第45話「小さな約束」
記録帳をもらってから、数日が過ぎた。
エリシアの日課は、また一つ増えていた。
夜になると記録帳を開く。
今日見つけた花。
訓練で気づいたこと。
森で感じた違和感。
思い出しながら、小さな絵を描いていく。
まだ丸や線ばかり。
それでも、一冊目は少しずつ埋まり始めていた。
◆
朝。
訓練場では今日も木剣の音が響いている。
エリシアも昨日教わった足運びを意識しながら木剣を振る。
ブン。
ブン。
ブン。
すると。
「お。」
教官が足を止めた。
◆
「昨日より良くなっているな。」
◆
エリシアは思わず木剣を見る。
(……ほんと?)
◆
「足が止まらなくなってきた。」
「そのまま続けなさい。」
◆
「……はい。」
自然と返事が出た。
少し前なら「……うん。」だった。
自分でも気付かないくらい、小さな変化だった。
◆
訓練が終わる。
アレンが走ってきた。
◆
「エリシア!」
◆
「今日さ!」
「ぼく、一回も転ばなかった!」
◆
誇らしそうに笑う。
◆
エリシアも嬉しくなる。
◆
「……すごい。」
◆
「えへへ。」
アレンは照れくさそうに頭をかく。
◆
「でもね。」
◆
「父さんが言ってた。」
◆
「昨日の自分に勝てたら、それで十分なんだって。」
◆
エリシアはその言葉を何度も頭の中で繰り返した。
◆
(……きのうの。)
(……じぶん。)
◆
記録帳を思い出す。
◆
昨日描いた花。
昨日感じた違和感。
昨日できなかったこと。
◆
(……だから。)
◆
(……かいてる。)
◆
少しだけ意味が分かった気がした。
◆
昼休み。
エリシアは資料室で文字の練習をしていた。
◆
「あ。」
◆
一文字。
◆
「り。」
◆
もう一文字。
◆
ゆっくり。
ゆっくり。
◆
シアラが後ろから見守っている。
◆
「焦らなくて大丈夫ですよ。」
◆
「はい。」
◆
以前より返事も少しだけはっきりしてきた。
◆
「先生。」
◆
「はい。」
◆
「……わたし。」
◆
少し考える。
◆
「もっと。」
◆
「しりたい。」
◆
その言葉を聞いたシアラは、優しく笑った。
◆
「そう思えたなら。」
◆
「もう十分成長していますよ。」
◆
エリシアは首を傾げる。
◆
「え?」
◆
「知りたいと思う心は。」
◆
「誰かに教えてもらうものではありません。」
◆
「自分の中で育つものです。」
◆
その言葉は、まだ全部は理解できなかった。
それでも。
胸の奥が少しだけ温かくなった。
◆
夕方。
◆
帰る前。
アレンがエリシアを呼び止めた。
◆
「ねぇ。」
◆
「約束しよう!」
◆
「……やくそく?」
◆
「うん!」
◆
「どっちが強くなるか競争!」
◆
エリシアは少し考える。
◆
(……つよさ。)
◆
勝ち負けではない。
でも。
◆
「……いっしょ。」
◆
「がんばる。」
◆
アレンは満面の笑みになった。
◆
「うん!」
◆
「一緒に頑張ろう!」
◆
二人は小さく拳を合わせる。
◆
コン。
◆
軽い音が鳴る。
◆
その約束は、とても幼いものだった。
勝負でもない。
契約でもない。
ただ、
「一緒に頑張ろう。」
という約束。
◆
少し離れた場所で、それを見ていた局長は小さく笑った。
◆
「良い仲間に出会えましたね。」
シアラが言う。
◆
「ああ。」
◆
局長は静かに頷いた。
◆
「努力は、一人でもできる。」
◆
「だが。」
◆
「努力を続けられる者の隣には、いつも誰かがいる。」
◆
夕日が二人の小さな背中を照らしていた。
◆
まだ三歳と五歳。
幼く、弱く、小さな子どもたち。
◆
それでも。
この日に交わした約束は。
何年経っても、二人の心の中で静かに生き続けることになる。




