第51話 魔術書探求クラブ(5)
父親の後ろからおずおずと出てきて、貴族の家の出身の父母をもつ小さな淑女としてカーテシーを見せてアシュリーは挨拶した。
たしかに“姫君”――少年達からそう呼ばれて、違和感のない愛らしさの少女だ。
砂糖菓子のような女の子。
銀杏色のデイ・ドレスに包まれた細い手足。節目がちに潤んだ目元や、薔薇色に色づくふっくらとした頬と小さな唇、透き通るような白肌の、儚げな容貌。
「偉いぞ、アシュリー」
頭を撫でて、コリガン講師が娘を褒める。
笑みを浮かべた顔でアシュリーを見下ろしている。
「コリガン先生は、娘を溺愛しているのですよ」
ソフィアに、隣席のルイスがこっそりと囁いた。意外な一面だ。
言われてみれば、娘に付き添っていたに違いないメイドをホテルへやって、わざわざ学校に連れてくるあたり、窺い知れる。
「だが、ママと同じ学校へ行くには、もう少し練習が必要だな。まだ十歳なもので覚束ず、お恥ずかしい」
しかし、十歳なら当然の娘の未熟さを、恥じるように言ったコリガン講師に、ソフィアは初対面での彼の印象も思い出した。
他者に対し、皮肉が過ぎる物言いをする人。
己と、己に付随するものを誇りたがるところがある人。
その言葉は溺愛する娘を前に、謙遜でも口にすることではない気がした。
少なくとも、褒めたはずのアシュリーを気落ちさせる言葉だろう。
父親から人前で「練習がいる」「恥ずかしい」と言われて、俯いた彼女が気の毒に思えてくる。
「そんなことないですよ。とても上手でした。わたしが十歳の時よりもずっとです」
思わずソフィアはアシュリーに声をかけた。
子供の頃の大半を、歪んだ環境で過ごしているソフィアだが、救い出されてからは家族やコンラートから、空白分を上乗せしたような愛情に包まれて過ごしていた。
だから、アシュリーを放っておくことができなかった。
「君が、十歳の時とは?」
しかしソフィアの言葉に、コリガン講師は少なからず違和感を覚えてしまったようだ。平民階級の子供に、淑女のための礼儀作法など無縁のもののはずだから。
「あ、それは……」
「弟子はルドルフシュタットの旧王宮にいて、作法を学んでいるため。随分と練習もしてね」
ソフィアが言い訳を考えるより早く、コンラートが嘘ではない補足をした。
彼の言葉に、コリガン講師は驚いたような顔をする。
「僕の弟子なのも、僕が彼女がいた宮に出入りし、仕えていた経緯があってなのですよ」
「所作が整っているのは卿の指導と思っていたが……なるほど、祖国で王宮勤めを」
コンラートのおかげで、ソフィアは嘘を吐く罪悪感を抱かずに、コリガン講師を納得させることができた。
祖国では王宮にいたという事実は、コリガン講師の中でソフィアの地位をいくらか向上させたらしい。彼がソフィアに向ける目が少し変化した気がする。
大魔導師の弟子だから礼を失することはないものの、外国人で平民の見習いだ。
無関心とも、取るに足らない相手ともいった眼差しだったのだ。
「アシュリー、こちらに座りなよ」
一番近くにいたウィリアムが優しく話しかけ、アシュリーは俯いていた頭を持ち上げて、父親の顔色をうかがう。
コリガン講師がうなずけば、わずかに表情を明るくした。
ウィリアムは立ち上がって空いた席を引いて、アシュリーを座らせる。
「……アシュリーは本当に、君によく懐いているな」
「妹や弟がいるから」
「立ったついでに、私の鞄の中の本を持ってきてくれないかね。布で包んである」
「はい」
ウィリアムに持ってきた本を取ってくるよう頼み、コリガン講師も座った。
待っていたいたように、ルイスがすっと立ち上がり、タルトを皿に取り分けてアシュリーの元に差し出して、コリガン親子の飲み物を用意する。
そんな学生二人の姿は、まるで親子に仕える侍従と執事のようだ。
「アシュリーには温めたミルクを。先生も僕たちと同じお茶でいいですか?」
「構わんよ。ヒンディア産だろ」
「はい、ウィリアムの家から色々と取り寄せられるのは便利ですよね」
「まったく、学生の方が教員より余程いいものを飲んでる」
ウィリアムは常に周囲に気を遣い、ルイスはクラブを代表する者としての振る舞いといった様子だ。在り方としては異なるものの、このクラブで率先して手を動かすのはこの二人のようだ。
トニー達は、コリガン講師が現れた途端に大人しくなっている。
教師というだけでなく、コリガン講師が貴族の家の出であることも影響しているのかもしれない。爵位のある家かない家かで、アルビオンの階級社会は大きく線引きされる。それは学生であっても同様だ。だから彼らも似た階級でつるんでいる。
「コリガン先生、こちらですか」
黒い布に包まれた本を、ウィリアムがテーブルに置いた。
自然その場にいる者たちの目が、それに引き寄せられる。
「今日は、かの大魔導師、シュタウヘン先生もいるからね……」
言いながらコリガン講師は布を開いた。
中から焦茶色に金の箔押しで装飾された古書が現れる。
「今回は『聖魔術師アブハムの手稿』の写し、二百年程前に印刷された本だ」
なんでも守護天使と契約する、聖魔術に基づく秘術の書だという。
大いなる悪魔とその眷属を使役する儀式と、望みを叶えるといった術が記されているといった説明だった。
「護符などは難解だから、テーマとするなら最初の儀式あたりだろう」
「あの……悪魔を使役するのに、聖魔術なのですか?」
悪魔だなんてどう考えても、聖とは言えない。
むむむっと、眉を顰めてソフィアが質問すれば、「いい質問だな」とコリガン講師は本の表紙に触れた。
「悪魔は危険なものだ。だからこそ先に守護天使と契約をし、その聖なる力を加護として悪魔を従わせる……ですよね? コリガン講師」
柔らかな声音のコンラートの解説に、得心顔でコリガン講師は腕を組んで頷いた。
「その通りだ。さすがはシュタウヘン卿!」
学生が、提供される魔術書の内容を知っているとは思えない。
説明するにしても一定の予備知識がある者がいるのは、うれしいことなのだろう。
「つまり聖なる力でもって悪魔を使役するから、聖魔術なわけだ」
ソフィアの質問にコリガン講師が答える。
それはそうかもしれないが、なんだかひどい屁理屈にも思える。
「教会の弾圧避けもあるだろうな。神の御使いの守護を否定はできない。我が国とて、初めから魔術が認められていたわけじゃない。葛藤の時代もあったのだよ」
「古い時代の魔術書の中では、比較的よく複製、刊行されている本だよ」
「ああ、粗雑な作りの古本も無数にある」
「いまも好事家向けに出版されているからね。しかし、ここまで古い時代のものを見たのは僕も初めてかな」
じっ、と本を注視するコンラートに、きっと流通している本の版と、記述の内容に違いはあるだろうかなどと考えているに違いないと、ソフィアは思う。
「本はお茶の後に。会報誌を見てもらっていたところだったのだろう? あらためて具体的な活動について説明が先だな」
一息つきたいとコリガン講師は言って、再び古書を布に包むと自ら立って書見台にそれを置いた。
お茶やお菓子が出ているテーブルに、本を出したままにしたくはないのだろう。
こうして再び、話はこの学生クラブの活動についての話に戻った。
◇◇◇◇◇
『魔術書探究クラブ』は、顧問のコリガン講師が提供する古い魔術書の中からテーマとする魔術の箇所を決め、メンバーで手分けして調べ、皆で考察し、その成果を冊子にまとめるのが主な活動であった。
研究成果を一つまとめるのに、大体二、三ヶ月程かかる。
今回の集まりは、丁度新しい本の提供がなされるタイミングだ。
コリガン講師から見学の日付は今日と、コンラートは指定されて来ていた。
――所詮は十代半ばの少年たち、たかが知れていると考えていたら……。
コンラートは少々後悔していた。
もちろんレディントンの依頼でソフィアを巻き込んで、『魔術書探究クラブ』を探る事態になっていることをである。やはり断るべきだったと思う。
クラブの活動内容が、予想以上に本格的だったからだ。
そもそもが、名門私立学校に進むような子息達の集まりである。彼らは将来、領地を継ぐか、官僚など社会の上層を担う若者たちだ。
魔術職志望ですらない。
そんな彼らにコリガン講師が提供する本など、大したものではないだろうとコンラートは考えていたが、“呪術迷信”を専門とする魔導師として納得の選書だ。
幸い、生徒達の話や会報誌の内容を見る限り、理知的な資料の扱いをしている。
書物の背景に触れ、書かれている内容を淡々と教え、取り上げるテーマについて助言し、ことさら生徒達の好奇心を煽るようなこともしていない。
――本の内容はいただけないが、コリガン講師の姿勢自体は真っ当だ。
守護天使と契約する、聖魔術。
それがどのような儀式で行われるか、コンラートは内容を知っている。
――子供を霊媒とする儀式。
コンラートの脳裏に、過去の情景がフラッシュバックする。
夥しい血に汚れた床と描れた魔法陣、その中心に祀られていた剥製と化した王妃の遺体、まさに儀式の霊媒にされていたソフィアの虚ろな表情。
「思っていたよりも、ずっと本格的な活動ですね!」
甘く透き通ったソフィアの声が耳を打って、コンラートは過ぎ去った時から現在へと意識を戻した。
彼の頭の中や心中とは裏腹に、にこやかにソフィアは少年達に学生クラブの活動についての感想を述べている。
目の前の光景は、和やかな午後のお茶会そのものだった。
いつの間にか、ウィリアムの写真機もテーブルの上に置かれていて、具体的にどういったやり方で調べていくのか、代表を自負するルイスが説明している最中だった。
「コリガン先生の蔵書は稀少な古書や、高価な古書ですから、直に触れて目にできるのは今日のような提供日だけです。そこで写真機が活躍します」
「僕も、活躍してるぞ!」
テッドが手を挙げた。絵心のある彼は、本に描かれた魔法陣や護符や象徴を示す図案などを細かくスケッチする役であるらしい。
「絵も描くのですねっ」
「現像するまで、写真は使えないから。それに細かい部分は鮮明でもないし」
「彼の素描の腕はなかなかだ。アシュリーのスケッチも描いてもらったことがある」
コリガン講師と彼を慕う学生たちは、階級意識もあるが、和気藹々とした雰囲気だ。ソフィアの疑問にも快く応じている。
同年代の少年たちと楽しげに過ごすソフィアの姿が、コンラートを心の底から安堵させた。
「ホテルの書斎に飾ってあるよ」
嘘だな、とコンラートはコリガン講師に招かれたホテルの部屋を思い返す。
彼のデスクにはもちろん、壁や書架にもなかった。
そんな絵を見逃すような観察はしていない。
コンラートはこの手の、外では家族思いを装う者には勘が働いた。彼の家族は表立っては、彼を虐げているようには見せなかった。
――つまらないだろうな、彼女は。
コンラートはアシュリーを見た。
大人しく、温めたミルクを飲みながら、皆の話を聞いている。
亡き母は業界屈指の魔術素材工房を創設した家の出身で、父は魔導師。魔術に興味があってもおかしくないが、見た感じそんな様子ではない。
父親の望む、いい子の姿でそこにいる。
――最初に挨拶した時も、そんな印象だった。
父親の期待に応えようとし、うまくいっていない。
子供だから当然そんなこともあるが、コリガン講師は子供の未熟さに不満を覚えているようだ。
それに完璧にできたところで、それはそれで、この手の親は満足しない。
表面上褒めたり他人に誇ったりはするだろうが、やがて出来ることは当然となり、当然であればあるだけ、“子供の姿として完璧でない”と理不尽な不満を抱く。
――僕も、昔はあんな感じだったのだろうか。
同じテーブルにいる女の子は十歳らしいが、コンラートは七歳で王家の庇護を受け、家族と距離を置く頃には、とっくにそのことを理解して達観していた子供だった。
王家の人々はコンラートの持つ魔術の資質の可能性以上に、コンラート自身を大切にしてくれた。国王は第二の父親とも言える存在だが、臣下の身である以上、無条件に甘えることはできなかったけれど。
「――面白いよな。ラティウム語で書かれているのも多くて、調べているうちにちょっと語学の成績上がったり」
「比喩や象徴的な図案も多いから、古代史でも役に立つし」
学生たちの会話は、クラブ活動が彼らの勉学に与える影響に移っていた。
傍観しながら、別のことばかり考えていたコンラートだったが、見学したいと言って来ているのは彼の側なので、会話に参加する。
「魔術は、本来、中等教育修了程度の知識や教養がないと難しいものが多いからね」
トニーとコリンの会話に、苦笑しながら入っていく。
魔術の勉強、特に魔術理論を理解するには、幅広い学問の知識や教養が前提として必要になる。
古典的な学科だけでなく、同じ錬金術から派生した自然科学の知識も必要だ。
ソフィアはルドルフシュタットの王宮で、王女として一般教養や学問の教師をつけて学ぶのと並行して、コンラートが残したノートで魔術を勉強している。
「特にコリガン講師の専門は、“古い魔術”に属するもので古典科目の知識がいかせる。そういえば、メンバーは講師が自ら声をかけたのだとか」
コンラートはお茶のカップを傾けながら、コリガン講師に尋ねた。
彼が来る前に、ウィリアムがそう言っていた。
「ああ、昨年からこの学校の選択授業を受け持つようになって……熱心に授業を受けてくれる五人組だったのでね。まだ新しい学科だ。クラブ活動もあれば、学生に興味を持ってもらえるのではないかと」
つまり、学科として盛り上げるためらしい。
他校の差別化で、魔術の基礎講義を選択教科に取り入れている学校だが、教科としての優先順位は低い。不人気なら廃止もあり得る。
「未来の我が国を動かす、由緒ある家の子弟を預かっている学校だ。魔術への理解者が増えれば、それだけ我らの存在意義も高まるとは思わないかね?」
「そうかもしれませんね」
急速にコンラートはコリガン講師へ興味を失った。
コンラートにとって魔術は「広く社会や人に恩恵を与える」ためのものだ。
魔術職の地位をより高みへ権力を強めたいわけじゃない。ある程度は円滑な活動のために必要なことだが、現状で十分確立している。
「そもそも、魔術は王室や高位の貴族と共にあったものなんですよね!」
「紳士の教科ですよ」
コリンとテッドが、タルトを平らげつつ言った。
好奇心もあるが、魔術がなにか箔付けになるように捉えているようだった。
ソフィアが不思議そうな顔をしている。
魔力持ちで、“誤った神秘”の被害者であるのに絵本の中の魔法使いに憧れて、魔術に親しむようになった彼女にはきっと理解できない感覚だ。
「さて、そろそろ実際の作業にかかろうかね、諸君」
レディントン教授の引っ掛かりは杞憂のものだろう、あの人にしては珍しく勘を外したなとコンラートは結論づけた。




