第56話 魔術書探究クラブ(10)
首都警察の捜査について、レストラードから話を聞いた翌日、ソフィアとコンラートはフランクリン・ホテルを訪ねた。
学校以外に企業や政府の仕事もあるコンラートがその日の仕事を片付け、ソフィアもいま取り組んでいる魔法薬実験を終えてからだったので、出かけるのは午後になった。
きらびやかなホテルのロビーに到着する頃には、もう昼下がりの時間も過ぎる頃であったが、アシュリーもコリガン講師も不在だった。
朝から外出とのことで、コリガン講師は学校だろうが、アシュリーはわからない。
対応したフロント・クラークの口ぶりでは、親子は一緒ではなさそうだった。
以前コリガン講師自身に案内されてロビーを通り抜け、彼の部屋へ向かったコンラートの姿を覚えていたため教えてくれたが、それ以上詳しくは聞けなかった。
「申し訳ありません。お客様のことを詳しくはお話しできませんので」
言葉通りに申し訳なさそうに断られたが、ホテルの信用を考えたら当然のことではある。ひとまず差し出したコンラートの名刺をそのまま預けて、来訪の旨を伝えてもらうよう頼む。
「どうしましょうか、師匠」
「約束もせず、突然訪ねたのはこちらだ。仕方ないよ。せっかくだからティールームに寄っていく? もう夕方に近いし、朝から出かけているのなら戻ってくるかもしれないよ」
「そうですね」
コンラートにエスコートされて、ソフィアは絶品のシード・ケーキを出してくれるティールームを再訪した。
長身で黒衣に白ローブのコンラートの姿はとても目立つ。
すぐに現れた給仕長が、窓辺の席に案内してくれた。
前回はコリガン講師のおすすめに従ったが、今回は渡されたメニューを吟味する。
「……おいしそうなものがいっぱい」
「なんでも好きなものをと言いたいけれど、少し遅い時間だ。ほどほどにね」
「はい」
むむむっと、ソフィアはメニューを睨む。
季節のペストリーと書いてあるのが気になる。しかし、こういった良いホテルで出してくれるスコーンも食べてみたい。
運ばれていくお皿をちらりと見た感じ、表面香ばしく締まった焼き加減だが、中はしっとりふわふわな気がする。
悩むソフィアを見て、くすりと笑んだコンラートが頬杖をつき、窓の外に傾けた顔をすぐまた「おや」と持ち上げる。
「フィフィ」
「はい、師匠。なんですか?」
「外の通り、あそこにいるのは、彼らではないかな?」
「え?」
コンラートの言葉に、彼の視線の先を追ってソフィアも窓の外をみれば、制服姿の少年達が固まって歩いていた。先頭を歩く茶髪に焦茶の目の少年はトニーだ。
すぐ後ろにコリンとテッドの姿があり、彼らに隠れるようにルイスとウィリアムの姿も垣間見えた。『魔術書探究クラブ』のメンバーの生徒達だった。
「本当ですね」
こんな宮殿庭園や高級住宅地にほど近い区画に、一体なんの用があるのだろう。
「行ってみようか」
「はい」
ソフィア達は急用ができたと、注文を取りに来た給仕に断って、席を立つとホテルを出た。
行き交う辻馬車の合間を縫って、通りの向こう岸に渡り、大通りへと出る路地に入ろうとしている少年達をコンラートが呼び止める。
「君たち!」
その容貌もあって人目を引くコンラートに、少年達はすぐ気がついた。
「シュタウヘン先生!」
「ミス・レイアリングも」
「こんなところで、どうしたんですか?」
「奇遇ですね」
「ぼ、僕たちはトニーの用に付き合って」
最初にコリンとテッドが声を上げ、続けてトニーとルイスが、最後にウィリアムが彼らの外出の理由を告げた。
「わたし達はすぐそこのホテルに用事があって、皆さんは、お買い物ですか?」
「トニーの制服を直しに行ってたんです」
「金ボタンを注意されちゃって、ボタンを紋章だけにすればいいのに、前見頃の合わせのラインも頼んで。またなにか言われなきゃいいけど」
「うるさいな、コリン」
どうやら、ウィリアムがソフィアに心配を零した通りに、学校の制服の金ボタンを注意されたようだ。
この近くには、高級住宅地の人々を顧客とする仕立屋が並ぶ通りがある。おそらくそこへ制服の直しを発注しに行っていたのだろう。
「縁をかがる程度なら、大丈夫では?」
「流石にあれで文句を言うのはひどいと思うよ……」
ルイスとウィリアムが頷きあう。この二人は身分的には彼らの中で一番離れているはずだが、世話焼き同士で馬が合うようである。
「ねえ、本を見に行くなら少し急いだ方がいいよ」
テッドがうずうずしながら遠慮がちに門限を仄めかした。
「この界隈の書店なら、新本も古本も大体わかる。どんな本が見たいのかな? よければ案内するよ」
本となったら大得意分野のコンラートが少年達に気さくに申し出れば、彼らの表情がぱっと明るくなった。
「いいんですか!」
「師匠もわたしも、この後の用事は特にないので」
食いついたテッドに、ソフィアも快く応じた。
彼らのことだから、クラブ活動のための、魔術に関する資料だろう。
その手の本は、きちんとした学術書なら高価なので、いかに裕福な彼らといえども気軽には買えない。そもそも親元へ請求書払いになるだろう。
せっかく街中に出てきたから、学生にはちょっと敷居の高い書店もせっかくだから覗いてみたいといった冒険心かもしれない。
だとしたらコンラートは、最強に心強い付き添い役だ。
「あのっ、こういった感じのものが……色々載っているような」
ごそごそとテッドが肩からかけている鞄から、スケッチブックを取り出して見せてくれた。精緻な装飾がされた細身の短剣の絵が書かれていた。
「なるほど、それならあそこがいいかな……」
心当たりの書店をすぐに頭に浮かべたらしい。
コンラートはこっちだよと、皆を誘導した。
◇◇◇◇◇
コンラートのおかげで、少年達は彼らの思い通りに書店で過ごすことができた。
ソフィアも高級商業地の書店は滅多に来られないから、思わぬ役得だった。
手に届く薬草学の本があったので購入し、店内のサロンのようなスペースで少し休憩させてもらう。
「もう四時半を回ったね。門限は何時だい?」
「六時です」
トニーが答え、コンラートがローブから取り出した時計を見て、学校へ戻る時間を逆算するように黙考した。
「では少し休憩したら戻らないといけないね。宮殿前の駅から二十分ほどと言っても、倍の時間は見ておいた方がいいだろう」
少年達の学校は、ロンデウムの中心地のそばを流れる川を越えて、南に下った場所にある。郊外ではないが、それなりの距離ではあった。
見送りまで付き合うことにして、書店を出て、駅まで一緒に向かう。
「シュタウヘン先生達がいたホテルって、コリガン先生が住んでるホテルですよね。先生に用事だったんですか?」
気になっていたのだろう。
ルイスが尋ねてきたのに、コンラートは「いいや」とのんびり答える。
「近くまできて、弟子がアシュリーに会えたらと言ってね。先日仲良くなったので、こちらにいる間になにか約束ができたらと。でも、留守だったけれどね」
「それは……難しいと思います。アシュリーが来るのはお見舞いのためだから……」
人一倍周囲を気遣うウィリアムが、自分のことのように申し訳なさげにソフィアを見下ろす。
そんな彼の口から出てきた、意外な言葉をソフィアは繰り返した。
「お見舞い?」
「アルドリッジのお祖母様がご病気で。首都の屋敷にいらっしゃるんです」
「療養するなら、領地の方がよさそうだけどね?」
コンラートの疑問はもっともだった。なにしろ首都は空気が悪い。
人が集まる都市で、あまり落ちついた環境でもない。
「難しい病気で首都のお医者様がいいそうです。それに工場から離れたくないみたいです。アシュリーがお祖父様との思い出があるからって言ってました」
アルドリッジ工房は、いまは他家に渡っているが創始者はアシュリーの祖父である前当主である。いまも付き合いがあるのだろう。
創始者を支えた奥方として、名誉職くらいはついているのかもしれない。
「でもずっと病気の人のそばにいるのも気が塞ぐでしょう? それもあって先生は時々学校に連れてくるんだって言ってました。僕たちも相手ができるし、メイドに任せきりにしておけないからって」
ウィリアムの説明は後半の部分が、いかにもコリガン講師が言いそうに思えた。
「アシュリーは、アルドリッジ家で可愛がられているみたいですからね」
ルイスがかけている眼鏡の位置を調節するように、指で真ん中を押しながら言った。
「本当はコリガン先生のホテルに滞在するのも反対みたいですよ。コリガン先生から引き離して、アルドリッジ家で養育したいようです」
「そんな話をアシュリーが?」
「いいえ、コリガン先生が娘を養育できると示す必要があると言ってたので……憶測です。たぶんあってると思います」
「だからアルドリッジの姫なんだ」
少々軽薄なコリンが、ウィリアムやルイスとは違って、まったく気楽な調子で言った。
「でもさ、正直アルドリッジ家に引き取られた方がアシュリーにはよい気がするよ。堅苦しい名門寄宿学校に行く必要もなくなる」
「あれはアシュリーが行きたがってるんだ。母親の母校だから」
「そうだっけ?」
「そうだよ。アシュリーがそう言ってた」
軽く応じたコリンに、トニーが呆れ返ったようにため息を吐く。
「しばらくこっちにいるとは思うけど、クラブに顔は出すかな? 短剣見せてあげたいな……アシュリーは綺麗なものが好きだから」
テッドがうっとりとした調子でいう。
アシュリーのスケッチもしているし、どうやら芸術心もあって彼女のことを気に入っているようだ。
「テッドのそういうところ、ちょっと気持ち悪いぞ」
「まあアシュリーは美少女で、絵になるかもだけどさ」
コリンと、彼に呆れていたトニーが一緒になって、テッドを諌める。
五人が五人とも、それぞれアシュリーに好感を抱いているらしいのはわかった。
彼らにとってもきっと、守ってあげたいお姫様なのだろう。
「ところで、あの短剣ってなんですか? スケッチしていたから魔術の本に載ってるもの?」
ソフィアが話をアシュリーから切り替えれば、新しい課題だとルイスが教えてくれた。
「例の事件で、魔術書に非難の目が向けられているから、魔術の道具を調べることになったのですよ。クラブで預かっていますが、テッドの美術趣味にはまって……」
「魔道具? 魔石が使ってあるんですか?」
「違うよフィフィ。あれは儀式用の短剣だろう。古い魔術儀式のためのね」
使い道は様々と話すコンラートの口ぶりで、生贄の血を捧げるのにも使うとなんとなく察せられた。
本の次に、随分と物騒なものを彼らに預けたものである。
「事件のあれって、本当に金貨になったのかな?」
「まさか、盗んだかなにかだろう?」
ソフィア達の前を歩くコリンとトニーが、羊殺害事件のことを話している。
コリンは儀式が本当ならすごいことだと言い、トニーは馬鹿馬鹿しいと取り合わずにいる。
「生贄は非効率って、前に調べたじゃないか」
「非効率ってことは、まったく無駄じゃないってことだろ? すごい力を発揮したとかかも……」
「――それはないです」
コリンの言葉を、ソフィアは否定した。
「非効率なのは、対価として釣り合わないからなんです。“死”は、力を生み出すものではなくて、“死”という現象に力が消費されて、散逸してしまうものですから」
「……はあ」
「とてもなにかを引き起こすだけの力は取り出せません。それなら、クズ魔石一個のがよほど力があります」
ソフィアの説明に、ぽかんとしているコリンとトニーに、ごほんとルイスが咳払いした。
「情けないな君たちは。課外授業でシュタウヘン先生が説明していたじゃないか。それを引き起こすものがなければ成立しない。金貨を得るだけのものがないのに、そこにあるわけがないってことですよ」
「まあそうだね」
コンラートが相槌を打てば、なんだあとコリンはつまらなさそうに呟いた。
「あれが本当だったら、一生お金に困らないのに……」
「残念ながらそうはいかないね」
「本当に残念だ……」
「魔術と関わりも深い錬金術は、鉛を金にすることを目指したが実現しなかった。しかし代わりに、いまの世に様々な技術の恩恵をもたらした。金に値するものを生み出したんだよ」
コンラートは少年たちを諭しながら、周囲の街の営みを眺めるように目を細める。
ああ、人々の営みを動かし支えているものを彼は見ていると、ソフィアにはわかった。話しながら歩いているうちに、シューッと蒸気を吐き出す音が聞こえてくる。
「さあ、駅についたよ。皆、気をつけて」
列車の蒸気機関の白い煙が漂う駅を前に、「はい、シュタウヘン先生」と少年たちは口々に応え、挨拶した。




