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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第1章 チュートリアル

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第9話 氷の取引

 足が、動かなかった。


 振り返ったときにはもう、両足のすねから下が、床ごと分厚い氷に閉じ込められていた。

 冷たさは感じない。ヴァルガスの鎧は寒さに強い。だが、重さと硬さは本物だ。


(いつの間に……さすが二章のボス。発動のモーションがまったく見えへんかった)


「ずいぶん落ち着いているのね」


 セレスは貯水槽の入り口から、一歩も動かずに言った。

 指先から、白い霧が細くたなびいている。


「……人違いだろう。俺は、ただの傭兵だ」

「その声の作り方、下手よ」


 即答された。


「低く、短く話せば別人に見えると思ったんでしょう。でも、言葉を選ぶ間の取り方が、葬式のときと同じ」


(え、そこ? 声やなくて、間で見抜かれたん?)


 テストプレイで、ボスの台詞の間を気にしたことなんて一度もない。

 この世界の人間は、ゲームの画面よりずっと細かいところまで見ている。


 観念して、俺は兜の留め金に手をかけた。

 練習用の鉄兜を外すと、セレスの表情が、ほんのわずかに動いた。


「やっぱり、あなただったのね。ヴァルガス」

「……何の用だ、セレス」


 口調を魔将のものに戻す。

 ここで素を見せるわけにはいかない。


「何の用か、聞きたいのは私のほう」


 セレスは、ようやく一歩、こちらに踏み出した。

 足音のたびに、石の床に薄い霜の花が咲く。


「魔王様のご命令は、勇者の監視だったはず。それなのに、あなたは勇者を殺すための陣を、壊し方を探すような目で読んでいた」

「……壊し方など、探しておらん」

「陣の外周を、時計回りに一周しかけていたわ。触媒の石を一つずつ確かめながら。何かを"調べる"人の歩き方よ」


(見られとった。最初から全部)


 言い訳を探す。

 魔王軍の陣を調べる、正当な理由。ゼクスの仕掛けに不備がないかの確認。勇者を確実に仕留めるための下見。


 どれを口にしても、この女には通じない気がした。


「ヴァルガス。一つ、聞かせて」


 セレスは、俺の三歩手前で足を止めた。

 青い目が、俺の首元を見ている。


「あなたは、聖剣に兜を割られた。それなのに、どうして首に痕がないの」

「……痕?」

「聖剣に討たれた魔将の首には、光の痕が残る。白い筋のような痕が。それが浮かんだ魔将は、例外なく三日のうちに死ぬ」


 そんな設定、原作にあったか。


 ――いや、あった。

 設定資料集の、一番最後のページだ。没になった外伝の企画書に、一行だけ。「先代勇者に討たれた魔将たちは、首に光の痕を刻まれ、三日のうちに滅んだ」。


 本編では、一度も使われなかった設定だ。

 だから俺は、撃破の判定と演出しか見ていなかった。煙の裏で転移すれば助かる、と。


 本当に助かった理由は、たぶん、もっと単純だ。

 聖剣の光が首まで届く前に、俺が煙と一緒に消えたから。


「あなたの首は、綺麗なまま」


 セレスの声は、静かだった。

 責めるような響きはない。ただ、事実を並べている。


「つまり、あなたは討たれていない。……討たれたふりをしたのよ。勇者の前で」


 貯水槽の中が、しんと静まり返った。

 どこか遠くで、水滴が落ちる音がした。


(……詰んだ)


 これは、デバッガーとして言うなら、致命的な不具合の報告だ。

 再現手順まで、完璧に書かれている。


「魔王様に、報告するか」


 俺は、それだけ言った。

 否定しても無駄なら、せめて相手の目的を知っておきたい。


 セレスは、しばらく黙っている。

 返ってきたのは、意外な答えだった。


「しないわ」

「……なぜだ」

「取引をしましょう」


 セレスの指先から、霧が消える。

 代わりに、彼女は外套の内側から、何かを取り出した。


 小さな、銀の髪飾り。

 雪の結晶の形をしている。


 セレスは、それを握りしめたまま、俺を見た。


「あなたが討たれたふりをしたことは、誰にも言わない。魔王様にも、ゼクスにも」

「代わりに、何を望む」

「祭りの夜、この陣に近づかないで」


 ――は?


「この陣を守るのが、私の役目なの。誰が来ても、触れさせない。あなたが来たら、私はあなたと戦わなければならない」


 セレスの声が、揺れた。

 髪飾りを握る指が、白くなっている。


「だから、来ないで。それだけでいい」


(……それだけでいい、って)


 祭りの夜、この陣が動けば、トロルが二十体とヒュドラが町に溢れる。

 リオは死ぬ。町の人間も、大勢死ぬ。


 その髪飾りが、誰のものかは分からない。

 だが、セレスがその髪飾りのために、ここに立っていることだけは分かった。


 原作の二章で、セレスは勇者と戦う。

 戦う理由は、最後まで語られなかった。ただ、最期に彼女が呟く台詞だけが、テキストに残っている。


 ――ごめんね、リュシー。


 テストのとき、意味の分からない台詞だと思った。

 誰の名前なのか、資料のどこにも書いていなかったから。


「……約束は、できん」


 俺は、正直に言った。

 セレスの目が、すっと細くなる。


「そう」


 足元の氷が、ぴしりと音を立てた。

 すねまでだった氷が、膝の上まで這い上がってくる。


「なら、止めるわ。祭りの夜、あなたがここに来たら、そのときは本気で」


 セレスは髪飾りを外套の内側にしまうと、背を向けた。

 去り際に、一度だけ振り返る。


「その氷、朝には溶けるようにしてあるから」


 足音が、闇の向こうに遠ざかっていった。


***


 朝まで、俺は氷に足を突っ込んだまま、陣を眺めていた。


 分かったことが、二つある。


 一つ。この陣は、外から壊すと暴走する。

 触媒の石が互いに魔力を受け渡す仕組みになっていて、一つでも割れば、残りの石が溜め込んだ魔力を一斉に吐き出す。安全に止めるには、陣が目を覚ます瞬間に、中心の紋様を内側から断ち切るしかない。


 つまり、祭りの夜に、ここにいなければならない。


 二つ。

 セレスは、俺を殺せた。


 あの距離で、あの速さで氷を張れるなら、首まで凍らせることもできたはずだ。

 なのに彼女は、足だけを止めて、朝には溶けると言った。


(取引を持ちかける相手を、殺すわけにはいかん。それだけかもしれんけど)


 夜明けとともに、足元の氷が、音もなく水に変わり始めた。


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