第1話
王城の長い回廊を、一台の車椅子が進んでいる。車椅子を押しているのは、礼装に身を包んだ青年——レオンハルト様。漆黒の髪は光を吸い込むように艶やかで、整いすぎている横顔には隙がない。深緑の瞳は穏やかに細められているが、どこか人を寄せ付けない威圧感を宿している。
座っているわたし——セレナは、膝の上に置いた手をそっと握りしめた。王城に来るたびに、周囲の視線が気になってしまう。
哀れみや同情、そして好奇心が滲み出ている視線が苦手だ。直接言葉にされることはなくても、視線だけでも十分に傷ついてしまう。
わたしは窓の外に視線を逃がした。庭園では花々が風に揺れている。事故に合う前なら、あの花の近くまで自分で歩いて行けた。心地よい風を感じながら、好きな場所を好きなだけ歩くことができた。
でも……今はできない。移動するにも、誰かの手が必要だ。そのことを考えると、胸に棘が刺さったようにチクリと痛む。
「寒くはありませんか?」
不意に、レオンハルト様の声が降ってきた。わたしは後ろを向いて、彼を見上げる。
「大丈夫です」
「それなら良かった。今日は風が強いですね。少し冷えてしまうかもしれないので……」
彼はそう言うと、自らが纏っていた外套をわたしの肩に掛けてくれる。優しいその動作に、わたしはそっと目を伏せた。
「ありがとうございます、レオン様」
わたしの言葉に彼は微笑む。その美しい笑みを見るたび、胸がずきんと痛んだ。
彼はとても優しい。だからこそ、時々分からなくなるのだ。この優しさは、愛からくるものなのだろうか。それとも……罪悪感からくるものなのだろうか。
わたしの足が不自由になったのは、二年前の事故が原因だ。
暴走した魔物からわたしを庇おうとしてくれたレオンハルト様の魔法が暴発してしまったのだ。お陰でわたしの命は助かったけれど、両脚の神経と魔力回路は傷ついてしまい、完全な回復は不可能だと告げられた。
彼はその事実を知った時から、わたしの傍に付きっきりになった。何度も何度も、「私のせいだ」「償わせてほしい」と、泣きそうな顔で謝った。そして数日後に、彼は婚約を申し込んできたのだ。
「これは責任ではなく、私の意思です。あなたの未来を、私に背負わせてください」
新緑の瞳はまっすぐとわたしと見ていた。わたしは当時、とても嬉しかった。憧れていた人が、わたしの婚約者になると言ってくれたのだから。でも同時に、怖くもあった。
「着きました」
レオンハルト様の声に、思考が途切れる。着いた場所は、王城の離れにある貴賓用の休憩室だ。淡い青色を基調とした室内には、柔らかそうなソファと丸テーブル、窓辺には季節の花が飾られている。とても美しい部屋だ。
レオンハルト様は車椅子を窓際に移動させ、丁寧にブレーキをかける。それから、外套を膝に掛け直してくれた。
「これから予定があるので、こちらで少しお待ちください」
「お仕事ですか?」
「ええ。王立治癒院の方と話があります」
治癒院。その言葉に、わたしの心臓が大きな音を立てた。期待してはいけないと分かっているけれど、治療という言葉にはどうしても心が反応してしまう。
「新しい治療法のお話ですか?」
レオンハルト様は少しだけ目を細めた。その表情の変化はほんの僅かだけれど、わたしは見逃さなかった。
「関連するものにはなります。まだ確かな話ではありませんが」
「そう、ですか……」
自分でも驚くほど、声が落ち込んでいた。レオンハルト様はすぐに膝を折って、わたしと視線を合わせる。
「申し訳ありません。期待させるようなことは言いたくなくて」
「謝らないでください。レオン様は何も悪くありません」
彼の瞳が揺れている。微笑んでいるのに苦しそうな枯れの顔を見ていると、自分が彼を傷つけている気持ちになってしまう。どうしてこの人は、こんな顔をするのだろう。
レオンハルト様は立ち上がり、水差しをわたしが手を伸ばしたらすぐに届くような位置に置いた。
「遅くとも半刻後には戻ってきます。絶対に、一人では移動しないでください」
その声色は穏やかだ。まるで子どもに言い聞かせるような口調に、胸がちくりとする。
彼が心配してくれていることは分かる。実際、一人で魔法車椅子を操作するのは危険だ。でも同時に、一人では何もできない人間だと改めて確認されたような気持ちにもなる。その感情を悟られないように、わたしは微笑んだ。
「分かりました。お待ちしています」
「いい子ですね」
その言葉と共に、彼の指が髪に触れた。そのまま髪を撫でられる。愛おしむような優しい手つきで、心臓が高鳴る。子ども扱いされているようで悔しいけれど、その手が離れてしまうのは寂しい。自分でも厄介な感情だと思う。
レオンハルト様はゆっくりと立ち上がると、扉へ向かう。足が長いので数歩だけだ。車椅子を押してくれている時は、歩幅を小さくしてくれているのだとよく分かる。
彼は扉に手をかけると、振り返った。深緑の瞳がまっすぐとわたしを見ている。
「できるだけ早く戻ります」
わたしが頷くと彼は満足そうに微笑んで、部屋から出た。
時計の針の音が、やけに大きく聞こえている。わたしは少し身を乗り出して、窓の外を見た。庭園の噴水が見える。美しい光景を見ても、胸の奥は晴れることはない。レオンハルト様がいなくなっただけで、部屋が広く感じる。完璧に整えられたこの部屋で、自分だけが異質なように思えてきた。
膝の上の外套を指でなぞる。彼が身に着けていたもの……。ぎゅっと抱きしめたくなるけれど、その気持ちを抑え込んだ。
レオンハルト様の優しさに触れることは好きだ。嬉しいけれど、同時に苦しい。もし本当に愛されていたらどれほど幸せだろう。
でも……彼には、好きな人がいるのかもしれない。時々見せる、どこか遠くを見るような表情が印象に残っている。わたしを見ると、読んでいた手紙を隠すように懐に入れていることもある。考えないようにしておこうと思いながら、勝手に想像してしまうのだ。
自分は、彼の優しさに甘えているだけ。責任感の強い彼を、縛り付けてしまっている。
「……最低ね、わたし」
愛されたいと願ってしまう。それが償いではなく、本当の気持ちであってほしいと期待してしまう。そんな自分が、ひどく惨めだった。




