッドもそうだと頷きながら立ち上がった。
戸棚のところへ行って、なにか取り出し、また戻ってくる。
「ほら見て、アシュリー。魔法道具の短剣もあるんだ。これで術者を守るんだよ」
「お父さまの、魔術道具?」
「ウィリアムの写真機で本を撮ったの現像したら、“守護の剣”を用意するんだって。本の代わりにこれを調べることになってたんだけど、本の内容と繋がってたんだ」
綺麗だろとテッドに見せられた短剣は、その通り、美しい装飾がされた鞘に収まっていて素敵なものだった。華奢な短剣は、アシュリーの手でも持てそうだった。
「テッド、危ないから! テーブルに置いて!」
「鞘から出さなきゃ、大丈夫だって!」
「まったく学術研究のクラブなのに、お前ら物好きだな……」
ウィリアムとテッドのやり取りを億劫そうにトニーが遮ったが、彼もすこし興味ありそうなのは表情から見てとれた。
アシュリーはテーブルの上にテッドが置いた細身の短剣を見つめた。
もしも、本当に魔術ができたら、父親は感心するだろうか。
それに天使に亡くなった二人のことを聞けるかもしれない。
家の事情や大きすぎる遺産を背負って、大人びた内面を持つアシュリーだったが、それは十歳の子供らしい考えだった。
アシュリーは寂しかった。外にいる時だけでなく、もっと家の中でも父親に振り向いてもらいたいし、死んでしまった母親にも祖母にももう一度会いたい。
「魔術……やってみたい……」
「え?」
「本当? アシュリー!」
近くにいるウィリアムとテッドが同時に、異なる反応を示す。
アシュリーは短剣から顔をあげて、左右に並ぶ少年たちを見た。
「やってみたいわ」
アシュリーは少年達にとってもお姫様であった。
アルドリッジの姫君の言うことに、戸惑っても異を唱える者はいない。




