第30話「遠くの空」
管理局へ来てから、季節が少しだけ進んでいた。
朝の風も、以前より暖かい。
訓練場へ向かう道を歩きながら、エリシアは空を見上げた。
(……あおい。)
雲がゆっくり流れている。
それだけなのに、少しだけ嬉しくなる。
◆
「エリシア!」
ミレアが小走りで近づいてくる。
「今日は座学からだって。」
「……ざがく?」
「うん。」
まだ難しい言葉は覚えきれない。
でも、管理局へ来てから少しずつ増えてきた。
「勉強する日。」
「……そっか。」
◆
教室へ入ると、シアラが大きな地図を広げていた。
子どもたちが興味津々で集まる。
「今日は、この世界のお話です。」
地図には、大きな大陸が描かれていた。
東、西、南、北。
そして海の向こうにも、いくつもの島がある。
エリシアは目を丸くした。
(……ひろい。)
◆
「私たちがいるのは、この中央大陸。」
シアラの指が動く。
「管理局の本部も、ここにあります。」
「でも。」
そこで少し表情が変わる。
「世界には管理局の支部がたくさんあります。」
子どもたちがざわつく。
「そんなに?」
「うん。」
シアラは頷いた。
「影喰いは、世界中に現れるから。」
◆
エリシアは地図を見つめる。
世界は広い。
村しか知らなかった自分には想像もできないほど。
(……みんなも。)
(……たたかってる。)
自分たちだけじゃない。
遠くの誰かも、影喰いと向き合っている。
そんな気がした。
◆
授業が終わる頃。
一人の局員が静かに教室へ入ってきた。
局長にだけ、小さく耳打ちする。
局長の表情がわずかに変わった。
ほんの一瞬だった。
子どもたちは誰も気づかない。
ただ一人。
エリシアだけが、その空気の変化を感じていた。
(……また。)
◆
授業が終わる。
子どもたちは外へ飛び出していく。
エリシアも立ち上がる。
その時。
「エリシア。」
局長に呼び止められた。
「……はい。」
「少し話がある。」
◆
局長室。
静かな部屋だった。
窓の外には庭が見える。
「怖がらなくていい。」
局長は優しく言った。
「少し聞きたいことがあるだけだ。」
エリシアは小さく頷く。
◆
「最近。」
「影喰いを感じることはあるか?」
少し考える。
毎日ではない。
でも。
「……ときどき。」
正直に答えた。
「……ある。」
◆
「場所は分かるか?」
「……うん。」
「なんとなく。」
局長は静かに目を閉じる。
予想通りだった。
◆
「エリシア。」
「これはまだ誰にも話さなくていい。」
「君は今まで通り学びなさい。」
「焦らなくていい。」
◆
(……うん。)
その言葉に、不思議と安心した。
何かを期待されている。
でも。
無理に何かをさせようとしているわけじゃない。
◆
「……ありがとう。」
自然と口から出た。
局長は少しだけ驚いた顔をする。
そして、穏やかに笑った。
「こちらこそ。」
「ありがとう。」
◆
エリシアが部屋を出る。
扉が静かに閉まる。
◆
局長は一人、窓の外を見つめていた。
「……まだ三歳だ。」
誰に言うでもなく呟く。
「それなのに、世界は待ってはくれないか。」
◆
机の上には、一枚の報告書が置かれていた。
西方第二支部より緊急報告
影喰いの異常発生を確認。
討伐隊の被害、多数。
局長は報告書を静かに閉じる。
そして、小さく息を吐いた。
「……始まったか。」
◆
同じ頃。
はるか西の大地。
燃え落ちた村の跡を、一人の少年が歩いていた。
年齢は、エリシアと同じくらい。
その小さな手には、折れた木剣が握られている。
周囲には誰もいない。
少年は静かに空を見上げた。
「……まだ。」
「まだ終わってない。」
その瞳には、幼い子どもとは思えない強い意志が宿っていた。
――彼の物語もまた、この世界のどこかで始まっていた。




