第72話 師の剣、弟子の剣
それでも、俺のほうが強かった。
黒閃をくぐり抜けたリオに、もう一度大剣を叩きつける。
リオは、受けた。受けて、押し返そうとして押し返せずに、また床を滑る。
魔王の魔力は、底が見えなかった。
何度振っても、腕は疲れない。黒鎧が、静かに力を送り続けてくる。
リオは、違う。肩当てはへこんだままで、息はさっきよりもずっと荒い。額から流れた汗が目に入りそうになって、何度も瞬きをしている。
――このままいけば、勝てる。
その考えが、頭をよぎった瞬間。
胸の奥が、すっと冷えた。
(勝ったら、どうなる)
最後の封印は、解けない。
リオは魔王の前に立てない。魔王は、百年待ち続けた終わりをまた待つことになる。
そして、リオは――。
大剣が、一瞬だけ、鈍った。
リオが、その一瞬を見逃さなかった。
***
聖剣が、俺の大剣の下を潜り抜けてくる。
懐へ、一拍だけ遅らせて。
とっさに身をひねったが、聖剣の切っ先が黒鎧の脇腹を浅く斬った。
脇腹に、熱い痛みが走る。
「……今、迷いましたね」
リオが、すぐに距離を取りながら言った。
「先生の剣、今、一瞬だけ、止まりました」
――見られていた。
「手加減、しないでください」
リオの声が、震えている。
怒っているのか、怖がっているのか、分からない声だった。
「今までみたいに、僕を勝たせようとしないでください。……そんなことされたら、僕は、また何も知らないまま、勝ったことにされる」
筆頭の間に、リオの声が響く。
「本気で、戦ってください。それで、僕が負けたら、それは、僕が弱かったってことです」
――セレスの声を、思い出した。
やめて、と言った声。
本気で負けたら、あなたの首にも、痕が出る。
(……分かっとる。怖い)
本気で戦って、あの子を傷つけるのも。本気で負けるのも。
でも、この子はそれでも、本気を望んでいる。
勝たせてもらうのではなく。自分の剣で、勝つことを。
大剣を、握り直した。
「……すまん」
兜の中で、小さく呟く。
「今のは、俺が悪い」
リオの構えが、一瞬だけ揺れた。
***
そこから先は、もう迷わなかった。
大剣を振っては受けられ、返しては弾かれ、踏み込んでは避けられる。
リオの剣は、少しずつ変わっていった。
最初は、教えたとおりの剣だった。
重心を前に。脇を締めて。足で床を固めてから、踏み込む。
それが、少しずつ崩れていく。
――いや、崩れているのではない。組み変わっていく。
懐へ飛び込む動き。一拍遅らせる剣。
聖域を張って、その中で相手の魔力を遅くする技。
ボルドの膝と肩を踏んで、空へ跳んだときの、跳び方。
ガルムの拳を受け流した、柄の使い方。
一つ一つは、どこかで、誰かに教わったものだった。
でも、それが俺の知らない順番で、俺の知らない組み合わせで次々と繰り出されてくる。
懐へ飛び込みながら、聖剣を床に突き立てる。
聖域が広がった瞬間、床を蹴って空へ跳ぶ。跳びながら聖剣を引き抜いて、空中で一拍遅らせて振り下ろす。
(……なんや、それ)
見たことのない剣だった。
テストで何千回も見てきた勇者の剣ではない。
原作のどの技表にも、載っていない剣。
――この子が、自分で作った剣だ。
***
空中から振り下ろされた聖剣を、大剣で受けた。
さっきまでとは、重さが違った。聖域で俺の魔力が遅くなっている分、リオの剣だけが元の速さで、元の重さでのしかかってくる。
膝が、床に沈んだ。
――押されている。
俺が、五魔将筆頭が、魔王の魔力を満たした黒鎧の、本気のヴァルガスが。
着地したリオの息は荒く、肩が大きく上下している。それでも、聖剣をすぐに構え直す。
「……先生」
リオが、荒い息の合間に言った。
「今の、どうでしたか」
――どうでしたか。
この子は、ずっとそれを聞きたかったのかもしれない。
黒騎士に。先生に。自分の剣が、どうだったか。
河原で百回振ったときも、雪原で氷の槍の避け方を教えたときも。ザハルで二十本負けたあと、二十一本目で一本取ったときも。
俺はいつも、心の中で点数をつけていた。
でも、一度も口に出して言ったことはなかった。
兜の中で、息を吸い込む。
「――十点満点で」
声が、少しだけ震えた。
「十点や」
***
リオの目が、大きく見開かれた。
くしゃりと、顔が歪んだ。
歯を食いしばって、それでも口の端だけが笑っていた。
廃砦で、俺の兜を割ったとき。
黒い煙の向こうで見た、あの日の顔に少し似ている。でも、あの日よりずっと強い顔だった。
「……ありがとう、ございます」
リオは、聖剣の柄を両手で握り直した。
構えた。
足で床を固めて。重心を前に。脇を締めて。
――最初に教えた構えだ。
全部を組み替えて、自分だけの剣を作り上げて。
それでも最後に戻ってくるのは、廃砦の日に俺が怒鳴って教えた構えなのだ。
「次で、終わらせます」
リオが、言った。
「先生の兜、もう一回、割ります」
俺は、大剣を構え直した。
膝はまだ痺れていて、脇腹の傷もじんじんと熱い。それでも、黒鎧の中で魔王の魔力はまだ尽きていなかった。
「……割れるもんなら、割ってみい」
思わず、素の言葉が出ていた。
リオが、驚いた顔をする。
それから、笑った。今度は、歯を食いしばってはいなかった。
「はい!」




