第60話 魔術書探究クラブ(14)
「休講?」
魔術科の監査のため、コンラートとソフィアは再び学校を訪れていた。
まず挨拶に学科長のレディントン教授の部屋に立ち寄って、告げられた言葉であった。
第三木曜日に『魔術書探究クラブ』を見学してから早くも十日が過ぎ、月末の月曜日を迎えている。
月曜日はコリガン講師が受け持つ、選択授業のある日だ。
「特に知らせは受けていませんが?」
「まったくもってすまない、シュタウヘン卿」
執務机に額をつけるような勢いで詫びた、レディントン教授に頭を上げるよう促しながら、コンラートは疑問を口にした。
ソフィアも不思議に思う。
コンラートが他の仕事も抱えて忙しいことは、レディントン教授も知っている。
予定が変更になって知らせないないなど、考えられない。
「つい先ほど急な訃報が入って、君たちの移動時間を考えたら知らせが間に合わなかった」
「訃報……もしかしてアルドリッジ家ですか」
「左様。前子爵夫人だ」
コリガン講師にとっては妻の母、義母にあたる。
駆けつけないわけにはいかないだろう。
「お亡くなりになったんですか!?」
「ご病気とは耳にしていましたが……」
アシュリーの悩みを聞いてからまだ数日も経っていない。
そこまで病状が深刻だったのかと、ソフィアもコンラートも驚きを隠せなかった。
アシュリーが「お祖母さま死んじゃう……」と嘆いていたのは、けして子供の目から見ての悲観ではなかったのだ。
「かなり長く心臓を患っていてな。一時は良くなったが、その後また弱ったり持ち直したりを繰り返していた」
「そうでしたか」
「アルドリッジ工房も今頃は衝撃を受けているだろう。前子爵夫人はかの工房の者に慕われていた……工房は工房で追悼式を行うに違いない」
アシュリーの祖母は、工房の創始者夫人として、やはりなんらかの名誉職についていたようである。
「悼ましいことです」
コンラートが目を伏せ、ソフィアも黙礼した。
一面識もないが、魔術界の牽引者の一人であるご夫人が亡くなったのだ。
アシュリーの祖母であることもあって、哀悼の気持ちは自然に起きた。
「現当主もさぞ気落ちしていることだろうな。あの一家は非常に気のいい一族で仲が良い。だからこそ前当主も趣味道楽に没頭できたところもある」
「魔術ですね?」
「儂は前子爵夫妻と交流があってね。魔導師として意見を聞かせてくれと、奴と夜遅くまで議論したものだよ。若き日のよき思い出だ……夫人は朗らかな人だった」
あの頃は本当に没落寸前で、魔導師であるレディントン教授もほどほどにしろと諫めたほどであったらしい。
遠い眼差しでレディントン教授は話し、ソフィア達をソファへと促した。
休講で講義の視察予定はなくなったため、時間は空いている。
「例の事件のことは、なにかわかったかね?」
「僕たちは警察ではありませんよ」
「だが、警察に伝手はあるだろう」
「教授のように、捜査に口出しできるほどの伝手はありません。教授がご承知のこと以上の進展はないでしょう」
コンラートの静かな返答に、レジントン教授は「そうか」と教員の黒ローブを羽織る肩を落とした。座っていた執務机の席から立ち上がって、ソファへと移動する。
「君、客人にお茶を」
学科長室に設けられている、小机の席で伝票仕事をしている秘書に声をかけ、レディントン教授はソフィア達と向かい合う席に落ち着いた。
襟元に指をかけ、タイの結び目を少し緩ませてため息を吐く。
「この歳になるとね、毎年のように知人がこの世を去っていく。生きているのが、取り残されているようにも感じて寂しいものだよ」
「取り残されている……」
ゲルマニアの侵略で国ごと家族を失い、身分も本当の名前を失っても、こうして生きているソフィアもたまにそんな気持ちになることがある。
だが、コンラートに見守られている、新しい生活と人生がそんな気分を払拭もしてくれる。
レディントン教授の言葉を繰り返したソフィアに、「ああ」と彼はなにかに気がついたように額を片手で押さえた。
「すまない。侵略で祖国を失った、君たちの前で言うことではなかったな」
「今日は謝ってばかりですね、教授らしくもない」
コンラートがわざとらしく苦笑して、恩師を慮る。
「たしかにそうだな。多少、感傷が過ぎた」
「そんなことはありませんし、気にもしていません」
「ソフィアは本当にいい子だね」
ふっと目元をレジントン教授が和ませた時、彼の秘書がお茶を運んできた。
気分を変えるように、しばしお茶を喫する間をおき、おもむろにコンラートが口を開いた。
「視察がなくなったので、この後、首都警察に立ち寄ろうかと考えています。犯人から押収した証拠品の鑑識作業も一通り整理がついた頃でしょう」
「そうか。捜査の進展はこちらにも報告があるだろうが、そういったことまでは届かないだろうからね」
たしかに通常の捜査を考えたら、証拠品の詳しい調べや整理がついた頃だ。
現場で出会ったサルデン刑事は、捜査にやる気がない雰囲気だった。
しかし犯人が捕まり、動物を害しただけの事件から一〇〇ポンドもの大金が絡む重犯罪の様相を呈してきているから、手柄を欲して意欲的になっているかもしれない。
「あのっ、レディントン教授にお聞きしたいことがあります」
「なにかね、ソフィア」
「教授は何故、師匠にコリガン講師や『魔術書探究クラブ』の見極めを依頼したのですか? 先ほどアルドリッジ家の前子爵夫妻と交流があると聞いて気になりました」
そもそもの発端は、レディントン教授の依頼からだ。
そしてそのことに、アルドリッジ家の存在は無関係ではないように思える。
教授が交流があったと知れば、なおさらだ。
「コリガン講師の奥様は、アルドリッジ家の一人娘の元子爵令嬢です」
「……そうだな」
「教授もアルドリッジ家と関係があります。工房創始者の前子爵様と議論もしているのなら人工魔石触媒の開発にも無関係ではないですよね?」
「儂はただ、知人の魔導師として意見しただけだよ」
「コリガン講師のことも、この学校の講師を引き受ける前から知っていますよね?」
「彼も、教え子の一人だ」
問いかけるソフィアに対する、レディントン教授の答えは明確なものであった。
だが、その背景があるからこそ彼は不安を覚えたに違いないのだ。
師匠の恩師を問い詰めるようなことをするのは、ソフィアも少し気が引けるが、コンラートはたしなめることもなく黙っている。
ソフィアの疑問をはっきりさせていいと考えているからだろう。
もし、なにか大きな事件の中にあるのなら、レディントン教授もまた関係者だ。
「わたし、ずっと考えていたんです。教授は、“彼の言動には、なにとはっきり言葉には出来ない不安を覚える”って」
「その通りだ」
「でもその後、こうも言いました。“儂の目の届くところで逸脱者を見逃す訳にはいかない”って。これはコリガン講師がなにかすると思っている言葉です」
ずっと違和感があった。
コンラートが渋い反応をすると、わかりそうなものなのに。
強引に、彼だけでなくソフィアまでも、コリガン講師と『魔術書探究クラブ』の見極めに巻き込んだ。
「なにが起きるかはわからない、けれどなにか起こすと、教授は確信していたのではないですか? だから検屍官のわたしも一緒にだったのですよね?」
「……」
黙ってしまったレディントン教授をソフィアはじっと待つ。
数分ほど沈黙の時が流れ、レディントン教授がわずかに身じろぎし、羽織っている黒ローブが衣擦れの音を立てた。
「現場に案内した時も思ったが……君は、捜査となると少々人が変わるなソフィア」
「そうですか?」
きょとんとソフィアが首を傾げれば、おやおやとレディントン教授は何故か彼女ではなくコンラートを見た。
「君の教育の賜物かね……」
「彼女自身の学びですよ」
コンラートの答えを聞いて、レディントン教授は軽く肩をすくめると再びソフィアに視線を戻した。
「左様。コリガン講師の動向を警戒している。彼は頭のいい男だ、なにか彼の思惑に生徒を利用するつもりでいるような気がしてならない」
本来の彼なら関心も抱かないような生徒に目をかけている。
細君を失って心境の変化とも考えたが、そういった雰囲気でもないとレディントン教授は胸の内を吐露した。
「心配なのだよ。アシュリーを生徒達に引き合わせるように連れてきているのも。父親として心配だからと言うが、自分が御しやすい生徒を当てがうつもりではないか勘繰ってしまう……だがウィリアム以外はさほど利益のある相手じゃない」
なにを考えているのか、途方に暮れたようにレディントン教授はぼやいた。
「生徒達やアシュリーが心配だ。彼の野心のために使われやしないかとね」
コリガン講師への不信感もあるがそれよりも、彼に関わる子供達がよりいっそう心配だといった印象だった。
長く教育者として生きてきた人だけはある。
「レディントン教授」
ソフィアに質問を任せて、静かにしていたコンラートが恩師の名を口にした。
「僕から一つお願いが。身上書などコリガン講師について詳しく記された書類をお借りできないでしょうか。学科長として彼を監督する立場の貴方ならできるはずです」
「よかろう。学務室で出してもらってくる。待っていなさい」
コンラートの頼みに応じて、レディントン教授はソファから立ち上がると、黒ローブの長い裾を揺らしながら彼の部屋を出ていった。
レディントン教授が出ていってから、ソフィアはコンラートの袖を軽く引いて尋ねた。
「師匠、どうしてそんな書類を?」
「だんだんとなにか企てがありそうな輪郭は見えてきたが、情報が足りない」
「たしかに……解けそうで解けないなぞなぞみたいな感じはしますね」
「このなぞなぞは、コリガン講師がなにをしたいかだと思うんだ。そして事が起こってはなにか取り返しがつかなくなりそうな気がするんだよ」
どう考えても、あの羊の儀式には悪意を感じるとコンラートは言った。
手が込み過ぎていると。
「そしてね、フィフィ。なぞなぞを解くための猶予は、もうあまりないような気がしてならない」
低い声でつぶやいたコンラートの横顔は、真剣そのものであった。




