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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第5章 負け役の中ボス

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第80話 世界の結末

 ボツが、玉座の間の割れた窓から舞い降りた。


 床は、元の黒い石に戻っていた。

 壁にも柱にも、灰色はどこにも残っていない。窓の外の北の空は曇っていたけれど、ちゃんと雲の色をしていた。


 ボツが床に着くより先に、ノエルが駆け寄ってきた。


「リオ!」


 リオが、ボツの背中から滑り降りる。

 ノエルが、その体を正面から抱きしめた。


「ばか! ばか! 灰色の渦に飛び込むなんて! 本当に、本当に……!」

「ごめん、ノエル」

「謝らなくていいから、帰ってきたから、もういいから……!」


 ノエルは、リオの背中を拳で何度も叩いていた。叩くたびに、声が裏返る。

 ボルドがその後ろで、二人の頭を大きな手でまとめて撫でる。


 ミレイユは杖にもたれて、大きく息を吐いていた。

 三つ編みの先が焦げている。炎を放ち続けて、灰色を押し返していたのだろう。


「……合格よ、勇者くん」


 ミレイユはそれだけ言って、床に座り込んだ。


***


 ボツの首の付け根から、ギギがころりと転がり落ちた。


 床の上で、四つん這いのままがたがたと震えている。

 丸眼鏡は、鼻の先までずり落ちていた。


「い、生きております……! ギギは、まだ、生きております……!」


 雪の国で、初めてボツに乗せられたときと、同じ台詞だった。


 俺はボツの背中から降りて、ギギの横にしゃがみ込んだ。

 魔王の魔力は、もう一滴も残っていない。膝が震えて、ギギと同じくらい立っているのがやっとだった。


「ギギ」

「は、はいっ……!」

「お前が、ボツを飛ばした」

「い、いえ、ボツ殿が、飛んでくださったので……!」

「お前が、しがみついとったから、ボツは真ん中まで飛べた」


 ギギの丸眼鏡を、指で押し上げてやる。


「ようやった。……十点満点で、十点や」


 ギギが、ぴたりと震えを止めた。

 懐から帳面を引っぱり出して、震える手で何かを書きつけ始める。


「き、記録しておきませんと……! 十点……ギギ、十点……!」


 字が斜めに傾いて、帳面の端からはみ出していた。


***


 玉座の段の上で、ガルムが小さな体を抱えている。


 魔王ノクス――いや、ルミエラは、ガルムの腕の中で自分の両手を見下ろしていた。


「……軽い」


 ルミエラは、もう一度、自分の両手を見た。


「胸の奥が、軽い。百年、ずっと、重かったのに」


 ルミエラの顔色が、変わっている。

 透けるように白かった頬に、ほんのりと血の色が差している。


 ――人間の、顔色だ。


「呪いが、消えたのですね」


 ガルムが、低い声で言った。


「はい……たぶん」


 ルミエラは、自分の胸に手を当てる。


「魔王の力も、消えた。……我は、もう、魔王ではない」


 ルミエラは、ガルムを見上げた。


「ガルム。我は、これから、どうすればよい」


 ガルムは少し考えてから、獅子の顔をほころばせた。


「まずは、朝の素振りから、始めましょう。師も、負けたあとは、いつもそうしていました」

「……千回か」

「九百回で、結構です」


 ルミエラが、目を瞬く。

 それから、百年ぶりに、声を出して笑った。


***


 セレスが、ルミエラの前に膝をついた。


「――ルミエラ様」


 ルミエラが、身を固くする。


「北の森で、私の妹が待っています。母の顔を、ほとんど覚えていない子です」


 セレスは、静かに言った。


「いつか、母の話を、聞かせてやってください。……あなたの知っている、最後の母の話を」


 ルミエラは、しばらくセレスを見つめていた。


 小さく、うなずく。


「……ああ。必ず」


***


 玉座の間の入口の柱に、ゼクスがもたれていた。


 手に、セレスの伝声貝を握ったまま。

 目を閉じて、何かを噛みしめるようにじっとしていた。


 俺はふらつく足で、ゼクスの前まで歩いていった。


「……書けたな」


 ゼクスが、目を開ける。


「ええ。……書けました。勇者くんが、言ってくれたので」


 ゼクスは、手の中の伝声貝を見下ろした。


「三年かけて、書けなかった一行です。この世界に来てからも、ずっと。……あなたたちが、目の前で、その場面を見せてくれなかったら、一生、書けなかったと思います」


 ゼクスは、伝声貝を俺に差し出す。


「お返しします。……セレス殿に」

「自分で返せ」

「……そうですね」


 ゼクスは、ふっと息を漏らして笑った。

 疲れた、どこにでもいる男の笑み。でも今は、その笑みの中に何かが戻ってきているように見えた。


「デバッガーくん」

「なんだ」

「あの夜、あなたの報告書を、読まなくて、すみませんでした」


 ゼクスは、深く頭を下げる。


「これから、全部、読みます。……この世界に、まだ残っているなら」


 ――報告書は、もうどこにもない。

 前の世界の、会社のくず籠の中だ。


「もう、ない」


 俺は、首を横に振った。


「……代わりに、今度、話したる。どこが壊れとったか。全部」


 ゼクスが、目を瞬いた。


「長くなるで」

「構いません」


 ゼクスは、顔を上げる。


「時間は、たっぷりありますから」


***


 これは、ずっとあとで、リオから聞いた話だ。


 リオは、村の祠で自分の肩に手を置いた王都の神官に、手紙を書いた。マリネラの港で俺が勇者ごっこに負けるのを見ていた、あの老人だ。

 百年前の勇者が、北の魔王城で生きていたこと。誰も斬らずに終わったこと。

 王都からは、勇者が魔王を討ったという布告が出ただけだった。


 ただ、神官からの返事には、こう書いてあったそうだ。

 ――書庫の白紙のページに、一行、書き足しておきました。表には、出しません。ですが、もう、相討ちということには、なっておりません。


***


 その夜、魔王城の大広間で、最後の宴が開かれた。


 五魔将は解散し、魔王軍もなくなる。ルミエラが、そう決めたのだ。


 オークもトロルも、スケルトンも獣人も。

 それぞれの故郷へ帰る者もいれば、魔王城に残って畑を耕すと言い出した者もいた。


 大広間の真ん中で、リオとノエルとボルドとミレイユが、配下の魔物たちに囲まれて困ったように笑っていた。

 勇者一行が、魔王軍の宴の真ん中にいる。原作のどのエンディングにもなかった光景だった。


 大広間の端で、俺は壁にもたれてそれを眺めていた。


 隣にセレスが立ち、何も言わずに俺と並んで大広間を眺める。


「……これで、全部、終わったのね」

「ああ」

「あなた、これから、どうするの」


 少し、考えた。


 魔将ではなくなった。

 黒鎧の力も、もうほとんど残っていない。ただの大柄な、剣の振り方を知っているだけの男だ。


 ――剣の振り方を、知っている。


「……道場でも、開こうかと思う」


 セレスが、こちらを見た。


「剣の、道場。……誰かに、負け方を教える場所や」


 セレスは驚いた顔をして、ふっと笑った。


「似合うわね」

「そうか」

「ええ。とても」


 セレスは、俺の籠手の上にそっと手を重ねる。


 氷の一族の手は、冷たかった。

 でも、黒鎧の籠手は、もう、少しも熱くなかった。


(第5章 負け役の中ボス 完)


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