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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第5章 負け役の中ボス

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第79話 最後の一行

 灰色だった。


 上も、下も、右も、左も。

 どこまでも続くのっぺりとした灰色の空間。光も影もなく、遠近もない。


 でも、何もないわけではなかった。


 灰色の中に、ぼんやりと形が浮かんでいる。

 壁の形だけがあって、色も模様もない灰色の箱。――テストのとき何百回も歩いた、作り込まれる前のマップだ。


 その箱の一つに、見覚えのある形があった。


 円形の貯水槽と、そこから放射状に伸びる八本の通路。

 北の三本目の通路が、途中で崩れている。


(……ブランシュの、旧水路)


 没になったマップ。処理が重すぎて、町に入るたびに画面が止まるという理由で、まるごと削られたマップ。


 ボツが、その横をすり抜けていく。


 灰色の中に、人影が立っていた。


 十二人。同じ服を着て、同じ背丈で、同じ姿勢でぼんやりと立っている。顔はのっぺりとした灰色で、目も鼻もない。


「……あれは」


 リオが、小さな声で言う。


「ブランシュの町の、人たち……?」


 ――ゲームの中のブランシュには、住人が十二人しかいなかった。

 処理の都合で、同じ顔の村人が時間をずらして使い回されていた。


 この世界のブランシュには何百人という人が、それぞれ違う顔で、違う声で笑っている。

 その奥に、使い回されていた十二人の最初の形が、こうして残っていたのだ。


「没になったもんや」


 俺は、リオに言った。


「この世界が、今の形になる前に、作られて、捨てられたもんが、全部ここにある」


 ボツが、喉を鳴らした。懐かしそうに。

 ここは、ボツが最初にいた場所なのかもしれない。


***


 灰色の奥へ、奥へ。テクスチャの貼られていない森。

 形だけの、黒い影の魔王。名前のない、灰色の騎士たち。


 ――そして、灰色の空間の、一番奥に。


 黒い、文字が浮かんでいた。


 巨大な文字だった。灰色の空間いっぱいに、一行だけ。墨で書いたように、黒々と。


『――こうして、世界は、静かに終わった。』


 ボツが、その文字の前で翼を広げて止まった。


「ヴァ、ヴァルガス様……あれは……」


 ギギがボツの首にしがみついたまま、文字を見上げている。

 答える前に、懐の伝声貝が震えた。


『――私が、書いた一行です』


 ゼクスの声だった。玉座の間に置いてあったセレスの貝を使っているらしい。

 声の向こうで、ミレイユの炎の音とノエルの叫ぶ声が、かすかに聞こえる。玉座の間は、まだ持ちこたえている。


『あの一行が、呪いの核です。呪いは、行き場をなくすと、最初の版の結末に向かって、世界を書き換えようとする』


 黒い文字が、脈を打っている。

 脈を打つたびに、周りの灰色が少しずつ濃くなっていく。


「……断ち切ったら、どうなる」

『消えます。たぶん。……書いたことがない結末ですから』


 ゼクスの声が、少しだけ震えていた。


***


 後ろを振り返る。


 リオが聖剣を握りしめて、黒い文字を見上げていた。

 金色の光が、刃の上で揺れている。灰色の空間の中で、その光だけが色を持っていた。


「リオ。行けるか」

「行けます。……でも、先生」


 リオは、黒い文字を見つめたまま言った。


「断ち切ったあと、そこに、何も書かれてなかったら、どうなるんですか」


 最後の一行が消えて、そこが白紙になったら。

 世界は、結末を失ったまま、どうなるのか。


 答えられなかった。


『白紙になったら、そのときは、私が書きます』


 伝声貝の向こうで、ゼクスが言った。


***


「ボツ。あの文字の、真ん中まで、飛べるか」


 ボツが、ぐるる、と低く鳴く。


 黒い文字の周りは、灰色がひときわ濃い。

 近づくだけで、肌の色が抜けていく。ボツの色の違う鱗も、少しずつ灰色に染まり始めていた。


「ヴァ、ヴァルガス様……! ボツ殿の鱗が……!」

「大丈夫や」


 玉座の間で、灰色は俺の鉄靴の先で止まった。


 ボツの首の窪みに、手のひらを当てた。


 黒鎧の中に、還りきらずにわずかに残った魔力。

 魔王が分けてくれた、冷たくて、静かで、寂しい魔力。その最後の一滴を、ボツの体に流し込む。


「改稿の外側におる俺が、触っとる限り、ボツは、灰色にはならへん」


 手のひらの下で、灰色の広がりがぴたりと止まった。

 色の違う、貼りかけのテクスチャのような鱗が、灰色の空間の中で元の色を取り戻していく。


 ボツが、高く鳴いた。


「行け、ボツ!」


 ギギが叫んだ。小さな体を、ボツの首にぎゅっと押しつけて。


「真ん中まで、まっすぐに……!」


***


 ボツが、黒い文字の中へ飛び込んだ。


 文字の一画一画が、刃のように鋭くなって、ボツの体をかすめていく。

 黒い墨の飛沫が、俺の籠手に、リオの頬に、ギギの丸眼鏡に、跳ねかかる。


 視界の端から、色が消えていく。

 それでも、ボツは、まっすぐに飛んだ。


 ――文字の、真ん中。

 「終わった」の、「終」の字の、ちょうど中心。


「リオ、今や!」

「――はい!」


 リオが、ボツの背中の上で、立ち上がった。


 足で、ボツの鱗を固めて。

 重心を前に。脇を締めて。


 ――目を、閉じずに。


 聖剣を、両手で、大きく振りかぶる。


 廃砦で、俺の兜を割ったときと、同じ構えだった。

 ヒュドラの前で空へ跳んだときと、氷冠を割ったときと、獣王の牙を折ったときと。栞を断ったときと、筆頭の間で、俺の兜を、もう一度割ったときと。


 全部、同じ構えだった。


「――断ちます!」


 聖剣が、振り下ろされた。


 金色の光が、黒い文字を、真ん中から、まっすぐに断ち切る。


***


 音は、しなかった。

 パキン、とも、鳴らなかった。


 黒い文字が、真ん中から静かに二つに分かれていく。

 「終」の字が左右に分かれ、その両側の文字も、一つずつほどけるように崩れていく。


 ――こうして、世界は、静かに――


 墨が水に溶けるように、文字が消えていく。

 最後に残ったのは、何も書かれていない、白い一行分の空白だった。


 その空白の前で、ボツが翼を広げて止まった。


 リオが聖剣を下ろして、白い一行を見つめている。

 それから、俺の肩越しに懐の伝声貝のほうへ身を乗り出した。


「……ゼクスさん」


 伝声貝の向こうで、息を呑む気配がする。


「書いてください。勇者は、誰も斬らずに、勝ちました、って」


 リオの声は、震えていなかった。

 玉座の間で、斬りません、と言ったのと同じ声だった。


 この一行は、この子にしか言えない。

 魔王を斬らずに勝ったのは、この子なのだから。


『今なら、書けます。……あなたたちが、見せてくれたから』


 白い一行の空白に、金色の光がぽつりと灯る。


 一文字。

 また、一文字。


 インクではなかった。

 聖剣の光と同じ、温かくて柔らかい夜明けの光のような金色の文字が、一つずつ空白の上に浮かび上がっていく。


 伝声貝の向こうで、ゼクスがゆっくりと読み上げた。


『――勇者は、誰も斬らずに、勝った。』


***


 金色の文字が、灰色の空間に広がっていった。


 灰色が溶けていく。テクスチャのない森に緑が戻り、形だけの灰色の箱に壁の模様が、窓の光が戻っていく。


 十二人の、顔のない村人たち。

 その灰色の顔に一人ずつ、違う目が、違う口が、違う笑顔が浮かび上がっていく。


 ――ブランシュの、何百人という人々の顔に。


 ボツが、高く鳴いた。


 色の違う鱗が、金色の光を浴びてきらきらと輝いていた。

 のっぺりしていた尻尾の先に、細かな鱗の模様がすうっと浮かび上がっていく。


 作り込まれる前に放り出された、没データの飛竜が。

 最後まで、作り上げられていく。


「ボ、ボツ殿……! 尻尾が、立派に……!」


 ボツが、誇らしげに尻尾を振る。

 その風をまともに顔に受けて、ギギが目を白黒させた。


***


 金色の光の中を、ボツが、上へ、上へと昇っていく。


 後ろで、リオが俺の肩をつかんでいた。


「先生」

「なんだ」

「……終わりましたか」


 灰色が、すべて消えていく。

 光の向こうに、魔王城の玉座の間の天井が見えてきた。


「ああ」


 振り返って、リオを見る。


 頬に、黒い墨の飛沫が跳ねていた。

 金色の光の中で、リオが、声を上げて、笑っていた。


「終わった。……お前の勝ちや」


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