第53話 魔術書探究クラブ(7)
ソフィアが検屍官として首都警察と関わるようになって二年ほど。
なんとなく顔見知りの警官も出来てくる。
「なにかあったのですか?」
校内を警備するように配置されている警官の中に、ソフィアは見知った顔を見つけて近づいた。
とはいえ、互いに挨拶しているわけでもない。
強面の、見るからに腕っぷしの強そうな警官である。
遠ざけられるかもと思ったが、相手もソフィアの顔を見て「ああ」と覚えのある表情をし、何故か怪訝そうな表情を浮かべた。
「レストラード警部の検屍官殿! こんなことでも呼び出されるのですか?」
「え?」
ソフィアは首を傾げた。
呼び出されてなどいない。
レストラードの検屍官というわけでもない。むしろソフィアが居合わせた事件現場に指名しているようなものだが、警官にはペアを組んで見えていたらしい。
それはともかく、こんなことでもとは、どういうことなのだろう。
疑問符だらけなソフィアを見かねたのか、彼女の後ろから「失礼」とコンラートが歩み出て、警官の前に立った。
「魔導師の仕事でこの学校に用があってね。なにか事故かな? それとも事件?」
「だっ、大魔導師様っ! じ、事件であります!」
コンラートは、首都警察の中では事件解決の協力者として有名である。
慌てて背筋をビッと伸ばし、警官は改まった口調で答えた。
見た目は二十代半ば過ぎといったところだが、ソフィア達に対応する雰囲気から、実際はもっと若そうである。
「この学校の要請でこのような警備を。飼育されていた羊の遺骸が目立つ場所に遺棄されており、現場封鎖と生徒の目に触れさせない誘導も兼ねて!」
「羊……?」
「小官も現場封鎖で見ましたが……いたずらにしても悪質ですよ。あちこち切り裂かれて、血まみれで……目立つように丸で囲ってあって」
ソフィアとコンラートは顔を見合わせた。
「君、案内してくれないかい?」
「えっ、要請で来ているわけじゃないのですよね? でしたら入れるわけには……」
いくら検屍官と協力者でも、捜査に無関係な者を入れるわけにはいかない。
遠慮がちに断った警官の判断は正しい。
ソフィアは少し考えて、羽織っているローブの襟元を開き、裏側につけている徽章を見せた。
「魔術が絡んだ犯罪の可能性があります。職権により検分立ち合いを希望します」
「せ、政府紋章!?」
「嘱託の検屍官、です」
一般的な検屍官とは異なる任命経緯を持つソフィアは、警官に曖昧に笑んだ。
検屍官は、主に経験豊富な法律関係者や医師から選ばれる。
任命も、自治体の議会から受ける司法官吏だ。
だが、ソフィアの場合は、第三王子エドワードの強い意向が働いての内務省経由の異例の任命だった。政府嘱託はそのためである。
常識的な捜査では不可解極まりない事件解決の糸口として、「貴様は見込みがある」といった納得できない理由と権限を、エドワードから賜っている。
「政府から、魔術的見地からの判断で立ち入り調査できる権限を与えられている。これでどうかな?」
「はあ……いや、どうかなと言われても……小官の一存では……」
コンラートもレディントン教授からの依頼から、確認が必要と判断したのだろう。
ソフィアの援護をしてくれたが、警官は、自分が判断できることではないと渋っている。職務に忠実な人だ。
「あの……だったら、現場指揮をとっている人に伝えてもらうのは?」
「それぐらいでしたら……」
「おい! そこ、なにしてる!」
問答しているソフィア達を見咎めて、立ち入り禁止とされている場所の奥から、焦茶色のスーツを着た三十代半ばくらいの男が声をあげて駆け寄ってきた。
「サルデン刑事っ、丁度いいところに。この方々が……」
「ここからは立ち入り禁止です。この先の校舎に用があるなら、迂回ください」
鬱陶しそうにソフィア達を追い払った男は、この現場の担当刑事らしかった。こんな学校に呼び立てられてうんざりといった様子で、警官を注意する。
「まったく、それくらいはっきり伝えろっ」
「あの、いえ……そうではなく……」
「あ?」
「失敬。魔導師のコンラート・シュタウヘンと申します。この子は弟子のソフィア。政府嘱託の検屍官でもある。彼は顔見知りの警官で、なにかあったかと尋ねていたところです。彼に叱責されるような落ち度はありませんよ」
穏やかに名前を告げ、警官を庇ったコンラートに、サルデン刑事と呼ばれた担当刑事らしき男は目をわずかに見開いた。突然現れた有名人に動揺したのか、妙な具合に引き攣った顔になっている。
「コンラート……シュタウヘン……だ、と?」
「はい」
「政府顧問の? 我々首都警察の協力者?」
「はい」
にこやかにコンラートは応じて、白ローブの中から出した名刺を男に渡す。
渡された名刺と、コンラートを交互に見比べて、引き結んだ口元をミミズがうねるように歪ませ「……大魔導師」と呟いた。
「貴殿は、担当刑事かな?」
「政府のお偉い方が、何故こんなところに!?」
「ただ相談役というだけで、偉いわけでは……」
「貴族様でしょう! 新聞に書いてあった!」
コンラートの質問には答えず、大声を上げた刑事に、ソフィアは小さくため息を吐いた。
これは、あまり協力は望めない側の刑事だ。
「……貴族様でも、通すわけにはいきませんよ」
「僕は貴族ではないのだけれどね。それから、恩師が学科長を務めていて、恩師の依頼で講師を引き受けている」
「それはそれは。部外者ではないと言いたいのでしょうが、捜査に無関係でしょう」
「サルデン刑事? 貴殿は……」
「巡査部長で、この現場の指揮を」
やはり担当刑事であった。
心底迷惑といった表情は、刑事というより銀行の事務員めいた、神経質で融通のきかない気難しさが見てとれる。
胡桃の殻のような褪せた茶色の髪を短く撫で付け、顔立ち自体は朴訥な雰囲気であるが、茶色い目で人を薮睨みする目つきが悪い。
埒が明かないと、ソフィアはコンラートの隣に並んだ。
「あのっ、サルデン刑事」
「ん?」
「検屍官のソフィア・レイアリングです」
「はあ、検屍官?! あんたが?」
「はい、嘱託ですけど」
ソフィアはローブ裏の徽章を見せた。政府紋章の効果は絶大である。
口をあんぐりと開けてサルデンが驚く。
こういった反応をされるのも、いい加減慣れてきていた。
どうせ十四、五歳の子供だと思っていたに違いない。
「サルデン刑事! この方はレストラード警部と何度も捜査をされていて、小官も現場で何度かお見かけしております」
「ふん、だからって死んでるのは動物だ。検屍官の出る幕じゃない」
「ですが、魔術絡みの犯罪かもしれません」
「はっ、魔術? ただの不良の悪質な悪戯だ。動物虐待。いいとこのお坊ちゃんは親の金と権力で、なにやってもいいと思ってる」
「でもっ!」
「さっさと調べて片付けろとも言われてる。どうせ犯人も学生の中からすぐ見つかる。管轄外の検屍官殿はお引き取りを」
うぅ〜わからず屋〜と、ソフィアは内心唸った。
レストラードだったら、渋りながらもきっとすぐ通してくれるのに。渋る理由だって若い娘に残虐な現場を見せたくないといった、父性的な倫理観からだ。
サルデンのような、縄張り意識のようなものはない。
とはいえ要請もなく遺体があるわけでもない、拒むサルデン刑事は間違ってもいない。疑わしいだけで強制的に立ち入れば、面倒なことになるだろう。
「入れてやってもらえないかね、サルデン刑事」
「は?」
「学園長に話は通しておくよ」
現場のある方角から、もう一人の人物が出てきてサルデンをとりなした。
ソフィアに微笑みかけたその人物は、これから会うレディントン教授だった。
柔和だが重い圧を感じさせる幹部教員にじっと見据えられ、サルデンは鋭く息を抜くような舌打ちをすると、ソフィアに手の平で現場の方向を指した。
「……どうぞ」
「ありがとうございます」
「なんなんだ……ったく、貴様らもっとしゃんとしろっ! 大体……」
苛々しながら、警備の警官達に文句を言い始めたサルデンの側を通り抜けて、ソフィアは困ったようにレディントン教授を見上げた。
放っておきなさいと言われ、ソフィアが歩きながら後ろを振り返ると、付き従うようについてきていたコンラートが小さく肩をすくめる。
「現場はどちらですか、教授」
「この奥だ、西庭寮の中庭でね。近くに飼育小屋がある。こんなことが起きるとは……いい時に来てくれたよ、シュタウヘン」
「お約束していましたから」
「来ると思って迎えに来た。ソフィア、不愉快な目に合わせてすまなかったね」
「いいえ。気にしてません」
「僕は気にする。政府の証を軽視するとは、頭が悪いとしか言えない」
「師匠、口が悪いです……」
腹立たしさはあるが、およそ一般的な検屍官とかけ離れている点は否めない。だから仕方がないとソフィア自身は思っている。
レディントン教授は憤慨するコンラートを見て、なにがおかしいのか笑いを噛み殺している。
途中、何人かの警官に声をかけられたが、その都度、レジントン教授が対応してくれて、ソフィア達は現場を見ることができた。
「この学校に学生寮は四つ。西庭寮は歴史は一番浅いが、新たに広げた敷地に建てられたので、庭も広さがある」
この学校は各寮ごと、動物を飼育している。
動物の世話を通じて、博愛と献身の精神を養うためであるらしい。
「生徒達も存外可愛がっていてね……だから彼らの誰かとは思いたくない」
レディントン教授は沈鬱な面持ちで言った。
魔術学校でも数々の教え子を指導してきた教育者として、心を痛めているのだろう。その心中を容易く想像できる、酷い事件現場だった。
美しい芝生の地面は掘り返され、荒らされていた。
円を描くように掘り返された土で、盛土の祭壇が中央に作られ、祭壇の上に前足と後ろ足を縛られた仔羊の遺骸が載せられていた。
祭壇の側に血のついた石が転がっている。大人の拳より一回りほど大きな石だ。
「胴体などにも傷がありますが、致命傷は喉を掻き切った傷でしょうね」
つい、いつもの検屍のようにソフィアは羊を見て言った。
サルデンは悪戯と言ったが、明らかにこれはなにかの魔術儀式を模したものだ。
だが生贄を捧げている点で、いまの魔術には類しない。
「儂にはてんででたらめに思えるが、どう見る。シュタウヘン、ソフィア」
「犯人は、たぶんお金が欲しかった……?」
「金?」
「はい。富にちなむものが、配置されていますから」
ソフィアは円の中の石を指して言った。
よく見ると、文字とも記号ともつかないものが表面に刻まれている。
「富を司る惑星、木星の記号です」
「そして土――地は富いずる場所だね。四大元素における物質界。貨幣や肉体を象徴するもの……盛土の祭壇は粗雑が過ぎるけれど」
「師匠」
「普通、もう少し厳かな用意をするものだ」
「なにが言いたい、シュタウヘン?」
「神秘主義にしても、学んだ者ではないですね」
「でも、基本はなんとなく押さえてますよね」
ソフィアがコンラートに言えば、彼も頷いた。
でたらめな魔術だが、でたらめ感が少ない。
少なくとも魔術的な思考で、なにをしたいか読み取れる。
「そうだね。なにかを得ようとした儀式といった様子だ」
「なにかを得る?」
無惨な姿の羊が乗せられた、土の祭壇を見下ろすコンラートの言葉を、ソフィアは繰り返した。二人は完全に捜査の時と同様になっていた。
魔法陣の外側から中を観察している二人に、すでに記録や鑑識作業を終えて撤収したい警官達が迷惑そうにしていたが、二人の意識の外にあった。
「召喚ではなく祈祷の類だね。なにかの力を集めようとした」
「どうしてですか?」
「召喚術なら、術者の安全を守るべき陣が必要だ」
たしかにとソフィアは、掘り返された円の外周をぐるりと回りながら、周囲を見渡した。結界として外部を閉ざす円は、この盛土の祭壇を中央に置く円ただ一つ。
他は、なにも見当たらない。
「昨日は木曜。いまの時期の儀式に適した時間……日の入りから日の出までを十二分割して木星時間を計算すれば、消灯時間の前後と夜明け前がそれに当たる」
どちらも夜の闇に紛れ、人の目を盗んで実行できる時間だ。
一番広い庭で、寮の窓から少し距離がある。暗い中では目につきにくい。
「だとすると、その時間帯に自由に動けた、金銭的に困っている人が犯人像となりますね」
「かなり困窮しているのじゃないかな? 生贄を用いるなんて、より強力な力の凝集を望んですることだ……この学校の性質上、学生の可能性は低そうだ」
「生活態度には、寮監や監督生も目を光らせている。違反は寮生の連帯責任」
「では、寮生活でお金を使い込むことも生じにくいでしょう」
そもそも良家の子弟ばかりだ。家に援助だって求めることだってできる。
「現時点で犯人に関して言えることは、フィフィ?」
「はい。犯人の属性はともかく。犯行条件として、ある種閉鎖された校内で夜間に敷地内を出歩いて不審がられず、金銭的に困窮している――と、推測できます」
「鮮やかなものだ……」
「あくまでまだ推測の範囲ですよ、レディントン教授」
「それが君の言う、“事象の観察”と“秩序と方法”か。言われてみればそうかと思うが、儂には悪趣味な儀式の跡にしか見えなかったよ」
レディントン教授は顎を撫でながら言った。
コンラートは「ええまあ」と曖昧に答えたが、ソフィアにとってはいつもの当たり前のことだ。レディントン教授ほどの魔導師が感嘆するなんて不思議だった。
「フィフィ。君は祖国にいる時から僕についてる。不思議に思っているだろうけど、一般的な魔導師は体系と専門の魔術に詳しくても他は範疇外なんだ」
「?」
「あらゆる事象を魔術的に記述しなおす。逆もしかり。君には己の研究成果を絶対見せたくない者が多い理由もわかる。教え子ながら恐ろしいね……シュタウヘン卿」
「貴方に卿と呼ばれるのは……多くの方に敬遠されているのは、わかっていますよ」
「いやいや、君によって知見を得た者も多くいる。ま、半々というところだな」
ぽんぽんとコンラートの白ローブの背を励ますように叩いたレディントン教授は、ややあって来た方向を振り返った。
「担当刑事殿が戻ってきたようだ」
肩をいからせて歩いてくるサルデン刑事に、面倒なことになりそうだと、ソフィは眉間に皺を寄せる。
「現場を荒らしちゃいないでしょうね?」
「もちろんだとも。調査や記録も済んだようだね、流石に首都警察は手際がいい」
「なら、いいですが」
サルデンの相手をしてくれたレディントン教授は、ソフィアとコンラートに目配せした。
「先に儂の部屋で待っていてくれたまえ。サルデン刑事と少し話してから行く」
どうやらソフィアとコンラートの推測を代わりに伝えてくれるらしい。
明らかに魔術に理解を示すことはなさそうな、サルデン刑事の相手をさせるのは申し訳ないとソフィアは思ったが、コンラートにエスコートの手を取られた。
「では、お待ちしています。教授」
「え、でも師匠っ」
「任せておくのがいいと思うよ」
あの人なら上手く丸め込んでくれるとコンラートの囁きに、たしかにそうかもとソフィアも納得したのだった。




