第18話
その日の夜は、雨が降っていた。わたしは寝台に寝ころびながら、落ち着かない気持ちのまま毛布を指先で弄んでいた。
昼間のことを思い出すたびに顔が赤くなる。彼の楽しそうな笑顔……。あんな顔を見たのは初めてかもしれない。
「……どうしよう」
とても恥ずかしい。これからどのように彼と接すればいいのだろう。そんな懸念はありつつ、不思議と胸は軽かった。長い間引っかかっていた棘が、ようやく抜けたような感覚がある。
「セレナ。起きていますか?」
その時、レオンハルト様の声が聞こえた。返事をすると、扉が開いて彼が部屋に入ってくる。彼はいつものように、夜着の上に薄いガウンを羽織っていた。けれど今夜は、どこか緊張感が滲み出ている。
「足の具合を見てもいいですか?」
「お願いします」
レオンハルト様は寝台近くの椅子に腰を下ろした。毛布がめくられて、冷気が流れ込む。
彼の手が足首を掴むと、また意識してしまう。温かくて優しい魔力が流れ込んで、身体の強張りが解けていった。
「今夜の調子はいかがですか?」
「痛みは少ないです」
「それならよかった」
わたしはじっと彼の顔を見つめていた。真剣な表情の彼を見つめる時間が、昔から好きだった。……事故が起こる前から。
「レオン様。その……今まで酷い態度を取ってしまって、ごめんなさい」
彼の手が止まる。
「わたしは勝手に勘違いして、勝手に傷ついて、勝手に怒っていました。レオン様にも、何度も酷いことを言ってしまいました……」
「あなたが気にするのも無理はありません。私も、あなたの悩みにもっと早く気づくべきでした」
わたしたちのどちらか一方だけが悪いわけではないのだろう。どこかで拗れてしまったから、すれ違ってしまったのかもしれない。
レオンハルト様は再び足を温め始める。わたしはその手を見つめながら、ずっと避けてきたことを口にした。
「事故の前のことを、覚えていますか」
「……もちろん」
「わたし、あの頃のことをちゃんと話したことがありませんでしたね」
彼の表情がわずかに変わる。わたしは気恥ずかしくなって、視線を逸らす。
「わたしは、レオン様のことを、怖いくらい完璧な人だと思っていました。何でもできて、いつも冷静で、わたしなんかよりずっと大人で」
「買いかぶりです」
レオンハルト様が苦笑する。わたしもつられて笑った。
「あの時のわたしは心からそう思っていました。完璧すぎて、手の届かない人だから……好きになってはいけないのだと思っていました」
こんなことを言うつもりはなかったけれど、今は不思議と素直になれる。レオンハルト様が息を呑んだ音が聞こえた。彼の手がぴたりと止まっている。
「……今は、どうなのですか?」
頬に熱が集まってくる。
「内緒です」
誤魔化してしまった。まだ、想いを口にする勇気はない。
レオンハルト様は目を伏せた。その横顔が、ひどく切なそうに見える。
「私は、セレナのことがずっと好きでした。あなたを傷つけてしまったあの時よりも、ずっと前から」
——世界から音が消えたかのように、静寂が落ちた。レオンハルト様は、自嘲するように儚く笑う。
「あなたにとって私は、兄のような存在なのではないかと思っていました」
「そんなことありません。確かに最初はそうでした。でもレオン様が笑ってくださると嬉しかったし、褒めてくださると何でもできそうになったし、一緒にいると安心したのです」
言葉が溢れてくる。今まで閉じ込めていたものが、雨に押し流されるように。
レオンハルト様はじっとわたしを見つめていた。その頬が少し赤く見えるのは、灯りのせいだろうか。それとも……。
「私があなたを傷つけてしまった時から、私に対する印象は変わりましたか?」
彼の問いに、わたしは唇を噛んだ。
「……分からなくなりました。優しくしてくださると嬉しかった。でもそれが、罪悪感なのか愛なのか、ずっと分からなかったのです」
レオンハルト様の表情が痛みを帯びる。それでも、わたしは言葉を続けた。
「わたしは、わたしがレオン様を縛っていると思っていました」
「セレナ……」
「あの時、レオン様が魔法を使ってくださらなかったら、わたしは死んでいたかもしれません。何もできなかったのはわたしです。レオン様の未来を変えてしまったのは、わたしです」
声が震える。これは、わたしがずっと胸に抱えている罪悪感だ。
レオンハルト様は立ち上がって、そっと寝台に腰を下ろした。距離が近くて、鼓動が速くなる。
彼はわたしの手を取った。
「私の未来は変わっていません。何があったとしても、私はあなたを選んだでしょう」
「で、でも。わたしは、歩けなくなって……。社交界にも満足に出られないし、レオン様も色々言われちゃう……」
「あなたがそばにいてくれるだけでいい。誰がなんと言おうと、私はあなたを愛しています」
その言葉に、わたしは涙を我慢することができなかった。レオンハルト様が驚いたように目を見開く。
「泣かせるつもりでは……」
「違うんです。嬉しくて……」
わたしは首を振って、笑みを浮かべた。こんなふうに、まっすぐと言葉にしてもらうことがこんなにも嬉しいとは思わなかった。
レオンハルト様は優しく微笑み、そっとわたしを抱き寄せる。わたしは彼の胸に額を預けた。彼の腕に包まれていると、安心する。
「レオン様。わたしは、まだ怖いです。このまま一生歩けなくて、レオン様に依存してしまうのが怖い」
彼の腕が少し強くなった。
「依存してください」
「え?」
小さく何かが呟かれたように思ったけれど、聞き取れなかった。聞き返すと、彼は誤魔化すように笑いながらわたしの頭を撫でる。
「何でもありません。私は一生、あなたを支えます。あなたは一生、私に支えられてください」
その言葉に、わたしは思わず笑ってしまった。
「重いですね」
「私は完璧な人間ではありませんので」
二人で笑う。レオンハルト様はわたしの髪に頬を寄せて、低く囁いた。
「これからは、怖いことも嬉しいことも、何でも私に話してください」
「レオン様も、ですよ」
「ええ」
わたしはそっと、彼の温もりに包まれながら目を閉じた。




