第36話「知るための場所」
朝日が管理局の中庭を照らしていた。
訓練が始まる前。
エリシアは一人、花壇の前にしゃがみ込んでいた。
昨日見ていた花。
今朝は、また少しだけ開いている。
(……また、かわった。)
小さく笑う。
毎日見ていると、本当に少しずつ変わる。
昨日は気づかなかったことが、今日は見える。
そんな時間が、少し好きになっていた。
◆
「エリシア。」
後ろから声がする。
振り向くと、シアラが立っていた。
「今日も観察ですか?」
「……うん。」
エリシアは花を指差す。
「きのうと……ちがう。」
シアラは花を見て微笑んだ。
「よく見ていますね。」
その言葉に、エリシアは少しだけ照れたように俯く。
◆
午前の訓練が終わると、シアラが声をかけた。
「エリシア、少し付き合ってもらえますか?」
「……うん。」
◆
連れてこられたのは、管理局の奥にある一つの部屋だった。
今まで入ったことのない場所。
木の扉には、小さな金属の札が掛かっている。
そこには、
『資料室』
と書かれていた。
◆
扉が開く。
ふわりと紙の匂いが広がる。
「わぁ……。」
思わず声が漏れた。
本がたくさん並んでいる。
壁一面が本棚だった。
大きな本。
小さな本。
古そうな本。
分厚い本。
知らないものばかりだ。
◆
「ここは管理局の資料室です。」
シアラが静かに言う。
「影喰いの記録や植物、魔物、この世界の歴史……いろいろなことが書かれています。」
エリシアは本棚を見上げた。
(……いっぱい。)
◆
「もちろん、まだ全部は読めません。」
シアラは笑う。
「文字も勉強中ですからね。」
「……うん。」
少しだけ恥ずかしい。
◆
するとシアラは、一冊の薄い本を取り出した。
絵がたくさん描かれている。
「これは子ども向けの植物図鑑です。」
「今日見ていた花も載っているかもしれませんよ。」
◆
エリシアはそっと本を受け取る。
ページをめくる。
色鮮やかな花の絵が並んでいた。
◆
「あ。」
一つの絵で手が止まる。
今日見た花だった。
◆
「……これ。」
◆
「見つけましたか?」
◆
エリシアは何度も頷く。
◆
本の下には、まだ読めない文字が並んでいる。
でも。
知りたかったことが、ここにある。
◆
(……よみたい。)
◆
その気持ちが、自然と湧いてきた。
◆
「先生。」
小さく顔を上げる。
「……もじ、おぼえたい。」
◆
シアラは少し驚いたあと、優しく微笑んだ。
「はい。」
「一緒に勉強しましょう。」
◆
部屋の外。
半開きになった扉の向こうから、局長が静かにその様子を見守っていた。
◆
「局長。」
隣にいたリゼットが小声で尋ねる。
「やはり、特別扱いを?」
◆
局長は静かに首を振る。
「違う。」
◆
「私は何も教えていない。」
◆
「知りたいと思ったから、自分で歩き始めた。」
◆
窓から差し込む光が、本棚を照らす。
◆
「知識は与えるものではない。」
◆
「求めた者だけが、本当の意味で身につける。」
◆
その言葉を聞いたリゼットは、小さく頷いた。
◆
資料室の中では。
エリシアが絵本を抱え、何度も花の絵を見比べていた。
◆
まだ文字は読めない。
それでも。
知りたいという気持ちは、本物だった。
◆
その小さな一歩が。
いつか世界の理を紐解くことになるとは——
まだ誰も知らない。




