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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第5章 負け役の中ボス

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第67話 【リオ視点】九百回

 魔王領に入ってから、北の街道はずっと上り坂だった。


 石畳が途切れて、踏み固められた土の道になる。道の両側の林は、北へ進むほど葉の色が黒っぽくなっていった。

 先頭がボルドさん、真ん中がノエルとミレイユさん、いちばん後ろが僕。マリネラを出てから、ずっとこの順番だ。


 後ろから歩いていると、みんなの重心が見える。


 ボルドさんは、踵。でも、大きな斧を背負っているから、わざとそうしているんだと思う。ノエルは、つま先。怒っているときは、もっとつま先。ミレイユさんは、半分くらい杖。


 先生に教わってから、人の足元ばかり見るようになった。


***


 最後の宿場に着いたのは、日が傾き始めたころだった。


 峠を一つ越えたところの、小さな宿場だ。宿の前に立つと、北の曇り空の下に、黒い尖塔がいくつも見えた。


「……あれが」

「魔王城ね。明日の昼前には、着くわ」


 ミレイユさんの声は、いつもより短い。


 宿のおかみさんは、腰の曲がったおばあさんだった。

 魔王領の中にも、人の住む宿場がある。街道の行き来は、昔から絶えたことがないのだそうだ。


「あの、すみません」


 部屋の鍵を受け取ってから、聞いた。


「宿の裏で、剣を振ってもいいですか」


 おばあさんの手から、帳面がぱたりと落ちた。


「……剣を?」

「はい。素振りです」

「あんた、明日、あのお城へ行きなさる勇者様だろう」

「はい」

「その前の晩に、素振りかい」

「はい。毎晩なので」


 おばあさんは、口を開けたまま僕の顔を見ていた。

 それから黙って、裏口を指さす。薪置き場の横が空いているらしい。


 後ろで、ノエルが額に手を当てていた。ボルドさんの肩が、小さく揺れている。


 ……何か、変なことを言っただろうか。

 剣を振るのは、毎日やることなのに。


***


 夕ごはんのあと、ミレイユさんの部屋に呼ばれた。


 ノエルとボルドさんも、もう座っていた。

 ミレイユさんは杖を膝に置いて、窓の外の黒い尖塔を見ている。


「リオ。……ずっと、言えなかったことがあるの」


 ミレイユさんがこんなふうに言いよどむのを、初めて見た。


「何日も前に、あの人から伝声貝で頼まれていたの。あなたに伝えてくれって。……なのに、城が見えるところまで来て、やっと」


 ミレイユさんが「あの人」と呼ぶのは、一人しかいない。


「五魔将の筆頭は、ヴァルガス。……あなたの先生よ」


 ――筆頭。


 マリネラの広場で、ゼクスさんが群衆の前で言った。あなたの先生は、魔王軍五魔将の筆頭、と。

 あれは、芝居だと思っていた。先生を悪者に見せるための。


「魔王の命令で、本気で戦うって。……魔王の魔力をもらって、黒鎧の力も戻ったそうよ」


 ――力が、戻った。


 マリネラの宿で、先生は寝台の上にいた。大剣も持ち上げられなかった。

 だから、僕は言ったのだ。先生がちゃんと元気になって、剣が持ち上がるようになってから、聞かせてください、と。


 元気に、なったんだ。


 ――僕の、敵として。


「なによ、それ」


 ノエルが立ち上がった。椅子が、がたんと鳴る。


「また一人で決めて、今度はリオと本気で戦うって――」

「ノエル」


 ボルドさんが、低く呼んだ。ノエルは唇を噛んで、椅子に座り直す。


「あの人ね、こうも言ってたわ」


 ミレイユさんが、僕を見た。翡翠色の目は、逸れない。


「迷うわよ、あの子、って私が言ったら。……迷えばいい。迷って、それでも来るなら、あいつは本当に強くなっている、って」


 膝の上で、手を握る。

 何か言おうとしたのに、言葉がどこにも見つからなかった。


***


 宿の裏の薪置き場の横で、聖剣を抜いた。


 月が、出ている。

 北の空の黒い尖塔が、月明かりの中で、さっきより近く見える。


 足で、地面を固める。重心を、前に。脇を、締めて。


「いち」


 振る。


「に」


 振る。


 数えながら振るのは、ブランシュの河原からの癖だ。

 百回振れと言われて、百回振った。次の日も、その次の日も。数えていないと、どこまで振ったのか分からなくなる。


 ――廃砦で、僕は先生の兜を割った。

 それでも、先生は生きていた。


 だから、明日も、きっと――。


 そこから先を考えたら、剣先が揺れた。


「ひゃくご……」


 数を、一つ飛ばしていた。

 百四から、振り直す。


***


 三百を過ぎたころ、二階の窓が小さく軋んだ。


 見上げなくても分かる。ノエルだ。

 マリネラを出てから、ノエルは毎晩、窓から僕の素振りを見ている。一度だけ「早く寝なさいよ」と言われたけれど、それきりだ。


 隣の窓から、ミレイユさんの声が降ってきた。伝声貝で、誰かと話している。


「あの子、何も言わなかったわ。……今も、宿の裏で振ってる。数を数えながら」


 誰と話しているのかは、聞かなくても分かった。


 四百。四百一。

 剣の音が、さっきより少しだけ重くなった気がした。


 裏口の戸が開いて、ボルドさんが出てくる。

 薪の山に腰を下ろして、斧の柄を膝に立てた。


「明日、どうする」

「……分かりません」


 振る手は、止めない。


「勝ちたいです。先生に勝って、ちゃんと聞きたい。……でも、先生と戦うのは、怖いです」

「怖いか」

「すごく」


 ボルドさんは、斧の柄に顎を乗せた。


「廃砦の前で、俺が言ったことを、覚えてるか」

「目だけは、閉じるな」

「それだけ覚えてりゃ、いい」


 ボルドさんは腕を組んで、薪の山の上で目を閉じた。

 ……目、閉じてるじゃないですか。

 言いかけて、やめた。たぶん、そういうことじゃない。


***


 八百を過ぎると、腕が重くなってくる。


 八百五十。八百八十。


 九百が近づくと、いつも右の肘が開き始める。振り下ろす瞬間に、外へ。

 河原で、先生に直してもらった癖だ。


 開いたまま振っても、意味はない。

 先生なら、きっとそう言う。だから、肘が開く前にやめることにしている。


「……きゅうひゃく」


 聖剣を、下ろした。


 息が、白い。汗で濡れた前髪が、額に貼りついている。

 北の空の黒い尖塔を、見上げた。


 あの城のどこかに、先生がいる。

 今ごろ、先生も振っているのかもしれない。廃砦で僕を怒鳴ったときと同じ、重い音で。


 迷っている。

 たぶん、明日になっても、迷ったままだ。


 それでも、行く。


 ――次に会うとき、ちゃんと、聞かせてください。


 マリネラの宿で、先生は、約束だと言った。

 聖剣を鞘に戻して、僕は手のひらの豆を握りしめた。


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