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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第5章 負け役の中ボス

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第73話 本気で負ける

 筆頭の間の床に、二つの影が向かい合っていた。


 燭台の炎が、ゆらゆらと揺れている。

 壁に刻まれた三日月形の亀裂から、細い石の粉がさらさらと落ち続けていた。


 リオは、最初に教えた構えのまま、動かなかった。


 足で床を固めて。重心を前に。脇を締めて。

 廃砦の日に、俺が怒鳴りながら教えた構え。


 俺も、大剣を構えたまま、動かなかった。


 ――次で、終わる。お互いに、それが分かっていた。


 黒鎧の中で、魔王の魔力が静かに脈を打っている。

 冷たくて、静かで、寂しい魔力。百年、帳の奥で待ち続けた誰かの魔力だ。


 まだ尽きていない。でも、リオの聖域に何度も遅らされて、少しずつ流れが鈍くなっている気がした。


(……長引いたら、俺の負けや)


 なら、一撃で決める。


***


 大剣を、高く振りかぶった。


 両手で、頭の上に。身の丈ほどもある黒い刃を、まっすぐ天井に向けて。


 ――大技だ。


 全身の魔力を刃に集める。

 黒い光が大剣の刃を這い上がって、燭台の炎を飲み込むほどに膨れ上がっていく。


 刃が重く、その重さに体が後ろへ引かれていく。


 右足を、一歩、後ろに引いた。


 ――重心を、前に残すために。

 白霧の神殿の雪原で、氷の巨人の中で何度も転びながら覚えた動き。大技を出すときは、片足を後ろに引いて転ばないように支える。


 その瞬間、リオの目が俺の足元に動いた。


「――先生」


 リオの声が、静かに響く。


「大技のとき、片足を、後ろに引きますよね」


 息が、止まった。


「白霧の神殿で、氷の巨人が、そうしてました。……先生が、雪原で、教えてくれたとおりに」


 ――巨人が大技を出すとき、片足を後ろに引く。それが合図だ。


 雪原の稽古で、俺がリオに教えたこと。

 自分が中に入る巨人の、弱点を。


「あのとき、巨人の動きが、先生に似てるって思ったんです。……今、分かりました。あれ、先生の癖だったんですね」


(……自分で自分の攻略本を書いとったんは、雪原の日だけやなかったんか)


 廃砦から、ずっと。俺は、この子に自分の倒し方を教え続けてきたのだ。


***


 振り下ろした。


 止められなかった。全身の魔力を込めた大技は、一度振りかぶったらもう止まらない。


 黒い光の塊が、天井から床へ落ちていく。


 リオが、前に出た。


 避けるのではなく、振り下ろされる刃の内側へ。


 ――一歩目で、俺の膝を踏んだ。


 後ろに引いた右足ではなく、前に残した左の膝。

 重心を支えている、その膝を。


 ――二歩目で、肩を踏んだ。


 大剣を振り下ろす腕の、付け根を。


 ――三歩目で、空へ跳んだ。


 ブランシュの夜と、同じだった。


 ヒュドラの前で、俺が言った。

 俺の膝を踏め。肩を踏め。そこから跳べ。


 あのとき、リオは俺の体を踏み台にして、空へ跳んだ。

 ――今も、同じだ。


 敵の体を。自分が倒すべき、五魔将筆頭の体を、踏み台にして。


 大剣が、リオのいなくなった床を叩き割った。


 黒い光が床石を砕いて、筆頭の間じゅうに粉塵を巻き上げる。


 その粉塵の上に。燭台の炎を背にして、白い剣を握った少年の影が、高く、高く浮かんでいた。


***


 見上げた。


 リオが、落ちてくる。聖剣を、両手で、大きく振りかぶって。


 脇を締めて、重心を前に、目を閉じずに。


(……ああ)


 大剣は、床に食い込んだまま。

 避けられない。受けられない。


 ――全部、教えたとおりだ。


 いや、教えた以上だ。


 廃砦で、重心を踵に乗せて震えていた少年が。

 ブランシュの河原で、まっすぐ振れたと声を上げた少年が、雪道で滑って、砂漠で二十本負けて、海の底で二十三回なかったことにされた少年が。


 今、俺の頭上から、まっすぐに落ちてくる。


 採点しようとして、やめた。

 点数なんか、もう、つけられへん。


 聖剣が、俺の兜の、額の銀の紋章に、吸い込まれた。


 ――パキン。


 乾いた音。


 廃砦で、兜が割れたときと、まったく同じ音だった。


***


 兜が、額から真っ二つに割れた。


 割れた兜の破片が、床の上にからからと転がっていく。

 筆頭の証の小さな銀の紋章が、粉々に砕けて燭台の光の中に散った。


 撃破判定、成立。


(よし、負け――)


 言いかけて、止まった。


 ――よし、じゃない。


 廃砦でも、白霧の神殿でも。

 俺は負けるたびに、心の中で「よし」と言ってきた。負けることを自分で決めていたから。計画どおりに負けられたことを、喜んでいたから。


 今日は、違う。


 俺は、勝つつもりで戦った。

 全力の黒閃を撃って、全力の大技を振り下ろして。それでも、負けた。


 膝が、崩れた。


 床に両膝をつく。大剣の柄から手が離れる。黒鎧の中で脈を打っていた魔王の魔力が、すうっと引いていく。


「……負けた」


 声が、かすれた。


「本気で、負けた」


 ――悔しかった。


 胸の奥が、焼けるように、悔しい。

 前の世界でも、この世界でも、こんなに悔しいと思ったことは、一度もなかった。


 そして、同じくらい。いや、それ以上に。


 ――嬉しかった。


***


 首の後ろが、熱くなった。焼けるような熱さ。

 手をやると、皮膚の上に細い筋のようなものが浮かび上がっているのが分かる。


(……痕、か)


 聖剣に討たれた魔将の首には、光の痕が残る。

 痕を刻まれた魔将は、三日のうちに死ぬ。


 ブランシュの地下水路で、セレスが言ったこと。

 廃砦では、聖剣の光が首に届く前に煙と一緒に消えたから、痕は残らなかった。


 今日は逃げずに、本当に討たれた。だから、痕が残る。


 ――これが、本気で負けるということか。


 不思議と、怖くはなかった。


 床に膝をついたまま、目の前に着地した少年を見上げる。


 リオは、聖剣を握ったまま立っていた。

 肩で息をしている。顔が汗でぐしゃぐしゃになっている。


 その目が、俺の首元に止まった。


「……先生、首に」


 リオの顔から、血の気が引いていく。


「白い、線が……」

「ああ」

「それ、ミレイユさんが言ってた……聖剣に討たれた魔将は、首に痕が残って、三日で――」


 リオの声が、途切れた。


「……三日で、死ぬ」


 俺が、言葉を引き取る。


***


 リオの手から、聖剣が滑り落ちそうになった。


「そんな……」


 声が、震えている。


「僕、先生を、殺そうなんて……そんなつもりじゃ……」

「分かっている」

「勝ったら、聞かせてくださいって、約束したのに……! こんなの……!」


 リオが聖剣を放り出して、俺の前に膝をついた。


 俺の首元の痕に、震える手を伸ばす。

 触れたら熱いのだろう。リオの指先が、痕の手前で止まった。


 ――そのとき。


 床に転がった聖剣が、光った。


 白い光ではなかった。金色の、柔らかい光。


 光が、リオの手にすうっと吸い寄せられていく。

 リオが、はっとしたように聖剣を見下ろした。


 頭の奥に、あの声が響いているのだろう。


 リオの唇が、聞こえてくる言葉をなぞるように動いた。


「……第五の封印、解放」


 リオが、息を詰める。


「命を奪わずに……断つ、力……?」


***


 リオは、聖剣を拾い上げた。


 白い刃が、金色の光に包まれている。

 四つの封印が解けたときの、白い光ではない。温かくて、柔らかい、夜明けの光のような色。


 リオは、俺の首元を見つめた。


「……先生」


 声は震えていたが、目は、まっすぐだった。


「じっとしててください」


 金色の光をまとった聖剣の切っ先が、俺の首の後ろにそっと当てられる。


 ――何も、起きなかった。


 金色の光は、刃の上でゆらゆらと揺れるだけだった。

 形にならない。首の後ろの熱さも、少しも引かない。


「……どうして」


 リオが切っ先を当て直す。光が揺れて、また、ほどけて消えた。


「どうして……! 断つ力だって、聖剣が……!」


 ――断つ。


 白霧の神殿の地下で、リュシーの楔に黒閃を通したとき。斬るんやない、断つんや、と思った。

 ザハルの宿の裏庭では、ミレイユが言っていた。五つ目の欄にだけ、一語。断つ、と。


(何を断つんか、まだ、この子には分かってへんのや)


 断つには、断つものと、残すものがいる。

 その見分けがつかないまま振っても、刃は何も断てない。


 俺は、リオの手首をそっとつかんだ。


「三日ある。焦るな」

「でも……!」

「三日ある」


 リオの手から、少しずつ力が抜けていく。

 それでも、柄だけは、離そうとしなかった。


 この子は、断つ力を手にした最初の一振りを、自分を倒しに来た敵の首の痕に向けた。

 本気で戦って、本気で倒した相手を、死なせないために。


(……ほんまに、あほで、勇者や)


 兜の割れた額に、筆頭の間の冷たい空気が触れていた。

 首の後ろの痕だけが、まだ、焼けるように熱かった。


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