第64話 魔術書探究クラブ(18)
じっ、とコンラートを底に金を沈めた榛色の瞳が見つめている。
その顔に、コンラートがかつて見た、魔法使いだけが話し相手だった、塔の上の囚われのお姫様だった頃の幼い彼女の顔が重なる。
「フィフィ……」
「子供を、霊媒に?」
淡く色づく唇が、小さく動いて呟いた。
ソフィアには幼い頃、死者の魂を維持する儀式の触媒となっていた過去を持つ。
聖魔術の儀式は、悪魔を召喚し従わせるため、無垢なる存在である子供を霊媒にして守護天使を下ろし加護を得るものだ。
ソフィアの記憶を刺激していないか、コンラートは気が気でなかった。しかし、彼の心配に反してソフィアはこてんと不思議そうに首を傾けた。
「だとして、なにがしたいんでしょう?」
「え?」
「霊媒とわざわざ書いてあるのでしたら、生贄とは違いますよね?」
「あ、ああ……そうだね」
大魔導師などと大層な通称で呼ばれている魔導師にあるまじき、ごく基本的なことを弟子から確認されてコンラートははっとした。
「それに、あの仔羊の儀式をきっかけに、学生達が魔術儀式を実践したくなったとしても、アシュリーを害することにはつながらないと思います」
ソフィアの言葉はもっともだ。
彼らはよくも悪くも平凡で善良な少年たちである。アシュリーを魔術儀式に参加させたとしても、傷つけることは出来ないだろう。
コンラートらしくない失態だった。
ソフィアの過去に囚われて、彼女とアシュリーを重ねていた。
師として面目がなさ過ぎるミスだと、コンラートが内心恥じていると、作業机の道具を整理して近づいてきたソフィアが彼の白ローブの袖を軽く引っ張った。
「師匠らしくないです」
「うん、少々冷静さを欠いていた。特に僕が嫌いな類の、古い時代の魔術儀式なこともある」
嫌いどころではない、憎んでいる。
ソフィアの子供の時間を奪った、元凶だ。
コンラートは手の甲でそっとソフィアの前髪を軽く撫でて、微笑んでみせた。
「僕としたことが、つい先走ったな」
「……でも、狙いは合っていると思います。なにがしたいんだろう? さっぱりわかりません」
コンラートの袖から手を離し、ふっくらした頬に手を添えてソフィアが考え込む。
そんな彼女にコンラートは一抹の寂しさを感じていた。本当に、ソフィアはコンラートがよく知る、魔法使いがいなければすぐ泣いてしまうお姫様ではなくなったのだ。
アルビオンで再会して約二年。
以前と変わらないところもあれば、大きく変わったところもある。
コンラートは、不意に陥った感傷的な気分を振り切るように、ソフィアの両肩に手を置いて、くるりと彼女の体の向きを半転させた。
「フィフィ、道具と魔法薬を片付けよう」
「そうですね」
さっきまでいた作業机のところに戻って、ソフィアは彼女の道具や魔法薬を片付け始めた。魔法薬の残量を記録して、すべてを保管棚に入れて鍵をかける。
コンラートも証拠品の本や学生クラブの冊子を簡単にまとめて、机の端に置き直すと、ソフィアと一緒に工房としている部屋を出て施錠した。
◇◇◇◇◇
オーブンは大変に便利だ。
材料を整えた皿を入れっぱなしに、任せておくだけで、料理を仕上げてくれる。
ぶつ切りの野菜と肉を皿に敷き詰め、塩胡椒して焼いた一皿とローストポテト。
それにスープ、パンを合わせれば、手間なしな夕食が出来上がる。
「現状の黒幕をコリガン講師と仮定したとして……」
グリル皿から肉や野菜を取り分けながら、ソフィアは言った。
焼けた肉の脂と、野菜の香ばしい匂いが立ち上り、忘れていた空腹を刺激する。
「師匠の言う通り、黒幕はとても高い知能と知識の持ち主です。アシュリーを害するのが目的なら、自分が疑われるようなことはしないと思うんです」
はいどうぞと、ソフィアはコンラートの分のお皿を得意げに彼の前に置いた。
「ありがとう、フィフィ」
いつもはコンラートが甲斐甲斐しく料理を取り分けてくれるが、疲れている様なのでソフィアが役を奪った。
これぐらいのことは、生活全般不器用な弟子にだって出来るのだ。
「このいかにも怪しい、古い魔術が目立つ感じ。段々変に思えてきました」
「たしかに不可解だね。コリガン講師が犯人なら、自分に関係しそうなことを目立たせるのは避けたいはずだ」
コンラートの言葉に頷きながら、ソフィアは千切ったパンを口に入れた。
噛み締めると粉の甘みと酸味が、魔力の検出作業の疲労に染み渡る。
スープは蕪のポタージュで、缶詰のスープを温めたものだけれど、作業後の空腹には十分美味しい。
「なにか……見落としがあるのかも」
「僕たちはコリガン講師を怪しんでいるけれど、これを外すとどうだろう。レストラード警部の言葉通り、学生たちの悪戯けが過ぎたとする方が説得力がある」
仔羊の儀式が行われたのも西庭寮だ。
「でも下働きの人を唆した紳士の存在や金貨もありますよ?」
「明らかに変装したり、フードを被ったりしているからわからないよ。体格だけなら彼らも大人に見せることは出来る」
「外出は簡単じゃないのでは?」
「やろうと思えば抜け出すことは不可能じゃない。五人が結託すれば誤魔化す方法はいくらでもある」
見つかれば厳罰、最悪退校も有り得る。
しかしこうしたルール破りに魅力を感じる年頃でもある。
「――と、人は見るだろう。儀式を解体すれば、彼らが調べていた古い魔術と関連するとなればなおさらね。やってみたくなったと」
初動捜査でサルデン刑事に学生の悪戯だと推測していた。それを裏付けることになる。
「金貨は問題だね。一〇〇ポンドを五人で割っても二〇ポンドだ。いくら上流階級でも、学生が持つ現金として大きすぎる」
「そうですね」
「でもそれも、捕まった男が窃盗で得た金だという考えもある。学生達が男が金を持っているのを偶然見て、魔術による窃盗の隠蔽を入れ知恵した」
拗らせたエリート意識で、下民に愚かしい真似をさせる悪ふざけをしたというのはありそうだと話すコンラートに、ソフィアは眉根を寄せた。
「ひどい……」
「でも、大衆受けはしそうだよ」
ソフィアの師匠は時々とても底意地が悪いことを考つく。
「アシュリーを聖魔術の儀式の実践に巻き込むのも、そんな少年たちの思い上がった気持ちからだ」
「あの人たちは、とてもそんな人たちじゃないですよ?」
「関係ないよ。アシュリーを巻き込み、そこでなにか事故が起きて――は、だめだな」
「何故ですか?」
「コリガン講師が監督責任を問われる。彼の性格では、己の経歴に傷がつくことも避けるよきっと」
どうしても行き詰まってしまうねと、コンラートは肩をすくめて食事に戻る。
そんな彼の姿を眺めながら、ソフィアはなにか引っかかった気がした。
「監督責任……、経歴……」
「フィフィ?」
「そういえば、コリガン講師の評価って? 専門は“呪術や迷信”でしたよね?」
「そうだよ。あのコレクションを見ただろう? 貴重書を含め、古い魔術書に記された“神秘”についての再解釈の研究が主だ。難解な古語で書かれたものを訳したりもあるけれど」
それじゃない。
ソフィアはもう一歩踏み込んで尋ねる。
「他には? 師匠、レストラード警部に言ってましたよね? 魔力持ちなこともあって評価が高いって。魔力持ちってだけで評価はされないはずです」
「ああそれは、彼は魔術を開発して、魔術協会に新規魔術の登録を受けてる。魔導師は魔力の扱いが苦手で、理論研究だけの人も多いだろ?」
実際この手の研究に有効な魔術だと、コンラートは言った。
「経年劣化しやすいものを保持する魔術だよ。文字のインクが薄れないようにしたり、紙の風化を防いだり……時間ができたら僕も習得しようかな」
魔術協会で新規魔術の登録を受けたものは、理論も実践方法もすべて公開される。
自分だけが提供できる価値には出来ないが、魔術界への貢献でとても高い評価を得られる。開発者としての能力を見込まれて、仕事を得られることもある。
「彼もフィフィ同様、魔力持ちとしてはごく弱いから、アルドリッジの支援あってこそだろうけどね。意識していなかったから、わからなかっただろう?」
「はい」
人の魔力は体内を巡っていて、魔石のように外に漏れ出したりしないから、読み取る意識をしないとわからない。
幼い子供だと強い魔力持ちの人に触発されたり、無意識に外に漏れたりすることもあるけれど、コリガン講師は大人の優秀な魔導師だ。
「アシュリーはどうなんだろ?」
魔力は遺伝も影響する。古い貴族は先祖に魔力持ちがいる可能性が高い。
迫害された歴史や婚姻もあって、数も減っているけれど、遡れば特別な力を持つから人を従える貴族になっている場合もある。
大陸東部で、王族の魔力は神が与えし力と言われているのと同じだ。
「泣いた時に頬に触れてなかった? フィフィは感知能力が高いから、涙のような体液や皮膚に指で触れてなにも感じないなら、ないと思うよ」
「なにもなかったですね」
「まあ、あったらコリガン講師が言いそうだけどね。アルドリッジに対しても娘の体質を理解できる、養育者としてより適していると主張できる」
「たしかに……」
夕食を食べ終えて、ソフィアは寝る前に検体の様子をみたいからと、コンラートに再び工房としている部屋を開けてもらった。
塵避けのガラスを被せた中で、うっすら反応が出始めていた。
検体の一部が燐光のような光を帯びている。色の抜けた髪を試験したガラス菅だ。
赤茶けた髪も一緒に試験したが、そちらは魔法薬が反応していない。
「魔力を帯びた毛髪です。明日、分析にかけてみないと正確なことは言えませんが、反応の感じで魔力持ちの人の髪の可能性が高いと思います」
羊殺害事件について、魔術に関わる人が介在する可能性が高いことが、これで証明された。
「残すよう指示した、レストラード警部のお手柄だね」
「はい。少なくとも金貨の袋は魔術に関わる人が用意したものです。きっと金貨の色で自分の髪が袋の中に落ちたと、気づかなかったんです」
コンラートに言った、自分の言葉にソフィアははっとした。
気づかない――?
そうだ、気づかない――様々な場面が、繋がりそうで繋がらずにいた数々の物事がソフィアの脳裏で次々と浮かんでくる。
ホテルで初めて会ったコリガン講師の様子、『魔術書探究クラブ』で広げられた冊子や、仔羊を使った誤った儀式、街中で会った学生達との会話……。
悩むアシュリーの涙……レディントン教授のコリガン講師への懸念。
首都警察で証拠品を見せてもらったこと。
『短剣見せてあげたいな……アシュリーは綺麗なものが好きだから』
『お母さまが死んだら、お父さまは変わってしまうかもしれないって』
『彼は頭のいい男だ、なにか彼の思惑に生徒を利用するつもりでいるような気がしてならない』
『フィフィは触っちゃいけないよ。汚れる』
そして、ソフィアの目の前にほのかな光を帯びているガラス管――。
「……」
「フィフィ?」
じっと黙り込んで検体を見下ろしているソフィアに尋ねかけた、コンラートの声で、彼女は工房の部屋に意識を戻した。
「師匠。たぶん、なにが起きているのかわかりました」
「ん?」
「でも……どうしたらいいんでしょう……」
ソフィアは口元を片手で覆いながら、焦りの滲む声で呟いた。




