幕間その8 漫画みたいな出来事
書店に来て自分の作品を監視していたら、強火のファンに遭遇した。
もちろんねこねこは嬉しい。こんなにも自分の作品に熱狂してくれている人がいることを、心から喜んでいる。
ただ、そのことを実感するのは帰宅した後になるだろう。
今は少しだけ、驚きの方が勝っていた。
「……いやぁ。ラブこりのファンと出会えるなんて嬉しいですよ~」
サラリーマンの男性は人見知りしないタイプらしい。
挨拶を交わすくらい気軽に、ねこねこに話しかけている。
ナンパとか、宗教の勧誘とか、そういった気配や下心は一切感じられない。
このコミュニケーション能力に、普段は他人と話さないねこねこは気後れしていた。
(ど、どうしよう。私はファンじゃなくて作者なんだけど、どうしよう!?!?!?)
心の中で混乱しながらも、とりあえず失礼にならないように愛想笑いを浮かべておく。
嫌なわけではないが、やはり他人と話すのが苦手で、ねこねこはつい一歩後ろに下がってしまった。
しかし、目の前の男性は揺らがない。
「ふふふ。いや失礼……分かります。あなたが話しかけるなオーラを出していることも分かっています。ただ、ラブこりファンの同志と出会えた悦びが抑えきれなくて。いやぁ、新刊の発売日に間に合って良かった……実は昨日まで遠くに出張してたんですよ」
隙あらば自分語り。
この空気を読んでいる上であえて読まない感じが、まさしくオタク君だった。
つまりは、ねこねこの同類である。
(ら、ラブこりって略してる人、現実で初めて見た……!)
もちろんSNS上ではちらほらと見かけた略称だが。
実際に声で聞くと、なんだかこそばゆい。思わず照れてしまいそうになったので、だらしない表情を見せないよう、少しだけ俯いた。
引きこもり故に、髪を切りにあまり行かないことが功を奏して、今のねこねこは髪の毛が無造作に長くなっている。目元くらいなら前髪で隠せるほどに。
それを、サラリーマン男性はジッと見ていた。
「……メカクレ女子、か」
「え。な、なんですか」
「いえ。あなたがどことなく風子ちゃんに雰囲気が似ていて、ついつい見ているだけです」
(わ、私が似ているわけじゃなくて、風子ちゃんが似ているというかっ)
似せたわけじゃない。いや、無意識のうちに自己投影はしているかもしれないが、意識していなかったことは事実だ。
なので、思わず首を横に振ってしまった。
「そ、そんなこと……ないです」
「ああ、すみません。ナンパとかじゃないので安心してください。もうそろそろお店を出るのでご安心を」
警戒された、と思わせてしまったのか。
別にナンパだと思ったわけじゃない。そんな下心はまったくなかった。ただ、ついいつもの癖で自己否定しただけなのだが、それをサラリーマンの男性は引き際と判断したらしい。
ねこねこが顔を上げると、彼はもうねこねこから視線を切ってスマホを見ていた。
「うわぁ。会社から連絡が入っている……出張明けの社員なんだから、お昼休みくらいゆっくりさせてほしいものですよね」
「はぁ……」
「じゃあ、俺は買いに行きますね。お買い物中に話しかけちゃってすみません。同志とお話しできて楽しかったです。それでは」
そう言って、彼は急いだ様子で単行本を抱えてレジの方に向かっていった。
多忙なのは事実なのだろう。ねこねこの返事を待つ余裕もないらしい。
レジに並ぶ彼を眺めながら、ねこねこは内心で……少しだけ、違和感を覚えていた。
(――出張。サラリーマン……強火のファンで、メカクレフェチ)
なんとなく、見覚えがある。
いや。見覚えというか、その属性に親しみがある。
(うーん。そんなこと、ありえないよね)
頭には思い浮かんでいる。
ただ、そんな『漫画みたいなこと』が起きるわけないと、彼女はついつい否定してしまった。
(――まさかあの人が本人なわけないよね?)
佐藤悟のモチーフにして、ねこねこに大きな影響を与えた読者の一人。
見てくれの属性は確かに重なっている部分が多い。ただ、まさかそんなこと有り得ないと思って、つい彼女は次の一歩が踏み出せずにいた。
だから、出遅れた。
「どうも」
お店の出入り口は新刊コーナーの近くにある。
レジで会計を済ませた後、こちらに歩いてくる際にもう一度視線が合うと、彼は会釈してくれた。ねこねこも反射的に軽く頭を下げると、彼は小さく微笑んで、それからスマホを取り出して通話しながら、歩き去っていった。
「……あ、お疲れ様です。今から戻ります……え? 午後の営業は社用車で向かいますが」
忙しそうだなぁ、とねこねこがぼんやり考えると同時。
ふと、彼のポケットから一枚の紙片が床に落ちた。
ねこねこはそれを返そうと拾い上げて――そして、不意に気付いた。
「……ラーメンのクーポン券」
有名ラーメン店の割引券。
そして、先ほどの電話の『営業』というワード。
その二つの単語で、彼女は強い衝動に駆られた。
(――もしかして)
急に、彼女はいてもたってもいられなくなる。
その時になってようやく、ねこねこは慌てて彼の後を追いかけた――。
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