4 蒼の雫亭のカンスさん1
「まったく、なんじゃあの無粋な小娘は!」
フードを目深にかぶった少女――ティアは、ルクスから少し離れた椅子に腰かけ、頬をぷっくりと膨らませていた。
「これだから、品のないドワーフ族は好かんのだ」
小さな口を尖らせ、ぶつぶつと不満をこぼしている。どうやら、よほど腹に据えかねているらしい。
「な、なんか、めちゃくちゃ悪口を言われてる気がするっす……」
カウンター越しにティアを見やり、ダリアが引きつった笑みを浮かべた。
「あはは……」
ルクスは苦笑するしかない。
「というか、あの方……魔族だったんですね」
ダリアはティアをちらりと見てから、ルクスにそっと顔を寄せた。
「それに、さっきめっちゃ血を吸われてませんでした? 大丈夫なんですか、ルクスさん」
「あはは。最近、ずいぶん健康な身体になったみたいで」
「どういうことっすか!?」
血を吸われたそばから傷が塞がり、失った血まで回復してしまう。そんな身体になったなどと説明しても、にわかには信じてもらえないだろう。
ルクスは曖昧な笑みを浮かべ、話を濁した。
「うん。あまり詳しく説明できてなくて、ごめんね」
「いえ、何か事情がありそうでしたし、それはいいんですけど……」
ダリアは少しだけ表情を引き締め、声を落とした。
「ただ、人族からすると魔族って、その……人さらいの噂があるじゃないですか」
「あー……」
「まあ、この辺りは獣族やエルフ族の国境も近いですし、いろんな種族の人がいますけどね。魔族だって、まったく見かけないわけじゃないっす」
そこでダリアは、うーんと唸りながら考え込んだ。
「例えるなら、絶賛戦争中の超大国からやってきた、めちゃくちゃ強い観光客……みたいな感じっすかね」
「なかなかすごい例えだね、それ」
「と、とにかく!」
ダリアはぐっと身を乗り出し、ルクスの顔を覗き込んだ。
「ルクスさん! くれぐれも拉致されたりしないでくださいよ!?」
「えっ。いや、とりあえず今のところは無事にここにいるわけだし……」
「そういう問題じゃないっす! あたし、すっごく心配してるんですからね!」
「うん。いつも色々とありがとう、ダリアさん」
ルクスが穏やかに微笑む。
「ぎ、ギルド職員として当然っす! そ、それに、今までずっとルクスさんのことを見てきたんですから!」
勢いよく言い切ったものの、ダリアの頬はほんのりと赤く染まっていた。
しかし、当のルクスは気づいているのかいないのか、いつもと変わらない笑顔を浮かべている。
「そうだ。いただいたダンジョンの報告書について、また聞くことがあるかもしれません」
「うん。そのときはよろしくね」
「は、はいっす!」
ダリアは大きく頷くと、なぜか少し慌てた様子で話題を変えた。
「そ、それで! 今日は何か依頼でも探されるんです?」
「これから『蒼の雫亭』に行こうと思って」
「ああ、カンスさんのところっすね。あたしと同じ西域出身の」
「うん。ちょっとお願いしていることもあるから」
「あそこは、この町でも貴重な錬金術の商品を取り扱ってますもんね」
「そうだね。それじゃあ、そろそろ行くよ。あんまり長居しても、ダリアさんの仕事の邪魔になっちゃうし」
「め、迷惑なんて思ってないっす!」
ダリアは慌てて首を横に振った。
それから、何か言いたげに口を開きかけたものの、結局その言葉を飲み込む。
「ま、また来てくださいっす!」
最後はいつもの調子を取り戻し、両手をぶんぶんと振って二人を見送った。
ルクスも軽く手を振り返し、ギルドを後にする。
その隣では、ティアが相変わらず不満げに頬を膨らませていた。
「……あの小娘、ずいぶんとおまえに馴れ馴れしかったのう」
「え? そうかな?」
「ふん。まったく、鈍い男じゃ」
ティアは小さく鼻を鳴らすと、ルクスの手を取った。
「……わたしがいるのだから、よいであろう」
「ん? 何か言った?」
「なんでもない!」
ティアはぷいっと顔を背けた。
けれど、握った手だけは決して離そうとしなかった。
***
「はーい、まいど!」
『蒼の雫亭』に入ると、カウンターの向こうから威勢のいい声が飛んできた。
そこにいたのは、特徴的な遮光の魔眼鏡をかけたドワーフ族の女性だった。
深緑の髪には、幾重にも漆黒の毛束が混じり合っている。魔眼鏡に隠されているせいか、その瞳をうかがい知ることはできない。
「なんや、ルクスくんやないか。久しぶりやなあ」
「お久しぶりです、カンスさん」
「ふうん? ちょっと見んうちに、えらい雰囲気が変わったなあ」
「そ、そうですか? 例えば、どんなふうにです?」
ルクスは内心の動揺を隠しながら尋ねた。
まさか、身体に起きた変化を見抜かれたのだろうか。
「そら、ルクスくんのその光や。その奔流みたいなんが、前よりずいぶん大きなっとるで」
「ああ……その眼鏡は、属性の揺らぎが見えるんでしたっけ」
「せや。うち特製の魔眼鏡やで」
カンスは得意げに眼鏡のつるを指で弾いた。
そして、今度はルクスの隣に立つ少女へと視線を移す。
「ほんで、そっちの嬢ちゃんは……魔族か」
その瞬間。
ティアの深紅の瞳が、ぎらりと輝いた。
大きく開いた瞳孔が、明らかな警戒と敵意を物語っている。
「ティア……」
ルクスはそっと彼女の手を取った。
「ふん。別に暴れたりはせんわ」
「おお、怖い怖い。そんな睨まんといてや」
カンスは気にした様子もなく、ひょいと肩をすくめる。
「しかし、なんやそれ。光みたいなもんに縛られとるように見えるなあ」
「光に、ですか?」
「せや。闇の魔素がうまく働かんように阻害されとる……そんなふうに見えるで」
「……」
ティアは答えなかった。
ただ、ルクスの手を握る指に、わずかに力がこもる。
「まあ、今のところはそれくらいしか分からんけどなあ」
カンスは魔眼鏡の位置を直すと、今度はルクスに向き直った。
「ほんで、ルクスくん。またアレをちょっと見せたってえな。もちろん、報酬は弾むで?」
「あ、いつものやつですね。こちらも懐が寂しいので助かります」
「水くさいなあ。うちらの仲やないか」
カンスはにんまりと笑うと、ティアに向かって軽く手を振った。
「ほな、嬢ちゃん。ちょっとルクスくんを借りるで」
「……ふうん? まあ、好きにしろ」
ティアはそっぽを向いた。
どうやら、今のところは大人しく待つつもりらしい。
「ほな、ルクスくん。こっちや」
「はい」
カンスに促され、ルクスはカウンター奥の部屋へと入っていった。
その背中を見送るティアの表情には、まだわずかな不満が残っていた。
***
「お・そ・いー!」
それから、しばらくして。
店内に一人残されたティアは、椅子の上で足をぶらぶらさせながら、苛立たしげに声を上げた。
「このわたしを待たせおって! あの二人は何をやっておるのだ!」
最初は、すぐに戻ってくると思っていた。
しかし、待てど暮らせど二人は戻ってこない。
「まったく……ルクスのやつ、わたしを放っておくとは!」
とうとう我慢の限界を迎えたティアは、椅子から飛び降りた。
そして、カウンターの奥へとずんずん進んでいく。
「おい! いつまで待たせ――」
勢いよく扉を開け放った、その先に。
ティアは信じられない光景を目にした。
上半身をはだけたルクス。
そして、そのすぐそばで、にまにまと笑いながら彼の身体を凝視しているカンス。
「な……な……っ!?」
一瞬、ティアの思考が停止した。
次の瞬間、その頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
「お、おい! おまえ! そいつはわたしのものだぞ!」
「なんやなんや。別に減るもんやあるまいし、ちょっと見せてもろてるだけやで?」
「そ、そういう問題ではない!」
ティアは拳を握りしめ、今にも飛びかからんばかりの勢いでカンスを睨みつけた。
「ちょっとカンスさん! ティアも落ち着いて!」
慌ててルクスが声を上げる。
しかし、ティアの耳には届いていない。
「この怪しい黒眼鏡め! ルクスから離れんか!」
「いやいや、嬢ちゃん。そない怒らんでもええやろ?」
「黙れ!」
次の瞬間、ティアは勢いよくルクスの首元に抱きついた。
「ふしゃーっ!」
まるで威嚇する猫のような声を上げ、カンスを睨みつける。
「い、痛いって、ティア! そんなに強く抱きつかないで!」
「うるさい! おまえが無防備すぎるのだ!」
「いや、これはカンスさんに頼まれて……」
「言い訳は聞かん!」
ティアはルクスの首元にぎゅっとしがみついたまま、決して離れようとしない。
まるで、自分のものだと周囲に知らしめるかのように。
そんな二人を眺めていたカンスは、とうとう堪えきれなくなったのか、腹を抱えて笑い出した。
「あははは! なんやなんや、二人とも仲がええなあ!」
「お・ま・えには関係ないことだ!」
ティアの抗議が、店の奥に響き渡る。
けれど、ルクスの首元にしがみつくその手だけは、いつまでも離れなかった。
――どうやら、今日のティアは、しばらく機嫌を直してくれそうにない。




