一章/一話『大間違い』
「なにしてるんだろう、僕」
自嘲気味に言って、僕は歩調を緩めない。
辺りを見回して、という表現を使えないのが大変面倒くさいところだが、あえて言うなら辺りを見せつけられて、やはり絶望する他なかった。いや、嘘だ。別に絶望はしていない。諦めてはいるけれど。
一言単純明快、濃霧に覆われてなにも見えない。以上、終了。今のところ僕に仕入れられる情報なんてのはそれくらいのもので、それ以外特段なんにもないので、QEDってやつだ。
「…………」
では、どうしようか。これがもしも仮に小説や漫画やアニメなら、ここら辺で話はオシマイなので、それ以上先には何もないし、ちゃんちゃんというありきたりで安っぽいbgmの後には本当の意味で絶無が広がっているのだろうけれど、しかし残念なことにこの僕というやつの主観は中々しぶといようで、イマイチ消えてくれる気配がなくて、ええと、何が言いたいかというと。
「誰か僕を気絶させてください」
正直なところ、僕はもうそろそろ考えるのが嫌になっていた。
状況終了の気配が見えてこないどころか、多分、ほぼ確実と言っていいのだけれど、ことはあからさまに悪い方向へと邁進を続けている。
――ガギギ、と。
そんな風な金属音が、僕の後方から一生聞こえているのだけれど、これは何だろうか。無視してはいけないことくらい僕程度のやつにも予想はつくのだが、だからといって何なのだろうか。どうして欲しいのだろうか。静と動、止まっては響き、響いては止まる、それはさながら……。
「止めよう、考えすぎだ」
頭を振って、また再び前を向く。濃霧が広がっているだけだった。
いや、この濃霧というものも、僕が勝手にそう呼んでいるだけで、案外本質はそうじゃないのかも知れない。
例えば、すうぃーっと、腕を濃霧に向かって振るってみる。
霧は動かない。
腕は湿らない。
さながらレイヤーが違うと言わんばかりに、なんの干渉も許されない。ここまで深い霧の中を僕は半日程度の時間(と言っても空すら霧に隠れているので、体感時間だが)進んでいるというのに、一切湿らないというのがそもそもどうかしている。はっきり言って異常だ。異常ついでにもう一つの異常にもより正確を期して言及しておくと、こちらの金属音は僕が足を止める度に絶対近付いてきているので、発展性とか干渉不可能性的な話をすると幾分マシだ。
一切干渉することもされることもない不動の霧と、多分これから間違いなく僕に向かって干渉してくるであろうこの金属音さんのこの二人が、今のところさしあたって僕が付き合っていかなくてはいけないフレンドだ。絶交を視野に交友関係を深めていきたい。
「…………折角治ったのに」
酷いじゃないかこの野郎、とまで叫ぶと流石に恥ずかしいので辞めておくが、そう続けたい気持ちだった。記憶障害が治って、この僕――薪火恭一という人間はようやく人間と呼んでいいくらいに正常を取り戻したというのに、この仕打ちにあっている。
そして記憶障害が治ったついでに、やっぱり僕はこれを中々忘れられないもので非常に困っているのだが、どう思考を巡らしても、最終最後に辿り着く場所でこの僕は死んでいる気がするのだけれど、コレはやっぱり、実はまだ記憶障害が治っていないというオチなのだろうか。記憶障害が治ったついでの話の結が、このオチなのはあんまりな気がするけど。
「なんだかなあ」
正直言って、努力に努力を重ねてそこに努力をもう一つまみくらいすれば、現状維持は難しくないのだろう。歩き続ける限りこの金属音さんに追いつかれることは、決して無いとは言えないけれど、まぁ多分無いだろうと仮定が許されるくらいには無いと思う。音の距離感の変動を思えば、半日分の経験を思えば、その程度の仮説は立てられる。
だが、歩いて歩いて歩き続けて、現状維持を維持して維持し続けて、しかし多分、最後のオチはこれまたあんまりなオチだろう。何にも面白くない、純然たる人間的限界。
延々と歩くことは然程難しくなかろうが、永遠に歩くことは圧倒的に不可能なのだ。
「はい、こっから建設的に」
先生を気取って自戒の言葉。
ならばどうしましょう、うん、どうしようもないので諦めましょう。QED。言って、自分の体を放り投げて横たわってここらで唐突に惰眠を貪り始めたら流石に僕ってやつの度量をもってしてこの状況に一泡吹かせられるに違いな、い――
「…………」
建設的な思考は難しかった。
でもやむを得ないだろう。実際のところこの優秀な僕って奴は、実は実は、結論を出せちまっているのだから。嘘だ。僕は優秀じゃない。けど、だって、こんなもの誰だって結論を出さずにはいられないだろう。否応なしに。
今、選び取れる最高の選択肢は現状維持。これに異を唱えるものは居ないだろうし、これが最高到達点であって、それ以上なんて何処にも存在していない。
以上が無いなら、はい。さん、にー、いち、
「《以下》に全力で突っ込みます!」
踵を返して、この僕は小学生ぶりの全力疾走。
これに意味が在るのかは怪しいところだったが、極力予備動作も零に近づけた。音は近くこそ無かったが、全力で走れば多分十五秒もかからない程度の距離。故に、圧倒的なまでの不意打ちが成立するはずだ。
駆けて、駆けて、駆け抜ける賭け――
「………はぇ…?」
そして、出遭った。
僕は生涯で初めて、こんな情けない声を出して――、
僕は生涯で初めて、一目惚れってやつをした。




