第55話 魔術書探究クラブ(9)
時代がかった重厚さの柱時計が、ケースの中で鈍い金属の艶を見せる振り子を揺らしていた。
針が示す時間は、夜の七時を過ぎている。
西庭寮の談話室で、普段着姿のトニーは意気消沈していた。
「あれ、トニーどうしたの?」
脱いだ制服の一部を手にソファで項垂れているトニーに、通りがかったコリンが声を掛けたが彼は答えなかった。
代わりにトニーに付き添うように隣にかけていたウィリアムが、気の毒そうな顔でコリンに首を振る。
「先輩達に注意されちゃったんだよ。金ボタンはやり過ぎだって」
「ああ、紋章だけにしたらって言ってたのに」
「うるさいな。そんな決まりないだろ。旧中庭寮の奴らになにか言われたんだ。あいつら自分達の特権だって思ってる。くそっ」
「仕方ないよ。貴族の集まりだ」
特に優劣はないのだが、四つある寮には序列めいたものがなんとなくある。
一番上が旧中庭寮、一番下が西庭寮といった具合に。
伝統を重んじる校風と寮の歴史もあるが、配属される生徒の違いもあった。
共同生活における身分の影響を出来る限り少なく、寮ごと成果を競う切磋琢磨の環境を機能させるため、生徒の振り分けは考慮されている。
旧中庭寮は貴族の子弟が多かった。
「せっかくバリントンの仕立屋で頼んだのに」
「自業自得だな。あまりいい気になるなと言っただろう」
トニー達の会話を聞いて、少し離れたソフィアで読書をしていたルイスが、眼鏡を持ち上げてコメントする。
「いい気になっていないし、気取り屋に言われたくない!」
「二人共、喧嘩しないでっ」
かっとなって言い返したトニーに、慌ててウィリアムが二人を取りなす。
また始まったとにやにやしているコリンに、ウィリアムはまったくもうと肩を落とした。
「テッドは?」
ウィリアムのおかげで喧嘩にならず、つまらなそうにコリンが尋ねた。
「あいつなら自分の部屋で、短剣をスケッチしてる」
テッドと同室のトニーが言った。
短剣とは、今日、コリガン講師に渡されたものだ。細やかな彫刻で装飾がされた、鞘付のペーパーナイフのような細身の美しいものだった。
かつて神秘の儀式に使われていたもののレプリカだという。
『魔術書探究クラブ』の会合日は第一と第三木曜日だが、居心地がよいのでクラブハウスの部屋には毎日のように集まって喋ったり、宿題したりしている。
そこへ会合日以外に来ることはない、コリガン講師がやってきて皆驚いた。
しかし、いまの騒ぎのなかで魔術書を扱うのは控えるよう言われ、来た理由がわかった。彼はその代わりとしてナイフを差し出した。
『問題なのは魔術書ではなく、そこに記されている古い魔術であり“誤った神秘”なのだがね。皆本に問題意識がいっている』
困ったものだと、コリガン講師は冷笑した。
『レプリカといっても刃物には変わらない。取り扱いは慎重に』
そう言い渡して、コリガン講師は彼らの前から去っていった。
テッドは芸術趣味もあって、渡された物に夢中になっている。
「そんなことより、明日また仕立屋に行くから付き合ってくれよ」
トニーの頼みに、皆飛びついた。
外出許可を取って街中へ繰り出すことは大賛成だった。
◇◇◇◇◇
夕食を済ませて、ソフィアは温めた大きめのティーポットに、たっぷりのお茶の葉を入れた。すぐそばには魔石を使った湯沸かしポッドが、ぐらぐら沸騰した水音と湯気を立てている。
ティーポットにお湯を注ぎ、ソフィアは用意していた砂時計をひっくり返す。
あとは待つばかりだ。待っている間にミルクや砂糖を用意する。
食後のお茶の用意は、ソフィアの役目だ。
半地下の厨房で、任されている数少ない家の中での役目に勤しんでいたら、コンラートが降りてきた。
「運ぶのを手伝おうと思ってね」
「大丈夫ですよ」
「そう言わず。いまから上に持っていけば丁度いい頃かな?」
コンラートが砂時計を見て、お茶の用意を並べた銀盆を持ち上げた。
居間に運んで、それぞれの席に落ち着く。
「フィフィはお茶を淹れるのが上手だね。教えた僕を超えるかな」
お茶の香を楽しむように目を伏せながら、コンラートが褒めてくれるのはいつものことだ。ソフィアの師は惜しみなくほめる。子供の頃から変わらない。
「どうかな……」
「お世辞じゃなくね、おいしいよ」
だったらうれしい。
えへへとソフィアはカップを近づけていた顔をほころばせる。
「さて、始めようか」
テーブルにカップを置いて、一人掛けのソファに深く身を沈め、コンラートが両手の指先を合わせた。
「羊の事件は一旦置いておこう。全体の中でどんな要素たり得るのか、いまの時点では不明だ」
「はい」
「現状、一番の疑しいものはなんだろう」
うーん、とソフィアは頭を悩ませる。
直感的に浮かび上がってくるのはコリガン講師だ。
そもそも彼の言動が気に掛かるとレディントン教授に言われ、ソフィアもコンラートも彼と会い、彼が顧問を務める『魔術書探究クラブ』の見学に行ったのだから。
「あれ?」
そこまで考えてソフィアは小さく声を上げた。
「なんだい、フィフィ?」
「いえ、なんだか最初がすっきりしないなと思って」
「実は、僕もだ。今日ますますその思いを深めた」
レディントン教授は、一体、コリガン講師のなにが気に掛かるのだろう?
「覚えているかな。今日、レディントン教授は『あの学生クラブの“活動自体”は問題ないと考えていた』と口にした。頼んでおいてなんて言ってはいたけれどね、神秘主義だの悪影響だの、そんなこと、はなから考えになかった」
「あ……たしかに」
「けれど、クラブにはなにか思うところがある。でなければ、僕やソフィアに見て欲しいなんて言わない。どういうことだろう?」
コンラートが眉間に皺を寄せる。ソフィアも不可解に顔を顰めた。
クラブの活動自体を問題にしないのなら、なにがあるのだろう?
「別に普通の学生さん達ですよね?」
古い魔術を学術的に調べることに面白さを見出しているが、それだけだ。
むしろ知的好奇心のあるいい子達だろう。
魔術の徒の一人として、ソフィアも好感が持てる。
「普通だね。むしろあの学校の中ではぱっとしない部類ではないかな」
「ぱっとしない?」
ソフィアは首を傾げた。
「成績上位でもなく、爵位ある家でもない。属している寮も他より新しい」
「成績や爵位はともかく、寮でも区別されるんですか?」
「ああいった学校は伝統を重んじる。生徒もなにかにつけてね。寮の歴史で序列がついたり、立場や役回りに特権がつくんだ」
制服の一部が微妙に違っているのは、一般生徒との序列の違いや特権的立場を示すためのものだと、ソフィアにコンラートは説明した。
制服ひとつにそんなに色々な意味を暗に込めるなんて、なんて繊細な世界なんだろう。本当にこの国の階級社会は、あらゆる場所で息づいている。
「……トニーは? 彼は金ボタンをつけていましたよね。たしかクリケットのレギュラーになったって」
「でも彼の場合は、本来そうなる選手が転校しての繰り上げだからね」
「そう言えば……ウィリアムが校内の案内をしてくれた時に心配していました。金ボタンは目立ちすぎる。紋章だけにしておけばいいのにって」
人が良くて温厚な少年の困惑顔をソフィアは思い出した。
「きっと“いい気になってる”って言われる……旧中庭寮の優等生でもないのにって」
「本当は、歴史ある寮の特権とされているのかもね。慣習や暗黙の了解みたいなものだから」
「なんだか面倒……」
ソフィアが呟けば、コンラートは困ったように苦笑いした。
「各々は皆、学校特有のルールの中で行動しているだけさ」
「レディントン教授の言う通り、コリガン講師っていい教師なのかもですね」
こくこくとお茶を飲んだソフィアに、コンラートが怪訝そうな顔をする。
「なんの話だい? フィフィ」
「申し分のない講師って、レディントン教授言ってましたよ」
「ああ、最初に気に掛かるって言ってきた時か」
「ホテルで実際に会った時、なんだか当てつけみたいなこと言ったり、アシュリーに可哀想なこと言ったりするから正直微妙に思う部分もあるけど。でも、彼らに声をかけて学生クラブを作っているし、慕われて……どうしました、師匠?」
片手で口元を覆って考え出したコンラートに、どうしたのだろうとソフィアは先ほどよりも、もっと深く首を傾げた。
「たしかにそうだ。人となりと行動が合っていない……教授の疑念はそれか」
「師匠?」
「そう思いたくないか、憶測では口にできないようなこと。フィフィの言う通り、クラブメンバーの生徒達はコリガン講師が声をかけている。本当に学科を盛り上げたいなら、彼はもっと優秀で目立ちそうな生徒に声をかけそうなのに……」
考えを整理するようにぶつぶつと呟くコンラートの言葉を聞きながら、ソフィアはあらためて思った。
――レディントン教授は、一体、コリガン講師のなにが気に掛かるのだろう?
コンラートとソフィアに、なにを探って欲しいのだろう。
学生クラブの活動に問題がないとなったら、騒動を理由に監査を依頼してきた。
「もし、なにかの計画であったなら、コリガン講師はなにを目的としているのだろう?」
計画――もしそれがあまりよくない企てであるのなら、ソフィアは捜査経験上、思いつくものはいくらもない。
「悪いことだったら、詐欺か窃盗か殺人――事件を大雑把に分類したら大体この三つのどれかだと思います」
「フィフィ……弟子が物騒で心配だ」
「だって、これまで検屍したの、怨恨とか強盗とか遺産相続にまつわる事件で……」
「エドワード殿下に苦情申し立てしたいね」
緩やかにうねる黒い前髪をかき上げて、コンラートはぼやいた。
「遺産相続といえば……コリガン講師の奥様が相続した、アルドリッジ家の遺産はアシュリーに引き継がれたって言ってましたよね」
「コリガン講師には関係がないと言っていたね。アルドリッジの血縁者に資産が渡るようにしてあるのじゃないかな」
「師匠……明日、ホテルへ行ってみませんか?」
ソフィアは、アシュリーに会ってみないかと提案した。
彼女についてもよくわからないことがある。
普段は家庭教師がついて勉強しているのだろうが、学校の少年達と仲良くなる程の頻度でどうして首都に来ているのだろう。
コリガン講師は本当に娘を溺愛しているのだろうか。
「なんだか、わたしも心配になってきました……」
うまく言葉にできないけれど、なにか嫌な感じがする。
見えない仕掛けの歯車が動いているようだ。
「なにより、なにが起きようとしているのか、知りたいです」
そうだねと、ソフィアの言葉にコンラートも同意した。




