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一章/二話『他人』

 思う所が無いなんて大嘘、多分僕は僕自身にだってつくことができないだろう。霧に囲まれて半日を過ごして、何一つ情報が存在しない世界で、狂わず正気を保ち続けることがどれだけ難しくて、どれだけ意味の無いことかは判断に困るけれど、少なくとももう少しだけ逃亡を続けるという選択肢を取っていれば、現状維持に縋り付いていれば、或いは僕の異世界転移は、ハーレム物語になり得たのかもしれない。薄っぺらで、軽薄を隠しもしない様な、最高にイカした簡単な話として結末を見たのかも知れない、と、そんな風にたくましく妄想を広げてみても、今となっては虚しさしか残らないけれど。

 だってもう、手遅れなんて甘っちょろくて生ぬるい表現じゃ許してもらえないくらい、際限無く、果てしなく――手遅れなのだもの。


「…………」


 どうしたら僕は、《それ》から目を離せるのだろうか。

 吊り橋効果というのは、こういう時に使って正しいのだろうか――そこに満ち溢れた絶対的な恐怖を、ともすれば僕という愚かなやつは、まかり間違って恋情愛情恋心と勘違しちまっているのだとしたら、うん、これは凄く分かりやすい解釈だ。

 この世の全てを見下し睥睨するかのような、開ききった紫の瞳孔。短いとも長いとも言い難く、多分本当の意味で適当に切り揃えられているのだろうその頭髪。襤褸布で乱雑に身体をぐるぐる巻きにして、その上から羽織ったオーバーサイズのコート、とても正気とは思えないが、それが彼女唯一の衣装。

 何処が、どうして、と形容することは僕ごときには不可能だけれど、それでも、あまりにも圧倒的に――彼女は、荒んでいた。それは目元に深く濃く刻まれたクマのせいなのかも知れないし、少々痩せ過ぎな体躯のせいなのかも知れないし、虚ろな雰囲気を撒き散らす佇まい全てなのかも知れなかったし――そして何より、かの金属音の正体――ボウリングボール大の鉄球と、それを括る鎖で構成された、左足の《足枷》のせいなのかも知れなかったが。

 でもやっぱり、僕には形容できない。《これ》を、この人物を、

 ――可愛いとしか、形容できない。


「――――」


「その、すみません。信じられないくらいタイプなんですけれ、ど――――あな、た」


「――――」


 眼球。

 瞳孔。

 紫色。

 霧の中、視認できると言うだけで彼女と僕の距離は最初からそこまで無かったように思う。けれど――視界全部がその美麗な眼球で埋まるというほどでは、絶対になかった。

 飛び退いて、というと格好いいけれど、驚く勢いで後退りして逃げて逃亡してひっくり返りかけて、どうにか僕は距離を取る。

 幸い彼女にその間合いをすぐさま詰めようという気は無いらしく、離れたら離れられてしまったで、それをさして気にも留めていないというか、或いは、そもそも気が留まっていないと表現してもいいくらいに、心ここにあらず――、


「――――」


 しかし一拍の間が明けて。再演、始まる。

 二度目でようやく、どうにかこうにかその理屈を――否、屁理屈を僕は視認した。彼女は、一歩、二歩、とまで刹那に終えて、三歩目、ひゅるりひゅるり、大気を抉り取るように足枷のついた足を振り上げてぶん回してぶっ飛ばして、ほんの一瞬、遠心力で中空を浮きながら――《縮地》の真似事を行っていた。

 遠心力なんてこの上なく扱いづらいものをして、彼女は完全完璧にそれを制御下に収めながら、行き過ぎることもなく、行かな過ぎることもなく、僕の目前へとひとっ飛び。馬鹿げている。大体、そんな遠心力を発生させるのに、軸足一本、振るう足一本、それぞれにどれだけの負荷を掛けていやがる。それを許容できるなら、どう考えたってもっと効率的な手法が――


「――っ」


 思考を切って、今度こそ飛び退く。

 効率的だって?

 何を言ってるんだ。僕は《これ》に、効率なんてものを考えるだけの思考能力があるって、そんな最高にふざけたことを考えているのか。色眼鏡も良いところだ。いくらタイプだからって贔屓目が過ぎる。

 

「――――」 


 今度の彼女は一拍も何もなく、鉄球に再び蹴り上げ一つで指示を与えて、踵落としの要領で追従させる鉄塊を振り下ろす。躊躇いもクソもないけれど――躱せは、した。石畳の地面が鉄球の質量で圧壊する様を見送って、再びたっぷりたっぷり、多分不必要なくらいに間合いを取った後、同工程でもう一度、もう一度、もう一度。縮地と振り落としを、何度も繰り返す彼女の一撃を、その度回避する。変化は皆無、完全に同一の威力、完全に同一の回避が許されて、何一つ変わり映えしない。

 彼女に後少し、ヴァリエーションを持たせようという《意識》だったり、僕をぶっ殺してやろうという《殺意》だったりがあれば、確実に回避不可能だというのに、ギリギリで、既で、避け切れているというのが、つまり逆説的に「そういうこと」なのだろう。なんとも――惰性という言葉が似つかわしい、僕好みのダウナー系女の子だ。惰性で人まで殺そうとするのが玉に瑕だけれど。


「なんてっ、言ってっ、らん――ないっ」


「――――」


 カシャン、と鎖の音がして。

 やはり彼女は直ぐ側に居て、紫紺の瞳と壮麗なる眼球――一瞬、僕は気を取られてしまったのかも知れないし、そうじゃなかったのかも知れないけれど、一先ず――回避はもう間に合わないのだろう。その地点で何回目だったかは分からないけれど、少なくとも十は越えて避け続けていた気がするし、案外頑張った方とも思える。もう少し頑張りましょうと言われても、まぁそうかと思うくらいの、微妙な、中途半端で曖昧な努力も、しかし遂に、終りを迎えたというわけだった。


「――――あーあ」諦観気取った面持ちで、間抜けに嘆いてみる。「ざんねん、また頑張りますね」


「――――」


 全然効いてません、悔しくありません、みたいな僕の負け惜しみは、彼女に黙殺された。

 高速の鉄球から身を隠すように、体を捻って右半身側の背を晒す――と、衝撃は僕の肩を、肩甲骨を、まぁ、多分そこら辺全部を打ち砕いて、全身に伝播していった。一瞬、世界が高速で移ろうような錯覚が在ったけれど、真実は、僕の身体が半身ぐちゃぐちゃになって吹き飛ばされただけのことだろう。

 すごく、いたい。と、ぼくはおもった。()()()はおもわなかった。


「…………」


 どれだけ吹き飛ばされたのやら、濃霧で目測も立てられない。そもそも目が正しく機能していない気もするし、見えようが見えまいが、結論はなんにも分からない、といったところなのだろうけれど、にしても、最後くらい好みな女の子の姿をちゃんと見せて欲しいものだ。別に、僕はなんにも怒らないのに。

 金属音、金属音、金属音。

 しかしまぁ、()はこれで納得できるね、案外。これくらい理不尽な方が、恨みも残らないし、禍根を残さないし、悪くないだろうと思う。それよりなにより、ずっと昔に結末を見た物語の、最低につまらないアフターストーリーが、ようやく終わるのなら――


「おいおい、こいつぁ流石にクライマックスが早すぎだなぁ」


 …………。

 僕の声なんてのはあり得なかったし、男の声なんだから、彼女のモノでもあり得なかった。


「……俺が折角タイミング見計らって残しといた最後の登場シーンだぜぃ? もうちっとお膳立ての後にしてくれよぉ、これじゃあなーんも印象に残らねえ」


「…………」


「……わぁったわぁった、分かったぜぃ。そんな目で見んなよぅ、こいつぁ冗句だ」


 見る、だなんて言葉を使えるほど、今、僕の五感は機能しちゃいない気がする。けれど、だからだろうか、この気迫というのか何なのか、五感を失ったが故に、所謂第六感が告げている。

 《足枷の彼女》と出遭った時に感じた、異様に明瞭な恐怖と同等の――それ以上かも知れないけれど、少なくともそれに並び立って劣ること無き――威圧感。

 指向性も何もなく、ただ存在し、ただ唯なる生命の極地、ただ天下無双にして、ただただ天下無敵。


「まぁよ、実際んとこ冗談抜きに冗句さ。俺が《あれ》をぶっ殺し損ねたせいで、お前が標的になっちまってるだけだしな。 にしっても何千年前の話してやがる……天上種だったっつーオチかぁ? 寿命も自我もなんにもねぇ上、執着深いたぁ恐れ入るぜ。この俺様に二回刃向かうっつー意味を、骨の髄まで教えてやる」


 饒舌に、闊達に、心底愉快そうに、笑顔のまんまでそいつはお喋りする。言葉の合間、返事のない僕を確認したのか、僕の有り様を確認したのか、少しだけ間を空けると、何処か残念そうにして彼は口にする。


「――んじゃよ、行ってくらぁ」


 視界はまだ滅茶苦茶だ。きっと大事な神経がどうにかなっているのだろう、もはや僕の五感が帰ってくる日なんて訪れないのだろう。

 でも。

 それでも。

 そいつは僕ごときのの曖昧な第六感をしても――十全に僕へと、存在を見せつける。多分僕は手足をもがれて頭を千切られ胴を上下両断されても、そいつの存在を見失うことなんて出来ないのだろう。要は――とうのとっくに暗転しているような明滅しているような、ともかく正常ではなくなったこの視界でも、僕はそいつの向かう先が分かる、異常なまでの威圧感が、何を成さんとしているのかが分かってしまう。でなくとも、その言葉から、誰だって察せるか。

 だから、だから、だから――、


「………なぁ…」


「――んぁ?」彼の意識が、僕を向くのが分かる。「今、お前が喋ったか? ――はんっ、中々イケてるぜ。どんな神経してやがる」


「……その子」


 その子、その娘。

 最悪の具現化のような、狂気の最高値のような、異常の体現者のような、とても可愛らしいその子。


「……殺さないで……くれないかな」


「…………」


 タイプだから、とか、格好いい理由が欲しいと思った。

 でも、違う。

 うん、違う、けれど。


「――ほら……僕の、タイプなんだ」


「…………」


 その男の《生命》、超然として揺らがず、燦然と揺らめく。

 数刻、明けて――


「どんな神経、してやがる」

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