6 蒼の雫亭のカンスさん3
「いやあ、今回もありがとうな。おもろい話を聞かせてもろて」
「いえ、こちらこそ。いろいろ教えていただいて助かりました」
一通りの話を終え、ルクスは改めてカンスに礼を述べた。
「そういや、世の魔術師はほとんど女性やろ? 精霊の加護を受けやすいからやとか、いろんな説があるけどなあ」
「そういう話は聞いたことがありますね」
「せやから、男で光属性の魔術師っちゅうんは、なかなか貴重な資料なんよ」
「資料、ですか?」
「おっと、言い方が悪かったな。研究対象としても興味深いっちゅうことや。もちろん、無理に何かを聞き出そうとは思わへんで?」
「はは……」
ルクスは、少し困ったように笑った。
どうやら自分の魔法や体質には、本人が思っている以上に珍しい要素があるらしい。
――そのときだった。
すっ……。
カンスの指先が、ルクスの胸元をなぞるように滑った。
「はうっ!?」
思わず、ルクスの口から妙な声が漏れる。
「お姉さん、ルクスくんの身体には興味津々なんやけどなあ」
「おい! そいつはわたしのものだぞ!」
間髪入れず、ティアが身を乗り出した。
「おお、怖い怖い。そんなに睨まんでもええやないの」
「当然だ! 勝手に触るな!」
「いやあ、えらい独占欲やなあ」
「はは……」
ルクスは苦笑しながら、二人の間に視線をさまよわせた。
どうやら自分の身体は、本人の知らないところで所有権を巡る争いに巻き込まれているらしい。
「……まったく」
ティアは不満げに頬を膨らませると、ルクスの隣にぴたりと寄り添った。
「ほな、頼まれとったコレも報酬のおまけにつけとくで」
カンスは何事もなかったかのように、小さな包みを差し出した。
「ありがとうございます。……あれ? この魔力回復薬、液体じゃないんですね」
包みを開いたルクスの目に飛び込んできたのは、色鮮やかな小粒の飴だった。
「せや。飴ちゃんやで。口に入れとったら、徐々に魔力が回復する優れモンや」
「へえ、こんなものもあるんですね!」
「ええやろ? これもカンスお姉さんのオリジナルやで」
「オリジナルなんですか!?」
ルクスの目が、さらに輝いた。
「僕は魔力効率があまり良くないので、こういうものは本当に助かります」
「ええて、ええて。遠慮せんと使うてや」
カンスは満足そうに笑った。
「ほな、またおもろいことがあったら教えてえな。ティアちゃんも、またな」
「ちゃんをつけるな」
「おお、怖い怖い」
ティアの鋭い返答にも、カンスはまるで堪えた様子がない。
ルクスはそんな二人のやり取りに苦笑しながら、蒼の雫亭をあとにした。
***
「……もう出てきてもええで」
二人の姿が店の外へ消えたのを確認すると、カンスは何気ない調子で店の奥へ声をかけた。
すると、物陰からひとりの人物が音もなく姿を現した。
「はっ。カンスローネ様」
「こらこら。うちは雑貨屋のカンスさんやで」
「失礼いたしました……」
「ほんで? おもろい話はあったん?」
カンスはいつもの気さくな笑みを浮かべたまま、問いかけた。
「こちらを」
差し出された報告書を受け取ると、カンスは魔眼鏡に手をかけた。
すっ、と額へ持ち上げる。
その奥から現れた瞳には、燦然と輝く星のような光が宿っていた。
それは、ただ美しいだけの瞳ではない。
ドワーフ族の中でも、限られた者にしか受け継がれぬ特別な証。
そして、その瞳を持つ者こそ――。
ドワーフ族の意思決定の頂点に連なる聖女。
通称、『神炉の大聖女』。
「ふうん……。やっぱり、ルクスくんはあのえげつない組織と関係があったんやなあ」
報告書に目を通しながら、カンスは小さく呟いた。
「『星辰の揺り籠』ですね」
「あそこや。男の光術師なんて稀有な存在やからなあ。なんや、きな臭いとは思っとったんよ」
「人為的に英霊の器として作り替えていくという、あの計画ですね」
「せや」
カンスの表情から、先ほどまでの陽気さが消えた。
「人の魂にまで手を出すなんて、ほんまえげつない話やで」
その声には、隠しきれない嫌悪が滲んでいた。
英霊の器を人為的に造り上げる。
それは単なる魔術研究などではない。
人間の魂を素材として扱い、世界の理にさえ干渉しようとする禁忌の所業だ。
「……ルクスくんが、どこまで知っとるんかは分からへん。せやけど、あの子がまったくの無関係ともいいきれんなあ」
「引き続き、調査を進めます」
カンスは報告書を閉じ、今度は別のことを考えるように目を細めた。
「……ティアちゃんも、何かあると思うんやけどなあ」
「はい。あの魔族は、一般的な眷属とは異なります」
「せやな。あれは純血種や。始祖の血を引いとるんやろうなあ」
「それに、あの身体も気になります」
「うちもそう思うわ」
カンスは顎に手を当てた。
「あの身体……。器は人族のものやろうなあ。いったい誰が作ったんか知らんけど」
「そちらについても調べます」
「頼むで。ルクスくんのことも、ティアちゃんのこともな。特に、あの二人がどういう経緯で一緒になったんかは気になるところや」
「承知しました」
「勤勉なやつは大好きやで」
「はっ。カンスロ……カンス様のお心のままに」
「よろしい」
カンスは満足そうに頷くと、再び魔眼鏡を下ろした。
そこにいたのは、どこにでもいそうな気さくな雑貨屋の店主。
先ほどまでの鋭い眼差しは、すっかり隠されていた。
「ほな、たのむで」
「はっ」
報告者が去ったあと、カンスは店の扉へと目を向けた。
先ほどルクスたちが出ていった方向だ。
「ルクスくんに、ティアちゃんか……」
口元に浮かぶのは、いつもの人懐っこい笑み。
「なんや、こら。えらいおもろいことになってきそうやなあ」
カンスは楽しげに肩を揺らした。
けれど、その瞳の奥には、先ほどの報告書に記された内容が、今も静かに影を落としていた。
***
蒼の雫亭を出て、宿へと戻る道すがら。
しばらく並んで歩いていたティアが、ふと足を止めた。
「ルクスよ。わたしは少し町を見て回ってくる」
「え? 今から?」
「うむ。少し用事ができた」
「一人で大丈夫?」
ルクスが心配そうに尋ねると、ティアは呆れたように眉を上げた。
「わたしをなんだと思っている。こう見えても、由緒正しき吸血鬼なのだぞ」
「そうだったね。でも、今の姿だと……」
「なんだ?」
「い、いや。なんでもない!」
言いかけた言葉を、ルクスは慌てて飲み込んだ。
ティアはじろりと彼を睨んだあと、ふん、と鼻を鳴らした。
「まったく。ほら、先に帰っておれ」
「うん、わかった。あまり遅くならないでね」
「心配はいらぬ」
そう言い残すと、ティアは背を向けて歩き出した。
しばらくして振り返り、ルクスの背中が人混みに紛れ、見えなくなったのを確認してから――。
ティアは人通りの少ない路地へと足を踏み入れた。
町の喧騒が遠ざかり、薄暗い石壁に囲まれた路地。
そこで彼女は、ぴたりと足を止めた。
「……出てこい」
低く、静かな声。
次の瞬間、路地の奥の闇が揺らいだ。
「ティアーシャ様……」
影の中から、ひとりの女性が姿を現す。
黒く長い髪に、メイド服をまとった姿。
「リリスか」
「はい。お久しゅうございます。リリスティアにございます」
女性は恭しく膝を折り、深々と頭を垂れた。
「何用だ」
「ノクティリア様がお呼びでございます。婚礼の議を進めるとのことで……」
「戻らぬ」
ティアは即座に言い放った。
「アレの花嫁など、まっぴら御免だ」
「ですが、ティアーシャ様……」
「くどい」
その一言に、リリスの肩がびくりと震えた。
それでも彼女は、ためらいがちに顔を上げる。
「あの男のせいですか?」
「……何?」
「そのようなお姿にされたのも、あの男が原因なのでしょう。それでしたら、わたしがあの男を始末いたします」
一瞬。
路地を満たす空気が、凍りついた。
「ルクスには手を出すな」
ティアの声は静かだった。
だが、その深紅の瞳には、明確な怒りが宿っている。
「しかし、あの男はティアーシャ様を――」
「お・ま・え・は」
ティアは一歩、リリスへと近づいた。
「いったい、誰の眷属なのだ?」
その瞬間、リリスの身体が大きく震えた。
まるで見えない鎖に縛られたかのように、彼女はその場から動けなくなる。
「も、もちろん……ティアーシャ様でございます」
震える声で答え、リリスはその場に膝をついた。
ティアは小さく息を吐いた。
そして、先ほどまでの威圧が嘘だったかのように、そっとリリスの頬を撫でる。
「……寂しくさせて、すまなかったな」
「ティアーシャ様……」
「魔力探知の及ばぬところを、長いこと彷徨っていたのだ。おまえにも、心配をかけたのだろう」
「そんな……。わたしは、ただティアーシャ様のお戻りをお待ちしておりました」
リリスは息を荒くしながら、恍惚とした表情でティアを見つめていた。
頬に触れるその手を、まるで何よりも大切なもののように感じているかのようだった。
「……よいか。ノクティリアには気をつけよ」
ティアの表情が再び引き締まる。
「吸血鬼の序列では、わたしの兄にあたる存在だ。だが、わたしはアレを信用しておらぬ」
「はい。肝に銘じます」
「婚礼の話も、勝手に進めさせておけ。わたしは戻るつもりなどない」
「承知いたしました」
「うむ。では、行け」
「はい。ティアーシャ様に、深紅の祝福を」
リリスは最後まで恭しく頭を垂れると、その姿を闇に溶かすように消した。
あとには、静寂だけが残る。
「……ふう」
ティアは小さく息を吐き、誰もいない路地を見つめた。
「長く生きると、面倒なことが増えるな」
そう呟く声には、わずかな疲労が滲んでいた。
ノクティリア。
兄であり、吸血鬼の序列において自分より上位に立つ存在。
その名を思い浮かべるだけで、胸の奥に不快なものがよぎる。
婚礼など、認めるつもりはない。
たとえ相手が兄であろうと、誰であろうと、自分の意思を曲げるつもりはなかった。
――それに。
次の瞬間、彼女の脳裏に浮かんだのは、先ほど別れた青年の顔だった。
「……まったく。あやつのせいで、余計な面倒まで増えてしまった」
ティアは小さく頬を膨らませた。
先ほどまでの険しい表情は、もうない。
「帰ったら、血をもらうとするか」
まるで、それが当然のことだとでもいうように呟く。
そしてティアは、再び歩き出した。
その足取りは、先ほどよりもほんの少しだけ軽くなっていた。




