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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第5章 負け役の中ボス

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第78話 没の嵐

 最初に気づいたのは、ミレイユだった。


「――壁が」


 ミレイユが、玉座の間の壁を指さした。


 玉座の後ろの、さっき目の端に引っかかった一角だ。

 それが、広がっていた。色が抜けたのではない。凹凸もひびも苔の跡も消えて、のっぺりとした何もない面に変わっている。


 灰色は、ゆっくりと広がっていく。壁から柱へ。柱から床へ。


(……テクスチャが、剥がれとる)


 開発の途中の、まだ何も作り込まれていないマップ。

 テストのとき、何百回もその灰色の箱の中を歩いた。


「窓の外を見て!」


 ノエルが、悲鳴を上げた。


 高い窓の外で、北の曇り空が、灰色に変わっていた。

 雲の形だけを残して、色も光も奥行きも消えた、平らな灰色。それが、地平線の向こうへ少しずつ広がっていく。


「……あの夜と、同じだ」


 魔王が、窓を見上げていた。


「先代を討った夜、空が一度だけ、こうなった。……呪いが、我の胸に落ちるまでの、ほんの一瞬だけ」


 ――知っている。


 テストのデータに一度だけ紛れ込んでいた、名前のないエンディングの断片。

 マップの端から色が抜けて、灰色が広がっていくだけの映像だった。


(……あれ、これやったんか)


 ゼクスの最初の版の結末。世界は、滅びもせずに、ゆっくりと終わっていく。

 その「終わっていく」の正体が、目の前の灰色だった。


 天井の黒い渦を見上げる。

 百年前は、受け取る者がいた。だから、一瞬で済んだ。

 今は、誰も受け取らない。移る先をなくした呪いが、あそこで回りながら、世界ごと没にしようとしている。


***


 ふと、視線を感じた。


 玉座の間の入口に、黒い礼服の男が立っている。

 ゼクスだった。いつからそこにいたのか、誰も気づかなかった。


 灰色に変わっていく壁から、静かな目が俺に移る。答え合わせを待つ書き手の目だ。


「……あんたが書いた結末やな」


 ゼクスは、小さくうなずいた。


「止め方は、書いていません」


 なら、自分で探すしかない。


 バグの元は、いつもいちばん奥にある。

 渦の中心に目をこらした。黒い渦のさらに奥に、色のない、もっと深い灰色が覗いている。


(……マップの外側や)


 テストのとき、壁抜けのバグで一度だけ落ちたことがある。

 地面も空もない、没データの置き場所。あそこに、呪いの核がある。普通の者は、近づいただけで灰色に呑まれるだろう。


 でも、改稿の宮殿で、俺だけが書き戻されへんかった。

 俺は、書かれた側やない。没の中でも、俺は俺のままや。


「先生」


 リオが聖剣を握りしめて、俺を見ていた。


「あの渦を、斬ればいいんですか」


 呪いだけを断ち切る力。それを持っているのは、この子だけだ。

 でも、リオはこの世界で生まれた子だ。あの中に入れば、灰色に呑まれるかもしれない。


 リオを乗せて、あの中を飛べるもの。

 最初から、没になったもの。


「……ボツや」


 乗り物の機能ごと、開発の途中で削られた飛竜。

 テクスチャは貼りかけで、尻尾の先は作り込まれる前に放り出された。


「ボツなら、あの中を飛べる。……たぶん」


***


 灰色が、床の半分まで来ていた。


 セレスが、灰色の縁を氷で縁取る。ミレイユが、炎を放ち続ける。

 灰色は焼けない。それでも、氷と炎の前で、少しだけ広がるのが遅くなった。


「長くは、もたないわ!」


 ガルムが魔王の小さな体を抱え上げて、玉座の段の上に運んだ。

 魔王は腕の中で、天井の渦を呆然と見上げている。


「……我のせいだ」

「違います、ルミエラ様。呪いのせいです」


 膝に力を込めて、立ち上がった。足が、震えている。


 鉄靴のつま先に、灰色の縁が触れていた。

 灰色は、そこで止まっている。鉄靴の黒は、黒のままだ。


(……やっぱりや。俺は、呑まれへん)


「ボツは、厩舎や。ここからやと、遠い」


 間に合うか。

 そう思ったとき、懐の伝声貝が、かたかたと震えた。


『――ヴァ、ヴァルガス様ぁっ!』


 ギギだった。

 貝の向こうで、風がごうごうと鳴っている。


『い、今、そちらへ……! ボツ殿の、背中の上から……!』


***


 玉座の間の高い窓が、外側から粉々に砕け散った。


 ガラスの破片の雨の中を、黒い大きな影が翼を畳んで滑り込んでくる。

 ボツだった。金色の目が俺を見つけて、喉の奥で嬉しそうに鳴く。


 その首の付け根の窪みに、小さな影が両手両足でしがみついていた。


「お、お迎えに、上がりました……!」


 丸眼鏡が、斜めにずれている。

 顔は、真っ青。それでもギギは、ボツの首から手を離さなかった。


「……お前、乗れたのか」


 雪の国で、二度と乗りとうございません、と雪に顔から突っ込んだゴブリンだ。


「鐘楼から、空が灰色になっていくのが見えまして……! 厩舎に走って、ボツ殿にお願いしたのでございます! ヴァルガス様のところへ、連れていってくださいと……!」


 ギギの声が、震えていた。怖かったのだろう。今も、怖いはずだ。

 それでも、来た。


 ボツの首元まで歩いて、ギギの小さな肩にそっと手を置く。


「よく来た」


 ギギが、丸眼鏡を押し上げようとして、ボツの首から片手を離した。

 眼鏡がずり落ちかけて、慌てて、またしがみつく。


「は、はいっ……!」

「ギギ。お前は、降りて――」

「降りませぬ!」


 玉座の間じゅうが、一瞬静まり返った。


「ボ、ボツ殿は、ギギがお願いして、ここまで来てくださいました! ボツ殿の手綱は、ギギが……!」


 手綱など、ない。それでもギギは、ボツの首の窪みに小さな体をぎゅっと押しつけていた。

 ボツが首を下げて、ギギの頭に鼻先をすりつける。


(……そうか。ボツも、ギギを選んだんか)


「頼んだぞ、ギギ」


***


 ボツの背中に、リオと二人で乗った。


「先生!」


 氷の縁取りの内側から、ノエルが叫んだ。


「リオを、ちゃんと連れて帰ってきてよ!」

「ああ」


 セレスが、氷の縁取りの上からこちらを見上げている。


「……転ばないでよ」


 白霧の神殿の前夜と、同じ言葉だった。


「ボツの背中で、転ぶことはない」

「落ちないで、って意味よ」


 セレスは、口元だけで笑った。


「行くで、ボツ」


 ひと羽ばたきで、天井まで昇った。

 黒い渦が、目の前にある。その縁に近づくだけで、肌の表面がちりちりと色を失っていく気がした。


「――目、閉じるなよ」

「……はい」


 ボツが、渦の中心へ飛び込んだ。


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