第2話
レオンハルト様が出て行ってから、わたしは何もすることがなくてぼんやりと窓辺の花を眺めていた。時計の針は、規則正しく音を刻んでいる。まるで、「待て」と言われ続けているような気持になってきた。
待つことには慣れている。事故のあと、わたしの人生は待つことの連続だった。痛みが引くのを待って、検査の結果を待って、誰かが来てくれるのを待って……。そして、レオンハルト様が戻ってくるのを待って。
そのことに気づくと、胸が苦しくなってきた。彼がいないから、こんなにも落ち着かないのだろうか。
彼に依存していると、その考えが頭をよぎる。わたしは首を振ってその考えを否定した。
違う。これは依存ではない。ただ彼がいつもそばにいてくれるから、いないことに慣れていないだけ。
そう自分に言い聞かせるけれど、余計に虚しさが広がっていく。
わたしはそっと足元へ視線を落とした。外套の下に隠れた足。歩けなくなったことで細くなってしまった。昔の自分とは、まるで別人のようである。
レオンハルト様は毎日、「綺麗ですよ」と言ってくれる。でもそれは優しさからくるものだ。本心ではないのだろう。
目を瞑って少し眠ろうかと考えていた時、部屋の外から話し声が聞こえてきた。侍女たちの雑談だろうと気を留めていなかったけれど、耳に入ってきた名前に気づかないふりをすることはできなかった。
「レオンハルト様、すごく楽しそうでしたね」
どくん、と心臓が鳴った。無意識に息を潜める。聞かない方がいいと思ったけれど、耳が勝手に言葉を追ってしまう。
「本当に珍しいわ。あの方があんな風に笑っていらっしゃるの」
「お相手の方、とても綺麗だったわね」
「栗色の髪の女性でしょう? 確かにお似合いのお二人だったわ」
喉からひゅっと変な息が漏れた。
「庭園の東屋でお会いしていらしたわ。抱きしめてもいらして、かなり親しげだったわね」
抱きしめていた。その一言が、鋭い刃のように突き刺さる。わたしはしばらく動くことができなかった。頭の中で、その光景が勝手に形を作っていく。美しい庭園に、栗色の髪の女性がいる。レオンハルト様は柔らかい笑みを浮かべて、手を伸ばして……。
わたしに向けられるものとは違う笑顔と抱擁なのだろうか。胸がぎゅっと締め付けられる。
苦しいけれど、やっぱりそうかという考えが一番に浮かんだ。レオンハルト様が時々わたしに内緒でどこかに出かけていることを知っている。隠れて受け取っている手紙の相手が誰なのかを、ずっと考えないようにしていた。
本当は、ずっと怖かった。彼には、わたしなんかとは比べ物にならないくらい大切な人がいるのではないか、と。
「……そう、なのですね」
自嘲気味に笑みを零し、掠れた声が漏れる。侍女たちの話し声が遠ざかってからの部屋の静寂は、先ほよりも静けさが増しているような気がした。
手を強く握り締めると、爪が食い込んだ痛みで少し冷静になれる。
レオンハルト様は優しい。責任感が強い。だから、わたしを見捨てられないのだろう。
とても申し訳ない気持ちになる。ここにいたくないと、そんな思いが胸いっぱいに広がった。レオンハルト様が戻ってきたら、何事もなかったように優しく微笑んでくれるのだろう。その顔を見て……わたしは、耐えられるのだろうか。
「帰りたい……」
でも、侍女を呼べば止められるだろう。レオンハルト様の言いつけを破ることになる。彼はきっと、困った顔をするだろう。もしかしたら、悲しませてしまうかもしれない。
それでも、じっとこの場にいることはできそうになかった。
わたしは車椅子の側面に刻まれた魔法陣に触れる。この車椅子には、わたし一人でも移動できるように、魔力による移動機能があるのだ。でも、操作はかなり難しい。少し魔力の流し方を誤れば、車輪が急に曲がってしまって危険なので、普段は必ず誰かが付き添ってくれる。
レオンハルト様は特に、わたしが一人で車椅子を動かすことを嫌がっていた。「危ないから」と彼に何度も言われたことを思い出す。心から心配してくれているのだろうけれど、その心配は罪悪感からくるものかもしれない。
「少しだけなら……」
魔法陣に魔力を流し込む。すると、車輪が動いてゆっくりと前に動き出した。少しぎこちない動きだ。魔力を込めすぎると右へ傾いてしまい、慌てて修正する。鼓動がどくどくと速くなっていく。
もし転んでしまったらどうしよう。もし誰かに見つかってしまったらどうしよう。
そんな不安を押し込めて、扉を開けて廊下に出た。スピードを出しては危険なので、ゆっくりと進むことにする。曲がり角を一つ、二つと進んでいると、途中で小さな段差に引っかかって、車椅子が大きく揺れた。
「っ……!」
悲鳴が漏れそうになるが我慢した。手すりにしがみついて、荒い息を整える。
怖い。一人で移動することがこんなにも怖かったのかと、今さら思い知った。いつもレオンハルト様が後ろにいてくれたから、恐れる必要がなかったのだ。
慎重に進んでいくと、ようやく王城の正門に着いた。侯爵家の馬車寄せまでたどり着いた時には、額に汗が滲んでへとへとになってしまった。護衛たちがわたしに気が付くと、驚いた顔をしながら駆け寄ってくる。
「セレナ様!? お一人でここまでいらしたのですか? レオンハルト閣下は……」
「……わたし一人です。もう帰りましょう」
今すぐに帰りたいという思いが顔に出ていたのか、皆は馬車を出す準備を始めてくれた。護衛によって車椅子ごと馬車に乗せられ、扉が閉まる。車椅子が固定されていることを確認してから、馬車がゆっくりと動き出した。王都の景色が窓の外で流れていく。
わたしは、膝の上で手を握りしめた。
泣かない。泣いてはいけない。期待してしまった自分が悪いのだから。レオンハルト様は何も悪くない。わたしに優しくしてくれて、支えてくれた。それ以上を望んでしまったわたしが悪い。
でも我慢できなくて、涙が一粒だけ頬を伝う。胸の痛みに目を向けないように、そっと目を閉じて家に着くのを待った。




