第二百二十八話 こっちにロリコンがいまぁーす
さやちゃんの家出事件から、すでに数日が経過している。
氷室さんの犠牲と、それから最上さんの真田への厳しい言及があったおかげか、真田兄妹は意外と普通の日常を送っているらしい。
いつも通り、兄の真田がさやちゃんに付きまとっていて、それを彼女が迷惑そうにしている、というわけだ。
兄妹の関係性に変化はない。
兄の真田才賀については、別に反省もなければ、謝罪もなかったらしい。氷室さんに言われたから……というよりは、最上さんに嫌われたくないから、という感情が強いのか。さやちゃんに対して家出の件は何も触れないらしいが、だからと言って今まで通り過干渉みたいなので、そこはどうしようもない。
良くも悪くも不変なのが、真田才賀なのである。
ただし、妹のさやちゃんについては……あの一件が、この子に与えた影響は大きかったようで。
「…………」
彼女は無言で、椅子にちょこんと座っていた。
目の前には美味しそうなパンケーキが置いてあるのに、手を付けようとしない。いつもなら美味しそうにもぐもぐしている場面なのに、表情が暗かった。
場所はいつもの喫茶店である。店主のおじいさんもさやちゃんの元気がないことは気付いているのだろう。先ほど、サービスで焼き立てのクッキーを持ってきてくれたが……それさえも一口かじっただけで、さやちゃんは俯いていた。
この子はやっぱり、あの一件に責任を感じているらしい。
加えて、氷室さんが真田と喧嘩してまで味方してくれたことに驚きもあったのかもしれない。いつもさやちゃんは氷室さんに塩対応をしていたので、だからこそ対応の仕方にも動揺が生まれていた。
そして氷室さんも、いつもとは違うさやちゃんに戸惑っている、というのが現状だ。
「さやちゃん。食べないのか?」
「……いいえ。食べます」
一応、返答はしてくれる。
対面に座っている俺が話しかけたら、ちゃんと声を発してくれる。
しかしそれでも、いつも通りではない。ここ数日はずっとそんな調子なので、俺もかなり心配していた。
(時間が経てば落ち着くかと思ったが……自分の感情を処理できてないのか)
まだこの子は子供なので、情操的には未熟である。
大人だってミスをすれば落ち込むが、それを切り替えることは可能だ。たいていの場合は酒を飲めばすべて忘れられる……まぁ、それは対策とは言えないか。
とにかく、大人には逃げ道がいくつかあるのだが、子供にはその手段がまだない。
特に今回は重傷だ。甘い食べ物にも反応が薄く、二の足を踏んでいると言うのが現状である。
一体何をしてあげればいいんだろうか――と、悩みながらコーヒーを一口飲んだ。むせた。
「げほっ。げほっ……なんだこれっ」
甘い。俺が想像していた1000倍くらいの糖分に、喉が毒物と認識したのかもしれない。盛大に咳き込んだ。
おかしい。ブラックを注文したはずなのだが。
「お、お兄さま? 大丈夫ですか?」
「ちょっと。むせないでくれない? あたし、才賀の飛沫しか浴びたくないんですけど~」
さやちゃんも心配してくれていた。
自分も落ち込んでいるのに、俺のことを気にしているあたり、心根の優しさが垣間見える。
「どうぞ。さやのお水を飲んで、落ち着いてください」
「うわぁ。幼女と間接キスとか正気? 事案じゃないのこれって。ぴぽぱぽぱ。ぷるるる……もしもし警察? こっちにロリコンがいまぁーす」
水を差し出してくれるなんて、さやちゃんはやっぱりいい子だ。
それに対して、そばで茶化しているこいつときたら。
「……なぜいる」
いいかげんに無視できなくなったので、視線を向けると……俺の隣には、電話の子芝居をしながら冷笑している小娘がいた。
金髪のツインテールとみょんみょん動いているアホ毛が特徴的な少女である。
見た目は小柄で愛らしい。ただし中身はは邪悪そのもの――湾内美鈴が、なぜかいた。
「てか、悟が飲めないならあたしが飲むね♪ にひひ~。やっぱりシロップはこれくらいがいいわよね」
ブラックコーヒーがいつの間にか甘くなっていた理由は、彼女が細工をしたせいらしい。
小賢しいのは相変わらずだ。俺から飲み物を奪って美味しそうに飲むその姿は、メスガキそのもの。普段は冷静を心掛けている俺ですらイラっとするのは、ある意味では才能だった。
招かれざる客の来訪である。
そして、その感情はどうやらあの子にも適用されているようで。
「はぁ……あなたに構うような気分ではないのですが」
さやちゃんが、うんざりしたように湾内さんを見てため息をついていた。
だが、小娘は空気なんて読まない。察してはいるだろうが、彼女は他人に気遣いなんてしない。
「ぷぷーw さやが落ち込んでてめしうま♪ あ~。コーヒーおいしー!」
それはコーヒーと呼べるのか? 砂糖水のコーヒー割りと言った方がいい気がする。
まったく……なんて人間なんだ。慰める、なんて言葉はこの子の辞書に存在しないのだろう。
年下だろうと容赦はない。精一杯に煽り散らかす姿が、最高に邪悪だった――
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