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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第5章 負け役の中ボス

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第76話 斬らない勇者

「――斬りません」


 リオの声が、玉座の間に響いた。


 魔王の広げた両手が、わずかに揺れる。


「……何と言った」

「斬りません。僕は、あなたを、斬りません」


 リオは、聖剣をゆっくりと下ろした。

 切っ先が、床の黒い石にそっと触れる。


「さっき、先生の首の痕を、この力で断ちました。先生は、死にませんでした。……だから、分かるんです。この力は、斬るための力じゃない。斬らずに、助けるための力です」

「我は、助かりたいのではない」


 魔王の声が、初めて硬くなった。


「我は、終わりたいのだ。百年、ここで、ただ待ち続けてきた。我が殺した者たちのことを、毎晩、思い出しながら。……もう、十分だ」

「十分じゃないです」


 リオが、即答する。


「あなたは、五魔将を、誰も死なせないように作ったんですよね。負けても構わない、死なせるな、って。……そんな人が、自分だけ死んで終わるなんて、おかしいです」


 魔王の目が、大きく見開かれた。


***


「……ならば」


 魔王の声が、低くなる。


「斬らせるまでだ」


 魔王の右手に、黒い光が集まった。


 光は細長く伸びて、一振りの剣の形になっていく。

 黒い刃の、細身の剣。百年前、聖剣と一緒に旅をしたもう一振りの剣なのだと、あとになって聞いた。


 魔王が、踏み込んだ。


 ――速い。ガルムよりも。俺よりも。

 小柄な体が床を蹴った瞬間には、もうリオの目の前にいた。


 黒い刃が、リオの聖剣を横から叩く。

 リオの体が、床の上を三歩後ろへ滑った。


 リオは足で床を固めて、止まった。


 魔王が、追ってくる。懐へ。大きな相手には、懐が安全。――リオは魔王より背が高いのだから、魔王にとってはそれが正しい攻め方だった。


(……同じや)


 ボルドとセレスに支えられながら、俺は魔王の剣を見ていた。


 重心を前に。脇を締めて。一拍だけ遅らせる剣。

 百年前、たった一人で誰にも教えてもらえずに、この人は自分でそれを見つけたのだ。リオが半年かけて身につけた剣と、まったく同じものを。


 リオは、魔王の剣を受け続けた。


 受けるだけ。一度も、斬り返さなかった。


***


「なぜ、斬らぬ!」


 魔王が、叫んだ。


 黒い刃が、リオの肩をかすめる。

 革の胸当てが裂けて、リオの腕に赤い筋が走った。


「斬れ! そなたが斬らねば、我は、また百年、ここで待たねばならぬ! そなたの次の勇者が来るまで!」


 リオは、答えなかった。

 腕の傷を押さえもせずに、聖剣を構え直す。


「リオ!」


 ノエルが杖を握りしめて、飛び出しかけた。

 ボルドが俺を支えたまま、片手でノエルの肩をつかんで止める。


「坊主が、自分で決めたことだ」


 ボルドの声は、低かった。


 ――そのとき。


 俺の右側で、冷たい肩がすっと離れた。


 セレスだった。


 俺の腕をボルドに預けて、セレスは一人で、玉座の間の真ん中へ歩いていく。

 リオと魔王が刃を交えている、そのすぐ横へ。


「――魔王様」


 氷のように澄んだ声が、剣の音を断ち切った。


***


 魔王の剣が、止まった。


 リオも聖剣を構えたまま、セレスを振り返る。


 セレスは、魔王の前に立っていた。

 細い背中が、すっと伸びている。指先から、白い冷気が細く立ちのぼっていた。


「一つだけ、聞かせてください」


 セレスの声は、静かだった。


「百年前、北の故郷で、氷の魔将が討たれました。首に、聖剣の痕を刻まれて。三日目の朝に、二人の娘の手を握ったまま、雪が溶けるように消えていった」


 魔王の顔から、血の気が引いていく。


「その魔将を討ったのは、あなたですか」


 玉座の間が、しんと静まり返った。


 魔王は、しばらく何も言わなかった。

 黒い刃を握った手が、小刻みに震えている。


 それから、魔王は剣を下ろした。


「……そうだ」


 魔王は、顔を上げなかった。


「我が、討った。……そなたの、母を」


 セレスの指先から立ちのぼっていた冷気が、ふっと止まる。


「だから、氷の座を、そなたに預けた」


 魔王は、セレスの前で膝をついた。


 黒い冠を戴いた頭を、深く下げる。

 百年、帳の奥に座り続けてきた魔王が、氷の魔将の前で床に額をつけるほどに。


「すまなかった」


 声が、震えていた。


「百年、そればかり、思い出していた。……すまなかった」


***


 セレスは、膝をついた魔王を見下ろしていた。


 長い沈黙。玉座の間の誰もが、息を詰めて二人を見ていた。


「……母は」


 セレスが、口を開く。


「最後の朝、私と妹の手を握って、言いました」


 セレスの声が、かすかに揺れた。


「――あの勇者は、泣いていた、って」


 魔王の肩が、びくりと震える。


「私の首に剣を当てながら、あの勇者は、泣いていた。だから、恨まないで。あの子も、きっと、誰かに教えてもらいたかったのよ、って」


 セレスは、魔王の前に膝をついた。


 魔王と、同じ高さに。氷の一族の細い手が、魔王の震える手にそっと重ねられた。


「百年かかりましたけど、母の言っていたことが、やっと分かりました」


 セレスの口元が、ふっとほどける。


「この人も、私と同じだった。……誰かに、教えてもらいたかったんだ、って」


 魔王が顔を上げた。黒い目から、涙が一筋こぼれ落ちた。

 百年前、氷の魔将の首に剣を当てながら流したのと、たぶん、同じ涙が。


「だから、もう、死のうとしないでください」


 セレスは、魔王の手をしっかりと握った。


「母は、あなたを恨んでいなかった。……私も、もう、恨んでいません」


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