一章/三話『おいしゃさん』
霧が晴れる瞬間を目にすることは、遂に無かった。
その後の顛末がどうだったのかなんて、僕にはなんにも分からないし、当然寝っ転がっていただけ(といっても致命傷を負っていたので勘弁してほしいが)の僕には、それを知る権利が在るかと言われれば怪しいだろう。
だから、故に。推測だけはしておくと、あの見知らぬ《生命》さんが一切合切攫っていったというだけの結末なのだろうと思う。そういう絶望的なまでに簡素な結末。だとすると、それは非常に汚いというか適当というか乱雑というか、そんな終わり方な気がしてしまうけれど……。
この複雑な気持ちを解決するために方便を使うとしたら、言い訳を提供するとしたら、そう、これは実は始まりに過ぎなかったのだ、とか、そんな風だろうか?
「ふいふぅい、あたしの経過観察のお時間だよぉ。まだ生きてるかなぁ、もう死んだかなぁ、死んでくれてるかなぁ」
「…………」
「む? 冗談じゃないかぁ、怒るなよぉ……」
「…………」
「ん、あれ。あれれ。あらら?」
「…………」
「え、冗談だよね……? あたしってば一日放置しちゃったとかっ?」
「…………」
「復元魔法のタイミング逃しちゃったっ?! まさかっ……えっ、でも……」
「…………」
「ウソウソウソっ?! だってだってだって、昨日は一日中業務をサボって、あたし、あなたとお話してたよねっ?! 記憶あるよっ?!」
「サボりは良くないですよ」
「どうしようどうしようどうし――っ!! ――あ?」
「…………」
「…………死ね」
ブチギレ寸前というか、ブチギレ真っ最中というか、ともあれ、白衣のちびっ子である。端正な顔立ちに、後ろで結われた金髪、ポニーテイル。
この朝日差し込む病室、白衣の人間。とすると、信じられないことに、いや、僕はまだ信じ切っていないが、予想通りこのちびっ子はお医者さんである。言われてみると確かに童顔を装ったキレイ系の顔だったりするし、白衣も様になっていて、目つきからは知性を感じるが……うん、この人をちびっ子と判断する要素は、実のところ僕の半分あるかないかの――その中学生未満の「身長」くらいのものなのだけれど、まあ、それが致命的なのだ。
「いや、やっぱ死ぬな。死なれたら困るしぃ」焦りタイムが終わったのか、いつもの間延びした口調だった。「あたしの大事なじっけんざいりょー」
「非倫理的ですね。マッドサイエンティストは今日も暇なんですか? ――エトさん」
エト。
ちびっ子先生の、名前。なんだか、そこはかとなく名前までちびっこいように思えるが、それは流石に言いがかりってもんだろう。
「暇だよ、暇暇。ちょーぜつね」
「結構ムリのある解答ですね。さっきの発言を参照する限りじゃあ、サボってるから暇ってだけじゃねえですか。良くないですよ、感心しません。子供の仕事なんてのは遊ぶことなんですから、ほら、早く僕と公園に行きましょう」
「行かねえよ、縊り殺すぞ」
「…………」
気怠げな雰囲気だったり、無邪気な雰囲気だったり、殺伐として殺意に満ちた雰囲気だったり、キャラクター性ってものを安定させて欲しい。
しかしどうだろう――もうじき一週間くらいか。僕は一日の内大半を彼女と駄弁りながら過ごす生活を、もうそれくらい続けているのだけれど、客観的に見て……いやまあ主観的に見てもそうなのだが、ともあれ非常に美少女、というか美幼女なエトさんであるので、僕としちゃあ気分は最高だったり。なんて言っても、しかし《異世界》に訪れて初っ端から入院生活というのは、絶妙に華が無いと言えばそうだろうが。
この期に及んで、え、あれあれ、ここって異世界だったんですか、うわー、まじかー、なんて反応は流石に演技になるのでしない。そういう如何にもな反応をするにしては、僕は既に、少しばかり多く――異常事態に、行き遭い過ぎているわけだし。
「んでえ、なになに、どうなのよきみ。 あたしとしちゃあ、サボりも兼ねてるったって、その大怪我が心配ってのもあるんだしさぁ?」
「全くと言っていいくらい元気ですよ、僕は」
「……そ?」
軽く呟いて、エトさんは僕の寝ているベッドを迂回しながら病室の窓辺に移動する。いつも通りの彼女の指定席、見舞い用のイスに腰掛けて、髪をばさりと下ろしてしまう。それはつまり、今日も終日ここで過ごし切るという意気込みを感じる所作だった。
「ガチのマジに暇人なんですか?」
「なんだぁい?」
エトさんは不満げに僕を睨みつける――けれど、流石に毎度のこと。諦めたように嘆息して、ぷいっと何処かへ目を逸らされてしまった。あぁ、もうちょっと見ててほしかったのに。
「――そもそもさぁ、前にも話したけどこの治療法、付きっきりが一番楽なんだって。きみかて分かっとろうに、お馬鹿さんめ」
「確かに言ってましたね。――ですけど、三時間圏内なら余裕で安全圏、とも言っていたじゃないですか」
「――へぇ。 なるほどなぁ、きみを安心させてやろうっていうあたしの計らいが良くなかったかぁ。そうだねぇ、んじゃあちょっと言い換えよう」邪悪に笑んで、すぅーっと空気を吸い込むエトさん。「――そうだね、前例無き前代未聞の治療法だし、きみの怪我はほぼ致命傷だから、なんかの手違いがあれば急に死ぬと思うけど、どうだろう、計算上理論上、復元魔法の行使が三時間間隔なら、絶妙に安全圏だと思われるよ、うぅんと、多分きっと恐らくぅ?」
「今日から毎日一緒にいましょう」
怖いことを言わないで欲しい。
前例無き前代未聞。やや意味合いが重複して、それで尚もその新規性を言い表せないほどに完全未知な治療法なのだと、いつかエトさんが言っていた気がする。尋常ならざる長時間ずっと話していたもので、会話の総量的に記憶は曖昧だけど。
「まぁ、きみは黙ってあたしと仲良く喋っとけーって話しー」
なんて器用なことを要求しやがる、とは言わなかった。
「……まあ。それで治るってんですから、画期的な治療法ですよね、ほんと」
「画期的? うーん……、そいつはどうだろうねぇ」
「僕にはそう思えますけどね。エトさんがその第一人者なんでしょう? 如何にも新技術って感じで、画期的じゃないですか」
第一人者、パイオニア。
この道の、この治療法の最先端を彼女は歩き、歩いて歩いて、歩けぬとっても、その要因障害を尽く切り開いて、また歩く。まぁ、そういう意味での「じっけんざいりょー」なのだろう、僕は。ある一定まで煮詰めた論理を、机上から現実へと輸入するための。
「……どうだろーね、かっきてき、かっきてき――やっぱ、そいつは違う気がするかなぁ、あたし的に」何処かつまらなそうに、エトさんは続ける。「確かに目新しいってのは否定しないよ、そりゃぁ目新しいったらありゃしない。けれどさぁ、画期的って言葉はいつでも、実用的って側面と、現実的って側面が無くっちゃぁダメでしょぅ?」
「現実的かはさておき、少なくとも実用的……に、思えますけどね、僕としちゃ」
それは、そうじゃないという風に、エトさんは捉えているということなのだろうか。一体全体何kgなのか、或いは何tなのか分からないけれど、少なくともそういう次元の重量を誇る鉄球によって、半身を滅茶苦茶に打ち砕かれた人間を死の淵からすくい上げる技術が――実用的で、ないと。
「だってさぁー……考えてもみてよ」
首を傾げて、エトさんは僕を下から覗き込む。
「医者が――あぁ、この場合はあたしと同格の、という枕詞が付く医者が、ね――週とか、月とか、その規模で付き添わなくちゃいけない治療法を……きみは本気で一般実用化できると、心の底から思うのかぁい?」
「…………」
うーん。
僕はこの人がどんくらい凄いのか客観的なデータを持ち合わせていないんだが……。
にしても。
「……まぁ、思いませんね。三時間おきにお医者さんの見舞いが必須、ってのは正直、難しいでしょうし。その合間で仕事でもして、ちょっぴり遅刻なんかしたら、下手すりゃ患者は死亡」
「そーそー。 ――って、お前あたしの懸念を分かった上で暇人だのなんだの言ってやがったな」
「ふぇ」
「……きも」
なるほど、じっけんざいりょーにして、怪我人その人、今最も例の《治療法》の良い側面、その恩寵に預かっている僕目線では――確かに欠落していた物の見方かも知れない。もしくは、無意識に目を逸らしていた側面というのか。
コストパフォーマンス。それを念頭に置いて考えれば、ここまで最悪な治療法も無かろう。勿論、僕は一体どうして三時間おきにその《復元魔法》が必要なのか、まったくこれっぽっちも論理を理解をしていないので、エトさんの話を聞く限り、であるけど。
「ま、別にさぁ。私は私の研究がどれくらい価値あるか、なんてどうでもいい」一転、姿勢を正したエトさんはぐいっと顔を寄せる。「――付随するイイコトも在ったから、気にしちゃいない」
それはもう、まっすぐ、こちらを見据えて。ほんのり金色に見える瞳が、僕の顔面間近。
なんだなんだ、やめてくれ、逆ナイチンゲール症候群を発症させるつもりかこの人。
「――きみみたいな、お喋りしていて楽しいやつと出会えたのは、純粋に喜ばしいと思っているのだよ? 中々の奇跡が重ならななきゃ、こういう展開はあり得なかった」
少しいたずらっぽく、身長相応にエトさんは微笑む。
すみません、発症しました。
「えへへへへ」
「きっっしょっ」
「…………」
やっぱり嫌いかもしれない。
「……ま。 僕ったってそりゃあ、エトさんとお話させて頂けるのは嬉しいんですけれど――流石に一週間経つと、そろそろやりたいことも在ったり」
「おお、なんだなんだぁ、死にかけのくせして傲慢な患者だなあ」
「さーせんね……、その――」
「《足枷》のあの人って、今どうなってるんです?」




