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勇者に倒されるチュートリアルの中ボスに転生したので、毎回ちゃんと負けてあげます ~死んだはずの俺、正体を隠して勇者に剣を教えています~  作者: おはぎだんご
第4章 作者の負け方

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第61話 栞を固定する

 大広間の白い床に、黒鎧の足音が響いた。


 ゼクスの片眼鏡が、こちらを向く。

 柔和な笑みが、ほんの一瞬だけ、固まった。


「……おや。約束が違いますね、ヴァルガス殿」

「約束をしたのは、俺じゃない」


 ゼクスに向かって歩いていく。


 床に膝をついたリオの横を、通り過ぎる。

 リオが、顔を上げた気配がした。でも、そちらは見なかった。


「勇者くんは、先生の手を借りずに来た。……あなたが、勝手に来ただけですよ」

「ああ。勝手に来た」


 ゼクスとの距離が、十歩になる。


「何をしに来たんです? あなたが私を斬っても、私は書き戻します。あなたが栞を奪っても、奪わなかったことにします。……あなた一人が増えても、何も変わりませんよ」

「お前の改稿は、俺には効かない」


 ゼクスの笑みが、また固まった。


「紅茶がこぼれたのを、覚えている。今、この大広間で、お前が二十三回書き戻したのも、全部覚えている。……ボルドの斧が、お前の左肩に食い込んだのが一回目。勇者の剣が、お前の栞をかすったのが二十三回目だ」


 ゼクスの片眼鏡の奥で、目が細くなった。


「……なぜ」

「さあな。たぶん、俺が、改稿の仕様をテストした人間だからだろう」


 本当のところは、分からない。


 前世の俺は、改稿の巻き戻しを何百回もテストした。

 栞を挟んで、書き戻して、また挟んで。巻き戻される前と後を一つずつ見比べて、ずれがないか確かめ続けた。


 ――改稿の外側から、改稿を見ていた人間。


 この世界でも、俺は、その場所に立っている。


(ミレイユの言うとおりや。俺は、書かれた側やない)


***


「……それで?」


 ゼクスの声から、柔らかさが消えた。


「覚えていられるからといって、何ができるんです。あなたが覚えていても、勇者くんは覚えていない。何度戦っても、勇者くんは、最初からやり直しです」

「だから、もう、書き戻させない」


 俺は右手を、ゼクスに向かって差し出す。


「報告番号、四の二百十七」


 ゼクスの動きが、止まった。


「四章ボス、海魔将の固有能力、改稿について。……発売の一年半前、俺が書いた不具合の報告書だ」


 大広間の、白紙の本棚。

 何千、何万という、何も書かれていない背表紙。


「改稿は、栞の中に、書き戻す先の時点を記録している。だから、栞の状態そのものが、少しも変わらないように固められてしまえば、新しく書き戻す先を記録できない。書き戻そうとしても、何も起きない」


 ゼクスの顔から、血の気が引いていった。


「強い魔力を持つ別の存在が、栞に干渉すると、改稿は永久に発動しなくなる。……ボスの能力として致命的。仕様の見直しを推奨」


 あの夜、会社の床に寝転がって、天井の染みを数えながら考えた文面だった。


「お前は、あの報告書を、読まなかったんだな」


 ゼクスの唇が、震える。


「……読まずに、捨てました」


 かすれた声。


「あなたが、床で寝ているあいだに。……私の書いた設定を、没にした報告書だと思ったから」

「そうか」


 怒りは、湧いてこなかった。

 ただ、少しだけ、寂しかった。


「読んでいれば、この能力の弱点を、自分で塞げたかもしれないのにな」


***


 ゼクスが、胸元に手を伸ばす。


 栞を、なぞろうとしている。

 十呼吸前に。俺がこの大広間に足を踏み入れる前に。


 ――その前に、俺はゼクスの胸元に、手のひらを押し当てていた。


 礼服の布越しに、栞の硬い感触が手のひらに伝わってくる。


「――やめなさい!」


 ゼクスが、叫んだ。


 初めて聞く、取り乱した声だった。


「それは、私の……! 私の書いた、私の……!」


 手のひらから、黒鎧の魔力を栞に流し込んだ。


 黒い光が、俺の腕を伝って、手のひらから溢れ出す。

 ゼクスの胸元の、白い栞の光を、包み込むように。押さえつけるように。


 栞が、抵抗した。


 白い光が、俺の手のひらを焼くように押し返してくる。

 書き戻そうとしている。何度も、何度も。十呼吸前へ、十呼吸前へと。


 ――させない。


 さらに、魔力を流し込む。

 黒鎧の奥底に溜まっていた魔力が、堰を切ったように腕へ、手のひらへと流れ出していく。


 黒鎧の胸当てに、ぴしりと、細いひびが入った。


 ひびは肩当てへ、籠手へと、網の目のように広がっていく。

 黒鎧の表面から、鈍い光沢が少しずつ失われていく。


 ――五魔将最強の魔力。

 百年以上、この鎧に溜め込まれてきた、ヴァルガスの力。


 それが、手のひらから白い栞の中へ、流れ込んでいく。


「ヴァルガス……っ!」


 背後で、セレスの声がした。

 柱の陰から、飛び出してきたのだろう。


 栞の白い光が、少しずつ、静かになっていく。

 頁をめくるように明滅していた光が、一定の明るさで止まる。


 固まっていく。

 少しも、動かなくなっていく。


 ゼクスが、俺の手首をつかんだ。

 爪が、籠手の継ぎ目に食い込む。


「なぜ……! なぜ、そこまでするんです……!」


 ゼクスの声が、悲鳴に近かった。


「あなたは、中ボスですよ!? 物語の本筋には、関係ない! チュートリアルで消えるはずだった、ただの通過点だ! それなのに、なぜ、自分の力を全部捨ててまで――」


 最後の魔力が、手のひらから、流れ出ていく。


 栞の光が、完全に、止まった。


 白く、静かに。

 もう、どこにも書き戻せない、固まった光。


 黒鎧の光沢が、すべて消えた。


 ただの黒い鉄の鎧になった胸当てが、ひびだらけのまま、重く体にのしかかってくる。

 膝が、がくりと崩れかけた。


 それでも、ゼクスの胸元から、手を離さない。


「……仕様です」


 ゼクスの目が、見開かれた。


 改稿は、もう、発動しない。

 この栞は、永久に、今この瞬間に、固まった。


 俺は、ようやく、手を離す。


 そのまま、白い床の上に膝をついた。

 力が、どこにも入らない。腕が、鉛のように重い。


 背後で、足音がした。


 軽い足音。

 床を、つま先の付け根で固めてから、踏み出す足音。


 振り返らなくても、分かった。


「――先生」


 リオが、俺の横に立っていた。

 聖剣を、まっすぐに構えて。


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