第47話 魔術書探求クラブ(1)
秋の穏やかな光が差し込む、半円を描く階段状の教室。揃いの制服を着た学生達が講義に耳を傾けている。聴講席はすべて埋まり、静かながら新しい学期と講義への期待で活気にも満ちていた。
大魔導師コンラート・シュタウヘンを講師に迎えた課外教室は、受講希望者が殺到したらしい。教室は当初の予定より倍の広さを持つ場所へ変更となり、それでも希望者全員を受け入れることはできなかったという。
「――詠唱、儀式、道具など、魔術の方法は数あれど、実現しようとするところは認識、知覚される現象、現実への干渉だ……」
弟子の見習い魔導師と紹介されたソフィアは、明るい栗色の髪を編み込み、この秋新調したカナリア色のツーピースドレスに褐色のローブを羽織った姿で、師コンラートと同じ教壇に立っていた。
彼が背後で講義する声を聞きながら、可動式の台に立てたソフィアより大きな鏡の側で出番を待っている。休暇を終えて最初の仕事は、名門私立学校での課外授業の講義助手。コンラートから「初学者向けの講義を受け持つことになったから、実演役をしてみるかい?」と持ちかけられた。
ソフィアとしては、これぞ本業の仕事。
弟子としても一歩前進したようでうれしい。
「例えば、鏡は真実を映し出す道具とされる一方で、歪みをもたらす道具でもある」
ソフィアにとって初めての大舞台だ。
百人程の前に立ち、魔術の実演なんて経験したことがない。
緊張に、ソフィアは羽織っているローブの中で手をぎゅっと握る。
「鏡の表面が曇り、あるいは腐食すれば、映る鏡像は歪められたものとなる」
事前に打ち合わせていた通りに、ソフィアは鏡の縁に触れた。
静かに詠唱を行えば、鏡はみるみる曇り、腐食していく。
変化する鏡の表面に学生たちがどよめき、目をしばたかせ、よく見ようと身を乗り出す。鏡にはそんな彼らの姿が映っていた。
曇りにぼやけ、腐食の染みに所々欠けた、歪められた鏡像となって。
「しかし、鏡に映る実体そのものが変化しているわけではない。鏡像が歪んだ“理由”は明らか。この“理由”を意図的に作りだす術を、我々は魔術と呼んでいる」
コンラートの説明は続く。
最初の緊張を乗り越え、ソフィアも少し余裕が出てきた。
歪んだ像が、人が“不思議”と観測する魔術の結果にあたる。
ルドルフシュタットの王宮で、ソフィアもコンラートから教わったことだ。
懐かしい。
「ここまで、いいかな?」
ソフィアは鏡を元の状態に戻した。
壇上からは教室の様子がよく見える。
十代半ばの少年達。
金の校章刺繍が胸に入った深緑のジャケット、焦茶に細く黒の格子が入ったスラックス、白い長方形のタイを結ぶ特徴的なシャツ。
なかに着ているウエストコートだけ、生徒によって少しずつ違っている。
「当然だが、映し出すものがなければ、そもそも歪みも映し出されはしない。鏡を曇らせる、腐食させる干渉も、それを引き起こすものがなければ成立しない」
初学者向けでも、受講できるのは第三学年から。
五年制の中等教育の学校は、第二学年までは一般教科や身体修養に重きが置かれ、課外教室の講座を受けられるのはその後の学年からである。
――フィフィ。
合図の声と共に、コンラートが小さなクズ魔石をソフィアに投げた。
ローブの袖を揺らし、ソフィアは魔石を受け取るように手を上に伸ばす。
魔石が青白い光に包まれて宙に浮き、学生達が驚きの声を上げる。
鏡の実演よりも、ずっと大きなどよめきが教室に起きた。
「彼女に、魔石の魔力を君達にも見えるようにしてもらった。魔石の魔力の活用は百年前から研究が進み、いまや魔術は一部の魔力持ちのものではない」
魔術協会から年一度出る報告書によれば、魔術職の六割は普通の人だ。
けれど専用の道具なしに魔石の魔力を引き出し、自在に操るのは魔力持ちだけができる、こういった派手な実演にはもってこいな技である。
渦巻く水のような青い光、ゆらめく炎のような赤い光、乳白色のガス状へ。
ソフィアがくるくると変化させる魔力に、教室が興奮に包まれたところで、しゅるんと操っていた魔力が消えた。再び教室が大きくどよめく。
小石ほどの魔石の魔力なんて微々たるもの。
ただの石ころになった魔石は、すとんとソフィアの手の中に落下した。
「静かに! さて――無から有はなく、万物を支配する神の法則に魔術も則っている。魔石の魔力が消費され、ただの石になったようにね」
コンラートが声を張って、説明を再開し、出番を終えたソフィアはまだ少しざわついている聴講席に向かって一礼した。
鏡を立てている可動式の台を押して、教壇の隅へと移動し、ソフィアは無事にやり遂げられたと、ほっと息をつく。
「魔術はこの世界そのものを変化させる、創造神の力ではない。必ず理由がある」
つまり、“なにが事象を引き起こしているか”。
観察と観測、秩序と方法に基づく考察により、どんな魔術も解き明かし、“神秘の体系化”に加えることができる――コンラートの持論だ。
大魔導師として様々な物事に魔術的見解を述べ、助言する賢者たる理由でもある。
「この講義は、各回事例を取り上げて魔術的考察を行う時間とする。興味を持って魔術の入口に立ってくれた君たちに、有意義なものとなれば幸いだ」
コンラートが親しみやすい笑みを学生たちに向ける。
たちまち学生達の心を掴んだ師の姿を、誇らしい気分でソフィアは見ていた。
「では、“おまじないの集積によって、負の事象生成場が形成された事例”を紹介しよう。これは実に興味深いもので……」
ふと、ソフィアは視線を感じて、聴講席の一番奥を見上げる。
教室の扉からガラス窓越しに、中を覗く者がいた。
黒ローブを肩にかけた、顔見知りの初老の教員。
遠目に笑んだ気配にソフィアが目礼で応じれば、頷いて廊下を通り過ぎていった。
◇◇◇◇◇
「課外教室と思えぬ盛況ぶりだね、シュタウヘン卿」
廊下から教室を覗いていた初老の教員は、学科長のレディントン教授であった。
講義が終わって教室に入ってきた彼は、コンラートとソフィアを自室に招いた。
「そもそも受講が抽選になること自体珍しい。推薦した面目も立つというものだよ」
学科長の立場に相応しい、落ち着いた雰囲気の部屋であった。
名門校らしい美しい寄木細工の床に、校色でもある深緑色の絨毯。彫刻の施された立派な執務机。来客用の焦茶色の革を張ったソファとテーブル。
窓から、午後の淡い光と、校舎を行き来する学生の声がかすかに入り、静かすぎず居心地がいい。
「学園長が、“君を正規職にする魔術はないか”なんて言ってね」
「買い被りすぎです。教授に“卿”と呼ばれるのも……」
「血筋も立場も“卿”だろう」
レディントン教授は苦笑しながら、ソファに腰を下ろした。
自分を受け入れてくれたアルビオンの魔術界への恩返しとして、コンラートは奉仕活動で講師をしている。正規職への誘いは断り、報酬も最低限しか受け取らない。
秘書らしき人がお茶とビスケットを運んできて退室し、レディントン教授はソフィア達にも座るよう促した。
「君は、ただ我が国に属した外国人じゃない。広く社会に魔術で貢献している」
ゆったりとした口調で話すレディントン教授は、王立学院附属魔術学校の教授だった人だ。灰色の髪を紳士らしく整え、濃灰色の瞳と目元の皺が柔和な印象の老教授は、退任後、この私立学校に招聘されて学科長となった。
「一人前に弟子も取ってる。それもとびきり優秀な」
コンラートの恩師でもある。
彼がこの学校で課外教室の講義を受け持ったのも、恩師の依頼があってのことだ。
「廊下から見ていたが、実に鮮やかな実演だったよ。見習いと思えないくらいに」
「ありがとうございます」
ほめられて、ソフィアは少しはにかんだ。
レディントン教授とは、コンラートのお供やお遣いで数度挨拶し、会話したこともある。見た目通りに穏やかで優しいおじいさんだ。
レディントン教授の眼差しが、コンラートへと移動する。
「予備試験を受けさせていいと思うがね? 修養年数なら推薦状でなんとでもなる」
「体系的な理論の修得に至っていません。学校ではなく独学ですから」
魔術職の受験資格を得るには、魔術学校の卒業か、最低四年以上は志望の魔術職に師事して予備試験合格が必要だ。
ソフィアは後者で魔導師を目指しているが、修養年数が一年以上足りない。
「試験は、十分な実力を養ってからでも遅くはないでしょう」
「あの実演を見れば十分に思うがね。君とて似たようなもので、魔術学校を二年も飛び級していたはずだが?」
ソフィアがコンラートの弟子となって二年余り。
ルドルフシュタットにいた頃も、コンラートに二年近く魔術を教わっていたけれど、当時の彼はまだ魔導師ではなかった。
「しかし、魔術に偏見ある小国での独学で大したものだ」
「師匠が、留学前に勉強したノートや本を残してくれたんです。いまも沢山教えてくれます」
「祖国では王宮勤めだったそうだね。ソフィアは殊勝でいい子だ」
本音を言えば、早く見習いから本当の魔導師になりたいが、ソフィアは師コンラートを信頼している。同じく独学でアルビオンに渡り、魔導師になった経験から色々考えてくれているのだと思う。
「見習いで、同じ教壇に立つことも許していながら……」
「実績は積んで損はないでしょう? 独学で出来るからとわかった気でいる生意気な学生だと、僕をへし折った教授にだけは言われたくない」
「つまり誰に文句も言わせないためか。過保護なことだね」
優しいおじいちゃん先生は、王立学院ではなかなか厳しい教授だったようだ。
「師匠は、生意気な学生だったんですか?」
「フィフィっ」
「あっはは! この男は優秀な上に賢しいだろう? それはもう扱いに困ったさ」
「……教授も」
波打つ黒い前髪を鷲掴みに額を押さえ、年齢不詳の綺麗な顔をしかめてぼやくコンラートがソフィアには新鮮だった。本当に頭が上がらない恩師なのだ。
「いまも昨日のことのようさ。魔力に、物おじしない性格。血筋と見てくれまで揃っている。そこらの講師じゃ手に負えんよ」
「容姿は関係ないです」
「こうしてすぐ細かい指摘もしてくる。大陸東部から来た外国人。随分と遠巻きにされて心配したものさ。いまはソフィアがいて安心だ」
「……僕の話はいいですから」
ハハハッと、レディントン教授は声を立てて笑った。
コンラートのことをからかっているが、気にかけているとソフィアにもわかる。
ルドルフシュタットを出た後のコンラートに、教授のような人がいてよかった。
「ここに僕達を招いたのは、くだらない話をするためですか。教授?」
むすっとした顔で咳払いし、不機嫌な低い声でコンラートが恩師に問いかける。
こんな彼も珍しい。本当に恩師として気を許せる相手なのだ。
コンラートの言葉に、ソフィアはレディントン教授の顔を見た。
優しいおじいさん先生から、威厳ある学科長の顔になった彼は、膝の上で手を組み合わせ鷹揚に頷いた。
「いいや、実は折り入って頼みがある。ジェフリー・コリガン講師を知っているかね?」
「面識はありませんが、学園発行の紀要論文なら読んだことが。たしか“呪術迷信”の研究が専門の魔導師ですよね」
お茶のカップを持ち上げたコンラートに、レディントン教授はまったくとぼやいてゆるく首を振った。
「論文なら知っているとは呆れた返答だよ、シュタウヘン」
「わざわざ大学から講師を招き、魔術を選択教科に入れる学校は珍しくて。学園報を取り寄せていたんですよ」
「魔術馬鹿は相変わらずだな」
元はそう呼んでいたのだろう調子のレディントン教授に、澄まし顔で答えるコンラート。まさに師弟のやりとりだった。
コンラート同様カップを持ち上げ、レディントン教授はビスケットをつまんだ。
「だから儂も学科長だがね。コリガン講師は来期、上級講師への昇進が確実な男だ」
「とても優秀ですね。まだ三十代半ばのはずでは?」
コンラートが少し驚いて尋ねる。
面識はなくても、教員の誰かくらいは知っているようだ。
師とその恩師がお茶とお菓子に手をつけ始めたので、ソフィアもお茶を飲み、ビスケットに手を伸ばした。さくさくで粉の味がほんのり甘いビスケットだった。
「彼がなにか?」
「年寄りの勘とでも言おうか……申し分ない講師だが、引っかかるのだよ」
コンラートは眉をひそめ、ソフィアはなんだろうと瞬きした。
二人の反応を見ながら、レディントン教授は思案げに顎先をつまんだ。




