第48話 魔術書探求クラブ(2)
コリガン講師が引っかかると言ったレディントン教授は、手にしていてカップをテーブルへ置くと、もう一方でつまんでいた顎を撫でながらソフィアを見た。
「“間違った神秘”はわかるね?」
「はい。降霊術や生贄による秘術のような、いまの魔術の“神秘の体系”に入らない古い時代の魔術のことです」
ソフィアが答えれば、「左様」と満足気に教授は目を細める。
「根元は同じだけに厄介だ。いまの魔術と混同され、社会的悪影響もある。少し前に世間を騒がせた“裏通りの黒魔術事件”のようなね」
「裏通りの黒魔術事件……」
ソフィアが関わった事件の中で、とりわけ後味の悪いものだった。
降霊術の本の知識と思い込みによる、虐待死させた娘を取り戻す出鱈目な儀式。
そのために、三人もの女性の命が奪われた切り裂き魔事件。
犯人の自宅地下には、血で描かれた魔法陣と被害者から切り取られた臓器があった。“間違った神秘”が起こした事件と言える。
「あれは個人の思い込みらしいが、神秘崇拝などと組織化した輩もいる。魔術職の中にも参加する者がいるらしい。嘆かわしいことだ」
「教授は、コリガン講師が神秘崇拝に関わっていると? 研究テーマが“呪術迷信”といっても、まさか」
魔導師は研究者として、魔術師は技術者として、社会や人に魔術を提供する。
若くして評価されるような者であれば、研究者として与えられる予算なども違ってくる。それを棒に振るようなことに関わるなんて、ソフィアも思えなかった。
「無論だ。だが、彼の言動には、なにとはっきり言葉には出来ない不安を覚える」
「それで、この学校にも大学にも属さない部外者の僕に、コリガン講師を見極めろとでも?」
「魔術界で独立して自由にやってる魔導師など、君くらいだろう。これほど中立公正な目もない」
秀麗な顔に警戒の色をのせ、レディントン教授を睨むように見たコンラートに「おいおい、大袈裟に考えすぎだ」と教授は砕けた態度を見せた。
「外部の意見を聞きたいだけだ。君の弟子も含めて」
「え、わたしも?」
「見習いのソフィアも一緒なら、生徒たちも気を許す」
「生徒?」
いよいよ訝しげにコンラートが詰め寄るような声を出す。
ソフィアも困惑していた。レディントン教授の口ぶりは、まるでここの学生たちを探ってほしいように聞こえる。そんなことできない。
「お断りします。部外者でも意見すれば、僕の立場が影響を与えるかもしれない。わからない教授ではないはずです」
「政府顧問の大魔導師。我が教え子ながら偉くなったものだ」
「教授!」
人当たりよく、感情の起伏を見せず穏やかに他者に接するコンラートが、こんなにもはっきりと不快感を示すのは珍しい。
「魔術のことは魔術を修めし者にしかわからない。常識だよ。儂の目の届くところで逸脱者を見逃す訳にはいかない」
「だから、弟子にもスパイ紛いの真似をさせろと?」
「嫌な言い方をする……悪しき気配には敏感だろう。どのような印象を受けたか聞きたいだけだ。検屍官として数々の難事件を解決しているからね」
「副業で検屍官をしているだけですよ」
「新聞では師である君の助力とあるが、君が首都警察に協力し事件解決なんて柄じゃない」
「……とにかく、お断りします」
とりつくしまもないコンラートの返事であった。
無理もない。ソフィアが事件に巻き込まれたり、正規の要請があっても犯罪捜査に首を突っ込むことに、コンラートはあまりいい顔はしない。
「ソフィアが旧ルドルフシュタット王宮関係者だから、目立たないよう用心しているのだろう? それなら校内のことだ心配ない」
「師匠……」
コンラートが用心しているのは、ソフィアの正体がルドルフシュタットの第二王女だと知られることだ。きっといまの自由な暮らしは失われる。
第二王女は病死したと発表されていて、変身薬で髪と瞳の色も変えている。
公の場にもほとんど出ていなかった。
粛清で王女だったソフィアを知る者は、いまやコンラートしかいないと言っても過言ではない。平民の経歴が嘘とばれることはないと思う。
「フィフィが気にすることじゃない」
「でも」
コンラートとレディントン教授が険悪になるのも、ソフィアは嫌だった。
レディントン教授の依頼についてソフィアは考える。
コリガン講師を見極めて欲しい……本当にそうなのだろうか。
コンラートがどんな反応しそうか、わかりそうにも思うのに。
「いいんだよソフィア。君の師が正しい。興味を持つと思ったのだが……」
「興味?」
「コリガン講師は古い時代の魔術書蒐集家だからね」
反省したように肩を落としたレディントン教授の言葉に、コンラートのカップを持つ指がピクッと動いたのをソフィアは見た。
「彼が顧問で、蔵書の提供もする『魔術書探求クラブ』の活動を少し見て欲しいだけだったのだよ。悪影響がないか心配でね」
だが、学生クラブの活動を幹部教員が見学するのは、監視と受け取られかねない。
自由な学びの気風は損いたくないと、レディントン教授は話した。
「そういうことならっ。師匠、協力してもいいですよね?」
コンラートに頼んだ理由も納得だ。
ソフィアの師匠は書物、特に魔術書には目がない。
「いやいや、ソフィア。思慮深い君の師匠の言葉に己の浅慮を恥じた。本当にただコリガン講師と話が合いそうに思っただけだが、スパイ紛いには違いない……」
「でも、教授」
「ソフィアにとっても貴重書に触れられる機会になり、大魔導師のお墨付きなら儂も安心して昇進の後押しができるなどと都合よく――」
タンッと、コンラートがテーブルを叩くようにその手を置いた。
レディントン教授を睨み、口の端を曲げている。
「ん、なにかね?」
「貴方という人は、本当に! 勿体つけた言い方して! それならそうと言えばいいでしょう!」
「昔から注意している。君は人の先回りをして、賢しげにものを言うのが実によくない、生意気だと。どうせ普通に頼んだところで断るだろう」
ぐっ、とコンラートが唸る。
痛いところを突かれたといった様子だ。
「コリガン講師はバートラム地区にあるホテルに居を構えている。儂が講師に言って面会の調整がついたら連絡するよ」
「は? まだ承諾したわけじゃっ……」
「儂はそう受け取った。そう言えばいいと言ってくれたではないか!」
――レディントン教授、すごい。
彼の本好きを突いて、ソフィアの教育機会と大魔導師の肩書きが役に立つ大義名分付きで、言葉尻をとり話をまとめてしまった。
不承不承、承知したコンラートを見ながら、ソフィアは心から賞賛の眼差しをレディントン教授へと送ったのだった。
◇◇◇◇◇
首都ロンデウムの中でバートラム地区は、宮殿庭園や貴族の邸宅が集まる高級住宅地にほど近く、品の良い、しかし嫌味なほど敷居が高いわけでもない区画だった。
中流上の者にとって、“手が届く高級さ”の地区。
昔、角にあった三日月亭というパブから名付けられた、クレセント・ストリートには上品なホテルやアパートが立ち並び、ここフランクリン・ホテルもその一つ。
ロンデウム郊外の屋敷は不便、教員寮は落ち着かないと、ジェフリー・コリガンはこのホテルのアパートメント・ベッドルームを契約している。
「こんな高級ホテルに住んでいるなんて、すごいですね」
ホテルの自室からロビーに降りてきたコリガン講師に、コンラートと共に挨拶し、ソフィアはティールームの席に落ち着くと素直な感想を述べた。
ティールームは、縦に細長い窓から入る陽光で明るい。
天井のシャンデリアが光をきらきら反射させる下で、白いクロスに銀器と花を添えたテーブルを囲み、人々がお茶を楽しんでいる。
テーブルの間を白ジャケットの給仕係が行き来し、運ばれていくお茶の香りやお菓子の甘い匂いがソフィアの鼻腔をくすぐった。
「宿代だけで貴族のようにメイドやフットマンの世話を受けられる。首都で邸宅を維持するよりずっと安上がり。食事も好きにとれる。妻を亡くし娘を屋敷に置いている身には、こちらの方が気楽でね」
コリガン講師の説明に、なるほどとソフィアは感心した。
彼は、教師にしては精悍で、華のある雰囲気の人物であった。
亜麻色の髪を短く整え、茶色い眼差しは己への自信が溢れている。
流行のラウンジスーツに身を包み、艶やかな紺のウール地は上等なもの。
プレスされた白シャツの襟に、鮮やかな臙脂色のタイを結んでいた。
「娘が来た時の子守にも事欠かず、安心だ」
人々の生活や社会の発展に寄与する魔術職の地位は高い。
コリガン講師は研究者としての評価も高く、名門校で教鞭も取れる魔導師だ。
彼にとって、ほどほどの高級さのホテル住まいは選択肢の一つなのだろう。
「しかし、古き魔術の仇敵の如き大魔導師殿が、古き時代の魔術書蒐集家とは知らなかった」
コンラートが“誤った神秘”に属する、古い時代の魔術を検証・解体する論文をいくつも書いているからだろう。たしかに彼は“誤った神秘”を憎んでいる。
それについてはソフィアも無関係ではないけれど、ここでする話ではない。
コリガン講師の言葉に、コンラートは社交的な笑みを返した。
「当たらずとも遠からず。敵を知らなければ倒すことなど出来ない……」
「ふむ」
「なんて冗談です。仇敵どころか、非常に興味深い知見を得られるものと考えていますよ」
「卿を誤解していたな。なにを頼む? 弟子のお嬢さんもいることだ、ここのティールームはシード・ケーキが絶品でね」
「絶品のシード・ケーキ!」
コリガン講師の提案に、ソフィアは期待の眼差しをコンラートへと向けた。
アルビオンのお茶とお茶菓子に、ソフィアは大いなる敬意を払っている。
絶品などと勧められては、ぜひ食べてみたい。
「では、それを」
コンラートは苦笑しながら給仕に目配せと手指を動かし合図した。
ソフィア達の様子を眺め、提案者のコリガン講師は得意げに腕を組み頷いている。
「それがいい、新大陸の成金共に迎合しない本物のシード・ケーキだ」
「本物?」
「そうだよ、お嬢さん。私も頼むか、仕事を終えた後は品のいい甘みに限る。頭が痛くなりそうに甘ったるい【大陸菓子】ではなくね。君、お茶とシード・ケーキを人数分」
コリガン講師が注文し、やってきた給仕が「かしこまりました」と誇らしげな笑みで受けて、去っていく。
一方、ソフィアは少しばかり、彼の言葉に引っかかりを覚えた。
大陸出身のコンラートとソフィアに対し、当てつけにも思える言葉だったからだ。
「ここは高級だが寛げるホテルでね。従業員も古参が多く、手癖の悪い者もいない」
「そのようですね」
社交に慣れたコンラートはさらりと応じたが、誇りを持って働く従業員に対しても随分な言い方だった。コリガン講師はやや人を見下すような物言いをする。
「で、目的はなんだね? 学科長からは学生クラブに興味があると聞いたが。たしかに顧問を務めているが、学生のお遊びだ。大魔導師殿の興味を引くとは思えない」
テーブルの上で手を組み、尋ねてきたコリガン講師にコンラートは観念したそぶりで肩をすくめる。
「素晴らしいコレクションをお持ちと聞いて。提供もしているとか? ぜひ一度見学してみたいと教授に頼みました」
「師匠は、本に目がないんです」
ソフィアが援護するように言えば、くっくとコリガン講師は愉快そうに笑った。
「なるほど。蒐集家の性だな! 他人の書架が気になる」
「恥ずかしながら」
「参加は構わんよ、卿ならクラブにも箔がつく。折角だ、少し私の部屋へ寄っていきたまえ。いくらかお見せできる」
大魔導師と呼ばれ、政府顧問の名誉を得ているコンラートが、自分の書架に興味を持ち、伝手を頼って下手に出ている。
その事に気分を良くしたのか、愛想良くコリガン講師は彼の部屋に誘ってくれた。
「それは願ってもないことです」
コンラートは穏やかに喜んでみせた。
あっという間にコリガン講師の懐に入った、師の手腕にソフィアは舌を巻く。
ルドルフシュタットの王宮にいた頃から、人が得意がるところをくすぐる立ち回りが上手だった。
お茶とシード・ケーキがやってくる。
ケーキはたしかに絶品であった。
香ばしくスパイシーな甘味と濃厚なバターの風味が口一杯に広がり、生地に混ぜ込んだキャラウェイ・シードのぷちぷちとした食感も楽しい。
「んんー、美味しい!」
“本物”と断言するだけはある。親しい知り合いを誘ってまた来たい美味しさだ。
棘はあったが、勧めてくれた点はコリガン講師に感謝だった。




