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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第5章 負け役の中ボス

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第74話 答え

 しばらく、二人とも床に座り込んだまま動けなかった。


 燭台の炎が、静かに揺れている。

 壁の三日月形の亀裂から落ちる石の粉が、いつの間にか止まっていた。


 リオは膝を抱えて、聖剣の柄を握りしめていた。

 指を開こうとして、開けずに、また握る。手が、まだ震えている。

 その目が、ときどき俺の首の後ろへ行っては逸れる。痕は、まだ熱かった。


「……すみません」


 柄から指をはがしながら、リオが言った。


「勝ったのに、手が、止まらなくて」

「止めんでええ」


 思わず、そう言っていた。


「廃砦でも、震えとったやろ。勝ったときに震えて、何が悪い」


 リオが顔を上げる。唇を、きつく噛んでいた。


「……先生、さっきから、喋り方が」

「ああ」

「ちょっと、変わりましたよね」


 ――気づかれた。


 大技のあと、「割れるもんなら、割ってみい」と言ったときから。

 魔将の芝居が、もうどこにも残っていなかった。


「……こっちが、素や」


 リオはきょとんとした顔をして、くすりと笑った。


「なんか、先生っぽいです」


***


「――リオ」


 名前を、呼んだ。廃砦で初めて会ってから、半年。

 心の中では、何度も呼んできた名前だ。でも、口に出して呼んだのは数えるほどしかなかった。


 リオの背筋が、ぴんと伸びる。


「約束やったな。勝ったら、聞かせる」

「……はい」


 リオが、膝を抱えていた手をほどいた。

 床の上に、きちんと座り直す。


 俺も床に膝をついたまま、背筋を伸ばした。


 ――答え。


 桟橋で違うとだけ言って、その先を言えず、マリネラの宿で言いかけて、止められた。


 ミレイユに聞かれた夜から、ずっと探していた答え。

 そのとき、あなたは何と言うの、と。


 ――探さなくても、よかったのだ。


 答えは、最初から、ここにあった。

 言葉にするのが怖かっただけだ。


 首の後ろが、じりじりと熱い。

 三日のうちに死ぬんなら、なおさら、今、言わなあかん。


***


「俺はな、この世界の人間やない」


 リオの唇が、小さく開いた。


「前の世界で、死んで、気づいたら、ヴァルガスになっとった。廃砦で、お前と向き合った、その瞬間に」

「……前の、世界」

「前の世界で、俺は、この世界の物語を作る仕事の、いちばん端っこにおった。物語の中で、壊れてるところを見つけて、紙に書いて報告する仕事や」


 リオは、黙って聞いていた。

 分からないことだらけのはずだ。それでも、一言も口を挟まなかった。


「だから、知っとった。この先、何が起きるか。お前が、どこへ行って、誰と戦うか。……勇者が負けたら、世界が終わるってことも」


 桟橋で言ったことだ。世界のため、と。


「最初はな、ほんまに、それだけやった」


 嘘は、つかないと決めていた。


「廃砦で、震えとるお前を見て、勝たせなあかんと思った。お前に勝ってもらわんと、世界が終わる。俺も、死ぬ。……それは、仕様の話や。お前やなくても、聖剣を持っとるやつやったら、誰でも同じことをしたと思う」


 リオの肩が、小さく揺れる。


「でもな」


 声が、震えた。


「ブランシュの河原で、お前がまっすぐ振れて、泣いたとき」


***


 夕暮れの河原。三日しか習っていない剣を、毎日一人で振り続けて、どうしても右に流れて、なんでなのか誰も教えてくれなかった、と声を詰まらせた少年。


「あのとき、もう、世界のことなんか、考えてへんかった」


 リオの膝の上で、拳がぎゅっと握られた。


「お前に、勝ってほしかった。世界のためやなくて。……お前が、勝って、笑うとこが、見たかった」


 リオの目から、涙がこぼれた。


 言ってしまった。ずっと、言葉にするのが怖かったこと。

 言ってしまえば、自分がただの中ボスではいられなくなること。


「前の世界ではな、俺の仕事は、誰にも見てもらえへんかった。何百枚報告書を書いても、誰も読まへん。直すのは別の人で、褒められるのも別の人で」


 会社の床の、冷たさ。


「お前は、見てくれた。俺の教えたことを、全部、まっすぐ受け取って。百回振れ言うたら、ほんまに百回振って。……先生って、呼んでくれた」


 リオが、懐の上から何かを握りしめた。


「嘘は、ついた。たくさん。ヒュドラのことも、氷の巨人のことも、俺が誰なのかも。……それは、謝る。ほんまに、すまんかった」


 床に両手をついて、頭を下げた。


 五魔将の筆頭が、十五歳の勇者の前で。


「でもな、リオ」


 顔を上げる。


「お前に剣を教えたことだけは、一個も、嘘やない」


***


 リオは、何も言わなかった。


 声を上げずに肩を震わせて、懐の上の手を握りしめたまま、それでも目は一度も閉じなかった。


 ――目だけは、閉じるな。


 ボルドの言葉を、この子は最後まで守っている。


 それから、リオは懐に手を入れた。


 取り出したのは、黒い金属のかけらだった。


 廃砦の帰り道、トロルの残骸の上に落ちてきた、兜のかけら。

 半年間、ずっと持ち歩いてきたもの。マリネラの宿で、答えを聞いてから返すと言ったもの。


 リオは、それを両手で俺の前に差し出した。


「……返します」


 リオの目は、俺から逸れない。


「先生の、答え、聞いたから」


 かけらを、受け取った。


 手のひらに載せると、指の一本分ほどしかない、小さなかけらだった。こんなに小さなものを、この子は半年間ずっと握りしめてきたのだ。


 かけらの縁は、すっかり丸くなっていた。

 何度も、何度も、握りしめられて。


 俺はかけらを見つめてから、リオの手を取って、その手のひらにかけらを載せ直した。


「……先生?」

「これは、お前が持っとけ」


 リオが、目を瞬いた。


「お前が、初めて勝った証や。廃砦で、震えながら、俺の兜を割った証」


 リオの手を両手で包み込んだ。


「……あれは、俺がわざと負けたんやない。お前が、ちゃんと勝ったんや。最後の一振りは、お前の剣やった。俺が教えた構えで、お前が自分で踏み込んだ」


 リオの手のひらの中で、黒いかけらが温かい。


「だから、持っとけ」


 リオはしばらく、俺の手と自分の手と、その中のかけらを見つめていた。


 ぎゅっと、かけらを握りしめた。


「……はい、先生」


 かけらを握ったまま、リオは床に置いていた聖剣をもう片方の手で取った。


「先生の答え、聞いたから。……何を残して、何を断てばいいのか、分かりました」


 刃の上で、金色の光が今度は揺れずに形を結んでいく。


「じっとしててください」


 金色の光をまとった聖剣の切っ先が、俺の首の後ろにそっと触れる。


 ――痛くなかった。


 焼けるような熱さが、すうっと引いていく。

 首の後ろの痕が、糸をほどくように一本ずつほどけていくのが分かった。


 リオは、目を閉じない。

 聖剣の切っ先を、痕の最後の一筋までまっすぐに当て続けていた。


 最後の熱が、消える。


 首に手をやると、そこにはもう何もなかった。

 つるりとした、ただの皮膚があるだけ。


***


 筆頭の間の扉が、勢いよく開く。


「リオ!」


 白い法衣の少女が、転がり込むように飛び込んできた。

 ノエルだった。後ろから、ボルドとミレイユが続いてくる。


 ノエルは床に座り込んでいるリオに駆け寄って、その肩を抱きしめた。


「大丈夫!? 怪我は!? なんで、そんな顔してるの!? まさか――」


 ノエルの目が、俺に向いた。


 割れた兜。首元の、消えかけた白い筋の跡。床に転がった大剣。

 そして、リオの手の中の、黒いかけら。


 ノエルは、俺を睨んでいた。


 ぷいっと、顔をそむける。


「……リオを、こんなに泣かせて」

「すまん」

「次に泣かせたら、許さないから」


 顔をそむけたまま、ノエルは言った。耳が、少しだけ赤い。


「……今回だけは、許してあげる」


 ボルドが扉の枠にもたれて、低く笑っていた。

 何も言わずに、ただ、うなずいている。


 ミレイユが杖をついて、俺の前に立った。

 翡翠色の目で、俺の顔をじっと見下ろす。


「――答え、出たのね」

「……ああ」

「聞いてたわよ。扉の外で。全部」


 ミレイユは、口の端を上げた。


「合格よ、先生」


***


 そのとき、遠くで、鐘が鳴った。


 ――ごおおおん。


 一度だけ。低く、長く、魔王城じゅうに響き渡る音。


 鐘楼で、ギギが鳴らしたのだろう。

 終わったら、鳴らしてもよろしいでしょうか、と言っていた。どちらが勝っても。


 鐘の音が、尾を引いて消えていく。

 その余韻の中で、リオが、ふと顔を上げた。


 手の中の聖剣が、かすかに光っている。


「……声が、聞こえます」


 リオが、呟いた。


「聖剣の声。……来なさい、勇者、って」


 筆頭の間の奥の、もう一つの扉。

 魔王の間へ続く最後の扉が、音もなく、ゆっくりと開き始めていた。


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