第10話「外へ」
影が消えたあとも、しばらく誰も動かなかった。
風だけが戻る。
さっきまでの重さが、嘘みたいに消えている。
「……本当に、消えたのか」
誰かが小さく呟く。
答える者はいない。
ただ、視線だけが——エリシアに集まっていた。
(……またか)
居心地が悪い。
見られている。
それも、さっきまでとは違う意味で。
◆
「下がれ」
あの男の声。
大人たちが、少し距離を取る。
その中で、父が一歩前に出た。
「……話をしよう」
静かに言う。
誰に、というわけじゃない。
でも、その場の全員が聞いている。
「このままにはしておけない」
短い言葉。
重さだけが残る。
「管理局に報告する」
その一言で、空気が変わった。
(……かんりきょく)
聞いたことのない言葉。
でも、周りの反応で分かる。
軽いものじゃない。
「ここだけの話じゃ済まない、ということか」
別の男が言う。
「……ああ」
父は短く答える。
それ以上は言わない。
でも——十分だった。
◆
その日の夕方。
村の空気は、朝よりもさらに重くなっていた。
人の声は少ない。
視線だけが増えている。
家の中でも、同じだった。
母は、いつもより静かだった。
言葉は少ない。
でも、何度もこちらを見る。
何か言いたそうにして——やめる。
(……分かるけどな)
簡単じゃない。
自分でも分からないのだから。
◆
夜。
食事が終わって、少し時間が経ったころ。
父が口を開いた。
「……エリシア」
名前を呼ばれる。
顔を上げる。
「数日中に、人が来る」
短く言う。
「管理局の者だ」
(……来るのか)
少しだけ、胸がざわつく。
何をされるのか。
何を聞かれるのか。
分からない。
「お前のことも、聞かれる」
視線が向く。
まっすぐに。
「……こわいか」
少しだけ、間を置いてからの言葉だった。
(……こわい)
正直に思う。
知らないもの。
分からないこと。
そして——
(……自分のことも)
小さく息を吐く。
「……ちょっと」
素直に言う。
父は、ほんの少しだけ目を細めた。
「そうか」
それだけ言う。
否定もしない。
励ましもしない。
ただ、受け止める。
その距離が——少しだけ、心地よかった。
◆
次の日。
ルナが、いつもより早く来た。
「ねえ、ほんとなの?」
息を切らしながら言う。
「へんな人たち、来るって」
(……もう広がってるな)
小さく思う。
「……うん……」
短く答える。
ルナは少しだけ黙る。
そのあと——
「……エリシア、いなくならないよね?」
ぽつりと聞いた。
その声は、いつもより小さい。
(……そこか)
分かる。
昨日のこと。
周りの反応。
全部合わせれば——そう考える。
少しだけ考える。
正直、分からない。
どうなるかなんて。
でも——
「……だいじょぶ」
言葉が足りない。
でも、続ける。
「……ここに、いる」
自分でも驚くくらい、はっきり出た。
ルナが、じっとこちらを見る。
そして——
「……うん」
小さく頷いた。
それだけで、少しだけ空気が軽くなる。
◆
その日の午後。
村の入口が、少しだけ騒がしくなった。
遠くからでも分かる。
普段とは違う音。
足音。
複数。
(……来たか)
自然と、体が動く。
外へ出る。
人が集まり始めている。
村の入口。
そこに——
見慣れない服の人間が立っていた。
黒を基調とした装備。
無駄がない。
動きも静かだ。
数人。
その中心に、一人。
周囲よりも、少しだけ空気が違う。
(……あれか)
なんとなく分かる。
あれが——管理局。
その人物が、一歩前に出る。
周囲を見渡す。
そして——
エリシアで、止まった。
「……その子だな」
低い声。
無駄がない。
まっすぐに向けられる視線。
逃げ場がない。
でも——
逸らさない。
逸らしたくない。
ほんの一瞬。
静かな時間が流れる。
そして、その人物は言った。
「境界管理局、調査員だ」
短く名乗る。
それだけで、十分だった。
空気が変わる。
村の空気が——完全に変わった。
(……外、か)
小さく思う。
もう、戻れない気がした。
昨日までの、ただの時間には。
それでも——
目を逸らさない。
前を見る。
そう決めて——
エリシアは、その視線を受け止めた。




