第16話
わたしは窓辺で車椅子に座り、ぼんやりと庭を眺めていた。レオンハルト様が出発してから四日が経った。たった四日なのに、ずいぶんと長く感じてしまう。
最初は平気だと思っていたけれど、彼がいない日々を過ごすたびに不安が芽生え、気づけば何度も彼の姿を思い浮かべていた。
彼が帰ってきたら、ちゃんと謝ろう。心配してくれていたのに反発して、傷つけてしまうような言葉を投げてしまったことを。
そう決めていたのに、いざ彼が帰ってくる予定の時間が近づくと、胸が落ち着かない。何と言って迎えよう。いざ向かい合って話をするとなると、恥ずかしいと思ってしまう。
色々考えていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。この規則正しい足音を、わたしはよく知っている。
「セレナ」
扉が叩かれて、彼の声が聞こえた。たった四日聞いていなかっただけなのに、懐かしく感じた。
「どうぞ」
平静を装いながら声を出す。扉が開かれると、レオンハルト様が立っていた。帰って来て真っ先にわたしの元を訪れてくれたのか、外行の外套を羽織ったままである。
新緑の瞳と目が合った時、胸の奥に溜まっていた何かが一気にほどけた。
「お帰りなさいませ」
声が少し震えてしまった。レオンハルト様は何かを言おうと口を開きかけたけれど、何も言わずに迷いなくわたしのもとへ歩み寄ってくる。
「レオン様——」
わたしの言葉は最後まで続かなかった。彼の腕が、ぎゅっとわたしを抱きしめたから。
こんなふうに抱きしめられたのは初めてだ。抱き上げられることは何度かあったけれど、こうして恋人がやるように抱きしめられたことは……。
「会いたかった、セレナ」
耳元で囁かれた言葉に、わたしの心臓が大きく鳴る。じわりと涙が滲んできた。ずっと我慢してきた感情が、堰を切ったように溢れそうになる。
「……わたしも」
気づけば、そう答えていた。レオンハルト様は顔を離して、信じられないものを見るようにわたしを見つめる。その表情を見ると、自分がどれほど彼を恋しく思っていたのかが分かったような気がした。
レオンハルト様は何も言わない。ただ、わたしを優しく抱き寄せた。わたしも、そっと彼の背中に手を回す。
温かい。安心する。胸につっかえていた不安が、少しずつ溶けていく。
しばらく、わたしたちは抱き合っていた。彼の鼓動がよく聞こえる。少し速くて、彼も緊張しているのだと思うとくすぐったい気持ちになる。
やがて、彼は名残惜しそうに身体を離した。その視線があまりにも真っ直ぐで、わたしは耐え切れずに目を逸らした。頬が熱い。きっと、真っ赤になっているだろう。
「……すみません。急に抱きしめてしまって」
「い、いえ……」
そうはっきりと謝られると余計に恥ずかしくなる。けれどそのちょっとした不器用さがレオンハルト様らしくて、わたしは思わず小さく笑ってしまった。彼も、笑ってくれる。その笑顔を見ると、心がまた温かくなった。
「足の具合はどうですか?」
いつもの問いだけれど、今日のものは特別に聞こえる。
「昨夜は、かなり痛みました」
正直に答えると、レオンハルト様の表情が曇った。
「連絡をくだされば良かったのに」
「お仕事中のレオン様にご迷惑をかけるわけには……」
「迷惑ではありませんし、あなたのことより大事なことなどありません」
さらりと言われて、言葉に詰まった。そんなことを平然と言わないでほしい。
レオンハルト様は流れるようにわたしの前に膝をつく。
「見せてください」
いつものように、様子を見てくれるだけ。それなのに、さっき抱きしめられたせいか、今までと同じような気持ちにはなれない。
彼の手が足首を掴むと、びくりと肩が跳ねてしまった。レオンハルト様が驚いたように顔を上げる。
「痛みますか?」
「ち、違います!」
慌てて否定する。痛いわけではない。ちょっとだけ、彼の手を意識してしまうのだ。慣れているはずなのに、彼の指が肌を撫でる感覚が恥ずかしい。
レオンハルト様は不思議そうに首を傾げた。いつもは聡いくせに、どうしてこういうときは鈍感なのだろう。
「顔が赤いですよ」
「……気のせいです」
彼は少し黙って、それからくすりと笑った。
「そういうことにしておきます」
違う。彼は、分かっているけど気づかないふりをしているのだ。わたしだけが動揺しているみたいに思えて、ますます顔が熱くなった。
レオンハルト様は、いつものように魔力を流し始める。じんわりとした温かさが広がって、ずっと残っていた痛みが少しずつ和らいでいった。
悔しいけれど、安心する。彼がこうしてくれると、こんなにも楽になる。
彼はわたしの足に魔力を流しながら、ふと呟いた。
「私がいない間、寂しくはありませんでしたか?」
……どうしてそんなことを聞くのだろう。今日の彼は少し意地悪だ。
以前のわたしなら、寂しくなかったと答えていただろう。でも今はもう、嘘をつきたくなかった。
「……ちょっとだけ、寂しかったです」
正直に言うと、彼の動きが固まったのが分かった。彼は顔を上げないけれど、耳がほんの少し赤くなっている。
「私もです」
なんだか、レオンハルト様が可愛く見える。くすくすと笑っていると、彼は少しむっとした表情を浮かべ、顔を上げた。
「……セレナ」
低い声で名を呼ばれる。わたしも視線を上げると、新緑の瞳がまっすぐとわたしを見据えていた。その瞳に、熱が宿っているようにも見える。
そして彼は、わたしに見せつけるように、足首へと顔を寄せた。
「え……」
声が出るより先に、柔らかな感触が落ちてきた。彼の唇が、わたしの足首に触れている。
頭が真っ白になるかと思った。何が起きたのかを理解する前に、何事もなかったかのようにレオンハルト様は顔を上げる。
彼は、とても優しい微笑みを浮かべていた。それなのに、その瞳の奥には熱が帯びている。まるで、獲物を見つけた獣のような瞳だ。
「これで、温かくなりましたか?」
彼は優しく微笑んでいるのに、なぜか背筋がぞくりとする。食べられる、という言葉が頭をよぎってしまい、わたしは慌ててその思考を振り払った。
「な、ななな……」
言葉にならない。レオンハルト様はそんなわたしの様子を見て、わざとらしく首を傾げる。
「嫌でしたか?」
「い、いえ……嫌では、ないですけど……その、足なんて、汚いし……!」
「セレナに汚い場所なんてありませんよ」
心臓の音がうるさすぎてそれどころではない。必死に言い切ると、彼はほんの少し目を細めた。満足しているようにも見えるし、安心したようにも見える。
そして彼は、まるで何事もなかったかのように再びわたしの足に手を添えた。
魔力が流れ始め、いつもの温かさを感じる。それなのに、先ほど口づけされた場所が熱を帯びていて落ち着かなかった。




