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第59話 魔術書探究クラブ(13)

 アルドリッジ家からの迎えの馬車が来て、アシュリーはフランクリン・ホテルへと帰っていった。

 彼女を見送って、ソフィアとコンラートは黙ったまま家の中に入る。

 アシュリーをもてなした後を片付けながら、コンラートはなにか思案しているようだった。

 ソフィアも手伝いながら、アシュリーから聞いた彼女の相続の条件が気にかかっていた。

 コリガン講師の性格にそぐわない行動。

 レディントン教授の講師に対する言葉にできない不安、あるいは不信感。

 『魔術書探究クラブ』のメンバーの学生達――。


「フィフィ」

「師匠」


 廃屋も同然だった屋敷をさる貴族から買い上げた時から、ほぼそのままにしているらしい。古風なマントルピースに囲まれた暖炉、木彫装飾のパネルの壁が特徴的な居間の沈黙が破られたのは、コンラートが新しくお茶を淹れ直したあとだった。

 お互いを呼んだのは、ほぼ同時だった。

 二人で顔を見合わせ、お互いにふっと気を緩めて、いつもの席に座る。

 

「なんですか?」

「フィフィから先に」


 譲ってくれたコンラートに、じゃあとソフィアは呟いた。


「わたし、とても気掛かりです」

「僕もだ」


 コンラートの表情で、おそらく同じことを懸念しているとソフィアは感じ取った。

 アシュリーを取り巻く環境はあまりに不穏だ。

 母親もわかっていたのだろう。

 大人の庇護が必要な十歳の少女に、莫大な遺産を渡す危険を。


「どうしてアシュリーだけに」

「想像でしかないが、アルドリッジ家側はすでに十分なものが遺されていたからだろう。祖母は老い先が短い。それはアシュリーの母君もわかっている」


 祖母に分けても、何年かして亡くなった後は遺言で指定した先か、彼女の最も近い親族である孫娘のアシュリーへ渡るかのどちかだ。

 

「そして養育費支給のことを考えるに、コリガン講師に金銭面への信用はなかったということだろうね。これは我が身のことを考えるとわかる気がするよ……」


 入ってくる収入のほとんどを魔術研究に惜しみなく使っているコンラートの言葉に、ソフィアは軽く苦笑した。


「コリガン講師は研究もさることながら、単純にコレクターでもあるようだ。それは奥方が亡くなってから本の購入が増えたらしい、アシュリーの言葉もある。加えて彼は己の体面や優越感を重んじる性格が見て取れる」


 愛していても、一度困窮して創始者の人工魔石触媒の研究によって持ち直したアルドリッジ子爵家の娘だったから、財産面では厳しい感覚の持ち主だったのだろう。

 夫の好きにさせては、娘へ残す財産が危ぶまれると考えた。


「だからアシュリー本人が判断力をもつか、信頼できる味方を第三者を得られるようになるまで、アシュリー自身にも誰も財産を触れないようにした」

「夫のコリガン講師は、不満に思ったでしょうね……」


 夫婦であるのに、妻の遺言は、夫には一ペニーも遺さないものであったのだから。


「でもコリガン講師は生前、妻の実家であるアルドリッジ家からの支援も受けている。金銭支援だけでなく仕事面においても、工房顧問となるよう口添えされている」


 たしかにそれを考えたら、すでに恩恵を十分受けている。

 コリガン講師が自力で得るのは、難しい恩恵だ。


「そうですね」

 

 同意しながら、ソフィアはお茶のカップに砂糖をたっぷりめに入れた。

 考える点が色々あって、甘いお茶が飲みたい。


「加えて、妻が設けた“養育者への手当て”がある。これはコリガン講師が良い父親である限り、実質毎年五〇〇ポンドが彼に支払われるのと同じだ」


 魔術職の中でも上の部類に位置する年収である。

 コリガン講師自身の稼ぎとほぼ同等だろう。合わせて一千ポンド。

 十分、中流上(アッパーミドル)の裕福な紳士として、上流階級も同然に振る舞える収入だ。第一、彼は独立する際、実家から資産の贈与も受けて、首都郊外に屋敷も持っている。

 

「元本の大きさがなければ、これだけでも十分納得できるものだよ。アシュリーの母君は聡明な人だね」


 アシュリーの生活を守るために、夫の不満をうやむやにしつつ、目に余るほどの散財はできない絶妙な金額設定だとコンラートは言った。


「もしそうなら、アシュリーを大事にしていると外部に見せるのもわかりますね。アルドリッジ家はコリガン講師をよく思っていないみたいですから」

「そうだね。僕がアシュリーの話を聞いて感心したのは、手当てを支払われるのは父親や親権者ではなく、“養育者”としている点だ」


 アシュリーが父親に不満を覚え、アルドリッジ家に行っても手当は支払われる。

 決して無一文で養ってもらっている居候にはならない。


「死後も、アシュリーのことをできるだけ、お金で守ろうとしたのですね……」


 それだけでも、母親の愛情を感じることができる。

 病床で説明されたアシュリーは尚更だろう。

 少しだけ羨ましい。

 ソフィアの母親は、物言わぬ剥製となって棺の中だったから。

 

「アシュリーは、お父様と一緒がいいみたいですね」

「母親が生きていた時は、うまく家庭が機能して優しい父親だったのかもしれない。父親が変わったようなことを零していたから」

「信じているのでしょうね……」


 だからこそ、コンラートが他にも悩みやないか尋ねた時、「……ないです」と不安げに答えて言わなかったことが気に掛かる。


「アシュリーの話を聞いていると、どうも彼女の相続に関する遺言は、アルドリッジ家とコリガン講師を相互監視させるようになっていると思える」


 コンラートが口元に指を押し当てて、考えるように言った。


「アシュリーは全部説明を受けたと言っていたけれど、他にも条件が設定されているのではないかな? たとえば、アシュリーが彼女の財産の権利を得る前に亡くなった場合とか」


 ソフィアは首を傾げた。

 アシュリーに万一があった場合、彼女の血縁者は父親のコリガン講師一人だ。


「その時は、すべて父親のコリガン講師に行くのでは?」

「いいや、そうとは限らないよ。元々はアルドリッジ子爵令嬢だった母親の財産だ。アシュリーが真に権利を得ていない場合、母親の元にある状態へ立ち戻る」

「はあ……」

「法律が変わって、いまは妻の財産は妻のものだ。妻の血縁者で再配分することになったら、夫で血縁者ではないコリガン講師にはなにも渡らない」

「え? アシュリーの父親なのに?」

「アシュリーがまだ遺産の権利を手に入れてない場合だよ。そもそも父親に渡らないように考えている、阻止する条件もつけているはず。つまり十三歳で母親の母校である寄宿学校に入学前、もしくは入学せずに十八歳になる前について」


 だとしたら、十歳のいま現在だ。


「もし、いまアシュリーになにかあったらコリガン講師は困りますよね?」

「どうかな。数万ポンドだよ、人を欲望に狂わせるには十分な額だ」

「でも……」

「たとえば、アルドリッジ家がなにかしたように仕掛けたら? 流石にそこまで冷酷な父親でなくても、状況によっては訴えを起こすかもしれない」


 アシュリーの母親は、自分の死後の心配をかなり考えて遺言を作っている。

 だからその防御も張っているはずだと、コンラートは言った。


「たとえばその場合、祖母と父親とで半分に分けるだとかね。そうすればアシュリーの身の回りで不審なことが起きた時、双方で疑われたくない、守る心理が働く」

「でも、アシュリーはそのために悩んでいます……どちらも大好きなんですよ」

「そうだね」


 だが、コンラートのおかげでアシュリーの状況はかなり整理できた。

 その中で気になるのは父親であるコリガン講師の動きだ。

 妻を亡くしてから、彼の性格から見て、不自然な点が色々ある。


「アシュリーのお母様が亡くなったのは、二年近く前。コリガン講師はその後、昨年からあの学校の講師になったのですよね?」

「アシュリーには、“彼女を立派な淑女にするため、研究や仕事を増やした”ように装っていた。僕たちにも“アルドリッジに頼れない”と言ったけれど、養育手当が入るから不自然だ」


 養育者として適格であるのを盤石にするために、名門私立学校(パブリック・スクール)の講師になったのだろうか。

 助成も受けるのに、魔術協会の認めも得られる。

 魔導師として、アルドリッジ工房の顧問職以外にも、確実で社会的立場もある仕事を持っているということだ。

 だったらそれだけでいい。


「続けて、自分の授業の受講生に声をかけて『魔術書探究クラブ』を作った……」

「それもコリガン講師の人となりを考えたら、黙殺しそうなこれと特筆すべき点のない中途半端な生徒ばかりを集めて」

「それは少し言い過ぎでは?」


 学生達への容赦のない言い方に、ソフィアは口の端を曲げた。

 たしかに学校の中での立ち位置としては、そうなるのかもしれないけれど。

 いい子達ではあるので、少しばかり気が引ける。

 

「客観的事実としてだよ。心情的には素直でいい子たちだよ」

「……なら、いいです」

「僕が気になっているのは、学生たちの中でくすぶってる彼らに、特別に魔術書を提供し研究させるという、彼らの優越感をくすぐるようなことをしていることだ」


 何故、そんなことをしているのだろう。

 それに、先日起きたあの羊殺害の事件。


「もしも、羊殺害の事件の儀式を仕掛けたのも、コリガン講師だとしたら目的はなんでしょう?」


 証拠もなにもない。

 けれど、ソフィアは直感的にコリガン講師だとほとんど確信していた。

 可能性で考えても、学校関係者でそれができるのは彼が一番疑わしい。


「わからないね。厩舎の下働きに手の込んだ誘導で、一〇〇ポンドも費やしてさせることには思えない」


 その通りだ、でも――。


「でも、とても嫌な予感がします。とても嫌な予感です……」


 なにかきっと理由があるはずだ、ソフィアはそう胸の内でつぶやいた。


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